7.『ぬるい人肌のとろける熱さ』


「さむい……」


 ホームに降りると、鋭い風が肌を刺した。

 もうすっかり冬だな、長かった夏も過ぎればあっという間だったな――なんて感傷に浸る余裕は今の私にはない。


「お姉さん。乗り換えです。走れますか?」

「はいっ! 私、はしりますぅ!」

「やめとくか」


 ビシッと敬礼する彼女の姿を見て、なんとなくやめた方がいい気がした。

 怪我させたりしたら本格的に冗談じゃ済まなくなるし。


 乗り換えの猶予は15分。

 慣れない駅で新幹線から在来線に乗り換えるには、まぁ不安の残る時間だ。


 私ひとりならダッシュなんだけど、酔っぱらいを抱えていては難しいだろう。


 幸いにも、1本なら遅らせる余裕がある。

 次の電車は40分後。

 それが最終だから、何がなんでも乗らなくてはならない。


 このままでは、お姉さんをひとりこの駅に置き去りにしてしま……あれ?


「お姉さん」

「あい〜?」

「お姉さんはここで一泊しますか?」


 この人をわざわざ万花町まで連れていく必要はないのでは?

 どうせどっちにしろ見知らぬ土地だし、万花町よりはこの街の方が栄えてるだろうから、ホテルもすぐに見つかるだろうし。


「私はねぇ、あのねぇ、どこまでもおともいたしますぅ!」

「あの、私はもう……いや待てよ」


 私もここで泊まればいいのではないだろうか。

 気がはやっていたけど、別に今夜中に到着する必要はない。

 もともと今日は宿をとって、本格的な探索は明日からと思っていた。


「じゃあ、ホテルでも探しますか」


 なんというか、気持ちが判断力をおいてけぼりにしていたのは私だって同じだったみたいだ。

 冷静になってみれば、そもそも私の計画が無茶だったような気もする。


 よし。

 今日はこのまま、この街で夜を明かそう。

 ビジネスホテルか、空いていなければ最悪カプセルホテルでも我慢するかぁ。



「えっえっえっ、森! ホテルから森が生えてる!」

「ん〜? 違いますよぉ、あれはねぇ〜……木です!」

「いや、森でしょ、あれは!」


 木が3本。つまり森だ。

 森の定義ってなんなんだろうか。

 違う。そんな話ではない。


 駅から出て、ホテルを求めて歩いてみた私は2分で悟った。

 残念ながらビジネスホテルやカプセルホテルは見当たらなくて。

 

 そのかわり、煌びやかに飾られたネオンや、『休憩』だの『REST』みたいな文字と共に料金が書いてあるでっかい看板が立ち並んでいた。


「まさかラブホ街だとは……」


 ちらと横目で彼女を見やる。

 無邪気に「きれいですねぇ」なんて目を輝かせているけど、この人は理解しているのだろうか。

 

 背に腹はかえられないというか、寝る場所の確保は大事だ。

 だから私は構わない。私ひとりなら構わなかった。


 だけど、酔いの回った女性を連れ回してラブホに連れ込むのは……私の倫理センサーが警報をあげる。


「ふわぁ〜」


 そんな私の考えは、大きくあくびをする彼女を見て吹き飛んだ。

 疲れているのだろう。毎日大変みたいだし。

 せめて今日くらいはぐっすり眠ってほしい。


 私は意を決した。


「お姉さん。その辺のホテルに入りましょう」

「わっかりましたぁ」


 彼女の腕をひっぱり、とにかく目に入ったドアをそそくさとくぐる。

 肩に力が入りながら、探索で鍛えられた夜目を効かせた。

 とりあえずこの狭いロビーには誰もいないようだ。


 知り合いにばったり会うようなことはないだろうけど、私を一方的に知ってる人に出会う可能性は捨てきれない。怖い。


 で。


「お姉さん。変なこと聞きますけど、こういう場所に来たことはありますか?」

「うえぇ、わかりましぇーん!」


 頼りにはならないか。

 ロビーには縦長のモニターと、小さな穴が空いた受付窓、歯ブラシやらシャンプーやらのアメニティ類。

 それくらいしかない。


 私たちがわたわたしていたら、受付窓からにゅっと腕が伸びてきて、隣のモニターを指さした。


「えっ……あっ、これタッチパネルなんだ」


 そこには部屋の写真と番号が映されていて、空いている部屋だけ明るく表示されていた。

 どうやら結構埋まってるみたいだ。

 空いてるのは2部屋で、9000円の部屋と14000円の部屋。


 うーん。

 何が違うのかわからない。

 わからないけど、5000円も高いってことは何かが違うのだろう。

 いいや、高いほうで。睡眠の質は大事だよ。

 お姉さんのぶんも私が出しちゃえばいいよね。


 ぽちっと、14000円の部屋を押す。

『宿泊』と『休憩』の項目が出てきたから、宿泊をぽち。

 そしたら、またしても受付窓からにゅっと腕が伸びてきた。

 なんだなんだ、拳か?

 

「あっ、鍵か……」


 私はそれを受け取り、お姉さんをひっぱり、早足でエレベーターに乗り込んだ。


 404号室。

 縁起的には最悪だ。


 もっとも、そんなものは気の持ちようだから、私はまったく気にしないけど。


 とにかく部屋のドアを開けると、なかなかにワクワクする光景が広がっていた。


 広すぎるくらいに広い部屋に、でっかいテレビ、ガラスのテーブル。ベッドはクイーンサイズかな。

 なんかマッサージチェアまであるし! 地味に嬉しいな!


 っと。

 はしゃいでる場合ではないな。


「お姉さん、先にお風呂入りますか? それともお酒入ってるし今日はやめときます?」

「ん〜……ねむい」

「じゃあ、横になっててください。寝ちゃっても大丈夫なので。私はお風呂に入ってきますね」

「わかりましたぁ」


 私が促す間もなく、彼女はスーツを脱いで、顔からベッドにダイブしていた。

 うん、大丈夫そうかな。

 快適そうだし、高いほうの部屋を選んでよかったと思う。


 彼女が早々に寝息を立て始めたことを確認して、私はお風呂場に向かった。



「ふぅ……あったかい」


 ぶくぶくと音を立てるジャグジーの中で、自分が底まで冷えていたことに気づく。

 いやぁ、沁みるねぇ、これは。


 足まで伸ばしてお風呂に入るのは久しぶりだし、どぎつい色にライトアップされた湯船はあたたかい非日常を演出していて、存外に心が安らぐものだ。


「明日からはまた探索だし……気合い入れなきゃな」


 件の無許可探索者が現れたのは、深層にあたる場所だ。

 その深さまで潜るには、私は3ヶ月近いブランクがある。

 

 細心の注意を払いながら、魔力の残量にも気を使って、1階層ずつ確実に進まないと、すぐに命の危機と隣り合わせになるだろう。


「まだいるかな。もういないかな。いてくれるといいな」


 名前も、顔すらも知らない命の恩人。

 知ってるのは後ろ姿と、使う魔術の一部だけ。

 情報は少ない。だからこそ、可能性はひとつずつ確認しなくちゃ。


 そして、とにかく会いたい。

 会って、お礼を。できるなら、名前を。


「あなたはいったい、なんのために迷宮に潜っているの?」


 気になる。

 あれだけの強さを持ちながら、ライセンスを取ることもなく。

 もしかしたら配信はしているのかもしれないけど、2ヶ月以上も特定されないところを見るに、知名度はほぼないと言っていい。


 少なくとも、ある程度の探索者がいる迷宮に頻繁に潜っている人ならば、人づてに噂くらいは立つはずだ。

 それすらないということは、あえて見つからないようにしているのか。


 わからない。なにもわからない。

 

 知りたい。


「……のぼせちゃったかな」


 心なしか鼓動が煩い理由を湯加減のせいにして、私はゆっくりと立ち上がった。



 部屋は真っ暗だった。

 さっきまで枕元のライトがついていたから、彼女が一度目を覚まして消したのかもしれない。


 起こしてしまわないように注意しながら、スマホの仄かな灯りで手を探り、ベッドまでなんとかたどり着く。


「お邪魔しますね、お姉さん」


 一応声をかけてから、もぞもぞと布団に潜り込む。

 軽くてあったかい、いい布団だ。


 ちなみに私はあまり寝相のよくない人間である。

 朝起きたら顔の上に枕が乗っていたこともあった。


 だから寝ている彼女の邪魔をしないように、少し離れて寝る場所を陣取る。

 いやあ、クイーンサイズのなせる技だね。


「おやすみなさい。こんなところまで連れてきて、すみませんでした」


 返事はない。きっともう夢の中なのだろう。

 明日の朝は何時に起きようかな。

 私はそんなに早起きする必要がなかったけど、彼女は早めに起きた方が安心だろう。帰る時間とかもあるし。


 そうなると爆睡はできないかな。

 でもせめていい夢を見られたらいいなぁ。

 そう思いながら目を閉じる。


「――ひゃっ!」


 瞬間、背中側から私の全身をあったかいものが包んだ。

 あたたかくて、いい匂いで、柔らかくて、涙が出るほど優しい感触。

 それがぬるい人肌だと気づくまで、少しだけ私の頭は働かずにぼうっとしていた。


「お、お姉さん……? 起きてたんですか?」

「はい。起きていました」

「ちょっと、あの、近くないですか?」

「そうですね。近いと思います」


 その腕が私の前まで回され、本当の意味で全身が彼女に包まれる。

 真っ白になる頭の中で、どうして同じくらいの体温が寄るとこんなにも熱いのだろう、不思議だな、なんて呑気な疑問だけがぐるぐると回っている。


 指が這う。

 太ももから、お腹。

 そして、ひんやりと冷たい指がぎゅっと私を捕まえた。


「あ、あの! 私そういう趣味じゃないんです! 酔っぱらってるとはいえそういうのは困るというか……!」

「酔っぱらってないですよ。おかげさまで冴え渡ってます」

「え、ええ……?」


 酔っぱらっていない。

 たしかに私ってば結構長湯したし、ホテルに入る前にお水も飲ませたから、酔いが覚めるに十分な時間は過ぎている。


 でも、酔っぱらってないとしたら、この状況は、ええと、どういうことだ。


「私、どうしてもあなたに伝えたいことがあるんです」

「ちょ、ちょちょ、待っ――」

「――ありがとう。私を連れ出してくれて」

「――――」


 ついに愛の告白をされてしまう。

 そう考えた私が馬鹿に思えるくらい、彼女の想いは切なかった。


 連れ出したなんて、ウソだ。

 私はただ、調子に乗ってしまっただけ。

 そして、彼女に無責任に委ねただけだ。


 お礼だなんて、申し訳なくなってしまう。


「私、口実が欲しかったんです。ずっとずっと」

「……口実?」

「そう。吹っ切れるための、それか諦めるための口実。あなたがくれました」

「……もしかして、お酒勧めたことですか?」

「ふふ。そうです」

「それはその、反省してるというか……」

「いいんです。言い出したのは私ですし。あの時、あなたは言ってくれたじゃないですか」


 あの時に言ったこと。

 ええと、「いっちゃいましょう」……くらいじゃない?


「普通ね、ああいう場面では『ダメですよ』って言うんですよ。それか、『お家に帰ってからね』って」


 つーって、指が動く。

 しなやかに私のおへそを通り過ぎた。

 思わず身体の先から先までが跳ねる。


「……っ!」

「ふふ。かわいい」

「ちょっと、ほんと、それ以上は……!」

「わかってますよ。冗談、これは冗談です」


 冗談になっていない。

 自分以外の誰かからの刺激っていう、未経験の熱さは、私の吐く息を荒くした。

 自分でお腹を触るだけなら何も感じないのに、どうして。


「そ、それ以上やったらほんとに叫びますから!」

「それ以上って、例えばどんなことですか?」

「っ、それは……!」

「ふふ。なんて、ちゃんと冗談ですよ。私、あなたに嫌われたくないですから」


 ぱっとお腹から指が離れる。

 ほっと安堵の息をついたはいいけど、なぜだか急に寒くなったように感じた。

 人肌は、とても熱い。


「――あっ」


 束の間、今度は遠慮なしに抱きしめられる。

 咄嗟のことに行き場をなくした私の両手が、もがくように空気を掴んだ。


「ちょ、ちょっと……!」

「せめて、抱きしめさせてください。ダメですか?」

「ダメじゃ、ないですけど……」


 せめて、とか。

 そんなこと言われたら、嫌とも言えない。

 実際、嫌じゃない。


 私の気持ちを無視して変なことを続けようとしたら叩くけど、実は、なんか、すごく安心するのだ。

 密着しているからなのか、この人だからなのか、それはわからない。


「私、明莉あかりっていいます。今年で24歳になります」

「……え?」

「お互いのこと、知り合いませんか? あなたのことも教えてください」

「え、えっと、紗那です、じゅうきゅう、さいです」

「やっぱり、歳下だ。ふふ」


 ああ、最近は、自己紹介の順序がおかしいな。

 求婚されたのもびっくりしたけど、今日の方がもっとびっくりだよ。

 人生ってのは、やっぱり、予想のつかないものだ。


 耳元で聴こえる息の音も、人肌も、妙な心地よさも。

 知らないことだらけだ。

 

 今、何時かな。もう普段なら眠りに落ちている頃かな。

 だってほら、こんなにも、眠くなっているのだから。

 もう、目が開かないや。


「いいですよ、このまま寝ても」

「うん、わたし、ねむいや……」

「はい。また明日」


 ぽかぽかと、ゆらゆらと、ぐるぐると。

 夢と現実の狭間が、だんだん曖昧になって――。

 


「すぅ……」

「――おやすみなさい、紗那さん」


 私は、眠りに落ちた。

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