第169話 ギュンターの帰郷
「……案外、変わらねえもんだな」
七月の下旬。アレリア王国ミュレー地方。その辺境。
小高い丘の斜面を下る粗末な道の先。牧歌的な農村の風景を眺めながら言ったのは、エーデルシュタイン王国軍騎士ギュンターだった。
アレリア王国とエーデルシュタイン王国の講和から一年以上が経ち、国境地帯の混乱もほとんど収まったこの時期。ギュンターは騎士になって初めてまとまった休暇をとり、こうして生まれ故郷の村にやって来た。
二度と帰らないつもりだった故郷の地へ足を運んだのは、先の決戦で、志願兵としてアレリア王国側にいた父と戦い、殺めたため。思うところがあり、家族にもう一度会ってみることにした。
いくつもの戦場を共に駆けてきた大柄な愛馬と共に丘を下り、村の方へ。村の周囲に広がる農地で農作業を行っていた村人たちは、整った身なりに帯剣した大男が現れたことで驚いた様子を見せるも、顔を見てそれがギュンターだと分かると案外歓迎してくれた。
ギュンターの帰郷の件を伝えに誰かが走ってくれたようで、子供時代を過ごした家にたどり着いたときには、家の前で家族が待っていた。
随分と年老いた母。記憶にある顔よりも一回り老けた長兄と義姉。ギュンターが家を出たときはまだ幼かったが、今やすっかり成長した甥や姪たち。
懐かしい顔ぶれが、時の経過を確かに感じさせる姿でそこにあった。
「……本当に帰って来たんだな、ギュンター」
下馬して歩み寄ったギュンターに対して、最初に口を開いたのは長兄のラースだった。
「ああ、久しぶりだなラース……帰ってきたらまずかったか?」
微妙な表情でギュンターが尋ねると、ラースは微苦笑して首を横に振る。
「いや、そんなことはない。ただ、お前はもう帰ってこないと思ってたから驚いただけだ……随分といい身なりだな。おまけに、後ろのそれは軍馬だろう。どこかで偉くなったのか?」
「まあ、それなりにな。今はエーデルシュタイン王国軍で騎士をやってるんだ」
「あらあら、あんた騎士様になったのかい? すっかり立派になったんだねぇ……」
ラースの隣で、老いた母がしみじみと言う。ただ我が子の成長を喜ぶその口ぶりに、ギュンターも思わず表情が綻んだ。
「とりあえず家に入れ。ゆっくりしていくといい」
「ああ……ところで、ニクラスの奴は?」
「あいつは隣村に婿入りしていった。お前が家を飛び出した二年後にな。報せれば二、三日中にも顔を見せに来るだろう」
見当たらない次兄についてギュンターが聞くと、ラースはそう答える。
「そうか……色々変わったんだな」
「そりゃあ、あれから十何年も経ったからな」
長兄とそんな話をしながら、家族に囲まれながら、ギュンターはかつての我が家に入る。
・・・・・・
家を出てからの日々について語り、逆に家族のこと――次兄が隣村に婿入りした詳細や、父が戦争から帰ってこなかったことを聞き、穏やかなひとときを過ごした後。他の家族は寝静まった夜更けに、ギュンターは長兄ラースと静かに語らう。
「……親父と戦場で会った。挑みかかってきたアレリアの兵を短剣で突き刺したら、それが親父だった。俺は見た目が随分と変わってたし、親父も随分と老けてたから、お互いそのときまで気づいてなかったんだ」
家族と再会して、この穏やかなひとときの思い出を崩さないためにも黙っておこうかと一時は思ったギュンターだったが、結局はこうして打ち明けた。せめて、父に代わって家長となった長兄だけには明かすべきだろうと考えた。
「……そうか。まあ、戦争ならそんなこともあるだろう。お前は仕事をしただけだし、親父だって死ぬ覚悟で行ったんだしな」
弟が父を殺したという事実に驚くでも憤るでもなく、ラースは淡々と語った。その反応に、ギュンターは内心で安堵を覚える。
「だけど、お袋には黙っておいた方がいいだろうな。子供たちにも……つまりは、俺以外には明かさない方がいい」
「ああ、そうする」
ギュンターも同意見だったので素直に頷き、そして二人とも酒の杯を傾ける。
「……それにしても、不思議なもんだな。アレリアとエーデルシュタインの決戦は、何万人もぶつかり合う大戦争だったって聞いてるぞ。そんな馬鹿でかい戦場で、お前と親父が偶然鉢合わせするなんてな」
「ああ、まったく奇妙なめぐり合わせだよ。殺し合った直後なのに、お互い変な顔をしてた……そのまま、短剣を突き込んだ俺と突き立てられた親父でそれぞれ近況を伝え合った。親父と話したのもあって、こうやって帰ってこようと思った」
ギュンターの話に、ラースは小さく苦笑を零した。
「それじゃあ、親父にとってはいい死に方だったのかもな。昔に出ていった息子と再会して、息子たちの縁をまた繋いでから逝ったわけだ。うちには親父の報酬でまとまった金が入ってきたしな」
齢五十をとうに超えていた父は、さして裕福でもない田舎の平民としては十分に長生きした。だからこそ、ラースも父の死を極端に悲しむことはしなかった。
・・・・・・
それからの数日間、ギュンターは故郷で長閑な時間を過ごした。家の仕事を手伝い、家族で食事をとり、隣村から訪ねてきた次兄とも再会した。兄弟三人で森に狩りに入ったりもした。
そして帰路に発つ日。勝手に出奔して迷惑をかけた詫びとして、長兄と次兄の家それぞれに多少の金を渡し、次は家族も連れて帰ってくると言い残し、家族に見送られて村を出る。
どのような顔をされるか心配もしていたが、案外何事もなく、楽しいばかりの帰郷になった。そう満足しながら、後はザンクト・ヴァルトルーデに帰るだけだと思っていたその翌日。
一泊した都市から発つ前、商業区を少し散策していたギュンターに、声をかけてくる者たちがいた。
「おいあんた。そこのでかいあんただよ」
自分のことかと思ってギュンターが振り返ると、歩み寄ってきたのは二人の男。武装しているがアレリア王国軍の装束ではない。どこかの貴族の手勢か。
「俺か?」
「そう、あんただ。かなりガタイがいいな」
「見るからに強そうだ。この辺りの奴か?」
ギュンターは応答しつつ、いつでも剣を抜けるようにさりげなく体勢を変える。が、どうやら男たちに敵意はない様子だった。少なくとも今のところは。
「故郷はこの辺りだが……」
「おおっ、そうなのか! それならあんたにいい話がある」
「金になるし、あんたの故郷のためにもなる話だ。俺たちは貴族様に私兵として仕えてる身なんだが、あんたも雇われないか?」
ギュンターの言葉を早合点したのか、男たちは前のめりな様子で持ちかけてくる。
男たちの話を聞きながら、ギュンターも合点がいく。
現状のアレリア王国各地は戦時と比べれば随分と落ち着いているが、ミュレー地方にはそう遠くない時期に反乱などが起こる予兆も見られている。おそらくは直ちにどうこうという状況ではないが、足を運ぶなら十分に注意するように。出発前、ギュンターはオリヴァーやグレゴールからそのような注意を受けていた。
なので、男たちの意図は想像できる。反乱に参加するつもりなのか自衛のためなのかは分からないが、情勢が不安定になっていく中で手元に軍事力を備えたい貴族の手先として仲間集めに臨んでいるのだろう。しかしまさか、アレリア王国軍もほとんどいない地方都市とはいえ、貴族の私兵がこれほど堂々と兵力集めをしているとは。アレリア王家の支配力が目に見えて落ちているのが分かる。
「いや、俺は……俺はミュレーの出身ってだけで、今はエーデルシュタイン王国軍で騎士をやってるんだ。だから、悪いが――」
「あん? エーデルシュタインの騎士だぁ?」
ギュンターが答えると、男たちの態度が途端に変わる。
「何でエーデルシュタイン王国軍人がこんなところにいやがる」
「まさかお前、間諜か何かか?」
「おいやめてくれ、揉め事は御免だ。私用が終わって国に帰るところなんだ」
武器に手をかける男たちを前に、ギュンターはそう諫めながら、しかし自衛のために自身も剣の柄に触れる。
見たところ二人ともさして手練れには見えないので、勝てないとは思わない。が、隣国で貴族の手勢を斬ったとなればかなり面倒なことになる。発した言葉通り、揉め事は避けたい。
不穏な空気を感じ取ったのか、周囲の通行人たちが距離をとる。一触即発の緊張が漂う。
「お前たち、何を騒いでいる!」
そこへやってきたのは、それなりに質の良さそうな装備を身に着けた、壮年の男だった。ギュンターに絡んでいた男たちは、壮年の男を前に慌てて頭を下げる。
その様子を見るに、壮年の男はこの二人の上官か何かか。
「一体何があった?」
「そ、それが、こいつエーデルシュタイン王国軍の騎士だってんで……」
「こんなところにいるのは怪しいし、どうしてやろうかと思いまして……」
「いや、俺はこの国の生まれだから里帰りして、今はエーデルシュタイン王国に帰るところだ。軍人として動いてるわけじゃあない。勘弁してくれよ」
二人の話とギュンターの反論を聞いた壮年の男は、ため息を零す。
「お前たち、騒動は起こすなと言っただろうが……もういい、お前たちに兵集めは任せない。領内に戻って訓練と雑務だけやっていろ」
「だけど隊長、こいつそのまま帰していいんですかい? エーデルシュタインの間諜かもしれないってのに」
「馬鹿が、間諜が他国の騎士だと名乗るわけがないだろう。だいいち、ミュレー貴族の手勢がエーデルシュタイン王国軍騎士を殺めたなどということになれば、外交問題になりかねないんだぞ……騎士殿。部下が迷惑をかけたことを謝罪する。どうか容赦してほしい」
部下たちを叱責した壮年の男は、ギュンターの方を向くと、一転して丁寧な態度で言った。
「それはまあ、構わないが……もう行ってもいいか?」
「もちろんだ。ミュレーの騎士も、他国の軍人を無闇に襲うほど落ちぶれてはいない。だが、最近はこの国……失礼、この地方の情勢も不安定になっている。卿も知っていることとは思うがな。なのでエーデルシュタイン王国に帰られるまでの道中はどうか気をつけてほしい。あまり身分は名乗らない方がいいだろう」
「……そうか。忠告に感謝する。それでは」
ギュンターは一礼し、その場を後にする。
白昼の大通りで貴族の手勢が勧誘を行い、ミュレーを「国」と呼びながら兵集めをしている。そして、アレリア王国軍の駐留部隊はそのような状況をどうやら満足に取り締まれていない。おそらく、取り締まるだけの力がない。これは話に聞いていたよりも、情勢がきな臭くなっている。
領軍がちまちまと兵集めをしている段階なら今年はまだ大丈夫である可能性が高いとしても、来年には事態がどうなっているか分かったものではない。そう思いながら、エーデルシュタイン王国軍人としては己が見た状況を上に報告しなければとギュンターは思った。
以降、ギュンターは都市の散策などを行うこともなく、あまり人目につかないようにして帰路を急いだ。そのおかげもあって、新たに騒動に見舞われることもなくエーデルシュタイン王国に無事帰り着いた。
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