第149話 決戦⑨ 森の戦い(後)

 十人ほどの敵猟兵が味方の二個大隊による攻撃を潜り抜けて本陣まで到達したことには、フリードリヒもさすがに驚かされた。

 そちらを振り返ると、敵猟兵の一隊を率いているのは例の、異常なまでに腕の立つ指揮官。彼について来られる精鋭ならば、確かにここまで辿り着き得るだろうと考える。指揮官の胴鎧には、前回の戦闘時まではなかった家紋らしき意匠。これまでの戦功によって傭兵からアレリア王国貴族の仲間入りを果たしたか。

 フリードリヒが命じるまでもなく、グレゴールと、ユーリカを含む本陣直衛の騎士たちが即座に迎撃に臨む。さらには突撃に備える前方の第一歩兵大隊のうち、最後尾にいた一個小隊が、さすがに静観していられなかったのか加勢する。

 くり広げられるのは激戦。さすがはここまで辿り着いた精鋭揃いか、敵猟兵は一人ひとりが手練れだった。直衛の騎士たちはともかく、新兵も含む歩兵小隊ではやや力不足。死傷者が続出する。三十数人と十数人の戦いで、しかし足場の悪い森の中の白兵戦では、数で劣っているはずの敵を圧倒しきれない。

 なかでも厄介なのは、やはり指揮官の男。当初はグレゴールと激突した敵指揮官は、しかし部下が二人がかりでグレゴールに襲いかかって牽制し始めたのをいいことに、強敵である彼の傍を離れてこちらへの接近を試みる。歩兵たちが半包囲し、止めにかかるが、数人がかりでも足止めが精一杯の様子だった。

 機を逃せば敵本隊への側面攻撃の効果が薄まる以上、前方を向く歩兵第一大隊の突撃態勢をあまり崩させたくない。しかし突撃の前に連隊長の自分が首を取られては意味がない。もう一個小隊ほど加勢に回すべきか。

 フリードリヒが判断に悩んだ数瞬で、戦況は動く。敵指揮官が恐るべき猛攻で自身を囲む歩兵を蹴散らし、その半包囲を突破する。


 そして、こちらへ向かってくる。

 後方へ顔を向けていたフリードリヒは、今度は身体ごと振り返る。その手に握られているのは、装填済みのクロスボウ。

 視線とクロスボウの先端が一直線になるよう顔の傍で構え、真っすぐ迫ってくる敵指揮官に狙いを定める。

 そのまま引き金を引く――刹那。敵指揮官は上体を捩った。フリードリヒがそれを認識したときには、既に引き金にかけた指が動いていた。

 放たれた矢は敵指揮官の胴鎧を掠り、それで軌道が変わって斜め上方へ飛ぶ。外れた。

 ここまでが全て一瞬のこと。敵指揮官はおそらく勘だけを頼り、フリードリヒが矢を放つのと同時に身を捩らせ、結果的にクロスボウの高初速の矢を避けた。あまりにも人間離れした業だった。

 フリードリヒは舌打ちを零し、クロスボウを投げ捨てる。再装填が間に合うはずもない。

 そして、剣を抜く。騎士に叙任されると同時に、亡き父より授けられた剣を構える。

 敵指揮官はグレゴールとユーリカを同時に相手取って戦えるほどの、化け物じみた手練れ。対する自分は、これまで地道に鍛錬を積んではいるが、それでも騎士としての腕は並以下。

 果たして自分はこの敵を相手に、一撃一秒でも耐えることができるのか。

 剣を握る手に力がこもり、表情は自然と険しくなる。

 敵指揮官が山刀を振りかざしながら、今まさに斬りかかってくる――その背後から、跳躍しつつ半回転し、その勢いに乗って凄まじい斬撃をくり出すのはユーリカだった。

 回転に合わせ、彼女の長い髪がまるで黒い花弁のように広がる。その隙間から、獰猛に光る瞳が覗く。まるで獣のように凶暴で、恐ろしげで、そして美しかった。

 フリードリヒに狙いを定めて意識を集中していたらしい敵指揮官は、ユーリカの斬撃が首筋に到達する寸前に、しかし気配を感じたのか身を伏せる。空気を切り裂く音まで聞こえるほどの鋭い一撃は、敵指揮官の髪の先端を切るだけに終わる。

 しかし、敵指揮官のフリードリヒに対する攻撃は不発に終わり、結果的にフリードリヒは助かった。フリードリヒの目にはユーリカが守護天使に見えた。自分だけの黒い守護天使に。


・・・・・・


 そして、ユーリカは敵猟兵部隊の指揮官との戦いに臨む。

 やはりと言うべきか、敵指揮官は恐ろしく手強い。一つ一つの攻撃が鋭く、剣と山刀の刃が激突したときの衝撃は凄まじい。加えて、極端に身を伏せての足払いや、木の幹を蹴り上げながらの跳躍など、変則的で邪道な攻め手を展開してくる。

 それに対し、ユーリカも同じく邪道な戦い方で立ち向かう。猫のようにしなやかに動き、予備動作の極端に少ない攻撃で敵の急所を襲い、決定打を狙う。

 しかし、敵指揮官は尋常ならざる勘を発揮してそれら全てを防ぎ、次の瞬間にはまた恐ろしく鋭い攻撃に移る。こちらが攻める時間よりも、守りに徹する時間の方が明らかに長い。

 白兵戦においては天才。そう評されてきたユーリカも、全神経を集中させなければ時間を稼ぐことすらできないと感じた。一瞬でも気を抜けば敗ける。そう本気で思った。

 それでも。


「――っ!」


 猛攻の僅かな隙間を縫うように刺突をくり出すと、敵指揮官は防御に転じ、その数瞬を逃さず攻撃を畳みかける。

 敗ける気はさらさらない。背後には守るべき人が、愛する人がいるのだから。

 フリードリヒ。私のフリードリヒ。

 ボルガの孤児上がりから英雄の後継者になったあなたが背負う重責、抱く覚悟、その全てを正確に想像し理解することは、私にはできない。きっとこの先も。

 だからせめて、あなたのいる場所に一緒にいるし、あなたのすることを一緒にする。これからもずっと。

 あなたは言ってくれた。結婚してほしいと。妻になってほしいと。愛していると。

 だからこの決戦を勝ち抜いて、生き抜いて、あなたと結ばれる。あなたと同じ家名を名乗り、あなたの伴侶として、永遠にあなたの傍に寄り添う。

 誰にも邪魔はさせない。この先あなたと私の前に立ちはだかる全てを斬り伏せ、殺す。そのために私はあなたの剣になる。私が戦う理由はそれだけで十分。

 今ここで目の間に立ちはだかり、あなたを狙うこの敵も、殺す。どれほど手強くても、この手で必ず殺してみせる。


「ちぃっ!」


 ユーリカの連撃を煩わしそうに振り切った敵指揮官は、数歩後退して体勢を立て直す。その隙を突いて無理に攻め込むのではなく、ユーリカは自身も後方へ、フリードリヒの目の前まで下がる。

 彼我の距離が一時的に開き、睨み合う。

 そして敵指揮官は再び山刀を構える。次の激突に備える。

 ユーリカは考える。決死の覚悟で戦うこちらに対して、敵指揮官は未だ余裕さえ保っている。実力でも体力でもこちらが劣る。このままでは埒が明かない。

 状況を打破する一手はないか。一呼吸の間に周囲に視線を巡らせると、脳裏に浮かんだのはずっと前、まだ騎士の叙任を受ける前、従士長グレゴールより日々訓練を受けていた頃のこと。グレゴールから与えられた教え。

 剣を投げるのは、本当に追い詰められて切羽詰まったときの最後の手段。

 つまり、いざというときは剣を投げてもいい。

 例のごとく最小限の予備動作で、ユーリカは持っていた剣を鋭く投げた。


「っ!?」


 おそらく再びの剣戟にのみ備えていたのであろう敵指揮官は、想定していた間合いを超えて飛んでくる剣を前に、さすがに驚いた様子だった。

 その一瞬の隙にユーリカは再び動き、予備の武装である短剣を抜き、逆手に構えて駆け出す。剣の後を追うように敵指揮官に迫り、そして跳躍する。


・・・・・・


 なんと無謀な一手を。

 目の前の敵、以前にも二度剣を交えた若い騎士の馬鹿げた攻撃に、イーヴァルは驚愕と同時に呆れを覚える。

 確かに、ここでいきなり剣を投げつけてくるとは予想外だった。度肝を抜かれた。

 しかし、鋭く飛んでくるとはいえ、所詮は人の手で投げられた剣。勘を頼りに矢を避けることと比べれば、防ぐのは容易い。

 獣じみた反射神経を活かして山刀を振るい、冷静に剣を弾き飛ばす。そして、短剣を逆手に握って髪を振り乱しながら飛びかかって敵騎士を冷静に待つ。刃を正面に向けて構えながら。

 跳躍した時点で、敵騎士はそれ以上の軌道変更ができない。こちらの刃に自ら飛び込んでくるようなもの。得物の間合いでも腕の長さでもこちらが有利。敵騎士の短剣がこちらに届く前に、この愛刀が相手の心臓を革鎧ごと貫くだろう。


 勝った。そう確信した次の瞬間――山刀を構えるイーヴァルの右腕が吹き飛んだ。


 思わず手元に視線を下ろすと、右腕は肘から先が消え、握っていた山刀ごと切り離されて宙を舞い、切断面からは血が噴き出していた。そして左腕には剣が食い込み、刃が肉と骨の半ば以上までを切断した状態で止まっていた。

 側面の死角から別の剣を投げつけられたのだと、気づくのに一瞬の時間を要した。

 イーヴァルが右を見ると、そこにいたのは例の、ホーゼンフェルト伯爵の側近である壮年の騎士だった。その手には剣はなく、姿勢を見ても、たった今剣を投げつけてきたのは彼だと分かった。

 そして正面に向き直る。あの若い騎士は今まさにこちらに到達する。

 山刀はなく、右腕もなく、左腕は動かない。敵の攻撃を防ぐ術がない。


「はあああああああああっ!」


 獣じみた絶叫を上げながら飛びかかってきた若い騎士の短剣が、イーヴァルの首を捉えた。刃が根元まで差し込まれ、そして引き抜かれた。血が噴き出すのが熱さで分かった。

 若い騎士が飛び下がり、イーヴァルは膝から崩れ落ちた。

 身体が傾き、周囲が視界に入る。やはり多勢に無勢だったか、あるいは戦闘に時間を食われて突撃の勢いを削がれたためか、ここまで伴ってきた猟兵たちは攻めあぐねて前進が止まっている。

 そして指揮官の自分はもう死ぬ。ホーゼンフェルト伯爵を討つことは、もはや叶うまい。

 アハトがこちらを向いて血相を変えているのが見えた。イーヴァルは視線と、軽く首を動かす仕草で、退却するよう彼に伝えた。

 アハトも優れた戦士。主君はもう帰還できないとすぐに理解し、悔しげな顔で頷くと、仲間たちに向かって叫ぶ。退却を指示しているのだろうが、何と言っているのかはもう聞こえない。

 身体から命が抜け落ちていく。全ての音が遠ざかり、視界が白く霞んでいく。


「……」


 上出来だ。先祖代々の故郷を失いながらも、この大陸西部で新たな故郷を得た。ヴェレク族の皆に安住の地を与え、家族には爵位と財産を残した。まだ幼い息子が成長するまでは、アハトをはじめ信頼できる部下たちが支えてくれることだろう。

 決戦の行方は気になる。戦後アレリア王国が、ヴェレク男爵領と領民の皆が、どうなるのか心配でないと言えば嘘になる。

 だが、欲を言い出せばきりがない。少なくとも自分は、全てを失った状況から、ここまでは皆を導くことができた。上出来と思って許されるだろう。

 長く、苦しく、そして誇りある務めは終わったのだ。


 安堵に包まれながら、イーヴァルの意識は永遠に消えた。




★★★★★★★


『フリードリヒの戦場』書籍1巻、発売日から1週間が経ち、多くの方に手に取っていただいているようです。ありがとうございます。

WEB版、書籍、そして企画進行中のコミカライズなど、引き続き本作をどうぞよろしくお願いいたします。

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