第151話 決戦⑪

 目の前に立ちはだかった敵部隊の前衛を、フェルディナント連隊は突破した。敵の防御を崩す切り札として使用した漆黒弩は期待通りの戦果を挙げ、敵の槍衾が乱れた隙にオリヴァー率いる騎兵部隊が斬り込み、そのまま隊列を突き崩した。

 敵将ツェツィーリア・ファルギエール伯爵も、確認はできていないが、おそらく死んだ。前を走る騎兵部隊の隊列の隙間から、ファルギエール伯爵家の旗の下にいる伯爵らしき人物をフリードリヒは数瞬だけ視界に捉えたが、次の瞬間にはその姿は見えなくなり、彼女は直衛ごとこちらの突撃に飲み込まれた。

 そうして指揮官を無力化されながらも、敵部隊の生き残りは簡単には抵抗を止めなかった。装備からして旧ロワール王国軍人と思われる彼らは、ファルギエール伯爵の直轄部隊だけあって練度も高く士気旺盛だった。槍衾を構成していた前衛が崩壊し、その後ろにいた将を失いながら、しかしさらに後ろに並ぶ騎士や兵士たちがこちらの突撃を阻もうと戦闘を継続した。

 横腹を突かれた逃げ惑う弱兵ならば敵にもならないが、死を覚悟で真正面から立ちはだかる精鋭を前にしては、いかな騎兵部隊といえど楽には戦えない。敗けることはなくとも、百騎程度では破壊力が足りず、突破に苦労する。

 騎乗突撃の勢いが鈍り、密集していた隊形も乱れ始めたのが、騎兵部隊の後方にいるフリードリヒにも分かった。

 隊列先頭では、騎兵大隊長オリヴァーが敵の抵抗をなんとか打ち砕こうと奮戦を続ける。


「所詮は悪あがきだ! 壊滅させて前進するぞ! ここで足を止めている暇はない!」


 吠えながら、オリヴァーは騎兵の有利を存分に発揮して目の前の敵兵を倒す。突き出された槍の穂先を躱し、愛馬を操って槍の主である敵兵を踏み殺し、さらに剣を振り下ろして別の敵兵の頭を叩き割る。数人の弓兵が小さな隊列を組んで矢を斉射しようとしている姿が目に入り、その隊列へ突入して矢が放たれる前に蹴散らす。

 他の騎士たちも、立ちはだかる敵兵を片っ端から無力化していく。前列に重装の騎士を置いていたこともあって騎兵部隊の損害そのものは小さいが、敵の抵抗は未だ止まず、なかなか前進を成せない。

 騎士たちは馬を暴れさせ、馬上から得物を振るい、なんとか突破口を開こうとする。その中の一人、騎士ギュンターも、大ぶりな剣を軽々と振り回して暴風のような攻撃をくり広げ、目の前の敵集団を蹴散らす。

 次の瞬間。右側の足元の僅かな死角からくり出された槍が、顔の左側面を掠った。運良く敵の奇襲が外れたのかと思ったが、槍をくり出した敵兵は身体を左側に捻るように槍を振るい、ギュンターの胴に柄をぶつけてきた。

 体重の乗った打撃を受け、さらに槍の柄に押され、ギュンターは体勢を崩す。そしてそのまま落馬し、地面に転がる。


「ちっ!」


 長く倒れたままでいることはせず、ギュンターは即座に立ち上がり、剣は落馬の際に落としてしまったので予備武器の短剣を抜く。そして、落馬させた自分をそのまま仕留めようと迫ってきた敵兵を迎え撃つ。

 意外にも、敵兵はどうやらファルギエール伯爵の部隊の兵士ではなかった。偶然近くにいて参戦してきたようで、装備を見るに正規軍人ではない。が、騎士を落馬させる技量や、やけに戦い慣れた槍の振り方からして単なる徴集兵でもない。

 傭兵か。あるいは、軍隊経験のある志願兵の類か。弱兵ではなく武器の間合いでもこちらが不利だが、それでも自分の敵ではない。


「でやああああっ!」


 怒声を上げて突進の構えを見せると、敵兵はそれを防ごうと、低い姿勢から槍を突き上げるようにくり出してくる。なかなか鋭い刺突だったが、ギュンターは冷静に躱してその柄を掴み、短剣で力任せに叩き折る。

 そのまま敵兵に体当たりをくり出して引き倒すと、振り上げた短剣を胸のど真ん中に突き刺す。確実に致命傷を与えた手応えがあった。

 敵兵は驚愕の表情でこちらを見上げ――そして、口を開く。


「……お前、ギュンターか?」


 呼ばれたギュンターは怪訝な顔になり、敵兵の顔を見返し、そして一層怪訝な顔になる。


「親父か?」


 今まさに自分が刃を突き立てたのは、自分が実家を飛び出した頃と比べて見違えるほど老けていたが、よくよく見ると実の父親だった。

 ミュレー王国の故郷を飛び出し、元傭兵の父から教えられた戦いの術と馬術を利用して自身も傭兵になり、それで永遠に縁が切れたと思っていた。戦場の只中で偶然の再会を果たすなど、予想だにしていなかった。


「なんでこんなところにいる」

「アレリア王の重税に耐えかねて、報酬に釣られて志願した。老いぼれの俺なら、最悪死んでも家族は困らないからな……お前、生きてたんだな」

「ああ、騎士になった。嫁と子供もいる」


 ギュンターが答えると、老いた父はどこか嬉しそうに笑った。


「そうか、ならいい」


 父は呟くように言って、その目から命の気配が消えた。

 ギュンターは短剣を引き抜き、立ち上がる。周囲を見回し、転がっていた自身の剣を拾う。


「おいギュンター、無事か?」


 そこへ駆け寄り、馬上から声をかけてきたのは騎士ヤーグだった。その右手には自身が駆る馬の手綱。そして左手には、ギュンターの馬の手綱があった。


「大丈夫です」

「それじゃあ行くぞ、こんなところでぐずぐずしてる暇はない」


 ギュンターはヤーグの言葉に頷き、幸運にも無事だったらしい大柄な愛馬の手綱を受け取り、素早く騎乗する。

 そして最後に、父の亡骸を振り返る。

 後悔も罪悪感もない。戦場で刃を交えた時点で個人的な一切は関係ないと、知人友人と戦うこともあった傭兵上がりの自分はそう割り切ることができる。それは元傭兵の父も同じであったことだろう。

 二度と会うつもりはなかったが、奇妙な再会を果たして最期にもう一度言葉を交わすことができたのは、まあ悪くはなかった。

 今は戦いの最中。前に向き直ったときには、ギュンターは戦いのことだけを考えていた。


・・・・・・


 フェルディナント連隊騎兵部隊は、立ちはだかる敵部隊の執拗な抵抗を削り続ける。

 一度落馬したギュンターも騎乗戦闘に復帰し、未だ全員が無事である大隊長オリヴァーの直属の小隊を中心に、百騎が力任せに敵を突き飛ばし、踏みつけ、斬り捨てる。

 それから長くはかからず、悪あがきを続けていたファルギエール伯爵の部隊は、損害が拡大しすぎて隊列を維持できなくなり、ようやく総崩れになる。もはや組織立った抵抗は叶わず、士気も挫け、為す術なく散り散りとなって烏合の衆の一部と化す。


「やっと散ってくれたか……どうする大隊長。隊列を整えて再突撃か?」


 ヤーグに問われたオリヴァーは、前方の様子を見て厳しい表情になった。


「いや。隊列は整えるが、再突撃については連隊長の判断を仰ぐ」


 フェルディナント連隊は、既に当初の突撃の勢いを失っていた。連隊にとって宿敵と言うべきファルギエール伯爵の精鋭部隊は、壊滅しながらもこちらの突撃を止めることに成功した。

 そして、ここは既に混乱極まる戦場の只中。じっくりと再突撃の準備をすることは叶わず、今から突撃を敢行しても当初のような突破力は得られない。

 さらに、左側面での激しい戦闘を受けてこちらの接近に気づいたのか、キルデベルトを囲む直衛部隊「王の鎧」の隊列が左側、すなわちこちらの正面に寄っている。この状況からこちらが最精鋭の敵部隊をひと息に突破することはおそらく不可能で、時間をかけて突破していてはキルデベルトに逃げられる。


「どうやら、アレリア王の部隊は迎撃準備を終えてしまったみたいだね。ロワールの精鋭たちの抵抗にも意味はあったか」


 オリヴァーの指揮の下で騎兵部隊が乱れた隊列を急ぎ整えていると、後方から進み出てきた連隊長フリードリヒが敵の方を向きながら言う。フリードリヒの後ろには、グレゴールとユーリカが並んでいる。


「如何いたしましょう、連隊長閣下」

「……僕たちはここまでだ。果たすべき役割は果たした」


 オリヴァーの問いかけに、フリードリヒは淡々と答える。

 フリードリヒはあらかじめ、こうなることも可能性のひとつとして想定していた。側面攻撃でキルデベルトを討ちとることができればそれに越したことはなかったが、こうして止められたとしても問題はない。

 戦場の北側の森、そちらに面する前衛左側面が最大の不確定要素になると、ファルギエール伯爵ならば考えないはずがなかった。森に潜む伏兵を排除するために奇襲部隊を差し向けた上で、失敗した場合に備えて自らが主君キルデベルトの左側面を守り、何が起こっても直接対応できるよう備える。自分が彼女の立場ならばそうする。

 フリードリヒのそんな予想通り、彼女は直属の部隊と共に立ちはだかり、そしてこちらの突撃の餌食となった。こちらの突撃は止められたが、最も警戒すべき敵将は戦いから脱落した。

 さらに、こちらの接近とファルギエール伯爵の部隊の苦戦を見て「王の鎧」は兵力を左側面へと偏重させた。相対的に、キルデベルトの正面や右側面の守りは薄くなった。


「後はディートヘルムに任せよう。彼なら成し遂げてくれる」


 戦場の反対側、南の端へと視線を向けながら、フリードリヒは微笑を浮かべて呟く。

 エーデルシュタイン王国側の陣、その左端でここまで温存されていたディートヘルム・ブライトクロイツ率いる騎兵部隊が、敵前衛の右側面より突入する様が遠くに見えた。勝利に向けた最後の一手となる突撃だった。

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