第168話 敗者の現状と未来
エーデルシュタイン王家の王城で華やかな宴が開かれている一方、アレリア王国王都サンヴィクトワール、アレリア王家の居城では。
「――以上が、現状の報告となります」
会議室で主君を前にそう言ったのは、アレリア王国軍将軍ツェツィーリア・ファルギエール伯爵だった。その隣には、同じく軍事における王の側近であるパトリック・ヴィルヌーヴ伯爵も並ぶ。
「ご苦労だった……ようやく、王国軍の中核部隊についてはある程度回復できたな」
「規模においては、仰る通りかと。質に関しては、我々の力及ばず未だ再建の途上ですが」
王国軍の再建に関する報告を聞き終え、安堵しながら言った国王サミュエルに、ツェツィーリアは神妙な表情でそう返す。
先のエーデルシュタイン王国との決戦で、アレリア王国軍の精鋭は甚大な損害を被った。その再建は一年程度で叶うものではない。
アレリア王家の近衛隊たる「王の鎧」。頭数が半減したところへ補充要員を加えたが、王城の警備や王家の身辺警護を担う部隊ともなれば適当に人材を加えるわけにもいかず、その規模は七百程度に留まっている。
そして、王都と王領の守護を成す部隊。こちらも半壊し、王領内で新たに募兵したことで二千の定数だけは満たしたが、質に関しては大きく落ちている。もはや、精鋭部隊と呼ぶには値しない。
ちなみに、決戦で戦死したロベール・モンテスキュー侯爵の配下たちは、まともに戦える貴重な戦力としてこれら二つの部隊に編入された。その数は合計で数百に過ぎないが。
これらの中核部隊に加えて、主にツェツィーリアが統括するロワール地方の王国軍に関しても、やや戦力を減じて総数は三千ほど。
合計で六千弱が、現在のアレリア王家があてにできる兵力だった。
残るは各地に駐屯する王国軍だが、こちらは王家の財政難に伴い、治安維持に必要な最低限、総勢で六千ほどまで規模が縮小されている。おまけにその内実は、征服地で募兵し、別の征服地へと駐留させている二線級の部隊。忠誠心の点ではあまり信用できない。例外として、ノヴァキア地方とミュレー地方に駐留させている部隊についてはアンジェロ・モゼッティ侯爵がそれなりに上手く掌握しているようだが、部隊の運用と維持については彼の努力に依存している。
かつては数千の精鋭を含む二万の大軍勢を擁していたアレリア王国軍の、これが現状だった。
「一定の数を揃えてもらえただけでも、王家としては幸いです。まずは一年、アレリア王国が平穏を保つことができたのはあなた方軍人の努力あってこそでしょう」
サミュエルの隣でそう語ったのは、彼の叔父にあたる王国宰相エマニュエル・アレリアだった。
「恐縮に存じます、殿下」
「我々は王家の忠実なる臣として、務めを果たしているに過ぎません」
ツェツィーリアが一礼した隣では、パトリックがそう語る。
「後は、平穏に各征服地の再独立を実現するだけだが……それこそが難しい。最難関の問題が最後に残ったな」
「陛下。世の中とはそういうものです」
この一年で振る舞いも口調も随分と君主らしくなったサミュエルの言葉に、エマニュエルが微苦笑交じりに言う。最側近である叔父の言葉に、サミュエルも苦笑を零す。
現在の版図はもはや維持できない。それがアレリア王家としての結論だった。実際に、かつて独立国だった各征服地では、王家の弱体化を受けて再独立の権勢が徐々に高まりつつある。
なのでサミュエルは、各征服地の旧君主家をはじめとした支配者層と、再独立について水面下で話し合いを進めている。
王国軍の規模縮小をはじめとした歳出の見直しで、エーデルシュタイン王国へ支払う賠償金を確保。一方で、交渉によって血を流すことなく再独立できると各征服地に思わせ、駐留部隊を縮小させつつも治安を維持する。そうして、数年のうちに各国を平和的に再独立させ、以降も共存していく。それがサミュエルの狙い。
とはいえ、一国が独立するとなれば、政治、軍事、経済の面で複雑な話し合いが必要となる。また、あまり早くに独立させてしまうと王家の税収が急減し、賠償金の支払いに行き詰まる。
アレリア王家と、各征服地の旧支配者層。様々な思惑が絡まり合う難しい交渉を、しかしサミュエルは叔父の補佐を受けながら、粘り強く進めている。地道だが堅実な、このやり方こそがサミュエルという王の治世だった。
この交渉は一部では着実に前進を見せているが、一方で難航し、先行きが暗い部分もある。
「……やはり問題は、ミュレー地方とカルーナ地方か」
穏便な再独立が叶うか極めて疑わしい二地方を思いながら、サミュエルは微妙な表情を作った。
「やはり、不穏な予兆が見られますか」
「ええ。今すぐに目立った動きが出ることはないでしょうが、徐々に緊張が高まっています。油断ならない状況です」
パトリックの問いに、難しい表情で頷いたのはエマニュエルだった。情報収集を含む外務について、この場においては宰相であるエマニュエルが最も詳細に把握している。
先々代国王ジルベールと先代国王キルデベルトの治世において、アレリア王国が征服した国は合計で七つある。まず、ジルベールが最初に征服した仇敵たる、南のカルーナ王国。その次に征服された、南西の小国ファーロ大公国。代替わりしたキルデベルトが父の侵攻計画を引き継いで相次ぎ征服した、西の二つの小国。そしてロワール王国とミュレー王国。最後にノヴァキア王国。
このうち、西と南西の三地方については、それぞれ元が小国だったこともあり、穏便な再独立に向けて前向きに交渉がなされている。エマニュエルの提言をもとにした、各征服地の旧支配者層とアレリア王家やその近縁者が姻戚関係を結ぶ政策も功を奏し、各地方の独立後も友好的な隣国として共存する余地が残されている。またノヴァキア地方は、征服からまだ間もないこともあり、穏便な再独立は最も容易。後は条件面の交渉が少しずつなされたり、戦後の傷がまだ回復しきっていないノヴァキア家側の都合も考慮しつつ最適な独立時期が探られたりしている状況。
一方で、ミュレー地方とカルーナ地方に関しては、穏便な再独立がなされるかは怪しい。
ミュレー地方については、旧王家は交渉に前向きな姿勢を示しているものの、その旧王家の求心力が落ち込んでいる。特に、アレリア王国の侵略に最後まで強硬に抵抗し、山岳地帯での遊撃戦にまで臨んだミュレー地方北部の貴族たち――通称「山岳貴族」たちが、旧王家の意向を完全に無視して武力による再独立を企て、その際にどさくさ紛れで領土を拡大するつもりでいる……などという噂がある。
また、カルーナ地方については、別のかたちで危うい状況にある。
そもそも、先々代国王ジルベールが覇権主義を試みたきっかけが、カルーナ王国による度重なる領土侵犯と、それに伴う村落や都市での掠奪暴行。人口規模では四十五万ほどと決して大きくなかったカルーナ王国は、しかし大陸西部の南に位置するために複数の港湾都市を有して裕福であり、おまけに元来強気の国民性も合わさり、当時決して強国とは言えなかったアレリア王国にとっては恐ろしい存在だった。同時にアレリア王家にとっては、領土を踏み荒らし民を傷つける、憎むべき仇敵だった。
だからこそ、ジルベールがカルーナ王国征服を成した後の報復は熾烈だった。カルーナ王家の縁者は遠縁の者に至るまで尽く殺され、貴族も民も虐げられた。キルデベルトの代まで、カルーナ地方は征服地の中でも最も冷遇され、圧政を敷かれてきた。
そのため、アレリア王家を憎悪しているカルーナ人は少なくない。征服から五十年近くが経った今、大半のカルーナ人は己がアレリアを虐げる側ではなくアレリアに虐げられる側であると自認している。
一部のカルーナ人たちが、今こそアレリア王家に反旗を翻すことができるのではないかと噂している……という情報をアレリア王家が掴んだのは、今年に入ってからのこと。未だ具体的な反乱の兆候などはないが、緊張が少しずつ高まっているのは間違いない。
アレリア王家としては、王家に友好的な者――征服後に上手く立ち回り、王家と血縁関係を築いたカルーナ人貴族を新たなカルーナ王に立てて平和的に再独立させるのが最善手だが、そう都合よく事が進むかは不透明な状況だった。
「いずれにしても、最大の抑止力となるのはやはり軍事力だ。王国軍の再建を進めつつ、ファルギエール卿には即応態勢もできるだけ整えてもらいたい」
「御意。全力を以て務めます」
サミュエルの言葉に、ツェツィーリアは即座に頷く。
ちなみに、ロワール地方の再独立については今のところ考えられていない。その背景には、ロワール地方が征服された際の敗け方がある。
独立を保っていた最後の数年間を統治したロワール王は、まさに無能と呼ぶべき君主だった。さらに、その伴侶である王妃は国家の窮状も理解せずに豪奢な宴三昧、我が儘放題に育った双子の王子王女は宮廷内で横暴に振る舞い続けた。
臣下臣民に対して愛情深かった先代国王への義理もあって臣従していた貴族たちも、この王家に対して忠誠心を抱き続けることはできなかった。
内政において尽く失敗し、エーデルシュタイン王国との国境紛争においても失策の連続。王の戦略的な失敗を、気鋭の軍人だったツェツィーリアが戦術面で善戦することで埋めるような状況が続いていた当時。愚王はこの上で、西のアレリア王国にまともに挑みかかって無謀な二正面作戦を開始した。そして案の定、失敗した。
父の真似をして大戦の場に立ちがる暗君の拙い指揮、歴史的な大敗北、その犠牲になるのは臣下臣民たち。愚かな王は貴族からも、徴集兵たる民からも、王国軍の軍人たちからも見放されるようにして、とうとう国境の戦場で死んだ。残された王妃と王子王女は徹底抗戦を訴えたが、諫めようとした王家の近縁者――国王の従弟一家を裏切り者呼ばわりして殺めるという暴挙に出たことが最後の引き金となり、反旗を翻した貴族たちによってキルデベルトに差し出された。アレリア王家に対する降伏と臣従の証として。
死んだ愚王が戦時中にキルデベルトへの挑発をくり返していたこともあり、差し出された王族たちは報復として揃って斬首され、ロワール王家の直系の血統は途絶えた。
ロワール貴族の中にはこの王家の血を濃く受け継いでいる者が何人かいるが、彼らもその後ろ盾である貴族家も、度重なる戦争で疲弊したロワール地方を再独立して治めるという、露骨な貧乏くじを引くことを嫌がっている。
ツェツィーリアも一応は旧ロワール王家の遠縁にあたるが、今では立場があまりにもアレリア王家に近しいため、旗頭として担がれることもなかった。ツェツィーリア個人としても、自身を重用して望みを叶えてくれたキルデベルトの遺児であるサミュエルに、己の残りの人生をかけて仕えるつもりでいる。
そうした事情に加え、新たにアレリア王となったサミュエルが善政を行っているため、現状ではロワール地方に再独立すべき理由はなく、その気運もない。これはアレリア王国の各征服地の中で、唯一の例だった。
「報告が以上なら、会議を終わるとしよう。諸卿、引き続きよろしく頼む」
王の言葉に三人が一礼し、王国の軍事に関する報告会議は締められる。
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