第140話 開戦前
近況ノートにて、決戦場の地形と両軍の布陣を描いた簡単な地図を投稿しました。
ご参考いただけますと幸いです。
★★★★★★★
統一暦一〇一一年、三月の上旬。エーデルシュタイン王国とアレリア王国がそれぞれ総力を挙げて揃えた軍勢は、西部王家直轄領にて対峙した。
決戦の場を選ぶ主導権を握ったのは、自国領内を移動できる有利のあるエーデルシュタイン王国側だった。それまで拠点としていた防御陣地を破壊して放棄し、野営地を引き払って移動。丘と森に囲まれた狭い土地に陣取った。
地形のおかげで側面を守りやすく、急に後方に回り込まれて奇襲を受ける可能性もないが、両側面を丘に挟まれているために後方要員を含めて迅速に退却するのが難しい。戦力差を補いやすい陣地だが、陣形を崩されれば逃げ場がないままに殲滅される可能性もある。
エーデルシュタイン王国側が布陣の先手をとったことで、アレリア王国の軍勢はそれに対応するように、必然的にその西側、緩やかな丘の上に布陣。決戦の場が整った。
総兵力は、周囲から視認できる限りでエーデルシュタイン王国側がおよそ二七〇〇〇。
前衛に歩兵およそ二〇〇〇〇。後衛に弓兵がおよそ五五〇〇と、その左側に騎兵が七五〇。さらに、後衛の左側面を守る丘にリガルド帝国の騎兵部隊およそ五〇〇が布陣する。
実際の総兵力はもう少し多い。森に一〇〇〇ほどの伏兵がいる。
一方でアレリア王国側の総兵力は、およそ四〇〇〇〇。前衛に歩兵が二六〇〇〇、後衛に歩兵が七五〇〇と、騎兵が五〇〇。前衛の右側面を守るように騎兵が一一〇〇、弓兵は後衛右側に五〇〇〇ほど。
両軍とも、国力を振り絞ったことで当初の予定を上回る兵力を揃え、対峙している。
兵力の多くを徴集兵が占めるため、必然的に歩兵、それも練度の低い兵士の割合が多い。すなわち、複雑な攻撃や陣形移動を為すことは難しい。
単純に力をもってぶつかり合いながら、その上で練度の高い兵力や地形をいかに活かすか。その差で勝敗が決まるだろうと、多くの者が考えていた。
互いに力押しになる場面が出てくる以上、有利なのは総兵力で大きく勝るアレリア王国側。しかし、不安定な国内各地の駐屯兵力を減らすにも限界があったため、正規軍人の数では両軍に大差はない。騎兵の数に関しては互角。弓兵に関しては、帝国からの援軍を迎えたエーデルシュタイン王国側の方がむしろ多い。戦いようによっては、エーデルシュタイン王国側にも十分な勝機がある。
勝敗は未だ神のみぞ知る大戦が、ここに始まろうとしている。
陣形を作り終えた両軍の間には、大軍勢が睨み合うに十分な距離。そこへ進み出たのは両軍の総大将、すなわちキルデベルト・アレリアと、クラウディア・エーデルシュタインだった。
互いの臣下臣民の血が流れる前に対話を。キルデベルトのそのような求めに、クラウディアも応じた。伏兵など隠す余地のない平原、両軍の陣形のちょうど中間で、僅かな護衛のみを率いる二人の君主が対峙する。
「エーデルシュタイン女王。対話の求めに応じてくれたこと、感謝する」
何かあれば護衛を盾にすぐさま後退できる距離を保って馬を止め、先に口を開いたのはキルデベルトだった。彼の言葉に、クラウディアは無言で頷いた。
「まずは、貴殿の父である先代国王ジギスムントに心より哀悼の意を。彼は大陸西部において、これからもその名を語られるであろう偉大な王だった。私も一国の君主として、彼より少なからぬ学びを得た」
「……そうか。貴殿の哀悼の意、ジギスムントの娘として確かに受け取った」
二人の君主の対話は、そのような一見穏やかなやり取りから始まった。
たとえ相手が野蛮な侵略者であろうと、礼節には礼節で答えなければ同じ野蛮に堕ちる。クラウディアはそう考えたからこそ答えた。
「では、本題だ……クラウディア・エーデルシュタイン。どうか戦わずして降伏してはくれないだろうか」
感情の読めない顔で問いかけるキルデベルトに、クラウディアも表情を殺したまま、何の反応も見せない。
「貴国を取り込めば、我がアレリア王国は大陸西部の統一を果たす。臣下臣民を死なせずに済むのであればそれに越したことはない。もし降伏を受け入れるのであれば、エーデルシュタイン王家と全貴族家の存続を許し、財産も安堵しよう。課すのは多少の税と、兵力の供出義務だけだ。貴殿らの生活はこれまでと何も変わらぬ。偉大なる先王への敬意の証と受け取ってくれ……どうだ?」
「拒否する」
一瞬の迷いもなく、クラウディアは答えた。
「貴殿は大陸西部を統一しても止まるつもりはないのだろう。さらに東へ野心の目を向けるのだろう。帝国への挑発をためらわない姿勢がその証左だ……我ら王侯貴族だけが財産と生活を安堵されるからといって、民に重税が課され、民が貴殿の野心を満たす戦争に駆り出されるのを許すことはできない。我々は降伏の申し出を断固拒否し、侵略者たる貴殿と戦う所存。我が父への敬意を示すというのであれば、父の跡を継いだ私が率いる軍勢にただ黙って挑みかかってくればいい。そして敗北するがいい」
クラウディアが降伏を受け入れるとは微塵も思っていなかったのか、キルデベルトの表情に驚きの色は皆無だった。
「……慈悲は与えた。それをエーデルシュタイン王国は拒否した。であれば、貴家を滅ぼし、臣下臣民には罰を下賜するしかあるまい。新たなる支配者に逆らい、古き支配者に縋ろうとした愚行への罰をな」
獰猛に笑いながら、キルデベルトは馬首を巡らす。これ以上の対話は不要だと示すように。
「さらばだ、クラウディア・エーデルシュタイン。次に会うとき、貴殿は首だけになっていることだろう。その首を槍に刺し、ザンクト・ヴァルトルーデの広場に飾ってやる。肉が腐り果てて骸となるまでな」
「そうか。妄想を語るのは自由だ」
下品な挑発を軽く聞き流しながら、クラウディアも踵を返す。
護衛に囲まれて本陣に戻りながら、傍らのグスタフに呟く。
「……直に話して分かったが、やはりあれは野蛮な覇王だな。倒すしかあるまい」
巧みな占領政策を展開して勢力を拡大し、ときには配下に慈悲深さを見せ、功労者には褒美を惜しまない。しかしそれは全て、あくまで己の野心のため。その本質は残虐な振る舞いを是とする侵略者。
共存はできない。あらためて確信しながら、クラウディアの思考はこれから始まる決戦へと向けられている。
・・・・・・
アレリア王との対話に何らの意味なし。これより予定通り開戦する。
その報せは、戦場の北側の森に潜む一〇〇〇の伏兵部隊――フェルディナント連隊にも伝令によって届けられた。
「……まあ、当然そうなるだろうね」
報告を受けたフリードリヒは、そう呟きながらあらためて敵を見やる。深紅の髪が目立たぬよう布を被り、森の縁で木の陰に潜みながら敵陣を俯瞰する。
総勢四万に及ぶ侵略者の軍勢。その前進を自軍が受け止めれば、ちょうど敵の歩兵前衛の左側面が、森に潜むフリードリヒたちの目の前に来る。
数の上では敵側の主力であろう、その前衛歩兵を壊走せしめることが、エーデルシュタイン王国側にとって最低限の勝利条件。その後ろ、歩兵後衛を率いる国王キルデベルトを討つことができれば、最良の勝利と言える。
逆に、こちらの主力である歩兵部隊が敵の歩兵前衛を押し止めることができず、あるいは自分たち伏兵が敵の歩兵前衛を打ち崩すために想定通りの役目を果たせなければ、数で劣るために陣形の縦深に欠けるこちらの敗北は必至。
こちらの歩兵部隊を維持しながら、敵の主力たる歩兵前衛をいかに撃破するか。そのために後衛の弓兵部隊や左側面を守る騎兵部隊をどう活用するか。逆に、敵の弓兵部隊や騎兵部隊、歩兵後衛の動きをいかに制限するか。
巨大な戦場で、両軍の力と戦術がこれより激突する。自分の考えた戦術が、エーデルシュタイン王国の運命を左右する。
嫌でも肩に圧しかかる重責を感じながら、フリードリヒは傍らのグレゴールを振り向く。
「グレゴール。総員、戦闘開始に備えるよう命令を」
「はっ」
命じると、忠実な副官は全隊に連隊長の命令を伝えるため、森の中に戻っていく。
「……ユーリカ」
「はぁい?」
連隊長の直衛として傍に残っているユーリカの名を呼ぶと、彼女は答えながら妖艶な笑みを向けてくる。
「この戦いが終わった後、敵を討ち破って勝利した後、僕と結婚してほしい。このフリードリヒ・ホーゼンフェルトの妻になってほしい。君を愛してる」
身体ごと彼女を向き、その目を真正面から見据え、フリードリヒは言った。
今、伝えたくなったので伝えた。
告白を受けたユーリカは、まず呆けた顔になり、そしてその目が大きく見開かれる。
そして、目を細め、赤い唇をにんまりと広げ、感極まった表情で頷いた。
「……はい。私もあなたを愛してる。あなたと結婚する」
応えてくれた彼女にフリードリヒは微笑で頷き返し、そして森の中へと踵を返す。ユーリカは弾むような足取りで、今にも鼻歌でも歌い出しそうな様子で、後ろに続く。
もちろん、フリードリヒも戦場の験担ぎについては知っている。「この戦いが終わったら結婚する」などの約束は、不運を引き寄せることになるのでしない方がいい。そのような迷信があることは理解している。
だが、クソ食らえだ。
自分はユーリカと結婚したい。できるだけ早く。ユーリカも結婚すると言ってくれた。ただ愛し合っているだけのことで、戦場での運命が左右されてたまるものか。部下たちが各々の安心を得るために験を担ぐことは肯定するが、迷信を信じない自分自身が験を担ぐ必要はない。
不運が寄ってくるというのなら愛で打ち破り、そのまま勝利をもぎ取ってやる。
勝つのだ。この日のために智慧を巡らせて戦術を編み出し、準備もしたのだから。
「……」
フリードリヒは空を見上げる。木々の枝葉の隙間から青空が見えていた。息を深く吸う。未だ殺戮の死臭に侵されていない、清涼な空気が身体を巡った。
ユーリカと結婚の約束をしたおかげで、肩に乗っていた重圧が霧散し、純粋な高揚と良質な緊張だけが残った。これから自分は、持ち得る全てを発揮し、将として戦いに臨む。
きっと父も見守っている。この空よりもさらに高い場所、神の御許から。
★★★★★★★
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