2.『目が覚めた』


 砂浜に寄せる波みたいに、ぷわぷわと意識が浮かんでは消える。

 その間に見ていたのは悪夢だったような、もっとあたたかい光だったような。


 とにかく、私は目が覚めた。


「ここ……どこらぁ?」


 声を出す。

 少し呂律は回らないし、耳に届いた音はなんだかこもっていたけれど、散々聞いた私の声だ。


 まだ頭はぼーっとしている。

 思考がまとまらないのもそのせいか。


 頭が働かないなりに、自分が置かれた状況を整理してみることにする。

 寝転がったまま身体は上手く動かないけど、うん。


 ――生きてる。

 どうやら私は、命を拾ったようだ。


 もう二度と戻ってくることができないはずだった意識は、当たり前みたいにここにあった。


「あっ」

「ぬ」


 視線だけを動かして周りの様子を窺ってみたら、白い人と目が合った。

 なんだあれ。白いな。

 看護師か。看護師だな。どう見ても看護師だ。


 てことはここ、病院だね。

 私ってば冴えてる。

 

「氷坂さん、お目覚めですか?」

「あうあう」

「あら、ごめんなさい。まだ無理に喋らないでね」


 明確な意思を持って動こうとすると、思った以上に身体は言うことを聞かなくて。

 失礼かなとも思ったけど、どうしようもないから、無言のまま頷きすらしないで看護師さんとお医者さんの話を聞いた。


 まず、私の状況。

 丸1日寝ていたこと。

 

 よかった。植物状態で10年経ってました、とかじゃなくて。

 探索者にとって、それは冗談でも大袈裟でもないのだ。

 命を拾えただけラッキー。生きていれば明日を迎えられるからね。


 それから、後遺症は残らないだろう、とのこと。

 しばらくは安静だけど、リハビリをすれば探索者として復帰することだって可能みたい。

 よかった。路頭に迷うところだった。


 そして、私をここまで連れてきてくれた人のこと。

 きっとあれは夢じゃない。

 治癒魔術なんて夢みたいな力を持った人が、私を助けてくれたのだ。


 その人が私を病院まで運んでくれたのかと思ったら、残念ながらそうではないらしい。

 ダンジョンの低層にある救護拠点までは確かにとある探索者が運んでくれたみたいだけど、その後は全て救護員に任せて立ち去ったそうだ。

 ま、そりゃそうか。


 最後に、私の親の話。

 連絡はついたそうだけど、お見舞いには来ないみたい。

 ……まぁ、そうだよね。


「では、また何かあったら呼んでくださいね〜」

「あうあう」


 そんなこんなで私の絶対安静生活が始まった。



 1ヶ月も経つ頃には、それなりに身体も動くようになった。

 そこから更に1ヶ月程度の軽いリハビリを経て、私は野に解き放たれた。

 いや別に解き放たれてはない。

 順当に退院しただけだ。


「ダンジョン探索に命の危険は付き物ですから。十分に注意するようにしてください」

「わかりました」


 なんて、当たり前のことも言われたけど。

 当たり前だからこそ、改めて心に刻んでおこうと思う。


 さて。

 この2ヶ月、私は真実を探していた。


 あの時私を助けてくれたのはどこのどなたで、私の身に何があったのか。

 考えても答えが出るわけもなく、せめて一言お礼を言いたかったんだけど、残念ながらあの時、その人の顔をはっきり覚える前に私の意識は途切れている。


 うんうんと唸り続けて2週間ほど経ったとき、私は気づいた。

 あの日の配信、そのアーカイブを見返せば真実が映っているのではないか、って。


 ドンピシャだった。

 魔力制御によって私だけを捉え続けるカメラは、私が倒れてからはマトモに映っちゃいない。

 だけど、ブレブレの配信の中でも確かに、その人の存在は確認できた。


「後ろ姿だけど……肩まで下げた黒髪に、細い線……女の子だよね」


 やっぱり夢なんかじゃない。

 私の恩人は、画面の向こう側にいた。


 そしてなにより、彼女の一挙手一投足に目が離せない。

 洗練された動き。贅沢な魔力の使い方。そして――、


「……群れの長。私が致命傷を負わされた相手」


 ニンゲンの体長をゆうに超えた体躯を持つ獣。

 その造形は犬によく似ているが、額に主張する大きなツノと、自分の肉すらも抉って生えているほどに鋭利で巨大なツメは、私の知る動物とは大きく異なる。


 俊敏かつ狡猾。

 そんな群れの長を、たった1発の魔術で屠る少女の姿は、私には鮮烈に映った。


「……すごい」


 まるで風でも纏っているのではないかというほどに鮮やかな身のこなし。

 空気すら置き去りにして襲い来る魔獣の一突きを鮮やかに飛び越え、身をよじりながら着地した時、すでに魔獣の首と胴は離れていた。


 いや、まるで――ではない。

 きっとこれは風魔術で、彼女は本当に風を纏っている。

 ただし、今までに見た事がないくらいに卓越した技術で。


 私はダンジョン配信者である以前に、探索者だ。

 それなりの実力だって自負はあるし、プライドだってある。

 私より上手に氷魔術を使える人なんてほとんどいないし、もし見かけたら全力で嫉妬するだろう。

 だけどそんなものがちっぽけに思えるくらい、彼女の姿は美しかった。


 そして、配信が切れる直前――最後の光景に、私は再び口をあんぐり開けることになる。


「まさかと思ったけど……やっぱり」


 治癒魔術。

 魔術の五属性から逸脱した、理の外にある特別な魔術。

 今現在、この日本で治癒魔術を扱えるのは、片手で数えられる程度しかいない。


 でもその全てがお偉い学者さんとか、国が抱える国家魔術師だったりするから、こんな辺境の迷宮に潜っている人なんていないはずなんだけど。


「……無許可、か」


 ならば、考えられる可能性としてはそれしかない。

 迷宮に潜るにはライセンスが必要だ。

 無許可で潜っても罰則はないけど、ダンジョン内で起きたことは全て自己責任。

 医療費も10割負担になる。


 あれあれ、ちょっとおかしいじゃん。

 なんて思う人もいるのは、『迷宮享受権』の存在からだろう。

 全ての人に迷宮を探索する権利が保証されてるなら、そんな縛り設けていいの? って。


 いいのだ。

『迷宮享受権』が生まれたのは50年以上前。

 ライセンス制度が本格運用されたのはここ5年くらいの出来事。

 法は時代とともに形や解釈を変えていくもの、なのだろう。


 ともかく。


「探さなきゃ。探して、お礼を言わなきゃ」


 それが当分の私の生きる意味になりそうだ。



「みんな、久しぶり。ご心配をおかけしました」


 ふわふわと中空に浮かぶ小さなカメラに向かって、私はぺこりと頭を下げた。


:おかえりいいいい

:生きててよかった

:リハビリはもう大丈夫なの?

:無理しないでね

:こおりちゃんの同接4桁とか久しぶりに見た


 2ヶ月ぶりの、それも復帰配信ということもあり、過去一番といえるくらいに人が集まっている。

 よかった。しばらく配信しないうちに忘れられたりしてなくて。


「リハビリはね、身体の方はもう大丈夫。おかげさまでピンピンしてますよー」


:思ったより元気そうでよかった

:結構な怪我だったのにね

:ってかもしかしてダンジョンにいない?

:これ新宿大迷宮?


「ご明察のとおりだよ。身体の方は大丈夫なんだけど、探索が久しぶりすぎて心配だったから、そっちのリハビリをしにきました」


 新宿大迷宮。

 東京都新宿区の地下に広がる、日本最大級のダンジョンだ。


 人の出入りも最大級で、さすがにとっくの昔に探索しつくされているから、低層は比較的安全。

 魔物の出現が全く無いわけじゃないけど、すぐに警護員が討伐してくれるから、死亡事故の件数はほぼ0と言っていいくらいだ。


 近頃ではレジャー感覚でスリルを楽しみにやってくる、非探索者の若者も多いのだとか。

 ……まぁ、迷宮の楽しみ方も人それぞれだしね。


「今回私が潜るのは、新宿大迷宮の中層。具体的には15層から20層くらいまでかな。その辺で慣らそうと思います」


 リスナーにそう伝えて、私は魔動式エレベーターに向かった。

 列に並んで、自分の番を待つ。

 それから係員の女性に行先を告げて、エレベーターを動かしてもらえばあっという間に目的地。


 のはずなんだけど、今回はどうやら様子がおかしかった。

 列がなかなか動かないし、前の方から落胆の溜息や機嫌の悪そうな声が聞こえる。


「せっかく来たのによぉ、そりゃないんじゃねぇの? なぁ、おい」

「そうよ。いいじゃない、ちょっとくらい」

「ですから、危険ですので……!」


 状況はよくわからないけど……立場上強く出られない人に向かって高圧的な言葉を投げる人は、大抵ろくなもんじゃないと相場が決まっているのだ。

 無視。関わらないようにしよう。


 そんなこんなで自分の番がきて、私は意気揚々と目的地を告げた。


「15層までお願いします」

「申し訳ありません。現在、10層より下の階層には……」


 振り向きながらなにかを言いかけた係員の女性は、私の姿を視界に入れると言葉を止めた。

 正確に言うなら、私の腰に下げられたピカピカのプレートを、だけど。


「もしかして、黄金色の探索者様ですか?」

「あ、はいっ」


 探索者は、実力を考慮されて5つに階級分けされている。

 下から順に『青銅、銀灰、黄金、白金、金剛』。

 私たちは階級の後ろに『色』をつけて呼ばれる。


 例えば私なら『黄金色探索者』だ。


 ちなみに冒険者の7割が青銅、2割が銀灰、1割が黄金――といった具合の分布らしく、白金と金剛はほとんど見かけることはない。


「なにかあったんですか?」

「現在、20層付近に未確認の魔物が発生したとの情報が入っております。黄金色以上の探索者様には任意での調査をお願いしているのですが……」


 未確認の魔物。

 珍しい話じゃない。


 魔物というのはその土地の魔力や時代によって姿を変える。

 だから、私たち人間が魔物の生態を掴むことなんてできないのだ。

 偶然立ち寄ったダンジョンに未確認の魔物がわらわら、なんてのはありがちだ。


 ――ただし、ここが新宿大迷宮でなければ、の話だけど。


「この迷宮は魔力整備も万全で、あんまりイレギュラーが起こらないと思ってました」

「ええ、ですので探索者様のお力をお借りしたくて……」


 うーむ。なるほど。

 異常事態、ってことね。

 私が役に立てることもあるかもしれない。

 これでもそこそこやるんだから、私!


「わかりました。じゃあ、調査してみます。現在の状況を教えてもらえますか?」

「ありがとうございます……! 現在ですが、総勢で10名程度の探索者様が20層に下りております。新しい情報は特に入ってきておりません」


 10人。

 それだけいれば、魔物に後れを取ることなんてそうないだろう。

 復帰して早々に再び死地に立たされる心配は薄そうだけど、それでも十分に注意しつつ進むことにしよう。


 私は古びたエレベーターに揺られ、岩の中を降りていった。

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