第六章 かつて我々は敵だった
第165話 春
エーデルシュタイン王国、王都ザンクト・ヴァルトルーデの王国軍本部。
新たな将兵の入隊式が行われた翌日、訓練場にはフェルディナント連隊が集結していた。
そこへ連れてこられ、整列を始めたのは、今日から連隊の一員となる新米の騎士や兵士たち。
「おい、何だこの汚い整列は! いつまで訓練兵のつもりだお前ら!」
騎士ギュンターが叱りつけているのは、数十人の新兵たちの方だった。
能力を認められて叙任を受けるまで鍛錬を重ねてきた騎士たちは、さすがに整列程度は迅速にこなしてみせるが、元がただの平民である兵士たちの動きはまだ機敏とは言い難い。一旦並んだその列も乱れており、修正の指導が必須だった。
「……これでようやく、フェルディナント連隊も完全充足か」
「長かったわね。やっと戦後が始まった気がするわ」
新兵たちがギュンターに怒鳴られる様を見ながら感慨深げに言ったのは、歩兵大隊長トーマスと弓兵大隊長ロミルダ。
アレリア王国との講和が成立した後も、エーデルシュタイン王国軍はすぐに平時の状態に戻ったわけではなかった。どの部隊も定数を大きく割り、欠員も戦後の混乱の最中ではすぐに補充することはできず、フェルディナント連隊も定数一千に対して実数は九百ほどに留まっていた。戦争が一段落したとはいえ軍の仕事はまだまだ多く、人手不足で苦労を強いられていた。
今日こうして新たな騎士と兵士が配属されたことで、少なくとも頭数だけは揃ったことになる。
二人の大隊長が言葉を交わす一方で、騎兵大隊長オリヴァーは、新兵を整列させるギュンターの様子を眺めながら、傍らに立つ古参騎士ヤーグに声をかける。
「ギュンターもすっかり頼りがいのある士官だな。入隊当初と比べたら見違えた」
「ああ、新兵どもからすればさぞ怖いだろうよ。俺が新米の頃のシュターミッツ閣下を思い出す」
ヤーグもギュンターの方へ視線を向け。面白がるように言う。
今は亡き先代大隊長オイゲン・シュターミッツ男爵が、落ち着いていた晩年の印象とは裏腹に昔は鬼の如く厳しい先輩騎士であったという話は、オリヴァーも聞いたことがあった。
「案外、ギュンターの奴も将来は優しい隊長格になったりしてな」
「ははは、今はまだ想像もできないが……人は変わるからな」
ヤーグの呟きに笑いを零しながら、オリヴァーはこの数年を思い出す。
激動の時代を経て、皆変わった。変わらざるを得なかった。ただ力自慢なだけの乱暴者だったギュンターは頼れる士官になり、ヤーグも今や最古参の一人として、その立場に相応の責任感を持つようになった。
他の大隊長たちと共に、オリヴァー自身も変化した。上官であるオイゲンを失い、自分が騎兵大隊長となったことで、気鋭の若き士官と見なされていた今までのままではいられなくなった。多くの死を目撃し、戦友たちとの別れを経験し、心の中にはどこか老成した部分を抱えるようにもなった。
そして、このフェルディナント連隊の長も。養父から英雄の称号を受け継いだ彼は、聡明で勇敢な青年士官から、まさしく護国の英雄へと変化を、いや進化を遂げた。
「……やっと整列が終わったか」
新たな入隊者たちが並び終えたのを認め、オリヴァーは訓練場の正面中央、設置された壇の周囲に、他の連隊幹部たちと共に並ぶ。
「やはり、練度はまだまだに見えるな。連隊再建の道のりは長そうだ」
「ああ、だが仕方ないだろう。どの部隊も人手不足な現状、頭数だけでも早く揃えて鍛えるしかない」
隣に立った歩兵大隊長リュディガーに声をかけられ、オリヴァーはそう答える。
今日ようやく定数を満たしたフェルディナント連隊だが、そのうち実に三割が、昨年から今年にかけて修行不足のまま数合わせで叙任を受けた騎士や、平時のように十分な訓練を行うことが叶わず入隊した未熟な兵士たち。こうして整列の様子を見ただけでも、練度不足は明らか。
彼らを迎えたフェルディナント連隊の全体としての練度も、全盛期には遠く及んでいない。この状態から再び連隊を鍛え直し、精鋭の即応部隊を作り上げるのが、オリヴァーたち隊長格の務めだった。
「……まだまだ苦労するだろうな。先が思いやられる」
「やりがいがあると言え。ものは考えようだぞ」
リュディガーの嘆きに、オリヴァーは苦笑交じりに返す。
彼ら連隊長の整列位置からやや離れたところでは、入隊者たちの整列と、連隊の将兵たちの集合が完了したことを確認したグレゴールが後ろを振り返る。
「閣下。準備が終わりました。お願いいたします」
「分かった、ご苦労さま」
副官に答え、深紅の髪を揺らしながら壇上に上がるのは、このフェルディナント連隊の指揮官。
フリードリヒ・ホーゼンフェルト。エーデルシュタインの生ける英雄。
「傾注! 連隊長閣下のお言葉である!」
グレゴールが声を張ると、およそ百人ほどの入隊者たちは今一度、姿勢を正す。
千人の将兵たちの注目を集め、自身も赤い双眸で彼らを睥睨し、フリードリヒは入隊者たちに向けて口を開く。
「新たに配属された騎士と兵士の諸君。エーデルシュタイン王国軍フェルディナント連隊へようこそ。私が連隊長のホーゼンフェルト伯爵フリードリヒだ」
声も、容姿も、見るからにまだ若い将。しかし、侮るような視線を向ける者はいない。フリードリヒの英雄としての武勇伝は、この一年で国中に散々に広まった。自然に伝わった部分もあれば、エーデルシュタイン王家が吟遊詩人や商人たちを使い、意図的に広めた部分もある。
「エーデルシュタインの生ける英雄。私はそう呼ばれている。我が父マティアス・ホーゼンフェルトより、ホーゼンフェルト伯爵位とフェルディナント連隊長の座と共に、この英雄の称号をも受け継いだ。私が受け継ぐことを、偉大なるクラウディア・エーデルシュタイン女王陛下がお許しくださり、そしてエーデルシュタイン王国の人々が認めてくれた」
畏怖の目でこちらを見る、入隊したばかりの若者たち。フリードリヒは彼らの姿にどこか懐かしさを覚える。今から四年前、自分もここで入隊者として、亡き父の訓示を聞いた。
「皆、英雄となった私に畏敬の念を示してくれる。時に畏怖の念をも。だが、これから共に戦う諸君にはどうか覚えていてほしい……英雄の称号は、あくまで私の果たすべき役割を表すものであると。将として、戦いを勝利に導くための策を編み出すことが、女王陛下より私に与えられた役割である。そして私と同様に、諸君にも役割がある。私の編み出した策を実行し、実際に勝利を掴み取り、以てこの国を守るという役割が。このフェルディナント連隊において、そしてエーデルシュタイン王国軍において、私たちはそれぞれが役割を持ちながら共に戦う仲間である」
静かに、しかし力強く、フリードリヒは語る。
「新たに入隊した諸君は、英雄と呼ばれる私や、諸君の先達にあたる軍人たちと、等しく重要な存在である。自ら王国軍へと志願した諸君の、故郷や財産、家族や友、王家と王国そのものを守る覚悟は、私たちの抱く覚悟と等しく強いものであると信じている……大義は我らの手に。神は我らと共に。エーデルシュタイン王国に栄光あれ!」
「総員、敬礼!」
フリードリヒが訓示を締めると、即座にグレゴールが言った。その言葉に従い、入隊者たちは少しばかり慌てた様子で、やや不揃いながら精一杯の気合を込めた敬礼を示す。
「それでは、戦友諸君。新たに連隊の一員となった者たちを歓迎しよう。一日も早く、彼らの覚悟が実力を伴ったものになるよう、導いてやってほしい」
「「「はっ!」」」
これまで共に戦ってきた連隊の将兵たちは、フリードリヒの呼びかけに威勢よく答える。
「皆、軍人としては子供も同然の者たちだ。良き先達として、目一杯可愛がるように」
かつて自分が入隊したときの養父の言葉を真似ながら、冗談めかしてそのように言うと、戦友たちの間からは笑い声が上がり、そして彼らは入隊者たちのもとへ歩み寄る。これから、新米の騎士と兵士たちは、それぞれ小隊へと割り振られる。
「フリードリヒ、お疲れさま」
連隊長としてこの場での役目を終えたフリードリヒが壇を下りると、壇の傍らに控えていたユーリカがそれを迎えた。
「ありがとう……上手く話せてたかな?」
「うん、凄くよかったよぉ。さすが私のフリードリヒ」
赤い唇をニッと広げて笑いながら、ユーリカは答える。そして無意識にか、自身の腹部をそっと撫でる。
彼女も皆と同じ王国軍の軍装姿だが、上着や剣帯の留め具はいつもより緩め、腹部に余裕を持たせてある。新たな命――フリードリヒとの子供が宿っているために。
医師の見立てでは、現在は妊娠三か月ほど。まだ腹部の膨らみはほとんど見られず、出産の予定時期は半年以上も先だが、母子の安全を優先して基礎的な訓練以外の軍務は控えている。
「ならよかった。お腹の子も聞いてる前で、下手な演説はできないからね」
微笑交じりに言いながら、フリードリヒは思う。
亡き父もきっと、フェルディナント連隊が新たな節目を迎えたこの日を、神の御許から見守ってくれているだろう。
そのとき、春らしい澄んだ風が吹き、深紅の髪を撫でていった。
西部統一暦一〇一二年、三月の上旬。
アレリア王国との決戦から、間もなく一年が経とうとしていた。
★★★★★★★
2025年1月25日、書籍2巻となる
『フリードリヒの戦場2 受け継ぐ者たちの覚悟、去り行く者たちの胸臆(きょうおく)』
が発売されます。
それに伴い、今日から月・金の週2回更新で、WEB版の後日談を投稿していきます。
お付き合いいただけますと幸いです。よろしくお願いいたします。
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