第145話 決戦⑤

 エーデルシュタイン王国側の陣地の最左翼、丘の上に布陣するリガルド帝国の騎兵部隊。

 その指揮官であるチェスター・カーライル子爵は、戦況を俯瞰しながら、自身の手に力がこもるのを感じていた。

 この部隊の兵力は五百騎。それも重い金属鎧で全身を覆った者ばかり。この規模の重装騎士がいれば、ただそれだけで敵に大いに圧をかけることができる。エーデルシュタイン王国の騎兵部隊に加え、この丘の上に自分たちが布陣することで、敵騎兵部隊や後衛の精鋭部隊などが側面に回り込んでくるのを防ぐことができる。

 なので、帝国軍騎兵部隊はこの丘にいるだけで十分以上の役割を果たしている。女王クラウディア・エーデルシュタインより、そう伝えられてはいる。

 しかし。

 エーデルシュタイン王国の軍勢は、自分たちの友邦は、凄まじい戦いを見せている。女王自らが最前面に出ながら敵軍と激突している。自分たちと同じく援軍として参戦する帝国の弓兵たちも、後方から懸命に曲射で援護している。

 一方で自分たちが、丘の上で観戦を決め込んでいていいものか。皇帝家の威光を背負う帝国軍騎士と、帝国の誇りを体現するために自ら参戦した帝国貴族やその手勢から成る自分たちが。


「閣下」


 思案するチェスターに、直属の部下である帝国軍騎士の一人が声をかける。


「どうした?」

「複数の騎士より――主に貴族の面々より、参戦を望む声が上がっております。この部隊の戦闘への参加を強く求めるとのことです」


 それを聞いたチェスターは、後方の騎士たちを振り返る。

 帝国軍人も、貴族やその手勢も、皆が同じような顔をしていた。頼むから戦わせてくれ。そう言いたげな顔だった。

 その様を見て、チェスターは笑みを零す。

 帝国の騎兵部隊は、この丘の上にいるだけでもいいと言われている。

 同時に、チェスターは開戦前に、もうひとつ女王より言葉を賜っている。

 この決戦がエーデルシュタイン王国側の狙い通りに進行した場合の終盤、王国の騎兵部隊が敵陣に突撃する際、チェスターは自身の裁量でこの部隊を突撃に参加させることを許されている。臨むなら参加してもいいが、兵力の損耗を避けたいならば最後まで丘の上にいてもいいと。


「……帝国の誇り高き騎士諸卿!」


 五百騎に向けて、チェスターは呼びかける。


「これは帝国の戦争ではない! 故に、我らは直接の参戦を強制されてはいない! 我らがこの丘に存在すること自体が敵の行動を大幅に制限する戦術的成果を発揮しており、それのみで我らは役目を果たしているものと見なされる……しかし!」


 騎士たちが戦意を滾らせていくのが、空気から伝わる。そう思いながら、チェスターは言葉を続ける。


「友邦の軍勢が奮戦する中で、帝国の騎士たちは臆病にもただ後ろに立っていたと後世に語られたい者はいないはずである! 友邦の軍勢が命を散らす中で、帝国の騎士たちは命を惜しんでその背に隠れていたと、歴史書にそう記されたい者はここにはいないはずである!」


 そうだ、その通りだと、力強い応答が騎士たちから返ってくる。

 チェスターは腰の剣に手を触れる。騎士となった日からいくつもの戦場を共にした剣に。エーデルシュタイン王国の戦友と共に戦ったときも、この剣を振るった。


「この歴史的な大戦の勝敗が決する終盤、我らは友邦のために突撃する! 皆、覚悟を決めてその時に備えられたし!」

「「「応!」」」


 丘の上に、五百の騎士の声が響いた。


・・・・・・


「おのれ! 何故崩れぬ!」


 業を煮やしたように、キルデベルトは敵陣を睨みながら怒鳴った。

 二六〇〇〇もの徴集兵。逃げられないよう後ろには正規軍人を置き、右側面には騎兵部隊を置いた。その上で、士気を高めるために褒美を示した。騎士の首を持ち帰った者には金貨を。貴族の首を持ち帰った者には騎士の称号を。女王の首を持ち帰った者には爵位と、他にも望むままに好きな褒美を。

 王として、これまで提示した褒美は常に確実に与えてきた。慈愛からではない。兵を鼓舞して最大の戦果を得るためにこそ。

 これだけの褒美を提示して、何故戦果を示さない。これだけの数をぶつけているのに何故敵は崩れない。歴史的な親征が何たる無様か。

 敵の奮戦は国を守る覚悟の証だとでも言うのか。女王の加護を得ての勇気だとでも言うのか。そんなものがこの自分の覇道を阻むというのか。

 ふざけるな。


「モンテスキュー卿に伝令! 前衛に加わり、敵の陣形を崩せ! 王国軍の精鋭も前に出せ! 女王クラウディアは戦場の最前面にいる! あれを仕留めれば我々の勝利は決する! この機を決して逃すな!」


 覇王の命令で、アレリア王国の軍勢、その後衛が動き出す。

 それまで徴集兵が逃走しないよう後方を押さえていたロベール・モンテスキュー侯爵の部隊が、自ら前進を開始。その左右で同じく徴集兵の背後を塞いでいた王国軍精鋭部隊も、敵の女王を討ち取らんと前に出る。徴集兵たちを押しのけるようにして、敵味方がぶつかり合う戦場の最前面を目指す。

 その最前面を、そこで自軍を鼓舞する勇敢な女王を、キルデベルトは本陣から睨む。


「パトリック! 『王の鎧』を動かす! 私も前に出るぞ!」

「なっ!? しかし陛下!」


 国王を守る「王の鎧」の隊長として、パトリック・ヴィルヌーヴ伯爵は当然の難色を示す。


「敵の女王が勇猛にも戦場の最前面にいるのだ! こちらだけが最後まで安全な後方にいたなどと語られてなるものか! 大陸西部を統一する決戦は、覇王の伝説として後世に語り継がれなければならないのだ! 語り継がれるだけの戦いを私は示すべきなのだ! 何のための親征だ! これは王命である!」

「……御意のままに!」


 最終的に、パトリックは王の命令に応えた。


「陛下! 私も共に前へ!」


 そのとき。傍らから言葉を挟んだのは、戦場に伴っている王太子サミュエルだった。


「ルドナ大陸を制覇する偉大な父王の戦い、いずれ跡を継ぐためにも最も間近で拝見したく存じます! どうか共に前へ出るお許しを!」

「……いいだろう! ついてこい、我が息子よ!」


 覇王の世継ぎにふさわしき王太子たらんとするサミュエルに答え、そしてキルデベルトは自ら前進を開始する。「王の鎧」をその周囲に文字通り纏いながら、敵陣を――その最前面に立つ女王クラウディアのもとを目指す。

 ここまで来たのだ。あと一歩で、大陸西部の統一が叶うのだ。

 ここで敗北すれば、今までの戦いが無意味となる。先代国王の代より続く征服の歴史が無意味となる。そんなことが許されるはずもない。


「進め! 我らが偉大な勝利のために! 進むのだ!」


 各地方より招集した王国軍部隊と貴族領軍の混成部隊が最後の予備兵力として後方に残り、キルデベルトは精鋭たちを連れて進む。

 精鋭たちが押し上げることで、勢いの衰えていた前衛の徴集兵たちも前進を再開する。正規軍人と徴集兵の各部隊が戦場で入り乱れながら、敵を壊走させんと前に進む。


「進め! 我が覇道のために! 大陸統一に向けた、偉大な一歩を刻むために! 進めぇ!」


 覇王の濁った絶叫が、広大な戦場に響き渡る。

 できるだけ損耗を抑えるために決戦兵力として後方に留め置いていた精鋭たち。しかしこの段になっては出し惜しみなどしていられない。ここで勝てなければ意味がない。多少の損耗など知ったことか。

 かつてない規模でかき集めた徴集兵たち。しかし、所詮は中央より遠いロワール地方の民を中心に徴集した兵。どれほど損害が出ようと、たとえ壊滅しようと知ったことではない。三百万を超える王国民の、ごく小さな一部に過ぎない。

 全ては偉業のため。必要な偉業のため――二度と、アレリア王国が弱さを理由に虐げられないようにするため。

 強くなれば虐げられない。だからこそ自分は強国を築く。かつて大陸西部に存在した統一国家をも上回る、大陸全土を支配する超大国を築く。歴史に比類なき覇権国家を築く。

 大陸の全てがアレリア王国になれば、アレリア人はもう大陸の誰からも奪われない。

 そのために父が始め、自分が受け継いだ戦いだ。そのために多くの血を流し、どんな汚い手も許容し、冷酷に振る舞ってきたのだ。今さら多少の犠牲が増えたところで何だというのだ。将来生まれる数百万数千万のアレリア人を守るためならば、たかが数千数万の犠牲が増えたところで何だというのだ。


「進め!」


 剣を振り上げ、目を血走らせながら、キルデベルトは吠える。


・・・・・・


「おいおい、エーデルシュタイン女王の兜を矢が掠めたぞ……死んだのかと思った。なんとも心臓に悪い。まともに見てられないな」


 戦場から離れた、周辺より一際高い丘の上。遠眼鏡から思わず顔を離し、エドウィン・リガルドは呆れを隠さず呟いた。


「ですが、エーデルシュタイン女王の勇気ある前進と鼓舞に影響され、エーデルシュタイン王国側の士気は蘇っているようです。戦線を押し戻し始めています」


 エドウィンの隣で、こちらは遠眼鏡を片目に当てたまま筆頭秘書官ユリシーズが答える。

 再びエドウィンも遠眼鏡を覗く。心臓に悪いことこの上ないが、この目で見届けるためにわざわざ隣国の国境地帯まで出張ってきたのだから、見ないわけにはいかない。


「多少戦線を押し戻したからといって、勝利は遥か遠くであろうに……ああ、まだ前進するつもりなのかクラウディア殿は……っ、アレリア王まで前進しているではないか。ああ、ああ……まったく何という戦いだ」


 ただただ嘆くエドウィンの様子に、ユリシーズは遠眼鏡を覗いたままクスクスと笑う。

 これはエドウィンの知る大戦の形ではなかった。大軍勢の総大将というのは、もっと最後方でどっしりと構えているべきだというのがエドウィンの知る戦の常識だった。

 それがどうだ。友人である女王クラウディア・エーデルシュタインは敵の矢が降り注ぐ戦場の最前面まで出て、求心力と覚悟のみを己の武器としながら数的不利の状況を覆さんとしている。対するキルデベルト・アレリア国王も、精鋭を引き連れながら蛮勇という言葉では収まらない前進を為し、隊列の乱れも兵力の損耗も厭わない滅茶苦茶な戦い方を始めている。

 戦場を俯瞰しているべき両軍の総大将は、そのうち戦場の只中で邂逅を果たすのではないかと思えるほどに接近している。


「……あれが一国の君主の根性とでもいうのか? いざとなったら俺もあれくらいの無茶ができなければ駄目か?」

「ふふふ、そうかもしれませんね。そのような危機が訪れないことを願いましょう、殿下」


 ユリシーズの言葉に、エドウィンは嘆息で返した。


・・・・・・


「進め!」


 戦場の最前面に、なおもクラウディアの鼓舞が響く。女王の纏う気迫がそのまま乗り移ったように、エーデルシュタイン王国側の騎士と兵士たちは鬼気迫る奮戦を見せる。

 それでも、敵側も簡単には崩れてくれない。むしろ、後方に控えていた精鋭部隊が前に出張り、それに引っ張られるようにして敵徴集兵も勢いを盛り返す。鬼気迫る様があるのは敵側も同じだった。一致団結した勢いだけで押し勝てるほど、易しい戦いではない。


「陛下!」


 呼びかけてきたのはグスタフだった。彼を振り返ったクラウディアは、次いで彼が指さす方へと視線を向ける。

 そこに見えたのは、アレリア王家の紋章旗だった。すなわち、その下にはキルデベルト・アレリア国王がいる。旗の周囲にはアレリア王家の近衛隊たる「王の鎧」たちの姿も見える。

 覇王の誇り、いや意地からか、キルデベルトも自ら前に出てきたらしかった。

 紋章旗は「王の鎧」を引き連れて、徐々に徐々にこちらへ近づいてくる。

 やがて、「王の鎧」の騎士たちが並ぶその間隙から、一際豪奢な鎧を纏ったキルデベルトの姿が見える。騎乗しているために歩兵たちより高い位置にいるキルデベルトを、こちらも騎乗しているために視線の高いクラウディアは確かに見る。

 こちらから見えたのだから、あちらからも見えているだろう。万単位の軍勢を率いる両軍の総大将が、戦場で互いを視認できる位置まで近づくとは、我ながら何たる戦い方か。

 敵将。覇王。侵略者。討ち取るべき首。その方向を見据えながら、クラウディアは――不敵に笑んだ。


「やれ、新たな英雄よ」




★★★★★★★


『フリードリヒの戦場』書籍1巻、いよいよ明日に発売日を迎えます。

早いところでは既に店頭に並んでいるようです。

皆様どうぞよろしくお願いいたします。

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