第166話 婚姻①

 エーデルシュタイン王国の戦後復興は、伝説的な戴冠式と歴史的勝利の熱も冷めやらぬまま、王家から民までが一丸となって行われた。


 戦傷者や、戦死者の遺族への金銭的・社会的支援。戦争の被害が最も大きかった西部王家直轄領の復興作業。人的にも物的にも損耗した軍事力の回復――王国軍の募兵や、各軍事拠点への再びの物資集積。アレリア王家より支払われる賠償を元手としながら迅速に進められたそれらの施策によって、戦争の傷は急速に修復されつつある。

 年が明けた一〇一二年からは、戦後復興のための施策だけでなく、エーデルシュタイン王国を戦前以上に発展させるための施策――例えば王家の保有する鉄鉱山の開発拡大や、疲弊したアレリア王国ロワール地方から流れてくる難民を動員した開拓など――も開始されている。

 この国をより強く。この社会をより豊かに。そう語りながら、女王クラウディア・エーデルシュタインは偉大な君主として臣下臣民を導いている。かつて戴冠前ながら卒なく国政を取り仕切っていた秀才の王太女は、今や王国社会を前進させる天才的な女王として才覚を発揮している。


 そんな彼女の人生において、大きな節目――リガルド帝国第四皇子ダスティンとの婚姻が成されたのは、五月の半ばのことだった。

 王都中央教会の聖堂で、唯一絶対の神に永遠の愛を誓う荘厳な儀式を終えた後。王城の大広間では、婚姻の成立を祝い、贅を尽くした宴が開かれる。


「今日はエーデルシュタイン王家にとっても、リガルド皇帝家にとってもめでたき日だ。両家の絆がより強固なものとなり、両家の治める国がより一層結びつきを強めながら発展していくことを願おう!」


 エーデルシュタイン王国とリガルド帝国の要人たち、そして周辺諸国の代表者たちが集まった大広間に、クラウディアの声が高らかに響く。杯を掲げたクラウディアに、出席者たち全員が倣う。

 そうして始まった宴の賑わいを見回しながら、クラウディアは隣に立つ伴侶に言葉をかける。


「ダスティン、そう緊張しなくていい。出席者たちとの挨拶では、主に私が話すから」

「は、はい……申し訳ございません。ずっとこのような調子で。きっと頼りないこと甚だしいものと思います」


 クラウディアより十歳近くも年下の婿は、見るからに恐縮しながら、居心地悪そうに答えた。

 そんなダスティンに優しい微笑を向け、クラウディアは彼の肩に手を置く。


「謝る必要などない。穏やかで心優しいお前が隣にいてくれて、私は心強く思っている……女王とて人間だからな。このような場で一人で気を張り続けるよりも、支え合う伴侶がいてくれる方が楽でいられる」

「……少しでもあなたの役に立てているのであれば、幸いです。クラウディア」


 少し安堵した表情のダスティンに頷き、そしてクラウディアは前を示す。


「私たちに祝辞を述べようと、出席者たちが列を成し始めた。応えてやらなければな」

「はい、まいりましょう」


 答えたダスティンと共に、クラウディアは長い社交に臨む。

 王侯貴族の結婚の宴ともなれば、主役の夫婦は出席者たちとの挨拶に忙殺されることとなる。多くの要人が一堂に会し、対話できる機会は貴重なもの。昔から、結婚は本来の意味合い以上に重要な政治の場でもある。

 挨拶の順番には、主催者との関係性の近さや、出席者の地位が影響する。まず最初に挨拶に訪れたのは、ダスティンの実家――すなわちリガルド皇帝家の代表者だった。


「これでいよいよ、我が末弟と友人が夫婦となり、帝国とエーデルシュタイン王国の架け橋となったわけですな。いやあ実にめでたい!」


 大仰に手を広げながら言ったのは、皇帝ウィリアム・リガルド二世の名代として訪れている皇太子エドウィンだった。


「しかし、未だ不思議な心地です。あのダスティンが他家に婿入りするほどに大きくなったとは……我が友クラウディア・エーデルシュタイン女王陛下。あらためて申し上げます。どうか我が末弟をよろしく」

「……無論だ。ダスティンとは良き夫婦となることを約束する。安心してほしい」


 もう何度も聞いたエドウィンからの願いに、クラウディアは微苦笑交じりに頷く。

 エドウィンは彼にしては珍しく、明らかに酒に酔っている様子。そのエドウィンから肩に手を置かれたダスティンは、少し照れくさそうに笑っている。親子ほども年の離れた長兄と末弟、その兄弟仲は良好なようだった。

 そこまでは皇太子としての口調で語ったエドウィンは、周囲に会話を聞かれないよう少し距離を詰め、私的な態度になる。


「できることならば皇帝陛下にもダスティンの晴れ姿を見せたかったが……父ももう年だ。致し方あるまい」

「私としても、皇帝が来訪できなかったことは残念だ。ご病状の快復を願っている」

「まあ、父は十分に長生きした。いつ不意に永遠の眠りについても大往生だろう。同じ時代を生きた君主たち――ジギスムント陛下やノヴァキアのオスカル陛下が待っておられるのだから、神の御許に召されたとしても退屈はなさるまい」


 皇太子の立場だからこそ叶う、いかにも彼らしい際どい物言いで、エドウィンは答える。

 リガルド帝国皇帝ウィリアム・リガルド二世は、差し迫った命の危機はないものの、老齢のために慢性的に病を抱えており、長旅を控えているという。帝国でも世代交代のときが近い。そのような噂が、まことしやかに囁かれている。


「帝都出発前に話したが、皇帝陛下も己のことより、ダスティンが紡ぐ未来のことを語っておられた。ダスティンを経て血縁で繋がったとなれば、皇帝家とエーデルシュタイン王家の協力関係もより確固たるものとなるだろう。鉄の取引についても……いや、このような場で実利の話をするのも無粋だな。今はただ祝うときだ! 二人の門出に幸あれ!」


 そう言って杯を掲げ、エドウィンはワインを飲み干した。ややおどけたような振る舞いに、クラウディアとダスティンは思わず顔を見合わせて小さく吹き出す。


 帝国とエーデルシュタイン王国の「協力関係」、具体的には鉄の取引は、順調に進んでいる。

 アレリア王国との決戦において、帝国より助力を取りつける条件――十年間、格安で大量の鉄を輸出する誓約を、クラウディアは守っている。エーデルシュタイン王家としては利益のほとんどない取引だが、助けを乞うたのに礼をしない国は信用を失う以上、履行しない選択肢はない。

 王家の歳入の減少については、アレリア王国より支払われる賠償金で十分に補填できる。クラウディアはただ歳入を補填するだけでなく、余剰資金を投じて鉄鉱山のさらなる開発にも取り組んでいる。

 そうして鉄の採掘量そのものを増やし、、誓約の履行期間が終わった後も帝国に大量の鉄を輸出し続ける体制を築く。領土が広大化し過ぎて常に鉄が不足気味の帝国が、エーデルシュタイン王国から流れる安価で良質な鉄に頼り続けるようになれば、すなわち軍事や工業においてエーデルシュタイン王国に依存する部分が出る。そうすれば、こちらだけが一方的に皇帝家から影響力を行使されることはなくなる。

 皇帝家と完全に対等な関係を築くことは不可能だとしても、ただ従属することはしない。「より良い関係」を築くために最善を尽くす。そのために、クラウディアは既に動き出している。

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