第163話 戦後③

「よう、隠居じいさん」

「おう、よく来たなクソガキ。まあ座れ」


 開口一番に憎まれ口を叩いたディートヘルム・ブライトクロイツに、ヨーゼフ・オブシディアン侯爵も負けじと乱暴な言葉で迎える。二人とも顔には笑みを浮かべ、互いの暴言を気にした様子もなく、むしろ懐かしんでいる。

 数日後に開かれるマティアス・ホーゼンフェルト伯爵の軍葬と、その後に行われる国王ジギスムント・エーデルシュタインの国葬。王国軍の将としてそれらに参列するため王都に参上したディートヘルムは、まず最初にオブシディアン侯爵家の屋敷を訪れた。

 ヒルデガルト連隊長であるディートヘルムが国境地帯の要たるアルンスベルク要塞を離れても、今は問題ない。

 まずもってディートヘルムにも信頼のおける側近たちがおり、何か非常事態が起こっても彼らならば問題なく初動対応をとってくれる。加えて、おそらくは王家同士で何か取り決めがなされたのか、アレリア王国の先王の国葬と新国王の戴冠式も同じ時期に開かれる。弱り切ったアレリア王家が、新国王の妹を人質にとられている状況で、重要な式典と同時に誓約破りの軍事行動をとれるはずがない。

 だからこそ、ディートヘルムは安心して王都に出向き、今はこうして第二の父親の見舞いをしている。

 ちなみに、ヨーゼフもマティアスとジギスムントの葬儀に参列するという。軍人としては隠居した身だが、あくまで片足を失って体力が衰え、軍務に耐えられなくなっただけ。まだまだ頭ははっきりしており、侯爵家の家長の座も維持している。


「すっかり老け込んでるかと思ったが、あんまり変わらないな。どうだ、楽隠居は?」

「半年かそこらで簡単に老けてたまるか。案外、読書と茶飲みと昼寝の日々も楽しいもんだぞ。それに何といっても、息子夫婦や孫たちに毎日会えるのがいい。エルゼの傍にもいてやれる」


 ヨーゼフはアルンスベルク要塞防衛の指揮を担っていたため、西部王家直轄領の首都にも別邸を構えていた。彼の妻であるエルゼ夫人は元々そこで暮らしていたが、数年前に少し病気をしてからは王都に居を移して息子や孫たちと暮らしており、夫と顔を合わせるのは年に数回程度だった。

 ヨーゼフが隠居して王都の屋敷に引き上げた今、エルゼ夫人は夫と穏やかに毎日を過ごすことができている。


「まあ、それは確かにいいことだな。いつまでも軍を辞めないあんたを許してくれてたんだ。今後は奥方様への恩返しと思って優しくしてやりな」

「お前に言われんでも分かっとるわ……ところで、決戦では何やらそれなりに活躍したそうじゃあないか。こっちにも話が聞こえてきとる」

「それなりにって……敵中を一気に突破して、あのモンテスキュー侯爵をこの手で討って、最後は俺の号令で敵の覇王に致命傷を負わせたんだぜ? 十分すぎるだろう」

「ははは! 拗ねるな拗ねるな。確かに凄まじい戦功だ……現役時代の儂では到底及ばん偉大な戦功だ。それなりという言葉は取り消そう。失礼したな、連隊長」

「……そう言われると、それはそれで調子がくるうな」


 ヨーゼフが殊勝な態度を見せると、ディートヘルムは照れ隠しに顔をしかめる。


「市井の噂ばかりを聞くのも飽きた。お前の口から決戦の様子を詳しく聞かせてくれ」

「ああ、そのために来たようなもんだからな」


 茶を飲みながら、それがそのうち酒の杯に代わり、ディートヘルムとヨーゼフは語らう。


・・・・・・


 国王キルデベルト・アレリアの国葬は、彼が手にしていた権勢の大きさを考えると、ひどく寂しいものとなった。王国貴族のうち当主自ら参列する者は少なく、他国からの使者もごく限られ、葬儀の場にはどこか冷めた空気が漂っていた。

 その後に行われた新国王サミュエル・アレリアの戴冠式も、大国における新たな王の誕生を祝う式典としては空虚だった。それは決して国王自身の責任ではなかったが、アレリア王家の求心力が目に見えて落ちていることを証明していた。

 先行きが明るいとは決して言えない、新たな時代の幕開け。それでも王となったサミュエル自身は決して悲愴感を漂わせることなく、むしろ己の義務を果たさんと意気込みを見せている。アレリア王家と一蓮托生の重臣たちも、全力をもって彼を支える心持ちでいる。

 少なくとも王城においては、覚悟を決めて前を向く空気が生まれている中で――アレリア王国軍の将ツェツィーリア・ファルギエール伯爵は、今ひとつその空気に馴染めないでいた。


「……これだけの失態を犯しておいて、果たして未だにこのような立ち位置を与えられていいものなのかな」


 戴冠式から一夜が明けた、王城の一室。国葬と戴冠式に参列するために東部首都トルーズより王都を訪れているツェツィーリアは、テーブルを挟んで正面に座るパトリック・ヴィルヌーヴ伯爵を前にそう零す。

 先の決戦における大敗、その責を誰か一人に負わせることは難しい。究極的には親征を成したキルデベルト自身の責任だが、作戦の概要を考えたツェツィーリアにも多大な責任があることは明らかだった。

 だからこそ、ツェツィーリアは己がアレリア王家から遠ざけられることを覚悟していた。しかし新国王サミュエルは、亡き父に倣ってツェツィーリアを重用する意思を見せた。


「卿が有能な将であることは間違いない。むしろ、名誉を回復する機会を与えられたものと思って務めに邁進するしかあるまい」

「そう言う卿は、悩むところはないのか?」


 励ましともとれる言葉を語るパトリックに、ツェツィーリアは問いかける。

 彼もまた、大きな失態を犯しながら今までの立場に据え置かれた身。近衛隊たる「王の鎧」の隊長でありながら、キルデベルトを守りきれずに失い、にもかかわらず引き続き「王の鎧」の指揮を任されている。


「ある。当然だろう。それでも任を賜った以上、命を賭して務めを果たすしかない……他に果たせる者がいないのだからな。王家を支え、この国を守ることができるのは、今は我らだけだ」


 小さなため息をひとつ挟み、パトリックは答えた。

 それに、ツェツィーリアも諦念交じりに頷く。

 キルデベルトの父の代から仕えたロベール・モンテスキュー侯爵が戦死し、王家の求心力が落ちている今、サミュエルが信頼を置くことのできる将は少ない。

 先の決戦で兵力を減じた「王の鎧」を再建し、指揮するには、やはりパトリックが最も適任。そして、これから先アレリア王国の内外で戦いが起こった時、最も巧みに軍勢を指揮し、勝利を成せるのがツェツィーリアであることは間違いない。

 二人とも、今やアレリア王家にとって必要で、そして代えの利かない軍人であるのは明らか。


「……まったく、人生とはままならないものだな」


 ツェツィーリアは自嘲するように微苦笑しながら言った。

 本当は死にたかった。あの日、弟が生きていることを知ったあの戦場で散りたかった。ただ己の復讐を果たすために戦ったこの人生に、終止符を打ちたかった。

 ヴァンサン・アランブール男爵。副官セレスタン。亡父の遺臣たちも皆逝ってしまった。率いた多くの騎士や兵士を、臨んだ幾多の戦いで死なせた。この上で、自分のような空っぽの人間が生きていて一体何になるというのか。

 そうしてどれだけ嘆いても、自分の人生はまだ続いている。そしてこの世界には、もう二度と会えないと思っていた弟も生きている。

 腹を括るしかあるまい。これまでの生き方が自分勝手で愚かなものだという自覚があるのなら、これからは正しく軍人として王家と国に尽くし、以て己が死なせた者たちへの贖罪とするしかあるまい。心が空っぽになったというのなら、文字通り無私の心で務めに臨むしかあるまい。

 いつか、いよいよ命運尽きて死ぬその日までに。少しでも、今よりほんの僅かでも、弟に誇れる姉となるために。

 そうだ。姉なのだ。自分は天涯孤独の身ではなく、確かにこの世に生きている弟の肉親なのだ。

 今さら彼と、姉弟として心から親しみ合えるとは思わない。だから彼には、姉と呼べとも、そう思えとも言わない。それでも、自分は彼を弟と思っている。

 それで十分だ。心の奥底に弟の存在を置き続けることで、自分はまだ生きていられる。


「愚痴を聞かせて悪かった。仕事の話し合いに移ろう」

「ああ、そうしよう。アレリア王家にどれほどの猶予が残されているかは未知数だ。混乱が訪れるまでに、できる限り王国軍を立て直さなければ」


 今は個人的な思案を止め、ツェツィーリアは将として会議に臨む。




★★★★★★★


次回、9月6日(金)の更新でWEB版の本編は一旦完結します。

次回は2話更新となります。


また同日、新作の投稿を開始します。

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