第150話 決戦⑩

 ユーリカとグレゴールが連携して敵指揮官を討つと同時に、本陣まで到達していた敵集団は撃退され、敵猟兵部隊はそのまま波が引くように退却し始めた。


「深追いは無用。弓兵と歩兵を一個中隊ずつ後方に残し、再襲撃への警戒と負傷者の手当てを。他の者は突撃用意」


 フリードリヒの命令で、連隊は再び突撃に向けて動き出す。

 フェルディナント連隊にとって因縁の敵となっていた猟兵部隊の指揮官をついに討ち、返り血にまみれたユーリカが、フリードリヒの傍らに戻ってくる。今は部下の一人である彼女とフリードリヒは視線を合わせ、一瞬だけ笑みを交わした。

 それからさほど時間もかからず、連隊は突撃に向けて隊列を整える。森の外まで進出した騎兵部隊が並び、そのすぐ後ろに歩兵部隊が続き、最後尾では弓兵部隊が横に広く布陣して援護の態勢をとる。フリードリヒと直衛の位置は、騎兵部隊のすぐ後方。

 副官グレゴールも、フリードリヒの傍らに戻る。先ほど猟兵部隊の指揮官への不意打ちとして投擲された彼の剣は、既に回収されて再び彼の手の中にある。


「閣下。いつでもご命令を」


 フリードリヒは忠実な従士長の言葉に頷き、そして敵本隊を見据える。

 敵前衛の徴集兵たちの混乱は未だ続いている。むしろ、より酷くなっている。

 そんな中で、ある程度の秩序を維持しながら前衛左側まで進出している正規軍部隊があった。掲げられている旗には、獰猛な捕食者である梟の意匠。ファルギエール伯爵家の家紋。

 これまで直接的にも間接的にもフェルディナント連隊と戦ってきたアレリア王国の智将。不思議な因縁を抱える強敵。彼女の率いる部隊が目の前に立ちはだかろうとしている。

 この状況を前に、フリードリヒは不敵に笑んだ。

 これもまた狙い通り。内心で呟きながら剣を高く掲げ、そしてその切っ先を敵の方へ向ける。


「突撃!」


 英雄らしさの見せどころと、ここばかりは連隊長の自らが力強く声を張る。その命令を受け、騎兵部隊が突撃を開始。フリードリヒたちも馬を駆ってそれに続き、さらに歩兵部隊が鬨の声を上げながら続く。

 そして、後方からは弓兵部隊による援護の斉射が飛ぶ。

 突撃の先にあるのは、敵前衛の左側面。そこでは徴集兵たちが混乱しながら逃げ惑うばかりで、組織立って迎え撃つことは叶わない。

 もはや烏合の衆と言うほかない人の群れ、その横腹を矢の正確な曲射が襲う。数回の斉射で少なくない人数が倒れ、崩れたその間隙へと、百騎による騎乗突撃が成される。

 大質量の進撃が、無力な人の群れを容易に踏みにじり、粉砕しながら進む。馬上の騎士たちが剣を抜いて振るう必要すらない。突撃を受けてますます恐慌した敵徴集兵たちは、背中を向けて逃げながら互いに押し合い踏み潰し合い、自壊していく。まともな障害物にもなり得ない。


「敵兵は無視して進め! 目指すは敵の総大将、覇王キルデベルトだけだ!」

「「「応!」」」


 フェルディナント連隊という名の槍、その穂先となった騎兵部隊、その先端である先頭中央を駆けながら、大隊長オリヴァーが吠える。それに、騎士たちが勇ましく応える。決戦に先立って配属されたばかりの新米騎士たちも、懸命に先達たちについてくる。

 ヤーグやギュンターをはじめ直属の小隊に周囲を囲まれながら、オリヴァーは騎士たちに指示を飛ばしつつ進路を調整し、敵徴集兵の混乱の波に閉じ込められているアレリア王家の旗に向けて突撃を続ける。騎兵部隊が敵陣の只中にこじ開けた間隙に、連隊長フリードリヒを要する本陣直衛、そしてさらに後ろに歩兵部隊が続く。

 このまま敵将のもとへ到達するかに思われたフェルディナント連隊の進路上へ、しかし未だ秩序を保った精鋭部隊――ツェツィーリア・ファルギエール伯爵率いる一隊が立ちはだかる。


・・・・・・


 自身が差し向けた猟兵部隊による奇襲を乗り越え、突撃してきたフェルディナント連隊を前にしても、ツェツィーリアは驚かなかった。

 小勢の猟兵による奇襲が、必ず成功するなどと楽観的に考えていたわけではない。足止めしきれない可能性を想定していたからこそ、ツェツィーリアは直属の部隊をこの前衛左側面まで進出させていた。イーヴァルたちはしくじったが、彼らがいくらか時間を稼いでくれたおかげでこちらは目指した位置まで進み、敵を迎え撃つことができる。


「総員、敵部隊との激突に備えよ! ロワール兵の戦列の堅牢さ、存分に見せつけてやれ!」

「「「おおっ!」」」


 険しい表情に攻撃的な気迫を纏いながら、ツェツィーリアは叫ぶ。それに、歩兵を中心としたロワール地方出身の精鋭部隊が獰猛な声で応える。

 王家を失って併合されたロワール地方において、旧王国の時代から武門としてその名を轟かせるファルギエール伯爵家は、今なお残る数少ない栄光の証。その家名を継ぎ、その家名にふさわしい戦功を示してきたツェツィーリアに対する、旧ロワール王国軍人の信頼は厚い。

 誇るべき家名を受け継いだ将の下で、彼らは強固な戦列を組む。歩兵による堅い陣形を切り札としてきた旧ロワール王国軍の強みを発揮し、隙のない槍衾を作る。

 混戦の只中を迅速に移動するために盾は装備させていないが、それでも練度の高い精鋭が密集して槍を並べれば、百騎程度を迎え撃つには十分。騎乗突撃を前にして逃げ出さないだけの度胸も彼らは有している。

 勝てる。ここで敵を止める。ツェツィーリアは確信しながら、迫る敵部隊に視線を向け――そこで僅かな違和感を抱き、一瞬の後にその違和感の理由に気づく。

 突撃隊形の先頭を担う敵騎兵部隊、その中でも最前列に並ぶ騎士たちが、剣を抜いていない。逃げ惑うだけの徴集兵が相手ならばともかく、機能的に動く精鋭の正規軍部隊を前にしてはあり得ないこと。

 あのフェルディナント連隊が意味もなくそんなことをするはずがない。であれば、連隊長フリードリヒ・ホーゼンフェルト伯爵による何かの策に違いない。

 そう思った矢先、最前列の敵騎士たちは馬の鞍に括りつけていたらしい何かを一斉に取り出し、何かを乗せ、こちらに向ける。距離が遠いのでそれが何なのかは分からない。

 が、推測はできる。自分がホーゼンフェルト伯爵ならば、突撃の先頭を担う騎士たちにわざわざ何かを持たせるとしたら、それは飛び道具だ。


「警戒を! 敵は何かを――」


 ツェツィーリアが呼びかける間もなく、数瞬のうちにさらに接近してきた敵の手元から、一斉に矢のようなものが放たれた。敵が近づいたことで手元も見えやすくなり、その手には小さなクロスボウのようなものが握られていると分かった。

 敵の援軍、帝国軍弓兵部隊が使った漆黒弓。あれの技術を流用した、片手で撃てる大きさで十分な威力を誇るクロスボウがあるとしたら。帝国がそのようなものを作っていたとしたら。

 これまで噂のひとつも聞こえていないということは、未だ表に出していなかった試作品。であればエーデルシュタイン王国に供与された数も少ないはず。そんなものを実戦投入するとしたら、自分ならば――確かに、騎士による馬上からの不意打ちに使い、立ちはだかる槍衾の打破を試みるのが有効と考えるだろう。ホーゼンフェルト伯爵が考えたことも同じか。


 瞬時にこれだけの考察を巡らせたところで、矢は既に放たれた。対処する術はない。

 攻撃してきたのは敵騎兵部隊のうち前列の数十人程度。数で言えば多くはない。

 しかし、盾を持たないこちらの歩兵に対して、それは十分に有効な攻撃だった。矢を受けた数十人が倒れ、その周囲にいた者たちは怯んだ。いくら騎乗突撃を受け止める度胸があるとはいえ、遠距離攻撃を受けるとは予想だにしていなかった彼らは、動揺を抑えきれなかった。

 地道な訓練の成果として完璧な間隔と角度で揃えられていた槍の壁が、崩れた。矢を受けた兵士たちは槍を取り落として自身も倒れ、他の兵士たちは己の怯みに釣られて槍を下げ、あるいは驚愕に釣られて上げた。

 そうして槍衾に生まれた大きな隙を、フェルディナント連隊騎兵部隊が逃すことはない。大陸西部においても随一の強固さを誇るはずのロワールの槍衾は、その真価を果たすことなく崩壊する。

 陣形の最前列が敵の騎士たちに踏みつぶされ、以降の列も騎乗突撃の突破力には耐えられなかった。兵士たちを強引に蹴散らしながら、騎士の群れが迫ってくる。

 前衛で戦列を組む歩兵たちへの信頼の証として、ツェツィーリアとその直衛は彼らのすぐ後ろにいた。前衛が突破されれば次に飲み込まれる位置にいた。退避しようにも、この混乱した戦場の只中で、高速で迫る騎士の群れから今さら逃れることなどできない。


「っ!」


 百の騎士が数百の歩兵を引き連れ、破壊力を持ったひとつの巨大な塊となってツェツィーリアに迫ってくる。

 終わるのか。これほど呆気なく。

 自分は敗けたのか。憎き仇の養子に。フリードリヒ・ホーゼンフェルト伯爵に。

 湧き起こる本能的な死の恐怖に顔を歪めながら、ツェツィーリアはそれでも敵を睨みつけ――迫る騎士たちの隊列の隙間から、見た。

 敵騎兵部隊の最後尾あたり、掲げられたホーゼンフェルト伯爵家の旗の下、よく目立つノウゼンハレンの意匠を刻んだ鎧を纏って駆ける深紅の髪の青年を。

 その瞬間、理解した。


「…………あぁ」


 フリードリヒ・ホーゼンフェルト。名前は知っていたが、その容姿については知らなかった。これまで戦場で因縁めいた戦いを重ねながらも間近で相まみえたことはなく、聞こえてくる噂は「英雄に見出された孤児上がり」という出自の異色さばかりが話題になったもの。

 知らなかった。彼が深紅の髪を持つことは。

 髪の色が同じ。ただそれだけ。何らの確証があるわけではない。しかし、理解した。 


 あれはマクシミリアンだ。私の弟だ。


 だとしたら。だとしたら――――運命とはなんと皮肉で、神とはなんと残酷なのか。


「閣下!」


 己を盾にせんと前に出たセレスタンに庇われながら、ツェツィーリアはただ呆然と立ち尽くす。

 迫る死を前に加速する思考の中で、脳裏を巡るのはただ弟のことだけだった。

 自分が主役だと思っていた。かつての祖国の消滅を乗り越え、家族の仇を追い求めながら、将として成り上がっていくこの自分こそが。

 だが、違ったのだ。自分はただの敵役で、きっとマクシミリアンが、いや、今ではフリードリヒという名を持つ生き別れの弟こそが主役だったのだ。歴史に刻まれるこの戦いの。後世に語られるこの物語の。

 真実を知り、しかしそれも今さらだ。全てがあまりにも遅すぎる。

 それでも不思議と後悔はなかった。穏やかな諦念だけを抱きながら、ツェツィーリアはフリードリヒの姿を目に捉え続ける。

 そして視線がぶつかり合う。弟も今、こちらを見ている。おそらくは、ただ養父の仇である敵将として、実の姉をその視界に捉えている。

 ツェツィーリアは微笑を零す。

 それでいい。お前は何も知らなくていい。過去に囚われ、復讐に執着し、最期は虚しく散っていく私のような人間にはならなくていい。


 生きていてくれてよかった。


 敵騎兵部隊の陰に隠れ、フリードリヒの姿は見えなくなる。僅か数秒の邂逅を終え、ツェツィーリアは空を見上げ、息を吐く。


「嗚呼、私は――」


 私は。

 六歳の少女だったあの日の私は。

 ただ、愛する家族ともっと一緒にいたかった。それが唯一で、それが全てだった。


 破壊に飲み込まれ、ツェツィーリアの姿は戦場の中に消えた。

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