第152話 決戦⑫ 勝利の一手(前)

 ヒルデガルト連隊長ディートヘルム・ブライトクロイツは、この決戦においては指揮下の各部隊のうち歩兵は前衛に、弓兵は後衛に預け、自らは他部隊の騎兵戦力を合流させた総合的な騎兵部隊の長として戦場に立っていた。

 配置はエーデルシュタイン王国側の陣形、その左翼側後方。敵による側面攻撃を牽制する位置取りを維持しながら、待機を続けていた。

 歩兵と弓兵が奮戦し、女王クラウディアまでもが危険を承知で戦場の最前面に出る、過酷極まりない戦場。もし騎兵の破壊力を活かして援護することが叶えば、味方の戦いはどれほど楽になることか。損害はどれほど減ることか。そう思いながら、それでも己の部隊を動かすことなく、勝利の一手を成すために耐え忍んでいた。ディートヘルム自身は、騎兵部隊が待機する位置のすぐ側面、丘の斜面で馬上に控え、遠眼鏡を手に戦況を見守っていた。


 そしてついに、そのときは訪れる。

 戦場北側の森に潜んでいたフリードリヒ率いるフェルディナント連隊が、例の策を実行した。ディートヘルムに言わせれば未知数のその策は、幸いにもどうやら成功したようで、敵前衛の徴集兵たちは恐慌に包まれ、大混乱に陥った。その混乱の只中に、敵の総大将であるキルデベルト・アレリア国王も閉じ込められた。

 敵前衛が機能不全に陥った隙を見逃さず、クラウディア率いる前衛の歩兵たちは一層果敢に攻め始めた。もはや烏合の衆と化した敵徴集兵たちは目に見えて押し込まれ、前衛に紛れた正規軍人たちも部隊単位での行動が難しいのか、有効な抵抗ができていない。

 陣形の左側から始まった混乱と正面からの猛攻を受けて、敵徴集兵の一部は唯一空いている右方向に流れ始める。逃亡を防ぐために敵陣右翼側にいた騎兵部隊が動き出すが、さすがにこれほどの大混乱を押し止めることは想定していなかったのか、隊列の前側にいる騎士たちは逃げ出す徴集兵の波に飲まれ、逆に動きを封じられる。

 そして――アレリア王家の旗の下に集う、キルデベルトを囲む「王の鎧」の一群にも動きがあった。フェルディナント連隊が敢行した側面攻撃、それを防ごうとした敵の一隊――掲げられた旗から判断してファルギエール伯爵の部隊か――がひどく苦戦している様を見て、「王の鎧」が兵力を左側面に偏重させた。

 それによって、予想されていた中で最高と言える状況が揃った。


「連隊長閣下! 女王陛下より合図です!」


 女王クラウディアのいる方を注視していた副官が、遠眼鏡を目に当てたまま叫んだ。

 ディートヘルムもそちらへ向き直ると、クラウディアを囲む近衛隊の直衛、そのうち伝令用の旗を掲げた騎士が、あらかじめ定められた合図をくり返していた。


「よし、出るぞ! 総員突撃用意!」


 ディートヘルムは丘の麓の騎兵部隊に向けて、直ちに命令を下す。それを受けて、総勢およそ七五〇騎が一斉に剣を抜く。手綱を引かれた馬たちの嘶きが響く。

 部隊の先頭まで丘を駆け下りながら、ディートヘルムは傍らを振り向く。共に戦況を見守っていた副官を含む数騎が随行しながら、そのうちの一人が左に向けて伝令用の旗を振り、こちらが今より突撃を開始する旨を、丘の上に布陣する帝国の騎兵部隊へと伝達していた。

 それに、あちら側からも旗が振られる。了解を意味する動きの後、旗の先端が敵陣へ向けて降ろされる。彼らも共に突撃する意思があることを示していた。

 友邦の騎士たちの覚悟にディートヘルムは微笑を浮かべ、そして自らが指揮する七五〇騎の先頭に立つ。


「いいか! 我らの働きによって、エーデルシュタイン王国の運命が決まる! 友軍の奮戦を無駄にするな! 狙うは敵の総大将キルデベルト・アレリアだ! 全力をもって突き進め!」

「「「応!」」」


 期待通りの覇気に満ちた応答が返ってくる。ディートヘルムは正面に向き直り、剣を直上に掲げ――そして、前方に向けて振り下ろす。


「突撃!」


 一斉に、七五〇騎が走り出す。目指すは敵軍の心臓。覇王キルデベルトのいる場所を示すアレリア王家の旗。

 速度と共に破壊力を増しながら疾走する騎兵部隊の先頭で、ディートヘルムは敵騎兵部隊の様子をうかがう。敵騎兵部隊は、群れを成して逃げ惑う敵徴集兵たちに動きを阻まれたまま。

 そうして動きを止めていてくれ、と思ったのも束の間、やはり敵もそこまで甘くはなかった。足元をうろつく邪魔な徴集兵たちを踏み潰し、蹴散らしながら、無理やり前進してこちらの突撃を止めに出てくる。

 徴集兵の群れが邪魔なために本来のような勢いで突撃はできていないが、数の上ではこちらを上回る敵騎兵部隊。接触すれば突撃の勢いを削がれるのは必至か。そう思った次の瞬間。


「あれは我らが止める! 卿らはそのまま進め!」


 左側面から呼びかける声が響いた。振り向くと、声の主は帝国の騎兵部隊の指揮官チェスター・カーライル子爵だった。彼の率いる五百騎が、こちらを追い抜く勢いで疾走していた。


「進め!」


 もう一度叫び、チェスターは進路を左前方にずらして敵騎兵部隊の方へと突入していく。それに帝国の五百騎も続く。

 彼らは総じてこちらの騎兵部隊よりも重装備で、にもかかわらずこちらを追い抜くほどに速度を出している。端から長距離を駆ける気などない全力の突撃。元より敵騎兵部隊を足止めし、こちらの進路を切り開くつもりでいたのか。

 敵騎兵部隊は徴集兵に邪魔されているために前進に勢いがなく、部隊としての連係も取れていないとはいえ、数の上では帝国の騎兵部隊の倍以上。にもかからわず勇敢に斬り込んでいく彼らに、

ディートヘルムは敬意と感謝を込めて剣を掲げる。

 そして、正面を見据える。

 降り注ぐ敵の矢は少ない。両軍が激突して以降、こちらの後衛の帝国軍弓兵部隊が漆黒弓の長射程を活かして敵弓兵部隊を集中的に攻撃してくれているおかげか。加えて、混乱して逃げようとする敵徴集兵の群れは敵弓兵部隊の方にもなだれ込んでいるらしく、敵弓兵は余計に本来の力を発揮できない状況にあるようだった。おかげで、ディートヘルムたちはより突撃に集中できる。


 敵陣はもう目の前。横槍を入れる者はいない。

 ディートヘルムを切っ先とした鋭い破壊の一撃が、アレリア王国の軍勢、その横腹から斜めにつき込まれる。


・・・・・・


 キルデベルト率いる「王の鎧」は、前衛に進出した他の精鋭部隊と共に、徴集兵たちの混乱に飲まれていた。

 混乱の原因については、左側面にいたファルギエール伯爵の部隊より報告が届いた。戦場北側の森から出てきたフェルディナント連隊が、この一帯に伝わる「ユディトの悪魔」なる伝承と当代伯爵フリードリヒの噂を利用した小細工で徴集兵たちを怖がらせ、混乱を引き起こしたらしいと伝えられた。

 原因は分かった。しかし、そもそもどうして徴集兵たちがこれほど簡単に混乱するのかが、キルデベルトには理解できなかった。


「あんなものはこけおどしではないか! それが何故分からない! 愚民どもが!」


 徴集兵たちがここまでの無様を晒さなければ。そうしてこちらの切り札たる精鋭たちの前進を邪魔しなければ。限界を迎えようとしていた敵の戦列をついに打ち破り、無謀にも最前面に出てきた女王クラウディアを討ち取ることが叶っていたというのに。

 苛立ちを隠さず叫んでも、状況が変わることはない。

 徴集兵たちは未だ二万近い数を保ちながら、その混乱は酷くなるばかり。この戦いの序盤、予定より早く前衛を突撃させて敵の遠距離攻撃による損害を抑えたことが今は裏目に出ていた。未だ数多く生き残っている徴集兵たちが揃って恐慌状態に陥ったことで、結果としてこちらの陣の混乱をより深くし、精鋭たちの前進を阻む人波を大きくしていた。戦力を保つことでより酷い困難に苛まれるという、極めて皮肉な状況だった。

 戸惑い怯えるばかりの烏合の衆とはいえ、それが二万近い大群となって無秩序に動き回れば、それだけで恐ろしい破壊力を持つ。徴集兵たちは恐怖に支配され、戦場から逃げようにも自分が今どちらを向いているのかさえ把握していない。てんでばらばらに走り回り、ぶつかり合い、押し合い、周囲に押されて圧死する者や倒れてそのまま踏み殺される者が続出する。

 誰かが不用意に武器を下ろし、その刃に傷つけられて驚いた者が己の武器を振り回し、遂には味方同士で殺し合う事態も発生する。

 前衛まで進んできた正規軍人の精鋭部隊も、混乱の当事者にならざるを得ない。ある程度の人数でまとまっている者たちはまだいいが、一人、あるいは数人で部隊とはぐれた者たちの中には、混乱に飲み込まれてそのまま死ぬ者も出る。整った装備のせいで、側面から攻撃してきたエーデルシュタイン王国軍人と誤認されて周囲の徴集兵から嬲り殺しにされる者もいる。


 キルデベルトを囲む「王の鎧」やその前方にいるロベール・モンテスキュー侯爵の部隊などは未だ一定の秩序を保っているが、それとて容易なことではない。言うことを聞かず蠢く徴集兵の群れはそれだけで油断ならざる脅威であり、精鋭たちは軍勢中枢の秩序を保つため、押し寄せてくる徴集兵を斬り捨てることさえしながらなんとか隊列を維持している。

 ファルギエール伯爵の部隊が崩れ去っていく様を見て、「王の鎧」の一部がキルデベルトの左側面を守る位置に動いたが、それとて相当な無理をしての行動であり、陣形移動を成すために何十何百の邪魔な徴集兵を蹴散らし、突き飛ばし、斬り殺した。おまけに、フェルディナント連隊はそれ以上の突撃を断念したため、この陣形移動は結果として徒労に終わった。

 もはや華麗さなど微塵もない、泥沼の戦い。それでもキルデベルトは勝利の可能性にしがみつこうとする。


「進め! 進め! 何故進まないのだ! 女王クラウディアはもう目の前だぞ!」


 血走った目で、キルデベルトは怒鳴り散らす。その怒声はアレリア王国の軍勢の前衛に広く響き渡るが、しかし言うことを聞く徴集兵はもはやいない。精鋭部隊は王の命令に従うため、健気にも前進を成そうとするが、混乱の只中ではその歩みはひどく遅い。

 キルデベルトの視線の先には、エーデルシュタイン王家の紋章旗と、その下に立つ女王クラウディアの姿がある。アレリア王国側の前衛が完全崩壊を始めているためにクラウディアたちはさらなる前進を成し、その結果として彼我の距離はますます縮まっている。

 あと少し進めば。今しばらく耐えれば。そうすればクラウディアの首に手が届く。大陸西部の統一にこの手が届くのだ。


「誰でもいい、あの女王を殺せ! 女王の首を持ってこい! 首を持ってきた者には望むままの褒美をやる! 誰か、早く首を――」

「陛下!」


 キルデベルトの絶叫を遮り、呼びかけたのは「王の鎧」の隊長パトリック・ヴィルヌーヴ伯爵だった。彼の示す方に視線を向けると、エーデルシュタイン王国側の騎兵部隊がこちらの前衛右側面に突入し、そのまま前衛を斜めに切り裂くように突き進んできていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る