第147話 決戦⑦

 その様を、フリードリヒは森の中から見つめている。


「……狙い通りだね。面白いほどに上手くいった」


 微笑のまま、そう呟く。

 悪魔の面が火を吐く仕組みは単純。面の裏には種火と、ふいごを改造した装置が取りつけられている。そして面の下に取りつけられたそりを繋ぐように、足場が造られている。

 足場の上に立つ兵士がふいご型の装置を押すと、その中に入っている蒸留酒が種火を通して面の口から噴き出される。火のついた蒸留酒はそのまま火炎となって、悪魔が口から火を吐き出したかのような光景を生み出す。

 たったそれだけの単純な仕掛け。それを演出するための改造馬車三台と、ホーゼンフェルト伯爵家の旗。これが、フリードリヒの用意した逆転の一手だった。


 元々、キルデベルト・アレリア国王がこの決戦に出張ってくることは分かっていた。覇王は隣国を征服する最後の戦いを、必ず親征としてきた。そのキルデベルトが、大陸西部の統一を成すためのかつてなく大規模な戦いで、自ら出てこないことはあり得ない。

 そして、戦場での布陣に関しては、おそらく智将ツェツィーリア・ファルギエール伯爵が重要な決定権を持つ。元よりキルデベルトに重用され、これまでに大戦果を挙げた彼女が、キルデベルトの参謀として布陣の概要を決めるだろう。

 であれば、フリードリヒとしては敵の布陣を読みやすい。これまで奇妙なほどに講じる策が重なったことを考えても、自分とファルギエール伯爵はおそらく思考の仕方が似ている。自分ならばどうするかを考えれば、自ずと敵の布陣も見えてくる。地の利を活かしてこちらが先に布陣し、敵がそれに対応して布陣するとなればさらに読みやすい。


 そのような前提の下で、エーデルシュタイン王国側の作戦は立てられた。覇王キルデベルトが親征に臨み、智将ファルギエール伯爵がフリードリヒと同じような思考で布陣を考える、その前提で戦い方を決めた。

 フリードリヒの予想は的中した。キルデベルトは戦場にやって来た。そして敵は、概ねこちらの予想通りに陣を敷いた。

 今回の戦場では搦め手を使わなければ落とせないような要害があるわけでもなく、先に布陣するエーデルシュタイン王国側に気づかれないよう伏兵を隠す場所もない。そして、数の上では圧倒的な有利を得ている。だからこそ、一気に力押しで攻めることで相手の小細工を許さないのが最も有効な策。先のことを考えると、まずは替えの利く徴集兵をぶつけて敵を消耗させ、損耗を抑えたい正規軍人はとどめの戦力として投入するのが得策。

 フリードリヒは敵側の視点に立ってそう作戦を考え、敵側はおそらくはファルギエール伯爵の判断の下、同じ作戦をもって攻めてきた。


 それによって、エーデルシュタイン王国側の作戦も動き出した。

 まず、前衛の歩兵部隊が敵の力押しの攻撃を受け止める。後衛の弓兵部隊がそれを援護する。こちらの軍勢がいかに士気高いと言えど、いつまでもその士気を維持したまま敵の猛攻を受け止め続けるのは難しい。だからこそ、女王クラウディアが前に出て皆を鼓舞する。伝説的な戴冠式によって皆の支持を得たクラウディアが、女王自ら戦場の最前面に身をさらすことで騎士と兵士たちの士気を維持させ、軍勢の崩壊を食い止める。

 前衛が士気を保ち、帝国からの援軍をはじめとした後衛の弓兵部隊が全力で援護すれば、陣形が長時間維持される。敵側の予想を遥かに超えて、こちらの軍勢は持ちこたえる。

 そうなれば、覇王キルデベルトも状況を打破するため、どこかの段階で後衛の正規軍人を投入してくる。戦場の最前面にクラウディアがおり、その首を取る絶好の機会でもあるとなれば、おそらくは早い段階で正規軍部隊、それも精鋭の投入を決断するだろう。あえて悪い言い方をすれば、こちらは女王を餌に敵の切り札となる精鋭部隊を釣り出すことができる。

 さらに、場合によってはキルデベルトがクラウディアに対抗心を燃やし、意地を張って自ら前に出てくることもあり得る。


 そうなれば、こちらは作戦を次の段階に進める。戦場北側の森に潜んでいたフェルディナント連隊が、悪魔の面を取りつけた改造馬車と、ホーゼンフェルト伯爵家の旗を森から出す。

 兵力輸送の負担を考えれば、敵側の徴集兵がロワール地方、特に東部の民から多く集められるのは必然。彼らはホーゼンフェルトの家名をひどく恐れ、そしてフリードリヒをユディトの悪魔だと噂し、やはり恐れている。それを利用して、冬の間には王家の間諜たちを使い、ロワール地方にユディトの悪魔の目撃談をいくつも作っておいた。

 過酷な戦場で消耗品として突撃させられ、いつ終わるともしれない死闘の中で負の緊張を強いられ、心が過敏になった敵側の徴集兵たち。ホーゼンフェルト伯爵家の旗と、ユディトの悪魔を連想させる恐ろしげな光景を見せれば、二つの恐怖が合わさって彼らに襲いかかる。一部の者が恐慌状態に陥って騒いでくれれば、後は勝手に恐怖と混乱が伝染していく。感情の高ぶった民衆は、何かひとつきっかけがあれば一斉に一方向に流される。

 万単位の徴集兵が揃って恐慌状態に陥れば、その混乱は凄まじいものになる。後衛から進出してきた数千の正規軍部隊も、混乱に巻き込まれて思うように身動きがとれなくなる。そうなればもはや組織立った戦いなどできない。今まで正面からの攻撃を受け止めるために奮戦を強いられていたこちらの前衛も、随分と陣形を守りやすくなるだろう。


 そうして敵の恐慌が十分に伝播すれば、戦いは佳境に入る。フェルディナント連隊は全軍で森から打って出て、敵の急所を狙い突き進む。二十二年前、エーデルシュタインの生ける英雄が生まれた大戦と同じように。

 後衛の精鋭を前に出したために守りが手薄になった敵本陣の側面を。あるいは、キルデベルトがクラウディアに触発されて自らも前に出ていた場合は、前衛の混乱の渦中で身動きがとれないキルデベルト当人を。側面からの突撃によって狙う。この場合は後者となった。


「……」


 敵陣前衛に恐ろしい勢いで混乱が広まっていく様を、フリードリヒは見つめる。部下たちの手前もあって余裕を装いつつ、握りしめた手には自然と力がこもり、額を汗が一筋流れる。

 成功してよかった、と心から安堵する。

 もちろん、このような奇策が成功する確証があったわけではない。しかし、戦場で講じる策は必ず賭けの要素をはらむ。今までもずっとそうだった。かつてボルガで民衆を鼓舞するために、大嘘をついたときから常にそうだった。

 父より受け継いだホーゼンフェルトの家名の威光と、敵国の民より拝命した悪魔の称号。それらを組み合わせることで、フリードリヒは敵徴集兵の心を砕く武器を得た。その武器を用いて自分は賭けに臨み、そして勝った。

 民の多くは、理屈ではなく感情で動く。己の命運を左右する局面でさえ、彼らは恐怖に支配されれば戦いから目を背け、現実から逃避する。ましてや、元より己のものではない侵略戦争で、心の内を襲う恐慌に耐えてまで戦い続ける精神力など持たない。


 そのことを、フリードリヒは知っている。民の中で育ち、かつて民の脆さを目の当たりにしたフリードリヒはよく知っている。


・・・・・・


「まったく、こんな滅茶苦茶な戦争があるものか……」


 自身にとって最も信頼のおける旧ロワール王国軍の精鋭部隊を率いながら、ツェツィーリアは呆れを隠さず呟く。

 敵国の女王クラウディア・エーデルシュタインは、自ら戦場の最前面まで出張って自軍の前衛を鼓舞し、力づくで戦列を維持するという大層な無茶をしている。本来はとうに崩壊していてもおかしくない敵軍は、異様な興奮を纏いながら戦い続けている。

 それに対してこちらの総大将キルデベルトは、女王を討ち取らんと後衛の精鋭を前に出してしまった。それどころか、自らも「王の鎧」を率いて前進した。おそらくは、クラウディアへの対抗心と覇王としての意地から。

 その結果、万単位の軍勢がぶつかり合う大会戦で、両国の総大将たる君主が互いの顔を視界に捉えるほどの距離まで迫っている。こんな戦い方は馬鹿げている。どちらも正気の沙汰ではない。

 とはいえ、君主の左側面、森に面した側を守る務めを与えられている以上、キルデベルトが前に出るのであれば自分たちも前に出ざるを得ない。邪魔な徴集兵の群れをかき分けながら、ツェツィーリアは苦労して馬を進める。

 馬上にいるので視線は高いが、右前方にいるキルデベルトの姿は「王の鎧」に囲まれていてよく見えない。そちらを注視しながら、自身の立場を庇護してくれる覇王が流れ矢などに当たらないことをツェツィーリアは願う。

 と、そこで異変に気づく。


「……おい、何だこの混乱は?」


 前衛の徴集兵たちが急に恐慌状態に陥り、騒ぎ出した様を前に、ツェツィーリアは訝しげな表情で呟く。恐慌は急速に、前衛の左から右へと広がっていく。足元を走り回る徴集兵たちがますます邪魔になっていく。


「閣下! あれを!」


 叫んだのは、副官である騎士セレスタンだった。彼が指差す方――左前方を見ると、森から何かが姿を現しているのが分かった。

 徴集兵たちが装備している粗末な槍、それが無数に揺れて視界を遮るのを煩わしく思いながら、ツェツィーリアは森の方へ目を凝らす。

 そこにあったのは、ホーゼンフェルト伯爵家の旗。その下には――巨大な悪魔の面が幾つか。


「……っ!」


 それを認めて数瞬で、ツェツィーリアは敵側の、あの旗の下か後方にいるであろう当代ホーゼンフェルト伯爵の策を察する。

 当代ホーゼンフェルト伯爵フリードリヒが「山から下りてきたユディトの悪魔」などとロワール地方の民の間で噂されていることは聞こえていた。その噂を利用し、悪魔の面とホーゼンフェルト伯爵家の旗で徴集兵たちの恐怖を呼び起こし、恐慌状態に陥らせたということか。


 してやられた。


 戦略や戦術に関しては、ツェツィーリアは強い自信を持っている。今回の戦いもそう。小戦力による側面からの奇襲などを受けても崩れない圧倒的な力をもっての攻撃を成すことで、敵の小細工の余地を奪った。

 しかしこれは何だ。物理的な攻撃や妨害ですらない。軍勢やその陣形ではなく、最も数の多い徴集兵の心をこんなかたちで狙いすまして攻撃するなど、奇策も奇策。邪道で自分を上回る者がいるとは。

 そもそも、あんな子供だましの手で易々と混乱させられるなど、徴集された民衆の何と単純で何と愚かで何と頼りないことか。学のない民とはここまであてにならないものなのか。

 こんなかたちで、アレリア王国が総力を挙げて揃えた大軍は崩壊するのか。危険な賭けに出てまで勝利を重ね、この有利な決戦の場を作ったのは自分だ。奇策に頼らず王道で勝利する権利を掴んだのは自分だ。それがこんな手に覆されるというのか。

 堂々と掲げられたホーゼンフェルト伯爵家の旗、そこに描かれたノウゼンハレンの意匠を、ツェツィーリアは見据え――その顔が憎悪に歪む。


「どこまで邪魔をする気だ! 殺したはずだぞ、英雄の亡霊が!」


 苛立っても喚いても状況が好転することはあり得ないのだから、いつでも平静を保つ。家族を失った幼少の頃から続けてきた態度さえ振り切って、感情を露わにしながら叫ぶ。

 歪んだ表情のまま、しかし心の中には冷えた部分を残して周囲を俯瞰。混乱する徴集兵たちはもはや烏合の衆。その恐慌に巻き込まれ、後衛より前進した精鋭たちも身動きが取れない。君主の直衛たる「王の鎧」でさえも、即座にキルデベルトの周囲で陣形を動かせる状況ではない。

 敵の次の策を予想し、副官を振り返る。


「セレスタン! フェルディナント連隊はこのまま側面攻撃に出てくる! 全力をもって国王陛下の左側面を守るぞ! 全隊前進を急げ! 邪魔な徴集兵は排除して構わない!」

「……御意! 全隊、前進を急げ!」


 これまで不気味なほど穏やかさを保ってきた将が、怒りと憎しみの感情をむき出しにした様を見たセレスタンは、むしろ喜色交じりに返した。伝えられた命令に、ツェツィーリアが信頼を置く精鋭たちも威勢よく応え、ますます勢いづいて前に出る。

 指揮官の怒気を見た部下たちの盛り上がりに、ツェツィーリアは気づかない。既に視線はホーゼンフェルト伯爵家の旗に戻っている。


「させないぞ、ホーゼンフェルト伯爵! お前の養父と同じ真似はさせない!」


 戦場北側の森が、この決戦において最大の不確定要素となることは分かっていた。敵側がここに伏兵を置くことは当然に予想していた。実際、事前に放った斥候より、部隊名や正確な規模は不明だが小勢が隠れていることは明らかになっていた。

 それがおそらく、当代ホーゼンフェルト伯爵フリードリヒの率いるフェルディナント連隊であると、ツェツィーリアは予想していた。

 だからこそ、あらかじめ手を打ってある。側面から小細工を為すつもりであろうフェルディナント連隊へ、さらに奇襲を仕掛けるべく手を打ってある。敵側に察知されないよう、戦いが始まってから戦場の喧騒に紛れさせ、こちらも小勢の別動隊を森に放っている。

 その別動隊は、そろそろ連中の背後に到達することだろう。まさかこんな奇策を用いられることは想定できず、惜しくも未然に防ぐには至らなかったが、こちらの大混乱に乗じてこのまま側面攻撃を成すことまでは許さない。

 フリードリヒ・ホーゼンフェルトの思い通りにはさせない。フェルディナント連隊をこちらの懐に突入させはしない。


 二十二年前の英雄誕生の戦記譚、その再演などさせてなるものか。

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