第161話 戦後①
アレリア王国王太子サミュエルは、妹である王女マリアの身柄と引き換えに帰国を果たした。
交換の場であるベイラル平原で、叔父である王国宰相エマニュエルに迎えられ、これから留学という名の人質生活を送る妹とも顔を合わせた。エーデルシュタイン王国側の配慮によって、兄妹で少しの時間を共にした後、しばしの別れを告げた。
敗戦国の次期国王。その帰路は寂しいものとなった。護衛だけは厳重に、しかし衆目を避けるように移動し、王都サンヴィクトワールへと帰還した。
「……ただいま戻りました、母上」
王城の謁見の間で出迎えた王妃を前に、サミュエルは硬い表情で一礼する。
「敗北を喫し、妹の身柄と引き換えに恥ずべき帰還を為したこと、言い訳のしようもない失態にございます。どのような言葉をもってしても――」
「顔を上げなさい、サミュエル」
息子の言葉を遮る王妃の声は、優しいものだった。
顔を上げたサミュエルが見た母の顔も、やはり優しかった。
「君主は国を支配する権利を持ち、同時に責任を持ちます。それは君主の一族である王家も同じこと。あなたの父であり私の夫であるキルデベルト国王陛下は、御命をもって敗北の代償を払われました。マリアも、エーデルシュタイン王国に留学することで王女としての責任を果たしています。そして、これから私たちも」
王妃はサミュエルに歩み寄り、その手をとる。
「私はキルデベルト陛下の妻として、あなたの母として、これからあなたを支えます。エマニュエル殿下も叔父として、宰相として、あなたを補佐します。そうすることで私たちは責任を果たします……そしてあなたは、次期国王として責任を果たしていくのです。講和によって交わされた誓約を完遂し、現実的に成し得るかたちでアレリア王家と王国を守っていくのです。恥を覚えているのであれば、責任を果たすことで己と家と国の名誉を取り戻すのです」
「……かしこまりました」
目に涙を溜め、同時に決意を滲ませながら、サミュエルは母に答えた。
「それでいいわ。お帰りなさい、私の愛しい息子」
王妃はそう言って、サミュエルをそっと抱き締める。
夫を失った母と、父を失った息子が再会の抱擁を終えた後、サミュエルの顔は既に王位を継ぐべき為政者のものになっていた。
「今は僅かな時間も惜しいものと考えます。早速ですが今後について話し合いたい。叔父上」
「王太子殿下の御意のままに。直ちに会議の場を設けましょう」
サミュエルが振り返ると、宰相エマニュエルが答え、居並ぶ重臣たちに指示を下す。
エマニュエルに促されて会議室へと移りながら、サミュエルはこの謁見の間の壁へ、そこに並ぶ歴代君主の肖像画へと視線を向ける。
エーデルシュタイン王国の捕虜となり、ここへ帰還するまでの時間は、サミュエルに有意義な経験をもたらした。
これまでサミュエルは、父に倣って覇道を進むことこそが唯一正しい道だと考えていた。他ならぬ父にそう教えられた。アレリア王国が真に安寧を得るためには大陸全土を統一し、この国を喰らわんとする全ての敵国を屈服させるしかないのだと信じてきた。
しかし、サミュエルを捕虜としたエーデルシュタイン王国の人々は、父から聞いていたような冷酷非道の悪人でも、話の通じない野蛮人でもなかった。理性的で、文明的で、礼節を守り誇りを抱く人々――関わり方次第では共存も叶う人々だと思った。異国人の全てが、戦いを宿命づけられた敵ではないのだと知った。
父が自分に対して、覇道を進む上で都合の良い嘘を教えたことは事実なのだろう。優しかった父を恨むことはできないが、もはや父の教えを妄信的に信じることもない。これからは自分で考え、決断しなければならない。自分こそがアレリアの王位を継ぐのだから。
アレリア王国は、これまでのような大国であり続けることは難しい。王家にとっては困難な時代が訪れる。自分は困難な時代の王となる。それでも、先祖より受け継ぐ家と国を存続させなければならない。たとえ領土を減じ、権勢を衰えさせながらでも。
そのような認識は、既に宰相である叔父とは一致させている。先ほどの言葉を聞くに、おそらく母も同意見なのだろう。
「……」
謁見の間の壁には、過去の君主たちの肖像画が並ぶ。父キルデベルトの精悍な佇まいを描いた肖像画も既に飾られている。父は世を去り、絵画の中にのみ姿を残す過去の人となった。
父の跡を継いだ自分は、これから父とは真逆の道を、己の道と選び進むのだ。
・・・・・・
アレリア王国ノヴァキア地方。首都ツェーシス。ノヴァキア公爵家の居城で、当主ユリウス・ノヴァキアは、アレリア王国軍駐留部隊の指揮官アンジェロ・モゼッティ侯爵と面会していた。
「ノヴァキア卿、あらためて提言いたします。どうか徴集兵と物資、そして資金の供出を」
立場上は公爵であるユリウスの方が上なので、口調は丁寧に。しかし表情は険しく。アンジェロは言った。
国王キルデベルトの戦死と、アレリア王国の敗戦。その報が届いてからというもの、彼はこのような提言、もとい要求を語るようになっていた。
アレリア王家の弱体化を受けて、そう遠くないうちに国内で不和が起こる可能性がある。迅速な対処を成すために、独力で大規模な軍事行動を起こせる力を備えておきたい。徴集兵と傭兵を集めて兵の頭数を揃え、物資を蓄えていつでも部隊を動かせるようにしておきたい。
アンジェロの考えはそのようなところだろうと、ユリウスは考える。
その裏にあるのはおそらく、第一にアレリア王家への忠誠心。
アンジェロも元はアレリア王国に征服された国の将であるはずだが、如何せんアレリア王家に従属している期間が長すぎる。モンテスキュー侯爵やファルギエール伯爵に次ぐ立場として、ノヴァキア王国への攻勢を任されていた程度には王家との距離が近かった軍人。キルデベルトの忠実な手下であり続けた彼には、今さら故郷に帰っても居場所はないのだろう。アレリア王家を支え、王家に尽くし、王家と運命を共にするのが彼の唯一の道なのだろう。
そして第二に、アンジェロ自身の野心もあるものと思われる。
彼は実直さが取り柄の男。将として無能ではないが特筆すべき才覚もない。そんな彼も、アレリア王家が弱体化し、老将モンテスキュー侯爵が戦死した今は、ヴィルヌーヴ伯爵やファルギエール伯爵と並ぶ重臣になり得る。手元に兵力と即応能力を備え、ノヴァキア地方において己の軍閥を築けば、彼は王国において強い影響力を持つことができる。王家が窮地に陥れば、軍勢を連れて駆けつけることで恩を売ることもできる。
彼の意図は理解できる。が、ユリウスが協力してやる義理はない。
「可能であれば私もそうしたい。ですが先日もお伝えした通り、このノヴァキア地方にはあなたの提言に応えるだけの余裕がありません。一歩間違えれば多くの餓死者が出かねない現状、差し迫る危機がない状況で軍備に割ける余力はありません」
「……貴殿の仰ることも分かります。ですが、どうか王国の未来を見据えた上で何卒ご再考いただきたい。アレリア王国には激動の時代が訪れようとしています。ノヴァキア家にとっても、このノヴァキア地方にとっても、今こそがより良き未来のために多少の無理をすべき時ではないでしょうか?」
なおも食い下がるアンジェロに、ユリウスは首を横に振ってみせる。
「今無理をすれば、ノヴァキア地方の復興はますます滞り、アレリア王国東端の国境を守る拠点として、いつまでも正しく機能しないままとなります。アレリア王国の未来を思うからこそ、今は復興に注力しなければ。亡きキルデベルト陛下の御王命にお応えするためにも」
自分でも白々しい言葉だと思いながら、しかしユリウスは建前を守る。正論で武装することで、アンジェロがさらに強硬な姿勢に出ることを防ぐ。
正面に座る野心的な将の顔、そこに浮かぶ焦燥と憤りが増す。しかし、さらなる反論は出ない。
彼が実力行使に出ることはできないとユリウスも分かっている。彼の任務は王家より預かったノヴァキア地方を守り、維持し、立て直すこと。しかし、一介の将である彼に政治はできない。大規模な戦後復興の指揮などとれるはずもない。だからこそ行政を担う者が必要であり、この地の統治方法を知り尽くすノヴァキア公爵家を今、彼の独断で潰すことはできない。
そして大前提として、ノヴァキア公爵家にはキルデベルトより賜った誓約という盾がある。
「このノヴァキア地方は、三年間の税の免除をキルデベルト陛下より約束していただきました。陛下より賜った誓約を覆すことができるとしたら、それは新たに国王となられるサミュエル王太子殿下ただお一人です」
少なくとも、前線の一将が王家の正式な意向を無視し、武力に頼って強権を振るうことは許されない。アンジェロには言葉をもってユリウスを説得する以外の手段がなく、そして今回の彼の挑戦は、誰がどう見ても手詰まりだった。
「……かしこまりました。ですが、私の提言にも理はあるはずです。どうか、引き続きご再考いただけますよう」
「もちろんです。貴重な提言に感謝を。これからも力を合わせ、ノヴァキア地方を治めていきましょう」
ユリウスは手を差し出し、アンジェロも応える。空虚な握手が交わされる。
そしてアンジェロは帰っていった。いずれまた、同じ提言に違う文句を携えてやってくるのだろう。仮にも王族として育てられた自分を説得できるだけの理屈を、果たして彼の頭で考えつくだろうか。
無理だろう。エーデルシュタイン王家より為された提案よりも魅力的な選択肢を、彼が用意できるはずがない。
「閣下。クラウディア・エーデルシュタイン女王陛下の密使が到着しました」
アンジェロが謁見の間を去った後、傍らに立つ側近が小声で言う。
「分かった。場所を移して会おう」
言いながら、ユリウスは立ち上がる。
エーデルシュタイン王国がアレリア王国との決戦に勝利して間もなく、女王クラウディアからの最初の密使がやって来た。密使の語るところによると、クラウディアはノヴァキア王国と刃を交えた昨年の「悲劇」を水に流した上で、ノヴァキア王国の再独立を支援する意思があるという。
以来、ユリウスはクラウディアと密使を送り合い、水面下で対話を進めている。彼女の申し出を、ユリウスも受け入れるつもりでいる。
城内を歩きながら、自嘲するように笑みを零す。
敗北し、アレリア王家に忠誠を誓い、エーデルシュタイン王国に攻め込み、しかし今はそのエーデルシュタイン王国と手を結んで再独立の企みを巡らせる。白狼のように誇り高くあるべきノヴァキア家が、これではまるで蝙蝠だ。
しかし、自分は戦うと決めた。どんな形でも。どんなやり方でも。ノヴァキアの地とそこに暮らす民のために戦うと、死んだ父や戦士たちに誓った。
なればこそ、恥じ入ることはしない。姑息に。狡猾に。戦い抜くのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます