第139話 援軍合流

 女王クラウディア・エーデルシュタインは、冬の後半から最前線の防御陣地に総大将たる自らの身を置いていた。内政に関しては母アレクシアや、財務大臣ヘルムート・ダールマイアー侯爵をはじめとした重臣たちに任せ、自らは決戦準備の陣頭指揮に注力していた。

 予想される決戦時期まで残り二週間ほどとなったある日。クラウディアは野営地の東側、街道上に立ち、馬上から東を見据えていた。

 出迎えるのは、リガルド帝国からの援軍。

 間もなく。先触れが伝えた通りの時刻に、その先頭が見える。掲げられているのは帝国軍旗と、そして皇帝家の家紋旗。皇族がそこにいることを表す旗。

 皇太子エドウィン・リガルド当人が援軍を引き連れ、この最前線の戦場にやって来た。

 決戦をこの目で見たい。大陸西部の未来を決める大戦を自ら観戦したい。そのような理由を語って最前線に出てきたエドウィンは、クラウディアの前へ辿り着くと、例のごとく余裕を感じさせる笑みで優雅に一礼する。


「女王陛下が御自らお出迎えくださるとは、光栄の極みに存じます……リガルド帝国より馳せ参じた援軍、総勢四千五百。ここに参上いたしました」


 対するクラウディアは、苦い笑みを浮かべざるを得なかった。


「……よくぞ参られた、皇太子殿。帝国からの援軍、誠に頼りになる。心待ちにしていたぞ」


 ひとまず公的な挨拶を語り、そしてエドウィンの傍らに視線を向ける。

 そこには帝国大使クリストファー・ラングフォード侯爵もいた。帝国においてエーデルシュタイン王国への義理を果たし、エーデルシュタイン王国に舞い戻った彼は、エドウィンに倣ってクラウディアに首を垂れる。


「ラングフォード卿もよくぞ戻った。卿の帝国での活躍はこちらにも聞こえていたぞ。どうやら、我が国は卿に随分と助けられたらしい」

「恐縮にございます。私は大使として、そして一人の帝国人として務めを果たしたに過ぎません」


 相変わらずの様子のクリストファーに、クラウディアは微笑で頷く。


「皆、長旅で疲れていることだろう。野営地に場所を空けてある。すぐに案内させよう……と言いたいところだが。その前に聞きたいことがある」


 クラウディアはそう言って、エドウィンの後ろに続く長大な隊列を指差す。

 帝国の軍勢はエドウィンとその直衛から成る先頭集団よりも少し距離を置いており、クラウディアの周囲を囲むのもグスタフをはじめとした信頼できる近衛騎士だけなので、この場で遠慮なく率直な話ができる。

 エドウィンはクラウディアの言及を予想していたのか、余裕のある笑みは揺らぎもしない。


「援軍の数は弓兵が三千だったはずだ。それが冬も後半に差しかかってから報せが来て、弓兵四千と騎兵五百に増えた。助力を受ける我が国としては、借り受ける兵力は多いに越したことはないが……何故増えた?」


 クラウディアの声には怪訝の色が混じった。援軍が当初の三千から、四千を超えるまでに増えると、鷹による伝令で連絡を受けたときに感じた怪訝。それがそのまま声に乗った。

 自軍の兵力が増えるのはありがたい話だが、増員の理由が分からないのは、それはそれで不安を覚える。


「正直に言うと、私も予想外だった」


 率直な会話の場であるため、エドウィンはいつもの口調で答えた。


「ラングフォード卿の広めた美談のおかげもあって、帝国が援軍を送ることを公表しても、貴族たちからの反発は起こらなかった。ここまでは予想通りだった……問題はその先だ。帝国軍三千が西の友邦のもとへ遠征するための支援を命じたところ、支援だけさせられて終わるのは納得できないと言い出す貴族が少なからず出てきた。自分たちも参戦させろと騒ぎ出したのだ。まったく困ったものだ」


 言いながら、エドウィンはけらけらと楽しげに笑う。


「貴殿とダスティンの婚約を早速公表したことも、どうやら影響したらしい。帝国の主たる皇帝家と友邦の王家が血で結ばれるのであれば、なおさら借りを返さなければ。帝国が一丸となって返さなければ。友の期待に応えるだけでなく、期待を上回ることができずして、何が偉大な帝国か。熱を帯びてそのように吠える者たちのやかましいこと」

「私が貴家との婚約を白紙にできぬよう、こちらを牽制するつもりで大々的に公表したことが、結果としては我が国に利したというわけか。皮肉な結果だな」


 クラウディアが答えると、エドウィンは呆れ交じりの視線を向けてくる。


「よく言う。貴殿とて、自国内の戦意を高揚させて帝国貴族の誇りをくすぐるために、大層派手に婚約の件を言い広めていたではないか」


 その指摘は、クラウディアとしては図星だった。

 皇帝家と姻戚になる以上、今後はある程度の干渉を受けざるを得ない。であれば、こちらも皇帝家との血縁を利用できるだけ利用しなければ損。

 なので帰国して早々に、自身とダスティン・リガルド第四皇子との婚約を公表した。それと並行して噂を撒いた。

 支配者同士が血で繋がった友邦となるエーデルシュタイン王国に、帝国は強力な助力を約束してくれた。王家と皇帝家の婚約により、帝国は今後ますます頼もしい味方となる。この決戦さえ勝ち抜けば、以後は帝国も共にこの国を守ってくれることだろう。

 この噂は朗報として瞬く間に広まり、民の士気はより一層高まった。帝国からの援軍をもたらすクラウディアの求心力もさらに高まった。帝国の助力を歓迎し、帝国に期待する声は、国境を越えて帝国側にも伝わった。


「エーデルシュタイン王国が帝国の助力に沸き立ち、援軍への期待を高めていると知ったことで、貴族どもの盛り上がりはますます大きくなった。友の期待を上回るかたちで借りを返そうなどと連中が言い出したのは、半ば以上が貴殿のせいだと私は考えるが」

「そうなのか? 私はただ、めでたき報せを我が国の貴族と民に届けただけだが……結果としてそうなったのであれば、やはり皮肉な結果だな」

「ふん、エーデルシュタインの女王陛下は、即位してますます父君に似てこられたようだ」


 クラウディアが独り言ちるように言うと、エドウィンは小さく鼻を鳴らしながら返す。皮肉を返したつもりのようだが、クラウディアはむしろ得意げな笑みで応えた。賢王として知られ、世論の操作に長けていた父ジギスムントに似てきたと言われれば、嬉しさを覚えるばかりだった。

 エドウィンはため息交じりに首を振り、そうしていつもの余裕のある表情に戻る。


「まあそのようなわけで、仕方なく貴族たちからも直接的に兵力を募ることにした。すると、軍役扱いで費用は自弁だと言ったにもかかわらず、弓を扱える千の兵士と、騎士が数百も集まった。皇帝家の面子を考えても、こうなっては我が軍も弓兵ばかり出すわけにもいかない。致し方なく帝国軍からも騎兵戦力をいくらか揃え、総勢四千五百の援軍が完成したというわけだ……」


 説明を終えながら、エドウィンは後ろに並ぶ軍勢を手で示した。クラウディアの目には過剰なほど豪奢に見える皇太子の軍服、その袖が揺れた。


「如何だろう、女王陛下。帝国は借りを返す。リガルド皇帝家は約束を守る。私の後ろに並ぶ軍勢こそが、我らの信念の証だ」


 そう宣言しながらの、勝ち誇ったような表情。ひどく気障で、しかし所作と合わせて画になる様だった。


「……ありがたい限りだ。偉大なるリガルド皇帝家と、誇り高き帝国人たちの心意気、しかと受け取ろう」


 苦笑交じりに、クラウディアは答えた。

 さすがは帝国。大陸にその名を轟かせる覇権国家。強大で、尊大で、そして心強い。


・・・・・・


 リガルド帝国からの援軍が合流した報は、フェルディナント連隊を率いるフリードリヒのもとにも届けられた。

 そしてその日の夕刻前、連隊本部を置いている天幕に、さらなる報告が届けられた。


「失礼します、連隊長閣下。帝国軍より、閣下にお会いしたいと訪ねて来られた方が」

「……帝国軍から? 私にか?」


 小さく片眉を上げてフリードリヒが言うと、報告役の騎士は頷く。


「はい。チェスター・カーライル子爵です。援軍の騎兵部隊長としての着任に際し、一言ご挨拶がしたいとのことです」

「カーライル卿が来てるのか? 分かった、すぐに通してくれ」


 一昨年、ラングフォード侯爵夫人と令嬢を守るために共闘した帝国軍騎士の名に、懐かしさと少しの驚きを覚えながらフリードリヒは騎士に指示する。

 間もなく天幕に入ってきたのは、チェスター・カーライル子爵だった。友好的な微笑を浮かべて敬礼するチェスターに、フリードリヒも笑みを作って答礼する。


「久しぶりですね、カーライル卿」

「ご挨拶の時間を賜り感謝します、ホーゼンフェルト伯爵閣下」


 チェスターの返答に、フリードリヒは笑顔のまま首を横に振る。

 伯爵家の当主となり、一個連隊を率いる自分の方が今や格上の立場となったが、だからといって彼にこのような言葉遣いをさせるわけにはいかない。


「共に戦ったあなたは戦友です。公的な場以外ではどうか口調は以前のままで、私のことはホーゼンフェルト卿と呼んでください」

「……そうか、ではそうさせてもらおう。感謝する、ホーゼンフェルト卿」


 チェスターは頷き、それで互いに距離感と友情の確認を終える。


「あなたも援軍として来ていたとは、驚きました」

「皇太子殿下より直々にご指名を賜り、帝国より貴国に送る騎兵部隊の長に任命されてな。再びこの地に来ることになった」

「なるほど……それはやはり、あの共闘の話が広まった影響も?」


 フリードリヒの問いに、チェスターは少し困ったように笑って首肯する。


「まさしく。元々私は帝国に数多いる宮廷貴族の一人で、帝国軍においても一士官に過ぎない身だったはずだが、卿との共闘が美談として広まってからは立場が一変した。友邦の英雄の継嗣と友情を築いた私に、援軍の花形たる騎兵部隊を率いさせることは、帝国内に広がるエーデルシュタイン王国支援の気運に応える上で有効だと殿下もお考えになったのだろう……私の能力も見込まれた上でのことと信じたいが」

「もちろんそのはずです。あなたの軍人としての能力や勇敢さがあってこそ、我々の共闘が美談として成り立っているのですから。皇太子殿下もそれをご存じだからこそ、あなたに大役をお与えになったに違いありません」


 どこか複雑そうな表情のチェスターに、フリードリヒも微苦笑で答えた。

 元より帝国大使の護衛指揮官に任命されるほどの評価を持ち、一昨年の戦いでは不利な状況に全く怯むことなく最後まで奮戦した。彼が一部隊を率いるにふさわしい騎士であるのは、フリードリヒから見ても間違いない。


「卿にそう言ってもらえると、私も心強い……周囲からの期待に伴う責任は重いが、怖気づいてはいられんよ。抱える重圧で言えば、卿の方が遥かに大きいだろうからな」

「ははは。まあ、重責を感じないと言えば嘘になります」


 英雄と呼ばれた父から、家名と爵位、そして英雄に向けられる期待をも受け継いだ。自らが背負うものの重さに怯むことは最早ないが、その重さを忘れることも決してない。


「……共に戦ったときと比べると、お互い随分と大きな変化を経験したな」

「ええ、本当に。あれから二年と経っていないとは驚きです」


 語り合いながら、二人同時に小さな嘆息が零れる。それが可笑しくて、今度は揃って小さく吹き出す。


「私は一部隊長なので作戦の全容を知ることは叶わないが、きっと卿も立案に大きく関わっていることだろう。であれば何も恐れることはない。我々は友邦のために全力を尽くす。卿と再び共闘できることを誇りに思う」

「こちらこそ、心より光栄に思います。あなたと共闘できること、誠に頼もしいです」


 チェスターが手を差し出し、フリードリヒもそれに応え、二人は固く握手を交わした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る