4.『また会いましょう』


  嘘みたいな静寂が場を包んだのは、きっとほんの一瞬だったと思う。

 自分の荒い呼吸だけが、なぜだかやけに反響した気がする。


「――やった」


 ぽつりと聞こえたその一言が、黙りこくった全員の意識を現実に引き戻した。


「――すごいすごい!」

「私たち、生きてるよ!」


 男の子に続いて、双子の女の子も歓喜に叫んだ。

 その様子を見た私は、ようやくほっと胸を撫で下ろす。


「……君は凄いな」


 そして最後の一人、壮年の男性が私に近寄って、声をかけてくれた。

 その表情はどこか憑き物が落ちたようで、今の今まで本気でこの場所を最期の場所にするつもりだったことが窺える。


「すまない、名乗りすらせずに。私は藤田という。君には命を救われたよ」

「皆さんがいてくれたから、私も救うことができました。一緒に戦ってくれてありがとうございます」

「はは……戦うだけでなく、勝つことができれば……彼らも明日を迎えることができたのだが」


 そう言って、藤田さんは床に寝ている4人に視線を落とした。

 あの魔物と果敢に戦い、そして散っていった4人だ。

 

 彼らにどんな人生があって、どんな明日を夢見たのかはわからない。

 最期の瞬間は怖かったのか、悔しかったのか、腹立たしかったのか。


 でも、戦った。

 戦って、散っていった。

 勇敢な戦士たちだ。


「せめて骨を持ち帰り、安らかに眠ってもらおう」

「……そうですね」

「私は一足先に失礼することにする。彼らと、それから魔物の死体は私が持ち帰り、報告しよう。君たちはゆっくり帰ってきてくれ。くれぐれも気をつけてな」

「はい、ありがとうございます」

「では、また地上で会おう。今日の日の礼はいつか必ず」


 さっと踵を返して、藤田さんは去っていった。

 なんか、かっこいい人だ。


 藤田さんはたぶん30代か40代くらいだから、私の倍近い人生経験があるのだろう。

 渋い。


 ちなみに双子の女の子たちも、私にお礼を告げてから去っていった。


「私も将来はあんなお兄さんになれるかな……」

「な、なれないと思います!」

「え!?」


 何も考えずにぽけーっと呟いた独り言に、大声量のツッコミが入る。びっくりした。


 振り向くと、幼さの残る男の子が顔を赤くして立っていた。

 中学生か、高校生になったばかりくらいの子だろう。

 最近では探索者の低年齢化も進んでいるとはいえ、この場にいるということは最低でも黄金色。

 相応の実力者であることは間違いないし、彼の雷魔術は美しかった。


「お、お姉さんは女の人なので……お兄さんにはなれないと思います!」

「あっ、うん……そうだね……」


 たしかに。

 私は女の人だから、お兄さんにはなれないだろう。

 うん。私が悪かった。


「えっと……君は?」

「僕は『リノ・ウィステリア』という名前で配信をしていて……えっと、お姉さんも配信者ですよね?」

「うん、そうだけど……」


 外国の人?

 髪は黒い。そういう意味では日本人っぽいな。

 輪郭も少し丸みを帯びていて、凹凸の少ない可愛げがある。

 顔立ちも、私が今まで見てきた男子たちと近い。

 瞳は……黒い。


 うん……日本人だな。


「君、名前は?」

「リノ・ウィステリ……」

「そっちじゃなくて、ほんとうの名前のほう。お姉さんにこっそり教えて?」

「……斎藤です」

「あぁ、なるほど」


 こっそり耳打ちで教えてもらって、腑に落ちた。

 リノ。つまりサイだ。それで、ウィステリアってのは……まぁ、みなまで言うまい。


「あの!」

「はっ、はいっ!」


 またしても声量がバグってて、うっかり私は畏まってしまった。

 なんだろうか。

 

「実は僕、配信サイトではそれなりに知名度もあって! 雷ショタ系探索者なんてあだ名を付けられちゃったりはしてますけど……」

「へ、へぇ。そうなんだ」

「ああ、そうじゃなくて! そんな話じゃなくて、その、えっと……」


 歯切れが悪い。

 本当になんなのだろうか。

 ここににて悪い知らせってこともないだろうけど、妙に私の心はざわついた。


 なんかこう、とてつもなく言いづらいことを言おうとしている顔をしていたから。


「あ、あのっ!」

「はっ、はいっ」

「――ぼ、僕と結婚してくださいっ!」

「はっ……はっ、はいっ!?」


 求婚だった。

 そりゃ言いづらいわけだ。

 私もきっと、そういう言葉を伝えるタイミングがやってきたら、とてつもなく言いづらいことを言おうとしている顔をしてしまうだろう。


 じゃなくて。

 結婚かぁ。

 うん。


「お、お断りしますっ!」

「――っ!」


 叫ぶと、彼はショックを受けたように固まった。

 いや……でも無理でしょ。

 まだ出会ったばかりというか、名前を知って1分の関係だよ? スピード婚にも程があるわ。


「結婚するにはまだちょっとお互いのことを知らなすぎるというか……」

「っ! じゃあお互いのことを知れば考えてくれますか!?」

「そっ、そういう意味じゃなくて、ね?」

「僕っ! 小さい頃から料理教室に通っていたから料理も上手ですし! この歳にして稼ぎもいいですし! 誰よりもお姉さんのこと愛しますから!」

「そっ、そんなこと……言われて、も……」


 ぐらっ。

 料理上手なのか。くそっ。

 無趣味な私には、食べることくらいしか楽しみがないわけで。

 そういう生活を続けていたせいで、舌だけはそれなりに肥えてしまったわけで。

 おいしい料理が毎日食べられるのか、でもなぁ……。


 というか、そもそもなんだけど。


「……君、何歳?」

「14歳です! もうすぐ15歳になります!」


 ダメじゃん。結婚できないじゃん。

 未成年だし。


 というか冷静になってみれば、ちょっとぐらついた私ってばヤバくない?

 飢えすぎなのではないだろうか。やだやだ。


 あぁでも、日々のおいしいご飯が……。

 ご飯かぁ……。


「…………」

「お姉さん、お願いしますっ! 好きですっ!」

「……っ、はぁ」


 息を吐く。

 一旦冷静になろう。


 この子はまだ14歳だし。

 私だって結婚するにはちょっとばかり早い年頃だし。

 お互いのこと知らなすぎるし。


 それに、現実的な話をすれば、きっとアレだろう。

 私に命を救われたこの子は、きっと今吊り橋効果的な魔法にかけられている。

 魔術じゃない。魔法だ。


 だから、その気持ちはきっとこのダンジョンを出るまでのもの。

 一時的な、錯覚だ。

 それを私が弄ぶわけにはいかないだろう。


「……5年後」

「――――」

「5年後にまだ気持ちが変わってなかったら、同じ言葉を聞かせて」

「――は、はい!」


 これでいい。

 きっと彼はこの場所を出て、いい人を見つける。

 そして、私のことなんて忘れてしまえばいい。


 というか、自然とそうなるだろう。

 きっと人生というのはそういうものだ。


 はぁ。

 おいしいご飯……。


「あのっ……せめて」

「うん?」

「せめて、お名前を教えてください!」


 あぁ、まだ教えてなかったっけ。

 やっぱり順序おかしいよね?

 これで私がオッケーしてたらどうなってたの?

 求婚→婚約→自己紹介ってこと?


「私は『こおりちゃん』って名前で……」

「――そっちじゃない方を、教えてくれませんか?」

「――。私は、氷坂紗那だよ。よろしくね」


:出た、こおりちゃんの本名ぶっぱ

:ネットリテラシーって言葉知らない?

:配信してること忘れてるんじゃね?

:今更だろ

:こおりちゃんの本名は実質公開されてるようなもん

:でも自分のこと以外なら意外とリテラシー高いよ

:だからむしろ怖いんだよな……

:今回の被害者はショタか。罪な女だな


 コメント欄が騒がしい。

 別に忘れてないよ、配信してること!

 でもいいや、気にしない。


「……紗那さん。紗那さんですね」

「うん。君の下の名前も教えてくれる?」

「祐人です。あの、また会ってくれますか?」

「――――」


 少しだけ赤い頬で、彼はそう言った。

 また会う、という言葉には色々な意味がある。

 

 外で会うのか、ダンジョン内で再び出会うのか。

 同じようにまた出会えるとも限らない。

 色々な再会の形があるけど、とにかく――、


「――生きていれば、きっとまた会えるよ」

「――。はいっ! また会いましょう!」


 生きるというのは難しい。

 こんな世界で、命の危険とも隣合わせの仕事で。

 ただ生きるということが、こんなにも難しい。


 私たち探索者の感覚は、きっと外で働く人たちとは少しズレているだろう。

 当たり前に人が死ぬし、嫌でもそれに慣れてしまう。


 だけど、誰にだって歩んできた人生があるのだ。

 明日からも歩む日々があるのだ。

 

 だから、生きていれば。

 生きてさえいれば、また出会えるだろう。


「じゃあ、また」

「うん、またね」


 別れの挨拶はそれだけだった。

 少しだけ淡白にも思えるけど、十分だ。


 きっと、また会えるのだから。

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