3.『これは命の結晶だ』


 ダンジョンの深さは、大きく3つに分けることができる。

 低層、中層、深層だ。


 新宿大迷宮においては、15層から中層。

 50層以降は深層となる。


 何が変わるかと言えば、深く潜るほど魔力濃度が濃くなるのと、人の手が届かなくなる。

 中層ではギリギリ灯りもあるけど、深層では全てが手探り。

 エレベーターもないから、先人たちが造った階段を下っていくしかない。

 加えて言えば、魔力濃度が濃いほどに出現する魔物も強く、命の危険も大きくなるものだ。


 で、私は普段そういう場所で探索をしている。

 普通なら、中層程度で臆することなどなにもないはず。


「イレギュラーかぁ……」


:珍しいね

:新宿ではそういうのないと思ってた

:まだどこにも情報回ってないからかなり直近の出来事っぽいな

:まぁこおりちゃんがいれば大丈夫でしょ

:所詮中層。黄金以上なのに中層で死ぬやつはいない


「油断はできないよ。私が死にかけたのだって中層なんだから」


:あれはダンジョンが悪かった

:普通中層にあの強さのボスがいるとは思わないよなぁ……

:治癒魔術がなかったらと思うと血の気が引くわ


「治癒魔術……」


 そうだ。

 あの人の存在がなければ、私は今ここにいない。

 それだけは忘れちゃいけない。


「みんなにお願い。もしどこかで私を助けてくれた人を見かけたら、教えてほしいの。せめてお礼を言いたいから」


:わかったよ

:あんだけ強かったのに無名ってありえるの?

:探索者が全員配信してるわけじゃないからな

:でも治癒魔術だぞ? すぐバレるだろそんなの

:そもそも本当に治癒魔術だったのかよ

:胡散臭さはある。証拠もないし

:こおりちゃんが今こうして元気に配信してるのが何よりの証拠だろ


 ほんのりとコメントが荒れ始めた。

 これは最近知ったことなんだけど、私の配信は他の人と比べてあまり治安がよくないらしい。

 はぁ。ため息ひとつと一緒に、私は自分の気持ちをそのまま吐き出した。


「私の恩人をあまり悪く言わないでね」


:ほんとそれ

:こおりちゃんが生きててよかった


「まぁ、私も配慮が足りなかったよ。ごめんね」


 不用意に触れるべきでもなかったと反省し、この話は打ち切る。

 どうせそろそろ雑談の時間は終わりだ。

 エレベーターが止まり、目の前には長い通路が伸びていた。


 15層。

 この先に、例の魔物がいるらしい。


 感覚を研ぐ。

 人が数人と、魔物。

 うん、確かにこの奥にいる。


「調査のために、生け捕りにするか死体を持ってきてほしいって話だったけど……」


 達成できるのはどうやら後者のようだ。

 人の気配は伝えられていたものより少ないから、たぶん既に死人が出てる。


 ほんの1秒ですら惜しい私は、その場から走り出した。



「――【岩槍】!」

「――【渦雷】っ!」


 その光景を目にした時、すぐに悟った。

 きっとそれでは意味がない。

 いくら時間をかけても、命を張っても、勝つことはできない。


 魔物を取り囲んでいるのは4人。

 歴戦を思わせる壮年の男性と、まだ幼さの残る男の子、双子みたいな女の子たち。


 そして、その足元に転がる死体の数も4つ。

 性別は……わからない。


「――【岩槍】! 【岩槍】ッ! っ、クソッ!」


 壮年の男性が、なりふり構わずに魔術を投げつける。

 魔物はそれを気に止めることもなく、ただその拳を振るっていた。


 ――異形。

 あえて呼ぶなら、その言葉が浮かんだ。

 2mを超える巨体の造形は、私たち人間と近いように思える。

 ただ決定的に違うのは――首の上にあるべきものがなく、代わりに広いお腹の真ん中で裂けるような口が笑みを浮かべていたこと。


「――【渦雷】ぃぃっ!」


 ほとばしる雷が、異形の魔物を貫く。

 いや、貫けない。


 軽く受け流した魔物は、なおもいやらしい笑みをお腹に張り付かせていた。


 数秒で、私は気づく。

 この魔物には魔術が通じない。


 魔術が通じない相手にはいくつかのパターンがある。

 ということは、探索者の中では常識だ。


 ひとつ。

 魔術を受け流すことに長けた魔物。

 直撃こそすればダメージを与えられるけど、それを回避する能力に恐ろしく長けた魔物がいる。


 ふたつ。

 魔力蓄積型の魔物。

 体内に魔力を溜め込む器官があり、受けた魔術を魔力に変換して蓄えることができる。

 このタイプの魔物の恐ろしさは、蓄えた魔力を自分のものとして放出することができる点だ。

 私たちが必死に魔術を撃ったぶんだけ、何倍にもなって反撃が返ってくる。


 みっつ。

 魔術に完全な耐性がある魔物。

 魔術では決してダメージを与えることができない。

 体術や剣術で対処する必要がある。


 そして、この魔物がどのパターンかという話だけど――、


「――ぁっ」


 考える暇もなく、魔物が反撃に転じる。

 お腹の口が大きく開かれた瞬間、黒く染まった魔力が球状に形作られていく。


 バチバチと大気を揺らすその魔力は、雷魔術の特性によく似ていた。


 ――魔力蓄積型。

 確信と同時にその魔力は放出され、魔物の正面にいた男の子は骨一本残らず消し炭に――。


「――【霰縅あられおどし】」


 させない。

 一歩踏みしめて、私の冷たい魔力をさらにガチガチに固める。

 強固な氷の盾は黒い魔力を真っ向から受け止め、行き場を失った魔力は大気中に散った。


 ちらと振り向いて、男の子の無事を確認する。


「――――」

「大丈夫ですか? 立ち上がれたら、魔物の正面には立たないようにしてください!」

「あ、ありが、とう……」

「君は!?」


 横から壮年の男性が叫ぶ。

 私の姿を視界の片隅に入れながらも、その目は魔物から外さないところを見るに、やはりこの人は歴戦を潜り抜けてきたのだろう。


「黄金色探索者です! 依頼でここまできました!」

「黄金色か……我々もそうだが、どうやらこの相手には分が悪いらしい。なるべく長く戦い、白金以上の到着を待つことが最善だろう」

「状況を教えてください!」

「全部で10名。4名は死亡、2名は逃亡、残りの4名は見ての通りだ。察していると思うが、こいつは魔力蓄積型だろう。生憎ここには魔術師しかいない。これでは勝ち目が……」

「――いえ」


 説明しながら改めて状況と現実に直面した彼の声色には、自ずと影が落とされていった。


 魔術師では魔力蓄積型に勝てない。

 それどころか、敵を強化し、被害を増やすだけ。


 そう思っているのだろうけど、魔力蓄積型の魔物にだって光明はある。

 いや、むしろこいつが魔力蓄積型で安心しているくらいだ。

 他のタイプだったら、勝ち目はすごく薄くなっていただろうから。


「――いけます。私に時間をください」


 告げると、彼の声は震えた。

 

「なっ、君も魔術師では――いや。わかった、信じよう。どうせここを死地と見定めていたところだ……私に光明があるとすれば、もはや君なのだから」

「ぼ、ぼくも動けるだけ動きます!」

「わたしたちもがんばる!」

「んっ!」


 4人。

 私を除いて、4人だ。


 きっと最初はもっと多くて、でも1人2人と死んでいって。

 どんどん不利な状況に追い込まれて、心だって痛いだろう。


 だから、辛いはずだ。苦しいはずだ。

 ここで立つというのは、恐ろしいことだ。

 それでも私のために、そして勝つために、彼らは命を張ってくれるらしい。


 だから私がやるべきことは。

 だから私が伝えるべきことは。


「――ありがとう」


 ――私は目を閉じた。



 人類が魔術を使えるようになって、まだ歴史は浅い。

 魔力とはなんなのか。魔術とは。

 私はお偉いさんじゃないから詳しいことはわからないけど、どうやらダンジョンが現れたことに関係しているらしい。


 とはいえ、私は生まれた時から魔術と共にあった世代だ。

 小難しい理屈抜きで、魔力を感じることができる。


 血が巡っているように。

 脳みそがぐるぐる働いているように。

 見えないけれど、たしかにそこにある。


「――【渦雷】っ! 届け、【渦雷】ぃっ!」

「無茶をするな! 時間を稼ぐことに専念しろ!」


 集中。集中。

 自分の内側と向かい合って、ふつふつと湧き上がる魔力と向き合え。

 出力は最大。

 手加減なんてできるわけもない。


「茉美、わたしたち、絶対に帰ろうね」

「うん、由美。死なないよ」


 脳が焼ける。

 血が沸騰する。


 それでいい。

 それでいいから、もっと。

 もっと、魔力を練り上げろ。


「――ッ」

「――おじさん!」

「構うな、片腕だ! それより攻撃の手を緩めるな!」


 まだ足りない。

 まだ足りない。

 もっと魔力を。


 大丈夫、時間はある。

 あるはずだ。


 私を信じてくれた彼らを、私も信じているから。

 生きて帰るのは、私たちだ。


「――っ、この魔力…… 」

「……茉美」

「うん、見たことないね」

「気を抜くな! くるぞ!」


 あぁ、熱い。

 冷たく固く圧縮した魔力が、今はこんなにも熱い。


 私ってばやればできる。

 本気になればこれだけの魔力を――いや。


 この魔力は、11人の命の結晶だ。

 1人だったら私だって死んでいた。


 死んでしまった人はもどらない。

 もう二度と、お家に帰ることはできない。

 でもきっと、彼らがいたから間に合った。

 私が来れた。


 だからせめて、今もなお命を賭して戦っている彼らと一緒に、無事に家まで帰ろう。

 これは、そのための魔力だ。


 ――そして私は、目を開けた。


「――いけます」

「――! 皆、避けろ!」

 


「玉塵に咲け――【垂氷万華】」


 魔力が肌を焦がして、氷点下の奔流が晴れたとき、魔物がいた場所にあったのは、芯まで凍りついて崩れる2mの氷像だけだった。

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