第141話 決戦①
「あれではやはり、力押ししかないか?」
「はい。敵が側面の守りをあのように固めているとなれば……これほど巨大な戦場で、戦力の大半が徴集兵である以上、今から新たに複雑な作戦を立てることも難しいでしょう。前衛による全力の突撃と、後衛による援護が最善手かと存じます」
アレリア王国の軍勢が布陣する、緩やかな丘の中腹。後衛の只中に置かれた本陣から麓の戦場を広く見渡し、キルデベルトとツェツィーリアは話し合う。
まず、敵は陣形の側面を森と丘に守られている。丘については乗り越えられないこともないが、時間がかかる上に兵を疲弊させるのは必然であるため、良い手とは言えない。おまけに、敵陣の右側面の丘を越えるには森を迂回する必要があるために尚更時間がかかり、左側面後方の丘から攻めようとすればそこに布陣する帝国軍の騎兵部隊がひどく邪魔になる。
唯一、敵前衛の左側面は地形に守られていない。しかし、そこへ騎兵部隊を突撃させるのももはや難しい。最大の障害は、この開戦直前になって敵歩兵が左側面を守るように並べ始めた、対騎乗突撃用の障害物。通称「フェリクスの針鼠」。
それまでは歩兵の陣形の中に隠してあったらしいこの障害物が、今は左側面全域を守るように、しっかりと二列配置されていくのが見える。
フェリクスの針鼠に守られているとなれば、こちらが貴重な騎兵部隊を投入してもその突破力は大きく減衰する。そうなれば、おそらく敵歩兵の陣形を破壊できない。おまけに、そうしてフェリクスの針鼠に突撃の勢いを殺されれば、そこへ今度はエーデルシュタイン王国側の騎兵部隊が襲いかかるだろう。大損害を負い、下手をすれば壊滅する可能性もある。
騎士は替えが利かない以上、戦果を期待できない状況で下手に突撃させることはできない。
かといって、歩兵の一部を投入してフェリクスの針鼠を除去させようとしても、やはり敵騎兵部隊が前進してくるはず。左側面を向く敵歩兵も無抵抗ではいてくれまい。徴集兵ばかりの歩兵前衛など、もたもたと動いているうちに蹴散らされて逃げ出すのが見えている。
側面攻撃が難しいとなれば、戦いの場は両軍の真正面。こちらの攻め手は極めて単純。敵側に選択肢を狭められたかたちだが、ある意味では最も戦いやすい手が残った。
「そうか。では、卿の言う通りに正面から攻めるとしよう。正々堂々の戦いは、私が最も好むところだ……我が継嗣に見せるにもふさわしい」
言いながら、キルデベルトが振り返った傍らにいるのは、まだ成人して間もない王太子、サミュエル・アレリアだった。
「よく見ていろ。アレリア王国の戦いを。我が軍勢が敵国の軍勢を飲み込む様を」
「はい! 多くを学ばせていただきます、父上!」
どこかあどけなさも残る顔で、しかし表情と声は勇ましく、サミュエルは答える。
大陸西部統一を決定づける歴史的な決戦に、キルデベルトは王太子を伴った。いずれ自分の跡を継ぐ継嗣に、大陸西部の歴史でも最大級の戦を目撃させ、至上の戦争を知らしめるために。
我が子の殊勝な態度に頷くと、キルデベルトは再び前に向き直り、そして右手を掲げる。
「全軍、前進せよ。敵陣との距離を詰めた後、歩兵前衛は突撃」
覇王の命令で、総勢四万に及ぶアレリア王国の軍勢が動き出す。
動くのはアレリア王国側だけ。エーデルシュタイン王国の軍勢は、何らの動きを見せない。
「……」
やはり受け身の姿勢か、とツェツィーリアは考える。
エーデルシュタイン王国側がこのような地形に布陣し、このような陣形をとった時点で、その狙いがこちらの攻撃を受け止めつつ何らかの策を講じることにあると分かっていた。おそらく、このまま激突の時まで敵側は動きを見せないのだろう。
果たしてどのような小細工を仕掛けてくるのか。ツェツィーリアが考える限り、どのような手を使っても一万を優に超える数の差を覆すには至らない。
女王クラウディア・エーデルシュタインは、陣形の最後方ではなく、歩兵部隊の後方、弓兵部隊よりも前に本陣を置いている。君主自らが歩兵部隊を近くから鼓舞して士気を保つ作戦なのだろうが、果たしてこちらの歩兵による怒涛の攻撃を、どこまで押し止められるか。
いくら敵が士気高いとはいえ、それはエーデルシュタイン女王の演出によって生まれた虚構。敵も大半はただの徴集兵。こちらの歩兵前衛の数に任せた熾烈な攻撃を受ければ、そう長く持ちこたえられずに陣形を崩すはず。策を講じる隙など与えない。
敵陣にはもう、エーデルシュタインの生ける英雄はいない。逆転の大勝利をもたらす英雄はいない。正攻法で一気呵成に打ち破り、それで完全な勝利を果たす。
ツェツィーリアは思考を巡らせながら、キルデベルトの傍ら、本陣の一騎として丘を下る。
徐々に敵陣との距離が縮まる。もうしばらく進んだ後、歩兵前衛は突撃に移る。敵側の弓兵による牽制、その被害が大きくなるより早く敵歩兵に肉薄するために。
と、そのとき。
「はっ?」
ツェツィーリアは敵陣後衛、弓兵部隊が動きを見せたことに驚き、思わず声を漏らす。
どうやら曲射による援護を開始するつもりのようだが、早すぎる。あの位置からこちらの歩兵前衛に矢が届くはずがない。
「おい、どういうことだ? この距離で敵の後衛の矢がこちらの前衛に届くことはあるまい」
「そのはずです。明らかに遠すぎる…………いや」
キルデベルトも疑問を語り、それにツェツィーリアは答えながら、ある考えに至る。
帝国が近年開発したという新型の複合弓。噂では従来の弓より何割も有効射程が長いという。名は確か、漆黒弓、などと言ったか。
これまでは、大陸東部のシーヴァル王国との紛争で限定的に使用されているという話が偶に聞こえてくるのみだった。おそらくは未だ開発段階にあり、小規模な実戦で性能を試しているのだろうとツェツィーリアは考えていた。
いよいよ量産に移ったのか。しかし、漆黒弓は帝国にとっても未だ貴重な最新兵器のはず。それを装備した精鋭部隊を、そう気前よく千単位で友邦に貸し出すことがあり得るだろうか。
ツェツィーリアが思考を巡らせているうちに、敵陣後衛から第一射が放たれる。数千の矢が放物線を描き、敵陣前衛を飛び越えて向かってくる。
・・・・・・
「……やはり、真正面からの力押しで来るか」
エーデルシュタイン王国側の陣地。前衛歩兵と後衛弓兵に挟まれる位置に置かれた本陣より、クラウディアは敵の動きを見据えながら呟いた。
こちらは地形を防御に利用して敵の攻め手の選択肢を狭め、さらに前衛左側面には「フェリクスの針鼠」を置くことで敵の騎兵部隊による突撃を難しくしている。
かつて北方平原でくり広げられたアレリア王国との緒戦。そして、王太子コンラートとバッハシュタイン公爵エルンストによる謀反の最中、公爵領軍との決戦。そこで王国軍の攻撃を妨害したのがこのフェリクスの針鼠だった。
これは決してアレリア王国側の専売特許というわけではない。エーデルシュタイン王国側が使っても当然に正しく効果を発揮する。広範囲を守るには数を揃える必要があり、戦闘中に移動させることが容易でないため柔軟な陣形移動の邪魔になるが、使いどころを間違えなければ極めて有効な騎兵対策になる。
結果、敵は全軍で正面から迫り、数の有利に任せてこちらを押し潰す以外に有効な攻め手がなくなった。
ここまではこちらの狙い通り。しかし、だからといって楽な戦いになるわけではない。
真正面から迫りくる敵の前衛歩兵は二万六千。質の低い徴集兵とはいえ、数の上ではこちらの総兵力に迫る。その後ろにはさらに、正規軍人から成るおよそ八千の後衛と、およそ五千もの弓兵が続く。
それら全てを、エーデルシュタイン王国側はこれから受け止め、その前進を押し止めなければならない。敵の突撃を容易に阻む手はない。
こちらは左側面に騎兵部隊を置いているが、敵側も右側面に騎兵部隊を配置している。こちらが敵前衛の右側面を突こうとすれば、敵側の騎兵部隊がそれを阻むだろう。さらに、敵側後衛の弓兵部隊が右寄りに配置されているのも、おそらくは騎兵対策。こちらの騎兵部隊が突撃すればそこを猛烈な矢の雨が襲い、敵陣への接近前に相当の損害を被ることとなる。
結果として、こちらも敵側と同じく、現時点では騎乗突撃の選択肢を奪われている。両軍とも、少なくとも最初は真正面からぶつかり合うことを決定づけられている。
しかしそれも、想定の範囲内。元より激突する前提でこちらは戦術を練っている。
「帝国軍弓兵部隊、曲射の用意を。敵前衛が射程圏内に入ったら将の判断で撃て」
クラウディアは総大将として、最初の命令を下す。それが直ちに後衛に伝達される。
リガルド帝国軍の中央より送られてきた弓兵部隊、総勢三千。量産された最新兵器たる漆黒弓を最初に正式配備された精鋭が、それぞれの部隊長の指示を受けて一斉に弓を引く。芸術的なまでに揃った角度で曲射の構えがとられる。
そして、三千人を率いる将である帝国貴族が、彼我の距離を目で測った上で斉射を命じる。
瞬間、エーデルシュタイン王国側の陣地の空に薄い影が差した。三千の矢の群れが作り出した影だった。影はそのまま放物線を描きながら西へ飛び、敵陣前衛に迫る。
漆黒弓によって放たれた矢は、従来の弓であれば届かない距離の敵軍に確かに届く。未だ突撃の態勢に移らず、歩いて前進していたアレリア王国側の前衛歩兵、その頭上に矢の雨が降り注ぐ。
直後、明らかに敵の前進の速度が鈍る。初撃で少なからぬ敵兵が倒れ、徴集兵から成る敵歩兵前衛に混乱が生まれる。
帝国軍弓兵部隊は射撃の手を緩めることなく、第二射が敵陣を襲う。さらに第三射が敵陣に向けて飛翔する。
後ろから正規軍人たちに追い立てられているのか、敵徴集兵たちは矢の雨の中でも前進を再開する。敵が距離を詰めてくるまでは、こちらが一方的に攻撃できる。この時間でどれだけ敵側の損害を増やせるかで、激突時の有利不利が変わる。
そう考えながら、クラウディアが敵陣を睨んでいたそのとき。
予想より相当に早く、敵前衛歩兵が突撃の姿勢に移った。一斉に丘を駆け下り始めた。
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