第138話 幕間の冬③
決戦のときが近づく晩冬。アルンスベルク要塞の後方に、アレリア王国の軍勢が徐々に集結を開始した。
その動きを注視しつつ、エーデルシュタイン王国側でも兵力集結が始まった。王国各地より、西部王家直轄領の防御陣地周辺に、貴族領軍や傭兵、民からの徴集兵が集まってきた。
全軍が集結すれば、その人数は二万を超える見込み。前線とそのすぐ後方に事前の物資集積が済んでいるとはいえ、後方支援は王国軍の輸送部隊だけでは手が足りず、王家や貴族と懇意にする商人、雑務をこなす臨時雇いの労働者なども集まる。軍勢が扱う装備の面倒を見るために、職人が随行して簡易な工房が作られる。荷馬なども含めれば千を優に超える馬の面倒を見るため、仮設の厩舎も作られる。
さらに、決戦の日までは暇な時間も多い兵士たちを商売相手と見なし、嗜好品を売る行商人、賭博場を開く者、色を売る男女もやってくる。酒を売りにくる者まで現れ、高揚した士気の維持に有効と考えた軍上層部からも、兵士たちの多少の飲酒が黙認される。
野営地はさながら、家屋の代わりに大小の天幕が、市壁の代わりに木柵と哨戒網が据えられた都市の様相を呈していた。歴史に残る大戦を為すために、今このときだけ存在する都市だった。
そんな野営地で、しかし待機中の者たちもただ遊び過ごしているわけではない。正規軍人たちはもちろん、徴集兵たちにも、決戦までの猶予で多少の訓練が施される。
数だけが頼りである徴集兵は、出身地域ごとに三十人の小隊に分けられ、そこに軍隊経験のある志願兵が一人ずつ小隊長として置かれる。小隊長の指揮の下、徴集兵たちは槍を構え、同郷の者たちと組む隊列をできるだけ長く維持できるよう鍛えられる。
いくつもの小隊が訓練をくり広げる中に、ドーフェン子爵領ボルガ出身の青年、ブルーノの姿もあった。ドーフェン子爵領民による徴集兵部隊、その末端の一人として、ブルーノは懸命に訓練を積んでいた。素人に毛が生えた程度の実力を身につけ、生還する可能性を高めるために。
「お前、軍歴のない平民にしては筋がいいな」
腕が痺れるほど槍を振るった後の休憩時間。そう声をかけてきたのは、ブルーノの指揮官となった小隊長だった。
名はヴェルナー。齢六十を超えている、元王国軍騎士だという志願兵の小隊長は、訓練こそ厳しいものの気性は穏やかな人物だった。
「あ、ありがとうございます……何年か前までは、喧嘩に明け暮れるような不良だったもんで」
かつてのロワール王国との大戦に参加したというヴェルナーは、隠居生活を送っていた身とはいえ元が熟練の軍人だからか、剣を手にしていると穏やかさの中にもどこかただならぬ気配がある。そんな彼を前に、ブルーノはやや怖気づきながら自身の過去について語る。
確かにしょっちゅう喧嘩はしていたが、孤児上がりの少女を相手に負け通しだったことまでは言わない。
「そうか。戦争と喧嘩は違うが、戦場に立つなら、力を振るった経験があるに越したことはない。自分の腕っぷしを試すために徴集に応じたのか?」
「いや……俺、親戚の自作農家に婿入りしてて。少し前に結婚して、もうすぐ子供も生まれるんです。故郷の街と家の土地と、何より家族のためにも、誰かが戦わないといけないなら俺が行くべきだと思って」
ブルーノが語ると、ヴェルナーがこちらを見る目が変わった。
「なるほどな……それで本当に来るとは度胸のある奴だ。訓練も熱心に受けているし、決戦でもなかなか頼りがいのある部下になりそうだな」
元騎士から受ける率直な称賛に、ブルーノは思わず照れ笑いを浮かべる。
「ヴェルナーさんはどうして志願を? やっぱり元王国軍騎士の使命感ですか?」
「……それもあるが、一番は娘のためだな」
ブルーノが尋ねると、ヴェルナーは遠い目をして言った。
「娘も俺の後を継いで騎士になったんだがな。アレリア王国との係争が、本格的な戦争に変わった最初の戦いで死んだんだ。俺たち家族と、幼馴染の婚約者を残してな」
「……それじゃあ、アレリア王国に娘さんの復讐するために?」
「そんな大層なものじゃない。どちらかというと、これは俺個人のけじめだ。緒戦で娘が死んだ戦争、その終盤で再び俺自身が戦う機会を得た。ここで動かなければ、俺に憧れて騎士の道に進んだ娘に示しがつかないだろう。そう思ってここへ来た。まあ、言ってしまえば自己満足だな」
「……」
自嘲気味に笑うヴェルナーに、ブルーノは抱える事情は違えども、どこか共感を覚える。
「変な話を聞かせたな。他の奴らには内緒にしてくれ……おい皆、そろそろ立つんだ。訓練を再開するぞ」
ヴェルナーはそう言って立ち上がり、小隊の徴集兵たちに呼びかける。
・・・・・・
決戦に向けて兵力集結が進む、西部王家直轄領の野営地。それまではフェルディナント連隊とヒルデガルト連隊、冬の後半より参上した女王クラウディア率いる近衛隊を中心に統率されていたこの場所へ、北の国境地帯よりアルブレヒト連隊の一部と、アイゼンフート侯爵領軍をはじめとした北部貴族の手勢の混成部隊も到着した。
ベイラル平原とノヴァキア地方国境の警備もあるため、アルブレヒト連隊から決戦に参加するのは半数のおよそ五百。北部貴族の手勢は三百ほど。
そこに加え、旧バッハシュタイン公爵領軍、現在のバッハシュタイン地方守備大隊も、そのうち二個中隊が援軍として連れてこられた。
「……本当に得たのだな、我々の名誉を真に回復する機会を」
万を超える人間がひしめく野営地に入りながら、小隊長の一人、フランツィスカは呟く。
かつてアレリア王家の側につき、エーデルシュタイン王家に反旗を翻したバッハシュタイン公爵家。その実戦力として王国軍と戦い、壊滅状態に陥った公爵領軍。
生き残った騎士たちも、本来であれば謀反人として全員が処刑されてもおかしくなかった。しかし、エーデルシュタイン王家はこれを許した。フランツィスカたちは騎士身分を剥奪されたのみで生かされ、元騎士の能力を見込まれ、新たに創設されたバッハシュタイン地方守備大隊の分隊長や小隊長にされた。
それから、フランツィスカは懸命に軍務に臨んだ。他の元騎士たちも同じだった。己は一度死んだものと考え、文字通り必死に訓練に励み、北の国境を守るアルブレヒト連隊の後方支援を完璧に務め上げた。
そうすることで、王家に対する自分たちの忠誠を示そうと努めてきた。ジギスムント・エーデルシュタイン国王の慈悲に応えようとしてきた。いつか真に許され、再び騎士になるために。
そして今回、自分たちはアレリア王国との決戦に加わることを許された。ここで奮闘し、成果を示すことは、訓練や後方支援とは比較にならない実績となる。
騎士身分を剥奪されてから二年。思っていたよりもずっと早く、名誉回復の機会は来た。
「戦場には到着したんだから、後は戦功を挙げられるような配置になるのを願うばかりですね。これでまた後方支援をさせられたらたまらない」
傍らで言ったのは、こちらも元公爵領軍騎士のローマン。フランツィスカが率いる小隊に所属する彼は、今はフランツィスカの副官のような立場になっている。
「その心配はないだろう……何せ、我々は王国軍の中でも最も新しい部隊。おまけに下士官は元裏切り者揃い。王家からすれば最も失うのが惜しくない実戦部隊だ。大損害を覚悟で敵と激しくぶつかり合う配置が期待できる」
自嘲気味に笑いながら、フランツィスカは野営地の中を徒歩で行進する。
この決戦は名誉回復の機会であり、同時に王家への忠誠を示す試練でもある。
生前、国王ジギスムントは言った。自分の恩に報いる忠誠と献身を、自分の世継ぎである王太女クラウディアに対して生涯示せと。
決戦で勇ましく戦うことが、先王の跡を継いだ女王に対する忠誠と献身、それを示す覚悟の証となる。ここで証を示せなければ、自分たちに明るい将来はない。
特注の金属鎧ではなく、王国軍兵士の標準的な装備を纏うフランツィスカは、唯一これだけは騎士時代から使っている剣の柄に手を触れる。
触れながら、死んだ父を思う。
騎士エグモント。エルンスト・バッハシュタイン公爵の従兄。騎士として必要な全てを、フランツィスカは父から教わった。彼は謀反の最中でマティアス・ホーゼンフェルト伯爵との一騎打ちに敗れたが、公爵領軍でも随一であったその実力は、フランツィスカが多くを受け継いだことで未だ生きている。
父はただの謀反人として死んだ。それはもはや変わらない。だが、フランツィスカが戦いの中で功績を挙げれば、それは武人としての父の名誉回復に、少なくとも繋がる。
示すのだ。自分は女王陛下に忠節と献身を示す軍人であると。父が自分に与えた騎士としての教えは、父が生涯磨き上げて娘に受け継がせた剣の技術は、全てが無駄でなかったことを。
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