第159話 講和交渉

 御前会議から数日後。アレリア王国側より正式に講和交渉の申し入れがなされ、エーデルシュタイン王国側も交渉に応じる旨の返答をした。


 その翌日には、両軍の陣の中間地点に会談の場が用意され、両国の代表者たちが集う。事前に定められた通り、互いの率いる護衛は中隊規模の兵力のみ。

 フリードリヒはエーデルシュタイン王国軍連隊長の中では最も若年ながら、英雄マティアス・ホーゼンフェルト伯爵の後継者であること、先の決戦でアレリア王国側の兵に恐怖をもたらした象徴的な存在となったことから、グスタフ・アイヒベルガー子爵と共に軍部の代表者として会談に同席する。

 他にも、文官の代表として外務大臣アルフォンス・バルテン伯爵と、財務大臣ヘルムート・ダールマイアー侯爵が送り込んできた副官をはじめ数人の官僚が。そして、ここまで王家への忠節を尽くした領主貴族の代表者たちも交渉の列に並ぶ。

 一団の中心に座るのは、女王クラウディア・エーデルシュタイン。勝者の威容をもって、アレリア王国側の代表者たちを見据える。

 対するアレリア王国側の中心は、宰相である王弟エマニュエル・アレリアだった。国王キルデベルトは戦死し、王太子サミュエルは捕虜となっているため、代わって戦場の最上位者となった彼がアレリア王国側の全権を握って交渉の席に座る。

 君主も次期君主も不在。王国軍の主要な将も尽くが戦死しあるいは捕虜となり、王弟の横に並ぶ武官はくり上がりで席についた二線級の顔ぶれ。領主貴族の代表者たちも、それぞれの後ろに掲げられた旗を見るに、アレリア王国の大家として知られる貴族家のうちいくつかが欠けている。まさしく敗者の陣容だった。

 また、リガルド帝国の代表として、皇太子エドウィンもクリストファー・ラングフォード侯爵をはじめ数人の臣下を伴って同席している。彼については、好奇心からの野次馬的な理由も多分に含まれる。


「早速だが、こちらの要求を示そう」


 挨拶もそこそこに交渉が始まり、先手を打って切り出したのはクラウディアだった。歴史的勝利を成し、圧倒的に有利な立場にいるため、声にも表情にも強気の姿勢が表れている。

 クラウディアに促され、アルフォンスが手元の書類に視線を落とし、エーデルシュタイン王国側の要求を読み上げる。


「まずは、エーデルシュタイン王国が捕虜としているサミュエル・アレリア王太子殿下。彼の返還と引き換えに、アルンスベルク要塞の引き渡しを要求します」


 アレリア王国側の残存兵力は少なく、士気も落ちているが、それでも数千が立て籠もるアルンスベルク要塞は恐るべき要害。エーデルシュタイン王国としては下手に武力による奪還を試み、徒に損耗を増やすことはできないが、かといって敵国に預けたままにすることも受け入れ難い。

 なので、戦利品として最大の価値があるサミュエル王太子を用い、アルンスベルク要塞を無血で取り返す。アレリア王国側は次に玉座に据えるべき王太子を迅速に取り戻し、エーデルシュタイン王国側は、兵力や戦費や時間を損耗することなく容易にアルンスベルク要塞を奪還できる。両者にとって絶大な利益のある提案だった。

 この要求をアレリア王国側も予想していたのか、エマニュエルも居並ぶ臣下たちも大きな反応は見せない。エマニュエルは口惜しそうな顔を見せるが、強硬に反発はしてこない。

 たとえエーデルシュタイン王国がアルンスベルク要塞を取り返したからといって、そこから本格的な逆侵攻などを成すことは国力的に不可能。今回、エーデルシュタイン王国側が領土の割譲を要求しなかったこともその証左だった。今のエーデルシュタイン王家に、ユディト山脈を越えて領土を広げてもそれを維持する余力はない。

 アレリア王国側が要求を受け入れても、つまりは国境線が戦前の状態に戻るだけであり、アレリア王家にとっての不利益は、要塞という財産をひとつ手放すことのみ。

 両国が最も取り返したいものを交換する。落としどころとしては極めて妥当な内容だった。


「次に、同じくこちらが捕虜としているパトリック・ヴィルヌーヴ伯爵と、ツェツィーリア・ファルギエール伯爵。この両名について、一人あたり三千万スローネの身代金を要求します」


 アルフォンスが語った金額に、アレリア王国側からはどよめきが起こった。

 通常、貴族家当主の身代金の額は、数百万スローネから高くとも一千万スローネ程度。その相場と比較すると、二人の伯爵の身代金は異常な高額だった。領地を持たない宮廷貴族家が直ちに支払うのは難しい額。まず間違いなく、アレリア王家が領伯爵家に不足分を援助することとなる。 

 だとしても、王弟エマニュエルはこの要求を許容せざるを得ないとエーデルシュタイン王国側は踏んでいる。

 元より将の人材が豊富とは言えないアレリア王国軍。王家の信頼が最も厚い老将ロベール・モンテスキュー侯爵が戦死した今、敗北したとはいえ強力な智将であるファルギエール伯爵を取り戻さないわけにはいかない。また、近衛隊である「王の鎧」を維持し立て直すためには、その部隊運営を知り尽くすヴィルヌーヴ伯爵の存在も欠かせない。

 加えて、最側近の武官である二人を見捨てれば、アレリア王家は他の臣下たちからの信頼と忠節をも失う。権勢を維持することさえ絶望的な状況で、直ちにこれ以上の危機に陥る選択をアレリア王家がとれるはずもない。

 案の定、エマニュエルは表情に諦念を示すのみで、反論はしてこなかった。


 その後は残りの貴族、アレリア王国軍や貴族領軍、そして徴集兵の身代金の金額についてアルフォンスが説明を続ける。

 宮廷貴族家の関係者と王国軍人については割高に。領主貴族家の関係者と貴族領軍の軍人については割安に。徴集兵についても、王領の民については割高に。貴族領の民については割安に。エーデルシュタイン王国側の要求が語られる。

 アレリア王家に対してこのような扱いをすることで、敵側の領主貴族たちの目に、アレリア王家の弱体化をより印象づけることができる。加えて、アレリア王家の直臣である宮廷貴族たちと、領主貴族たちの関係にひびを入れることができる。今のアレリア王家にとって、貴族同士の不和はどのようなものだとしても懸念事項となるのは間違いない。


「次に、賠償金について。貴国の度重なる侵攻によって、エーデルシュタイン王国は多大な損害を被りました。その賠償として六十億スローネを要求します。三年払いで、支払いはスローネ金貨及び金、銀。貴国が他の物品での支払いを望む場合は事前に申し入れることとし、こちらが認めた場合のみ受け入れます。またリガルド帝国に対しても、度重なる挑発や侮辱への賠償として一億スローネの支払いを求めます。こちらは金あるいは銀による一括払いで」


 再びアレリア王国側がざわつく中で、アルフォンスはさすがは手練れの外交官と言うべきか、最後まで淡々と語った。

 エマニュエルたちの動揺も、無理のないことだった。

 エーデルシュタイン王家の総収入が、税と鉄鉱山などの収益を合わせて年間でおよそ三十億スローネ。これが軍事や外交、内政、公共事業、王室運営などに充てる国家予算となる。

 アレリア王家の収入はエーデルシュタイン王家と比べて相応に多いものと推測され、これまでの侵略で王国中央に蓄えた富もあるだろうが、とはいえ六十億スローネの賠償金が凄まじい負担であることは想像に難くない。権勢を大きく削がれ、これから壮絶な苦難が待っているであろう現在のアレリア王家にとっては尚更に。


「そ、それは……」

「高すぎるか? 今は亡きキルデベルト・アレリア国王の野心のために我が国が被った損害は、この金額には到底見合わないと? 我が王家も、我が国の貴族たちも、そして臣民たちも、数多の尊き財産や取り返しのつかない人命を奪われたことは疑いようがないと思うが、どう考える?」


 思わずといった様子で口を開いたエマニュエルに、クラウディアが返す。口調は落ち着いたものだったが、アレリア王国側に威圧感を与えるには十分だったようで、エマニュエルはたじろぐ。


「まあいい。貴家を追い詰めすぎた結果、賠償金を支払う前に滅亡されては困るからな。それでは年間十億スローネの五年払いでどうだ?」


 勝者といえど、勝ちすぎてはよくない。相手を追い詰めすぎればそれが不利益として返ってくることもある。要求内容に妥協を見せて寛容さを示すことで、相手との緊張を緩和し、その譲歩は結果として要求を確実に履行させることに繋がる。

 だからこその十億スローネの減額と、時間的猶予の確保。クラウディアが与えた譲歩に、エマニュエルは少しの思案の後に頷いた。

 その様を確認し、クラウディアはアルフォンスへと視線を向ける。アルフォンスが頷き、またエーデルシュタイン王国側の条件を示す。


「次に、休戦について。貴国による賠償金の支払いが完了するまで休戦協定を締結することを要求します。休戦中はベイラル平原及び北方平原の中央を緩衝地帯とし、両国の軍が相手国の同意なく進入することを禁止に。エルザス回廊については、両国がその両端に監視部隊を置く現状を維持。また休戦中、アレリア王国は北方平原西部に一切の建造物を築かないことを誓っていただきたい」


 その説明で、エマニュエルとアレリア王国側の武官たちの顔色が変わる。


「我が国のみが建造物を築けないということは、貴国は……」

「こちらも制限を設けろと? 勝者である我が国が何故?」


 再び、クラウディアが静かにエマニュエルたちを威圧する。


 エーデルシュタイン王国が北方平原東部に恒久的な防衛拠点を築けば、それは極めて大きな現状変更となる。

 古の統一国家――ルーテシア王国の時代には、北方平原を東西にまたぐようにひとつの貴族領があった。ルーテシア王国が崩壊した後、動乱の時代にこの一帯を治めていた貴族家は滅亡し、領地は北方平原を曖昧な境界として二分され、それぞれエーデルシュタイン王国とロワール王国の領土となった。平原にあったいくつかの都市や村は、苛烈な戦乱の中で滅び去った。

 以来、この地は両国の関係が平穏な時期は緩衝地帯とされ、関係が険悪になると係争地帯とされてきた。とはいえ主な戦場はあくまでもベイラル平原であり、国力の限られる両国はいたずらに戦場を広げないため、暗黙の了解として北方平原においては小競り合いに終始するに留まった。

 ロワール王国が滅びるまでの二百年弱で、何度か対立が激化してどちらかが頑強な野戦陣地や木造の砦を建設するに至ったものの、さして長く維持できずもう一方に破壊された。


 そんな北方平原において、エーデルシュタイン王国側だけが恒久的な砦を得れば、国境防衛において極めて有利になる。例によって侵略に臨む国力の余裕はないとしても、守りに関して言えば、強固な防衛拠点かつ補給拠点を中心に万全の態勢を成すことができる。

 これまでよりさらに素早く戦の準備を成し、アレリア王国が不穏な動きを見せた時点で攻撃的防御に乗り出すこともできる。ベイラル平原を攻められた際に、迅速に陽動作戦を行うことで敵の戦力集中を阻むことも可能。戦い方の選択肢は大きく広がる。


「……いえ、異議はございません」


 答えるエマニュエルの声には、悔しさが滲んでいた。

 賠償金の支払い期間が五年に延び、その分休戦期間も延びたことで、エーデルシュタイン王国もまた時間的猶予を増やした。戦後復興や再軍備、民力休養に取り組むだけでなく、よりじっくりと砦の建造に臨むことができる。

 賠償金に関する譲歩は予定調和。表向きはアレリア王国に温情を見せ、実際はここまで譲歩して砦の建造期間を得ることまで織り込み済み。おそらくエマニュエルも気づいているだろうと思いながら、クラウディアはそれ以上何も言わなかった。

 そしてまた、アルフォンスが説明役に戻る。


「最後に、休戦期間中はアレリア王家より、マリア・アレリア王女殿下がザンクト・ヴァルトルーデに留学することを求めます。エーデルシュタイン王家はマリア殿下を賓客として迎え、一族と同等に遇することを保証します。サミュエル王太子殿下の身柄返還はアルンスベルク要塞の返還に加え、マリア殿下の入国と引き換えに行われることとし、それをもって休戦が正式に開始されるものと見なします」


 それは留学と言葉を飾ってはいるが、つまりは王太子サミュエルの妹である王女を、人質として差し出すことを意味していた。

 王女という決定的な人質を確実に受け取るためにサミュエル王太子を利用することで、王太子の身柄という手札をさらに有効に利用する意図もエーデルシュタイン王国側にはある。

 エマニュエルは傍らの文官と小声で何やら話し、すぐに話はまとまったのか、再びクラウディアに向き直る。やはり反論は示さない。

 敗者が身内を人質として差し出すのは、大陸の歴史を見れば珍しくもないこと。王族であり、莫大な賠償金の担保ともなれば粗雑に扱われることはなく、丁重に遇される。気分的な居心地の悪さは仕方ないとしても、生活の快適さは保証される。それが分からないアレリア王国宰相ではない。


「以上が、エーデルシュタイン王国からの講和の条件となります」

「何か、そちらから要望があれば言ってくれ。できるだけ考慮しよう」


 アルフォンスが説明を終え、クラウディアがそう付け足す。

 対して、アレリア王国側から発言は出ない。居並ぶ直臣たちはエマニュエルの様子をうかがいながら無言を保ち、領主貴族たちは身内の身代金以外に支払うべきものもないため、わざわざ藪をつつくような真似はしない。

 そしてエマニュエルは、おそらく脳内で素早く思考を巡らせているのかしばらく黙り込み、しかし彼もまた最後まで言葉を発しない。

 クラウディアにとっては予想通りだった。アレリア王国にとって厳しい要求を出したが、あくまで妥当な範囲。無茶な要求まではしていない。相手側からすれば、下手に反発してクラウディアを怒らせ、要求がより厳しくなる方が怖いはず。

 こうして要求を加減することでエマニュエルに反発の余地なく受け入れさせれば、アレリア王家がエーデルシュタイン王家に屈服した印象を、この場の全員に抱かせることも叶う。それもまたクラウディアの狙いのひとつ。


「……要望はないようだな。では、詳細を詰めるとしよう」


 結局、諦めるように息を吐いたエマニュエルを見て、クラウディアは言う。講和内容の委細を条文にまとめ、誓約書をしたためるのは、両王家の官僚の仕事となる。

 結果として、講和交渉の会談はアレリア王国がエーデルシュタイン王国の要求を一方的に聞き入れる場となった。

 君主という頭を切り落とされ、その跡継ぎという心臓を掴まれたアレリア王家に、抵抗する術があるはずもなかった。

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