6.『窓を流れる景色と現実と』
私は移動時間が好きだ。
と言うと少し言葉が足りないな。
例えば電車とか、新幹線とか、車の助手席とか。
座っているだけで目的地まで運んでくれる移動の時間が好きだ。
小さい頃、世界のぜんぶがまだ目新しかったとき。
好奇心に釣られるまま外の景色を眺めて、見つけたものを自慢げにお母さんに伝えて。
はいはいと宥められ、はしゃぎ疲れて気がついたら眠りに落ちているような、そんな時間が好きだった。
そんな時間を思い出すから、移動時間が好きだ。
「あれは……なんだろ。工場、かな?」
「ふふ。魔石を加工する工場みたいですよ。土まみれの魔石を、綺麗な宝石にしてくれるんです」
そんな癖が10代も最後の歳になっても抜けず、うっかり独り言を漏らした私に、隣から言葉が返ってくる。
知らない声だ。
振り向くと、スーツ姿の女性が優しい顔をして私を見つめていた。
「あっ、ごめんなさい。私、独り言を……」
「いえ。素敵ですね」
その言葉の意味がわからず、私は頭をひねった。
素敵なことはない。これは、私の後悔と未練だ。
でもそんなことを初対面の人に言ってもしかたがないので、私は愛想を混ぜて口角を上げる。
「今日はどちらに行かれるんですか?」
「えっと……万花町という町に」
「ご家族、とかですか?」
「いえ、ちょっとした用があるだけなので……」
会話は続けられ、ぐいっと踏み込んでくるような問いでもあったけど、不思議と嫌な気持ちはしなかった。
なんでだろう。
疑問に思いながら、その正体を探ってみると、ちょっとした心当たりに気づいた。
この人の笑顔の裏には寂しさとやるせなさがある。
それに気づいたのは、きっと自分も同じ顔をしているからだ。
「……私、移動している時間って好きなんです」
どきりと、自分の心を言い当てられたような錯覚がした。
すぐにこの人が自分自身の話をしていると気づくと、やっぱり変な親近感が湧いてくる。
「椅子に座って、流れる景色を眺めていると、その時だけは喧騒から逃れられるから」
「……お仕事、大変なんですか?」
「大変ですねぇ」
そう言って、その人は困ったように笑った。
その笑顔がどうにも辛そうで、苦しそうで、泣きそうなくらいに痛いのだろうって、きっと私じゃなくてもわかる。
そして彼女は、こう続けた。
「でも、月並みなんです。私が悩んでることを、きっと誰もが乗り越えてる。生きる上では仕方のない、当たり前の大変さなんですよ。私、生きるのに向いてないんですかねぇ」
あぁ、わかるなぁ。
この人はきっと私より歳上だけど、ちょっと前の私と同じように悩んでいるんだ。
失恋して、閉じこもったあとの話。
人生を浪費するように毎日が繰り返されて、何のために生きてるんだろうって、生きるだけがなんでこんなに苦しいんだろうって、闇のかかった将来に絶望もした。
迷宮に出会わなかったら、今だってそうだっただろう。
「――きっと、生きるのは大変なんです」
でも、今ならわかる。
迷宮で何度も見た景色と、自分の非力さに泣いた夜が、私をほんの少しだけ育ててくれたから。
「――生きるのは大変だけど、それでも生きるから、私たちはえらいんです」
「――――」
こんな仕事をしていると、ただ『生きる』という当たり前のことが本当に難しく感じる。
私だって明日には生きていないかもしれない。
だから、生きてるだけで及第点をあげたっていい。
「私、ダンジョン配信をしてます」
「ダンジョン、配信……」
ダンジョン配信者という仕事は、少なくともイメージのいいものではない。
楽して大金を稼ごうとするハイエナだ、なんて言われたりもする。
人の生死をエンターテインメントにしてしまう外道だ、なんて言葉もかけられる。
この人みたいに毎日真面目に働いて、苦しんで、もがいている人からしたら、本当に不愉快に感じるだろう。
それでも私はこの仕事に誇りを持っている。
だれかの命を救うことができる仕事は、多くないのだから。
「……私より若そうなのに、凄いですね。私には、自分の命を懸ける勇気なんてないです。死にたくないですから。なのに、今こうして、生きるのが面倒になっている」
彼女の声は、震えていた。
「私って、ほんと中途半端」
私とこの人は似ている。
唯一違うのは、私は運がよかった。それだけの差だ。
「偶然だったんですよ」
「……え?」
「自暴自棄になって飛び込んだ世界が、偶然私に向いてた。それだけだったんです」
本当に、それだけだ。
今でこそ、それなりの知名度と食べていけるだけのお金を手に入れているけど、もし私に探索者としての才能がなかったら。
初めて迷宮に入ったあの日、死んでいたかもしれないのだから。
「……偶然でも、凄いことです。進むべき道を変えることも、そのために勇気を出すことも、私にはできませんから」
助けてあげたい、なんて偉そうなことは言えない。
正直、私よりこの人の方がよっぽど立派に思える。
私ができなかった『続ける』ということを、それでもこの人はやってのけているのだから。
だから、私にできるのはこれくらいだ。
「お姉さん」
「はい、なんでしょうか」
「――おやつ、食べましょう」
「――はい?」
私はパンパンのリュックから大量のお菓子を取り出して、座席のテーブルを広げた。
■
「だからあのハゲ、自分のミスを押し付けるのだけは早くて、やることがせこいんですよぉ!」
「ちょちょちょ、お姉さん! 声でかい声でかい!」
「そう! あいつ声だけはでかいんですよねぇ! それでこっちがビビるとでも思ってるんですかぁ!?」
「ほんとにほんとに! 一旦ストップ!」
どうしてこうなった。
お菓子を広げたときは、この人も理解が追いつかないような顔をしながら「え……私、あんまりお菓子は得意じゃなくて……」と言っていた。
それを私が「まぁまぁ、とりあえず一口だけ」と押し切ったら、彼女も「じゃあ、いただきます」と折れるような形で突発お菓子パーティが始まり。
徐々に心を開いて、仕事のことや人間関係の悩みを話してくれて。
で、話が盛り上がったところにタイミングよく車内販売が通りかかって。
「もういっそ、お酒でも飲んじゃいましょうかねぇ」なんてお姉さんが言うもんだから、私も乗っかって「いっちゃいましょう」なんて焚き付けて。
その後、壊滅的にお酒が弱いことが判明し、それでも2本3本と缶は空いていって。
で、こうなった。
私か。私が悪いのか。
「一緒に飲みましょうよぉ!」
「私、まだお酒が飲める歳じゃないので!」
「ちぇー。真面目だなぁ」
私はあなたの方が真面目だと思ってました。
お酒がその人の本性を暴くのか、それともお酒が人を狂わせるのか。
いや、違うな。
溜まっていた鬱憤を、お酒が晴らしてくれているのだ。
周りに迷惑はかかるだろうけど、でもいいか。
彼女だって限界だったんだ。
この車両に乗っている人は、彼女が降りるまでの短い時間、申し訳ないけど我慢してください。
いやほんと、周りに迷惑はかかってるけど!
さっきからチラチラとこっちを窺う視線が鋭くて怖いけど!
「ていうかお姉さん、どこで降りるんですか?」
「えー? 忘れましたぁ!」
「え!? 忘れたって、そんな……」
「なのであなたの降りる……なんとか町で降りまぁす!」
「ちょちょちょ、荒ぶりすぎ!」
さすがにそれは……いやちょっと待てよ。
お姉さん。スーツ。で、さっきまでのあの表情。
これあれだな。ひょっとしなくても、仕事中の移動だな。
で、彼女はできあがってて、お酒を勧めた私……。
私は血の気が引いた。
「お姉さん」
「あいー?」
「お姉さんは体調不良です」
「なんだぁー? 私、元気ですよぉ!」
「いえ。体調不良なので、早退します。そう連絡して……いや、私がします。通行人である私が、道でうずくまるお姉さんを見つけ、病院に連れていきます。診察中に私から会社に連絡するので、お姉さんはあとで連絡を入れてください。そういう筋書きでいきましょう」
「ふぇー?」
もういい時間だから、たぶん会社に戻るところだったのだろう。
うん。なんとかなる。たぶん。
というかなんとかならないと私がやばい。
「さぼりだぁ! さぼり、だめなんですよぅ!」
「サボりじゃないです。早退です」
「あー! あー! いけないんだぁ」
で、この人どうしよう。
一応聞いてみるか。
「お姉さん」
「あーい」
「お家、どこですか?」
「おうち……? おうちは、かいしゃでーす!」
「もうダメだ……」
致し方あるまい。
こうなったらもう、これしかないだろう。
「お姉さん。お姉さんは今から、私と一緒に万花町まで行きます」
「えーっ! やったぁ〜! デートだぁ!」
「デートじゃないです。そこでホテルか宿をとって、朝起きたらお姉さんだけ帰ります」
「あさがえり! わるいんだぁー」
「悪いです。ほんとすみませんでした」
心の底から謝って、私は時計を見た。
降りるまであと1時間、そこから電車に乗り換えて1時間。
目的地まではあと2時間といったところだ。
私は移動時間が好きだ。
ただ、今回ばかりは早く終わってくれないかな。
そう願うばかりの私だった。
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