第153話 決戦⑬ 勝利の一手(中)
「おのれ! 我が国の騎兵部隊は何をしていた!」
怒りを露わに言いながら、キルデベルトは自陣の右翼側を向く。そこではアレリア王国の騎兵部隊が自軍の徴集兵たちによって動きを邪魔され、さらに敵側の援軍である帝国の騎兵部隊によって前進を阻まれていた。
「このままでは敵はこちらに到達します! どうか後方へ退避を!」
パトリックのその進言は理に適っていると、キルデベルトも頭では理解する。
敵陣左翼側にいる騎兵部隊の規模はおよそ八〇〇弱。こちらの前衛の大半を占める徴集兵はもはや烏合の衆であり、大規模な騎乗突撃を止める力などない。敵の勢いからして、間違いなくここへ到達する。
そして、自分の周囲にいるまともな戦力は「王の鎧」がおよそ千と、前方にいるロベール・モンテスキュー侯爵の部隊のみ。ロベールの部隊は中央正面の強固な敵部隊を潰すために一塊で前進を続けており、そして「王の鎧」は兵力を左に偏重させ、右側の守りが薄い。
烏合の衆でごった返すこの戦場の中、どちらの部隊も迅速な陣形移動は困難。右手前方から迫る敵騎兵部隊は、このままロベールの部隊の右翼側を削るように突破し、「王の鎧」の隊列が薄い右側面を食い破り、そして総大将たる自分を討ち取る。
高い確率でそうなると、頭では解る。しかし。
「ここまで来て下がれと言うのか! ふざけるな! これほどの大戦で、アレリアの王たるこの私が後方へ逃げ戻るなど断じて許されぬ!」
前衛が秩序を完全に失い、後衛から進み出た精鋭たちは身動きがとれず、後衛に残っているのは王国軍の中でも二線級の部隊と、信用度で劣る貴族の手勢のみ。弓兵部隊は数と装備で劣勢。
この状況で総大将たる自分が下がってしまえば、全軍が逃げ腰となり、敗北が確定する。アレリア王国の現在の総力を挙げたこの決戦で敗北すれば、侵攻の再開にどれほど時間がかかるか分からない。それ以前に、自身の覇王としての権勢が傾きかねない。
「どうかお願い申し上げます! 王家の未来、陛下と王太子殿下の御命のためにも!」
王太子の命に言及され、キルデベルトは傍らを振り返る。自らの意思でこの前衛まで随行してきた勇敢な王太子サミュエルが、しかし今は危機を前に不安げな表情で馬上にいる。
数瞬の間、継嗣の顔を見つめて思案した後に、キルデベルトはパトリックの方を向く。その顔はこれ以上ないほど険しく歪んでいる。
「後衛まで下がるぞ! 前衛に出た各部隊も可能な限り退却させろ!」
「っ! 御意!」
キルデベルトの決断に、パトリックは即座に答え、部下たちに指示を下す。一部の兵士たちが伝令として、前衛に進出した正規軍部隊だけでも無事に退却させるために混乱の最中を駆けていく。そして「王の鎧」のうち直衛として陣形中央に残っている数十騎が、キルデベルトとサミュエルを囲みながら後衛へと退却を開始する。
・・・・・・
「決して止まるな! 覇王の首はもうすぐそこだ! 駆け続けろ!」
敵前衛の只中を突き進みながら、ディートヘルムは吠える。
前衛を構成していた敵徴集兵は、既に兵とも呼べない烏合の衆でしかなく、騎乗突撃の前では脆い障害物にしかならない。その中に散り散りになって紛れる正規軍人たちも、まともな抵抗ができるはずもない。エーデルシュタイン王国の騎兵部隊は、大質量と高速が生み出す破壊力によって邪魔な敵兵を粉砕しながら、損害も軽微なまま覇王キルデベルトに向けて突き進んでいく。
こちらの接近の勢いを見て脅威と判断したのか、アレリア王家の旗が後退していく。すなわち、その下にいるキルデベルトと「王の鎧」たちが下がっていく。
「逃がすな! 覇王を仕留め、アレリアの侵略を終わらせるぞ!」
なおも疾走するディートヘルムたちの前に、ようやくまともな壁が立ちはだかる。掲げられた旗には狼の意匠。アレリア王国の名将として知られるロベール・モンテスキュー侯爵の部隊だと分かった。
混乱する前衛の只中、この短時間で全ての兵力がこちらの騎乗突撃を阻む位置に移動することはできなかったのだろう。眼前には数百人の歩兵がまばらに並び、そしてその中央では、モンテスキュー侯爵当人が率いる騎兵部隊およそ一〇〇が剣を構える。
「小勢だ! 突破しろ!」
言いながら、ディートヘルムは剣を構えて敵の隊列の中心、モンテスキュー侯爵を狙う。侯爵の方も指揮官狙いのようで、ディートヘルム目がけて真っすぐに突き進んでくる。その後ろに一糸乱れぬ動きの一〇〇騎が続く。さすがは名将の配下、騎士も精鋭揃いか。
瞬く間に両部隊が接近し、そしてその先頭、指揮官同士が一騎打ちに臨む。
勝負は一瞬だった。技術か、信念か、あるいは運か。何が勝敗を分けたのかは誰にも分からないが、結果として勝利したのはディートヘルムだった。モンテスキュー侯爵の横腹を切り裂いた確かな手応えを感じながら、そのまますれ違う。
後続の者たちも次々にぶつかり合い、すぐにエーデルシュタイン王国側が優勢となる。練度に関してはモンテスキュー侯爵の配下も極めて高いはずだったが、数と勢いで勝るエーデルシュタイン王国の騎兵部隊を止めるには至らない。
侯爵の騎兵部隊を突破したディートヘルムたちは、両側面から追い縋ってくる歩兵部隊も蹴散らし、さらに前進する。一連の戦闘でさすがに軽微とは言えない損害を負ったが、それでも未だ十全な戦力を保っている。その突撃は止まらない。
・・・・・・
「……」
敵側の騎兵部隊の長とすれ違いざまに剣で横腹を深く切り裂かれたロベールは、そのまま落馬して地面に叩きつけられ、傷口から血と臓腑が溢れる熱を覚える。
倒れて見上げた視界には、人の世の争いなど無関係に澄んだ空が広がっている。隻眼に映るその空も次第に霞んでいき、敵味方の殺し合う喧騒が遠くなっていく。
数多の戦場を駆けた自分の、どうやらここが死に場所らしい。
始まりは当代国王キルデベルトの父、先代アレリア王ジルベールの時代だった。アレリアが弱き国として領土と財産を奪われ、民の命を奪われるのが当たり前の時代だった。
奪われないためには強くなるしかない。主君であり友でもあった彼の信念を体現するため、ロベールは若き将として軍を鍛え上げ、周辺諸国に進軍し、そして征服を果たした。
友が歩み始めた覇道を、その継嗣であるキルデベルトも受け継いだ。ロベールは遺臣として、彼の覇道にも付き従った。国をひとつ征服するごとに、アレリア王国は不安定さを有しながらも確実に強くなっていった。亡き友の願いが現実となっていった。
ロベールはより苛烈になる戦いをそれでも勝ち抜き、より過激さを増していくキルデベルトにそれでも仕えた。アレリア王国の勝利のために身を捧げ、この片目も捧げた。今さら他の道など選びようもなく、選ぶつもりもなかった。
殺すばかりの生涯を送った。祖国を守ろうとしていた敵の将兵を数えきれないほど殺した。無辜の民を皆殺しにするよう部下たちに命じたこともあった。それが非道の振る舞いであり、拭い難い己の罪であるという自覚はある。今さら自分が神の御許にたどり着けるとは期待していない――それでも。
二人のアレリア王の覇道に身を捧げた自身の戦いが、一人でも多くのアレリア人の、一日でも長い安寧に繋がったのだと、そう信じたい。
「……唯一絶対の神よ。我らの罪を赦したまえ。我らは弱き者。戦うほかに生き抜く術を持たず、殺めるほかに守り抜く術を持たぬ者なり」
他国を侵略するための戦い。その最初の一戦に臨んだ日から、必ず唱えてきた祈り。それがロベールの最期の言葉となった。
聞き届ける者などいない、ロベール自身のための祈りだった。
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