第148話 決戦⑧ 森の戦い(前)
イーヴァル・ヴェレク男爵の率いる猟兵部隊は、開戦時、前衛左端の最後尾に置かれていた。
二万六千もの徴集兵から成る前衛、それが敵陣に向けて前進する喧騒に紛れ、こちらの陣形左側面の森へと密かに侵入。そのまま、事前偵察によって判明している森に潜む敵側の伏兵、その背後へと回り込んで奇襲を成すために駆ける。
大陸北部より渡ってきた時から百人ほども数を減じ、残り二百人強となった旧ヴェレク傭兵団の戦闘要員。そこへ、元猟師のアレリア王国軍人や、現役猟師の徴集兵の中から比較的優秀そうな者を合わせた合計で三百。敵に見つかる可能性が低く、なおかつ任務の遂行には必要十分な戦力を連れ、イーヴァルは音もなく移動する。
敵側の伏兵はおそらく、エーデルシュタイン王国軍フェルディナント連隊。ツェツィーリア・ファルギエール伯爵よりそう聞いている。イーヴァルたちにとっても因縁少なからぬ敵。大陸西部における最初の戦いでこちらの任務達成を阻まれ、先のアルンスベルク要塞攻略戦では敵側の連隊長マティアス・ホーゼンフェルト伯爵を討った。
新たに連隊長の職についたのは、マティアスの養子、フリードリヒ・ホーゼンフェルト伯爵だと聞こえている。あの日、帝国貴族ラングフォード侯爵夫人と令嬢を追う自分たちを退却せしめた敵側の若い騎士のことは、イーヴァルも覚えている。
そのフリードリヒ・ホーゼンフェルト伯爵こそが、イーヴァルたちの狙い。たとえ三百の兵力でも、後方から奇襲を果たせば連隊規模の敵を十分に混乱させられる。その混乱の渦中を突破し、連隊長フリードリヒの首を取れば、それで敵の伏兵によるこちらの本隊への側面攻撃は防げる。所詮は亡き英雄の威光に頼って形を保っている部隊、亡父の家名を背負った後継者さえ討てば、動きは止まるはず。
「隊長!」
先行させていた側近のアハトが、率いる斥候たちと共に前進を止めて森の中で待っていた。イーヴァルが駆け寄ると、アハトは前方を手で示す。
「この先およそ百メートル、敵部隊がいます。こちらの本隊側面へと突撃をすべく準備している模様。後方への見張りは立てているようですが、こちらは未だ気づかれてはいません」
簡潔な報告に、イーヴァルは頷く。
一気に前進して距離を詰めれば、途中で見張りに気づかれたとしても敵側が迎撃態勢を整える時間はない。本来は平原で戦うべき部隊が、森の中に布陣したことがそもそもの誤り。猟兵たるこちらにとっては獲物でしかない。
「総員、一斉に突撃。ここからは隠れる必要はない。全速力で進み、敵陣を突破しろ!」
そう命令を下し、イーヴァルは自らが先頭に立って走り出す。それにアハトが、そしてヴェレク族の戦士たちが、さらにはアレリア王国より借り受けた猟兵たちが続く。
こちらの方向を見張る敵兵を、イーヴァルも視認する。見通しの悪い森の中とはいえ、敵兵の方も堂々と前進するこちらの接近に気づいたようで、慌てて声を張って味方に報せている。
今さらもう遅い。足場の悪い森とはいえ、この距離ではこちらが到達するまであと何十秒もかからない。
勝利を確信しながらイーヴァルが疾走していると――敵後衛の弓兵部隊が突如として一斉にこちらを向き、そのまま矢を斉射した。
数百の矢が、木々の間を進むイーヴァルたちに襲いかかる。
・・・・・・
「後方より敵の猟兵部隊が接近! 兵力は二百から三百! 弓兵部隊が迎撃を開始!」
前方の連隊本部まで伝達された報告を聞いても、フリードリヒは驚かない。
戦場の北に位置する森が、伏兵を置くのに適しているのは明らか。正確な規模や部隊までは知られずとも、部隊がここに潜んでいることは斥候などを通して事前に察知されるものと、フリードリヒも当然に考えていた。
自分が敵の立場ならば、智将ファルギエール伯爵の立場ならば、森の伏兵を奇襲で潰すために部隊を送り込む。例の、大陸北部人による猟兵部隊をここで使う。
だからこそ敵もそうするものと見越して、後衛に置かれる弓兵部隊にはあらかじめ奇襲に備えさせていた。振り向けばすぐに組織立った遠距離攻撃を行えるよう、部隊を並べていた。
さらに、中衛に置いている歩兵第二大隊もまた、後方からの奇襲に対してすぐに応戦できるようになっていた。弓兵部隊と同じく後方を振り返り、あらかじめ定められていた隊列を組み、弓兵の間を埋めるように進み、敵との接近戦に備えられるように。
「騎兵部隊と歩兵第一大隊は現在の隊列を維持し、このまま突撃に備えつつ前方警戒。敵の奇襲部隊は小勢だ。このまま後衛と中衛だけで撃退する」
命令が各部隊に届けられる様を横目に、フリードリヒは自身も後方を振り返る。
敵猟兵部隊、その突撃の声が徐々に近づいてくる。
・・・・・・
連隊の隊列後衛では、今まさに弓兵部隊が懸命な攻撃を続けていた。
「放ち続けろ! 一兵でも多く足を止めろ!」
声を張るのは、弓兵大隊長ロミルダ。自らも弓を手に、迫る敵猟兵を撃つ。
元より騎士として、他のどの武器よりも弓に適性があったからこそ弓兵部隊士官となり、大隊長まで上りつめた身。たとえ森の中でも正確な一射を放ち、その矢は木々の間隙を抜けて一人の敵兵を直撃する。
そうやって弓兵部隊がいくらか損害を与えても、敵猟兵部隊の勢いは止まらない。いよいよ間近に迫ってきた敵を、今度は歩兵が迎え撃つ。
「仇が自らやってきてくれたのだ! 思う存分叩き斬ってやれ!」
「「「応!」」」
第二歩兵大隊長リュディガーが吠え、歩兵たちは力強く返す。槍を並べ、あるいは剣を構え、そして敵集団と激突する。
不整地での白兵戦においては敵に有利がある。だからこそ、歩兵たちは数人ずつ固まり、多対一の状況を作って戦う。
「敵を牽制し、歩兵部隊を掩護しろ! 可能ならば至近から射殺せ!」
「「「はっ!」」」
さらに、弓兵部隊も引き続き矢を放つ。次から次にやってくる敵兵を矢で牽制することでその突撃を散発的なものにさせ、歩兵部隊が余裕をもって対処できるようにする。ときには敵兵を目の前まで引きつけた上で直接矢を当てる。
先の戦いで模範とすべき先達たちを失った二人の大隊長は、今や自分たちが連隊の先任大隊長として果敢に部下たちを指揮する。それに応え、二個大隊が敵を次々に無力化していく。
確実に頭数を減らしながら、敵猟兵部隊はなおも前進を試みる。
・・・・・・
「進め! 雑魚は無視しろ! 本陣まで突き進め!」
イーヴァルは部下たちを鼓舞しながら、敵の攻撃を掻い潜って進む。
森の中では弓による遠距離攻撃は通りづらく、木々を盾にしながら進むことで損害を減らすことができるが、それでも、数百の矢が何度も降り注ぐとなればこちらも無傷とはいかなかった。少なからぬ死傷者を出しながら距離を詰め、そこではさらに敵歩兵が待ち構えていた。
さすがに実戦経験豊富な正規軍部隊となれば敵も練度は高く、兵が孤立しないよう立ち回り、隙が少ない。猟兵に有利な不整地とはいえ、楽に戦わせてはくれない。
しかし、イーヴァルたちは積極的には戦わない。立ちはだかる敵兵の間をすり抜け、それでも邪魔になる敵兵とだけ戦い、敵隊列のさらに奥を目指す。
本陣さえ落とせば。連隊長たるフリードリヒ・ホーゼンフェルト伯爵さえ倒せば。それで自分たちの勝ちとなる。後は指揮官を失った敵の混乱に乗じて逃げ去ればいい。
猟兵部隊は積極的には戦闘を行わず、敵兵の猛攻を潜り抜けながら進む。頭数を減らしながら、ときには一部が囮となって味方の突破口を作りながら、敵陣深くに入り込む。
そして遂に、イーヴァル率いる十人ほどの集団が敵弓兵と歩兵を突破し、本陣に到達。
そこで待ち構えていたのは、イーヴァルも以前に刃を交えた、ホーゼンフェルト伯爵の側近と思しき壮年の騎士。そして、やけに腕の立つ若い女性騎士。他にも、本陣直衛を務める精鋭の騎士たちだった。
「一兵たりとも通すな!」
「突破しろ! 大将首はすぐそこだ!」
伯爵の側近が部下たちに吠え、それに対抗するようにイーヴァルも吠える。
騎士の剣と戦士の山刀がいくつも激突し、殺意に満ちた硬質な音が響き、火花が散る。
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