第144話 決戦④

 バッハシュタイン地方守備大隊から戦場に参じている二個中隊は、最前面の一角に立ち、戦線を懸命に支えていた。

 その中には、旧公爵領軍騎士のフランツィスカたちもいた。経歴的に王国軍や貴族領軍の騎士からの印象が悪いフランツィスカたちは、騎兵部隊に加わらず歩兵として戦わされていた。


「隊長! 女王陛下です! 陛下がすぐそこに!」


 部下たちと共に必死に戦う小隊長フランツィスカに、副官ローマンが呼びかける。


「はっ? 何を馬鹿な――そんな、女王陛下!?」


 怪訝な表情でローマンの指さす方を振り向いたフランツィスカは、近衛隊に囲まれながら前進する女王クラウディアを目の当たりにし、思わず叫んだ。

 進め。女王はそう言いながら、自身もさらに前へ進んでいた。

 周囲の将兵に視線を巡らせながら、前衛の全体に響き渡るのではないかと思えるほど力強く声を張るクラウディアと――目が合った。気がした。


「す、進め! 小隊前進!」


 これまで後退を遅らせるのが精一杯だった部下たちに、それが無茶な指示だと考える余裕もなくフランツィスカは命じる。


「女王陛下がこちらを見ているぞ! ここで奮戦して戦果を挙げれば、それが我らの忠誠の確固たる証となる! この機を逃すな! 進め!」


 フランツィスカの鼓舞に応じて、小隊の士気は一気に沸騰した。元騎士たちだけではない。旧公爵領民である兵士たちも、自分たちが陰で裏切り者の大隊などと言われ、自分たちの故郷に悪印象が根強く残っていることを知っている。

 だからこそ、自分たちが奮戦する様を女王に見せるべく、今までよりも一層果敢に戦う。どこに力が残っていたのか自分たちでも不思議なほどに、まさしく獅子奮迅の働きを示し、これまでこちらを押し込もうとしていた敵を押し返す。

 その様を見かねたのか、敵前衛に少数配置されている士官――徴集兵ではなく指揮役の騎士が、馬を駆ってこちらを踏み殺さんと前に出てくる。


「邪魔をするなあああっ!」


 こんな奴に自分たちの汚名返上の好機を阻まれてたまるか。フランツィスカは絶叫しながら、ちょうど目の前にいたローマンの背を踏み台に跳躍し、馬上の敵騎士に飛びかかる。その勢いで敵騎士を馬から突き落とし、代わって自分が馬にまたがり、手綱を握る。

 地面に倒れた敵騎士に前脚が向くよう、馬を操る。兜の中でくぐもった悲鳴を上げる敵騎士をそのまま馬の前脚で踏み殺し、そして正面を向いて馬上で剣を掲げた。

 歩兵よりも遥かに高く、懐かしい視界だった。自分は騎士の証たるこの視界を、真に取り戻すためにこそ戦っているのだ。


「進め! 名誉を取り戻すぞ!」

「「「おおっ!」」」


 フランツィスカの尋常ならざる健闘を前に興奮した様子の部下たちが、勢いよく応えながら目の前の敵に斬りかかる。

 そしてフランツィスカは、再び女王の方を振り返る。先ほどこちらを見ている気がしたクラウディアも、今はもう前を向いている。

 女王は今の自分の活躍を見ていてくれただろうか。あるいは誰かが今の自分の活躍を見ていて、それを女王に伝えてくれるだろうか。

 きっとそうなる。フランツィスカは信じながら、馬を駆って敵陣に斬り込む。


・・・・・・


「ちくしょう! もう駄目だ!」

「こんなもん勝てやしねえ!」


 最前面で敵軍に最も押し込まれているのは、最も練度の低い徴集兵たちだった。正規軍人や傭兵の死傷による戦線離脱を埋めるために前に出てきた彼らは、しかし力及ばず後退を強いられ、生まれて初めての死闘を前に士気が挫けて逃げ始める者も少なくない。


「進め!」


 そこへ、気高い声が響く。彼らが振り返ると、そこには女王クラウディア・エーデルシュタインがいた。

 近衛隊と共に鎧を輝かせ、周囲に王家の紋章旗をはためかせながら、血と臓腑の臭いがはびこる戦場の只中に女王はいた。昨年の戴冠式の場に立ち会った者たちだけでなく、戴冠式を間接的にしか知らない者たちも、一目でそれが女王だと分かった。


「女王陛下だ! 俺たちを勝利に導く御方だ! 共に進むぞ!」


 周囲の徴集兵たち――指揮する小隊の兵士たちに叫んだのは、元王国軍騎士の志願兵ヴェルナーだった。自ら剣を掲げて前進しながらの鼓舞に、数人の勇気ある徴集兵が応える。

 応えたうちの一人は、ブルーノだった。


「だ、駄目だ! 逃げるな! 前に進もう!」

「本気で言ってるのかよ、ブルーノ!」

「これ以上こんなところにいたら……」

「それでも進むんだよ!」


 未だ怯えを振り切れない周囲の仲間たちに向けて、ブルーノは叫ぶ。少しでも気を緩めればすぐさま内心を満たそうとする恐怖心を必死に抑え、涙と鼻水に顔を濡らしながら叫ぶ。


「俺たちが逃げて、生き延びて、それで何になる!? 故郷まで攻め込まれたら、俺たちの家族がこんな目に遭うんだぞ! 俺の嫁さんと子供は絶対にあいつらに殺させない! だから進むんだ!」

「……くそっ! 分かったよ! 俺だって家族がいるんだ!」


 一人がブルーノと共に進む。間もなく、他の者たちもそれにつられて進み出す。

 その刹那。

 もう何度目かの矢の雨が、ブルーノたちのいる一帯に降り注いだ。混戦の最中で密度はさほど高くなく、しかし空気を切る鋭い音と共に矢が周囲を掠める瞬間は、命の奪い合いに不慣れな徴集兵たちをぞっとさせる。

 矢の雨が止み、ブルーノは自分の身体のどこにも矢が突き立っていないことを確かめる。見回すと周囲の仲間も無事で、その幸運に安堵しながら前に向き直り、そこでブルーノは血相を変える。


「た、隊長!」


 小隊長ヴェルナーが、胸と腹に矢を受け、膝をついていた。


「た、大変だ! 傷を――」

「進め!」


 狼狽えたブルーノに、ヴェルナーは怒鳴る。怒鳴りながら、自身が現役の騎士だった頃から使っている剣をブルーノに押しつけるように渡す。


「俺一人が死んでも戦況は変わらん! だがお前らが進まなければ戦争に負けるぞ! 俺に構わず進め! 命令だ! お前らも今は兵士だろう!」

「……っ! 行くぞお前ら! 進め!」


 ヴェルナーから剣を受け取り、それを掲げながらブルーノはまた前に向き直る。ヴェルナーが指揮してきた他の徴集兵たちもそれに続く。女王の鼓舞を得て、過酷な戦場の只中でそれでも士気を回復させて見せた者たちは、もはや簡単に挫けはしない。

 ヴェルナーの覚悟を継ぐように、自分たちだけで果敢に突き進む徴集兵たち。その背を見送りながら、ヴェルナーは小さく笑む。

 死に場所を探していた。娘を見送ったあの日からずっと。

 自分は生きて騎士を引退した。ロワール王国との大戦を生き残り、その後は小競り合いや盗賊討伐など小さな実戦を幾度か経験し、その全てで無傷のまま戦いを終え、そして隠居した。

 父さんは私の憧れだから。そう言いながら娘もまた騎士になった。そして、この戦争の緒戦で戦死した。

 娘は戦って死に、自分はまだ生きている。その事実にずっと苦しんできた。戦時体制に移った王都で徴集兵の訓練教官などを務め、自身にできる貢献を果たしながら、それでも娘への罪悪感はずっと消えなかった。

 そんな日々もこれで終わる。


「俺も戦場で死ぬぞ、ノエラ」


 亡き娘に呼びかけながら、血にまみれた戦場に倒れ伏す。

 それで、ヴェルナーの戦争は終わった。


・・・・・・


 近衛隊を率いるクラウディアは戦場を前進し続け、いよいよ最前面中央の最前列付近、アルブレヒト連隊歩兵大隊が守る位置まで到達した。


「アイゼンフート卿! 奮闘大義である!」


 クラウディアが馬上から声をかけると、こちらを振り返ったレベッカ・アイゼンフート侯爵が剣を大きく掲げて頷き、すぐに前へ向き直って戦いに戻る。

 精鋭の歩兵三百人は、その配置を考えると驚くほど少ない損耗で耐えているが、その場に踏みとどまる奮戦の結果として後退した左右の味方から取り残され、孤立し始めていた。


「近衛隊歩兵部隊! 加勢せよ!」


 クラウディアの命令を受け、近衛兵が即座に前面に展開。アルブレヒト連隊歩兵大隊を取り囲もうとしていた敵集団に斬りかかる。王国軍内でさらに選び抜かれた精鋭の近衛兵からすれば、徴集兵など雑魚。瞬く間に敵兵の数を減らす。

 近衛兵が戦列に加わったことで、アルブレヒト連隊歩兵大隊は負傷者を下げ、一息つくだけの余裕を得る。そうして僅かに息を整え、未だ戦い足りないと言わんばかりに戦闘に復帰。戦場で叩き上げられてきた軍人たちと、時に彼らから「お綺麗な大隊」と揶揄されてきた近衛隊が、肩を並べて共闘する。

 一方でクラウディアの直衛は手薄となり、周囲を守る五十騎の緊張感はますます高まる。敵兵はもはや視認できる範囲におり、敵側の矢がそこら中に降り注ぐ。クラウディアを先導する近衛隊長グスタフ・アイヒベルガ―子爵は気が気ではない様子で、いつもの無表情を崩し、頻繁に振り返っては主君が馬上で無事なことを確かめている。


「進め! 王国の勝利はこの先にある! 進め! 進めぇ!」


 クラウディアは声を張り上げ続ける。凛々しく、気高く、そして力強く。叫び続け、騎士と兵士たちを鼓舞し続ける。

 それに、エーデルシュタイン王国の軍勢は応える。王国軍の精鋭が中央を支え、その左右からは正規軍人も徴集兵も交ざり合ってがむしゃらに前に進む。逃げ場のない傭兵も強制的に巻き込みながら、押し込まれた分を押し戻さんと敵徴集兵の大群に立ち向かう。

 後方からは曲射による矢が飛ぶ。帝国からの援軍と、王国の弓兵部隊が、最前面の戦いを少しでも楽なものとするために怒涛の勢いで矢を放ち、それが敵陣に降り注ぎ、敵の攻撃の勢いを削ぐ。

 進め。進め。進め。

 異様な熱量を纏いながらの大合唱が味方をさらに興奮させ、敵を威圧する。

 戦意の火をさらにかき立てんと、クラウディアは一層叫ぶ。


「進め! 我ら全員の未来のために! 進め――」


 そのとき。

 無数に飛来する矢、そのうちの一本がクラウディアの頭を打つ。甲高い金属音が響き、クラウディアの上半身が後ろに大きく傾く。


「っ! 陛下!」


 丁度振り返っていたためにその瞬間を目撃したグスタフが、血相を変えて叫ぶ。


「無事だ!」


 馬上でのけぞった姿勢を戻し、再び前を見据えながら、クラウディアは応える。

 矢は弾かれた。兜には大きな擦傷がついているが、それだけだった。


「ここで死ぬ運命ではないと神が言っている! 進め!」


 王家に伝わる剣――初代女王ヴァルトルーデが戦場で用いた剣を掲げ、クラウディアは吠える。まるで建国の母が乗り移ったかのような、伝説的な覇気を帯びた女王の声に、騎士も兵士もますます士気高く応える。

 進め。進め。進め。進め。進め。

 熱と興奮が伝播し、互いを高め合い、戦意を分け合いながら、皆が戦う。味方の矢の援護を受けながら、途切れることなく現れる敵徴集兵の群れを斬り伏せ、貫き、叩き潰し、いつ終わるとも知れない戦いを続ける。


 それだけ奮戦してようやく、エーデルシュタイン王国の軍勢は僅かに戦線を押し戻す。

 敵側には未だ二万近い前衛歩兵と、さらに後ろには正規軍人から成る後衛が控えている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る