第167話 婚姻②
挨拶を終えたエドウィンが離れていった後、次に歩み寄ってきたのは、ノヴァキア公爵ユリウスだった。
「クラウディア・エーデルシュタイン女王陛下。ダスティン殿下。この度のご婚姻、心よりお慶び申し上げます」
「祝辞に感謝する、ノヴァキア卿。今日はよく来てくれた」
今はアレリア王国の一貴族という微妙な立場にあるユリウスは、しかしこうして堂々と、まるで一君主のような顔で来訪している。彼がこのような行動をとれることは、アレリア王家の権勢がこの一年でいかに弱ったかを表している。
「ノヴァキア公爵領の近況は如何か? 戦後復興が順調であるとは聞こえているが」
「おかげさまで、今年には食料の生産量も戦前の水準近くまで回復する見込みです。それに伴い、経済や工業の面についても復興を遂げていくかと」
アレリア王国の軍勢に蹂躙され、さらにエーデルシュタイン王国との戦いで穀倉地帯に甚大な損害を被ったノヴァキア公爵領に対し、クラウディアは非公式に戦後復興の支援を行っている。今や王家が完全掌握しているバッハシュタイン地方、そこで生産される食料や木材などを、表向きには貿易として、格安でノヴァキア家へ販売している。
この支援は、迅速な勝利のためとはいえノヴァキア領内で焦土作戦のようなことをした補償を兼ねている。こうした支援の果てにノヴァキア王国を再独立させ、再び友好的な隣国として共存していくためにこそ。
「それは何よりだ。長く隣人として協力してきたノヴァキア家が、以降も栄光への歩みを進めていくことを切に願う」
「ありがたき御言葉と存じます、陛下」
非公式な支援のことなど匂わせもせずクラウディアが言うと、ユリウスは意味深な笑みを浮かべながら答えた。
ノヴァキア家が栄光への歩みを進める。それはすなわち、ユリウスが再び王になることを意味している。実際、彼は王位を取り戻す道を順調に進んでいる。
ノヴァキア地方にはアレリア王国軍の駐留部隊が置かれているが、その数は当時の二千から、千五百以下まで減っている。莫大な額の賠償金を支払うため、アレリア王家が軍事費を削減し、国軍の規模を縮小させたことが原因だった。
リガルド帝国との国境を有するノヴァキア地方はまだましな方で、ミュレー地方に至っては、駐留部隊の規模は昨年の半数以下、千を割るほどにまで減らされている。
それらの軍勢を統括するアレリア王国軍の将軍、アンジェロ・モゼッティ侯爵は、ユリウスの手のひらで踊らされている。油断ならない敵である帝国との国境地帯を守るという点ではユリウスと利害が一致しており、そのために軍勢を維持できる程度の協力はなされているものの、権勢の衰えが著しい王家からの支援は受けられず、実質的に辺境で孤立した状態。当初は己の軍閥のようなものを作ろうと企んでいたようだが、彼には軍事指揮官としての能力しかなく、政治的な謀略では元王族のユリウスに全く敵わなかった。
ユリウスは軍事力増強への協力を求めるアンジェロの要求を、当初は適当に躱し、後に応えるふりをして、自家が指揮する常備兵力の再建を開始した。旧ノヴァキア王国軍の騎士たちが士官となり、王国民から募った兵士を揃え、千人規模の公爵領軍を組織した。
それも、国境地帯で帝国軍が動きを見せ、アンジェロが対応のために将として国境地帯へと赴いた数週間の、僅かな隙を突いてこの領軍を築いた。事前の周到な計画や念入りな準備があってのこととはいえ、その手際の鮮やかさには、後に話を聞いたクラウディアも思わず舌を巻いたほど。帝国軍が動きを見せたことさえ、皇帝家と内通してユリウスが仕組んだのではないかと、クラウディアとしては疑っている。
当然アンジェロは反発したが、軍事力増強の求めに表向きは応えたかたちとなるユリウスに、あまり強硬な態度に出られるはずもなかった。帝国との国境を守りながら、アレリア王家の支援も得られない状況で、自軍の兵站を掌握しつつ千の兵力を得たユリウスと真っ向から戦うことなど到底叶わなかった。
農業、経済、そして軍事。ユリウスは巧みに立ち回りながら、ノヴァキア王国を再興させる指導者としての能力を開花させつつある。
「……では、ユリウス殿。今後ともよろしく」
「はっ。それではこの場は失礼いたします」
あえて公爵とは呼ばずにクラウディアが言うと、その意図を理解したらしいユリウスは丁寧に一礼し、離れていった。
その後も次々に挨拶に訪れる出席者。祝いの宴、その主役の常として、クラウディアとダスティンの応対は忙しく続く。
・・・・・・
大広間の一角には、王国貴族として宴に出席しているフリードリヒもいた。
「……そうか、秋にはいよいよ君がブライトクロイツ伯爵か」
「と言っても、形式的な爵位継承だけどな。親父が領地を治めて、俺がヒルデガルト連隊長として軍務に就くって役割分担は変わらない。連隊長にもなれば、継嗣じゃなくて伯爵家当主の方が格好がつくだろうってだけの話だ」
フリードリヒと語らっているのは、戦友であるディートヘルムだった。アレリア王国との国境地帯も平穏となって久しい現状、ディートヘルムも王国軍の要人として宴に出席することができている。
フリードリヒの傍らには、ホーゼンフェルト伯爵夫人であるユーリカも立っている。こうした場に興味のない彼女は無言のまま、ただフリードリヒに寄り添っている。
「ともかく、ブライトクロイツ家のお坊ちゃまに過ぎなかった俺も、これでいよいよお前と同格になるってわけだ、ホーゼンフェルト伯爵閣下」
「僕の方は、当主になってからもずっと同格のつもりだけどね」
「おお、嬉しいこと言ってくれるじゃねえか」
おどけた様子で雑に肩を叩いてくるディートヘルムに、フリードリヒは苦笑を返す。
「それじゃあ、これからもよろしく頼むぜ、俺たちの英雄」
そう言い残してディートヘルムが離れていった直後。
「フリードリヒ、それにユーリカも。楽しんでくれているようだな」
歩み寄ってきたのは宴の主、そしてこの国の主、女王クラウディアその人だった。
「女王陛下」
「陛下」
「そのままでいい。楽にしてくれ」
一礼しようとした二人にそう伝えたクラウディアは、今は王配ダスティンとは離れている。
「ダスティンが兄君と話し込んでいてな。今後はあまり会うこともできなくなるだろうから、邪魔をしないようにしているのだ……とはいえ、一人になったところで、私が気楽に話せる相手は限られる」
そう言って、クラウディアは少し疲れた様子で、周囲には聞こえないようにため息を吐く。
「それはそれは……私を話し相手に選んでいただけたこと、光栄に思います」
フリードリヒは微苦笑を零しながら答える。
周辺諸国の客人も、親子ほど歳の離れた重臣も、領主貴族たちも、クラウディアにとっては話す上で気を張らざるを得ない相手のはず。同年代で気心も知れた貴族家当主として、自分が選ばれたのも納得だった。
「ユーリカも、このような場に随分と慣れたようだな。貴族の伴侶らしくなった」
「……まだまだ未熟者ながら、努力しています。お招きいただいたこと、あらためて感謝申し上げます」
ユーリカは淑やかな態度で答える。社交については不得意としている彼女も、家令ドーリスの指導もあって、無難な応答はできるようになった。
「身体の調子はどうだ?」
「医師からは順調だと言われています」
「そうか、それは何よりだ……今日も無理はせぬようにな」
腹部の膨らみも少しずつ目立ち始め、今までよりもゆったりとしたドレスを着ているユーリカに、クラウディアは優しい微笑で言った。
「ダスティン王配殿下は、もうエーデルシュタイン王国に馴染まれた御様子ですか?」
「ああ。若さ故、こうした社交の場ではまだ緊張もするようだが、王城での生活そのものには随分と慣れているようだ」
フリードリヒが尋ねると、クラウディアは答えながら夫の方へ視線を向ける。
「ある意味ではリガルドの皇族らしくない、穏やかな気質の青年だ。コンラートを思い出す」
「……左様ですか」
かつて王家と王国を裏切り、謀反人となって処刑された王子。その名を出され、フリードリヒはどのように返すべきか咄嗟に判断しかねた。
話し相手の臣下が気まずさを感じたことに気づいたのか、クラウディアは微苦笑を零す。
「もう三年も前のことだ。思い出してもふさぎ込むことはない……コンラートは違う道を行くことを選び、遠くへ旅立った。そう思うことにしている」
どこか遠い目をして、独り言ちるように語ったクラウディアに、フリードリヒは無言で頷いた。
そしてクラウディアは、場の空気を切り替えるように明るい声を作る。
「私もこうして結婚を果たしたのだ。今しばらくは大陸西部も平和を保ってほしいものだな」
「同感です。王国軍人としても、できるだけ長く平和が続くことを切に願います」
フリードリヒも努めて平然としながら答える。実際、フェルディナント連隊の再建にはまだ時間が必要であり、連隊を鍛え直すためにも猶予は欲しいところだった。せめてあと一年、できることなら向こう数年は。
「とはいえ、あとどれだけ平穏な日々が続くかは、我々よりもマリアの兄君の手腕にかかっているわけだが……」
呟きながらクラウディアが視線を向けたのは、アレリア王国より留学の名目で送られてきた人質のマリア・アレリア王女。身分に相応の待遇を受けているとはいえ微妙な立場の彼女は、しかし案外強かな性格のようで、ザンクト・ヴァルトルーデでの日々を気丈に過ごし、クラウディアとも穏やかな関係を築いているという。今この宴の場でも、落ち目とはいえ大国の王族として、出席者たちとの歓談に臨んでいる。
クラウディアの言葉通り、大陸西部が平和を保ちながら新たな勢力図を築けるか否かは、綻びつつあるアレリア王国の主、すなわちマリアの兄サミュエル・アレリア国王の手腕にかかっている。
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