第137話 幕間の冬②

 アレリア王国、王都サンヴィクトワール。

 今もなお市域拡大を続ける巨大都市を、南から睥睨する王城。その一室で、国王キルデベルト・アレリアは宰相である王弟エマニュエルと顔を合わせていた。

 決戦に備えるこの冬は、王国中枢の誰もが多忙。兄弟とはいえ語らう暇もなかなか取れない二人は、久々にゆっくりと他愛もない会話を交わした後に、国王と宰相として本題に移る。


「それで、決戦に向けた兵力と物資の集積は?」

「極めて順調です。物資はアルンスベルク要塞と後方拠点に二分して集積し、予定量の輸送は間もなく完了の見込み。兵力に関しては、民兵徴収の布告は既に終え、傭兵も目標数を雇い集める目途が立っています。西部や南部から王国軍部隊を移す用意も進み、主要な貴族領の領軍も、王命に素直に従う姿勢を見せています。目標数の三万五千を超える兵力が集まることでしょう」


 エマニュエルの説明を聞き、キルデベルトは満足げな笑みを浮かべる。


「ならばよい……敵の動きはどうだ?」

「エーデルシュタイン女王の、例の戴冠式の件もあり、国内は未だ士気高いようです。思っていたよりは兵力が集まるものと。加えて、何やらリガルド帝国ともやり取りしていたようですので……およそ二万近い軍勢が集まり、帝国からの援軍も加わる可能性があります。前者の過半は素人の徴集兵、後者も、今の帝国の政情を考えるとせいぜい二、三千ではないかと思いますが」


 キルデベルトは片眉を上げて感心の表情を浮かべながら、弟の返答を受け止める。


「ほう、その話が実現するのであれば、新参の女王もなかなかやるではないか。さすがは偉大なるジギスムント・エーデルシュタイン国王の継嗣と言うべきか……まったく、死んでもなお厄介な名君殿だな。面倒な跡継ぎを遺していきおった」

「まったくもって同感です、陛下」


 苦笑交じりに語った兄王に、エマニュエルは首肯する。


「だが、それでも二万を超える程度か。力弱き国は哀れなものよ……名君ジギスムントは死に、英雄マティアスも死に、今や恐れる敵はなし。兵力で大きく上回るとなれば、どのような小細工もひねり潰して勝利を掴めるだろう」

「仰る通りです。個人的には一点、マティアス・ホーゼンフェルト伯爵の跡を継いだ養子とやらが少しばかり気になりますが」

「妙に賢しい孤児上がりとかいう奴か。私も興味がないとは言わぬが、数万の軍勢がぶつかり合う大戦で、孤児上がりの若輩が何らの影響力を発揮することはあるまい……決戦の後もそいつが生きているようであれば、将として迎え、同じ智将であるファルギエール卿の配下につけても面白いかもしれないな」


 キルデベルトは薄ら笑いを浮かべ、エマニュエルは兄の悪趣味を指摘することもなく、微笑を作って受け流す。

 エマニュエルも本気で懸念事項として進言したわけではないので、マティアス・ホーゼンフェルト伯爵の養子については、それ以上話題になることはない。


「この戦いで勝利すれば、ルーテシア王国以来の偉業、大陸西部の統一が叶う。アレリア王家と、全てのアレリア王国人のための前進だ……父上が俺たちに遺した大陸統一の野望、そこへ向けた巨大な一歩となる」

「……はい。誠に喜ばしいことです、兄上」


 エマニュエルは答えながら、どこかもの哀しい目で兄を見る。

 キルデベルトから視線は返らない。異様な熱を帯びて語る覇王の視線は中空に据えられ、そこに父の亡霊を、父が遺した呪いをただ見ている。

 兄がそれらから解放されることはおそらく生涯ないと考えるからこそ、エマニュエルは哀しさを覚え、その感情をただ胸に秘める。


・・・・・・


 年が明けた冬の後半。先の戦いで多くの死傷者を出し、充足率が著しく下がっていたエーデルシュタイン王国軍フェルディナント連隊は、ようやく千人の定数を満たした。

 負傷者のうち、療養を終えて復帰が叶った者が数十人。そして、新たに叙任された騎士や、訓練部隊から送られてきた補充兵が三百人近く。

 回復した順に復帰した元負傷者とは違い、新任騎士と補充兵に関しては、一まとめに送り込まれてきた。最前線の防御陣地、その傍らの野営地の一角に集結した彼らを、フリードリヒは連隊長として迎えた。かつて自分が、亡き養父からこの連隊に迎えられたように。


「……若いね」


 多くは緊張した面持ちで並ぶ彼らを見回しながら、フリードリヒは周囲にだけ聞こえる程度の声で呟く。


「新任の騎士の大半は、本来であればあと数年程度、修業を積むはずであった貴族家や騎士家の子弟です。兵士の多くは、この冬に王領内での募兵に応じた若者たちだと聞いています。王国軍の規定通り、一応は全員が成人を迎えているとのことですが」


 答えたのは、王都からここまで補充兵力の面々を連れてきた副官グレゴールだった。


「私が騎士として王国軍に入隊したのも、成人から間もない時でしたが……当時の自分の能力を思うと、それと大差ない者が兵力の三割近くを占めるという状況は辛いものがありますね」


 続いて、騎兵大隊長となった騎士オリヴァーも言う。連隊長かつ貴族家当主となったフリードリヒに対し、彼も公の場では、もはや気安い口調で話すことはしない。

 まだ戦場を知らない騎士と兵士たち。ほとんどが若者で、その顔は初々しく、あどけなさすら感じられる。そんな者たちが例年通り数十人程度ならばともかく、今やこの連隊の実に三割弱を占めることとなった。

 彼らはただ単に若いだけでなく、練度にも不安が残る。現に、彼らが整列を急ぐ様にも練度不足が見て取れる。

 貴族家や騎士家の子弟でも、優秀な者は成人と共に叙任を受け、入隊する。かつてのオリヴァーのように。成人済みでもまだ修業を積む予定だったこの新任の騎士たちは、実力的には各家の子弟の二線級以下。今この国に残っている人材の中では、武器を扱えて馬に乗れるのでましな方だという、それだけの者たちということになる。中には本来騎士ではなく、王城の文官や実家の官僚になる予定だった者もいるのかもしれない。

 そして兵士たち。本来は最低でも一年、訓練を受けるところ、彼らは僅か数か月、下手をすれば一か月足らずの訓練で促成され、実戦部隊たるこの連隊に送り込まれてきた。志願した以上は士気高いのだろうが、実力に期待はできない。

 オイゲンやバルトルトをはじめ、実力も経験も兼ね備えた古参軍人たちを多く失い、その代わりに来たのが彼らだと思うと、頼りないことこの上ない。決して彼らのせいではないので、表立って失望を語ることはしないが。


「……グレゴールはやっぱり、先のロワール王国との大戦を思い出す?」

「はい。あの頃の先代様や私、先代シュターミッツ卿やバルトルトが、現在の閣下やオリヴァーと似たような立場でした。新進気鋭と言えば聞こえはいいですが、実際はただ先達たちの戦死によるくり上がりで将や隊長格になった者たちが、未熟な補充兵力を率いて分の悪い決戦に臨もうとしていました」


 淡々と語るグレゴールの言葉に、フリードリヒは微苦笑を零す。


「そうか。父上をはじめ先達の方々が同じような試練を乗り越えたんだ。後を継いだ僕たちも頑張らないとね……それじゃあ、彼らに歓迎の言葉をあげよう」


 ようやく整列を終えた補充兵力の面々を、フリードリヒは壇上からあらためて見回す。

 若く頼りない。しかし、彼らもこちらを見てそう思っていることだろう。今でこそ自分も、英雄に見出された実績といくつかの武勇伝で名を知られてはいるが、おそらく予想よりも細く雄々しさのない将を見て落胆した者も多いはず。

 まずは彼らに、自分を将として認めさせなければならない。言葉をもって。

 言葉で説得力を抱かせるのは得意だ。


「傾注! 連隊長閣下のお言葉である!」


 グレゴールが言うと、並んだ補充兵力の面々が、そしてその周囲を囲む連隊の皆が、一斉に姿勢を正す。彼らを前に、フリードリヒはゆっくりと口を開く。


「新たに配属された騎士と兵士の諸君。エーデルシュタイン王国軍フェルディナント連隊へようこそ。私が連隊長のホーゼンフェルト伯爵フリードリヒだ」


 かつて、この壇上に立つ父の言葉を聞いた日を思い出しながら、フリードリヒは言う。


「皆も知っての通り、私は先代ホーゼンフェルト伯爵マティアスの養子。父より爵位と連隊長の職務を受け継ぎ、ここに立っている。父は世を去った。エーデルシュタインの生ける英雄はもういない。この世のどこにもいない」


 暗い語り出しに、居並ぶ新米の騎士と兵士たちは驚いた表情でフリードリヒを見る。

 それらの視線を意に介さず、フリードリヒは言葉を続ける。


「だが、その志までもが失われたわけではない。命に代えても祖国を守る。この国に生きる全ての者の故郷を、家や土地を、そして家族を守る。その志を私は受け継いだと自負している。そして確信している。私だけではないはずだと。ここにいる皆が、英雄の志を受け継いでいるのだと。入隊したばかりの君たちもそうだ。国を守らんと決意したからこそ、君たちは王国の苦境に怯むことなく、王国軍旗の下に集ったはずだ」


 段々と言葉に熱を込めながら、段階的にそうなるよう意図して、フリードリヒは語る。


「私は英雄の後継者だ。英雄の象徴たるホーゼンフェルトの家名を、そして祖国を勝利に導く英雄の力を受け継ぐ者だ」


 自身の胸に手を当て、フリードリヒは堂々と宣言する。


「そして、君たちは私と共に英雄の遺志を受け継ぐ者だ。勇敢なる君たち一人ひとりが、英雄の遺志を受け継ぐにふさわしい王国軍人だ」


 居並ぶ騎士と兵士たちに手を向け、フリードリヒは力強く訴える。

 新米の騎士や兵士たちから向けられる視線から不安や困惑が消え、代わって将への期待と戦いへの熱量を帯びていくのを感じながら、フリードリヒはなおも言葉を続ける。


「我々は祖国を守るために、侵略者の軍勢と戦う。なればこそ、大義は我らのもとにある。正義は我らの手にある。神は我らと共にある。私は父より受け継いだこの家名に誓って、英雄の後継者として君たちを勝利に導こう。英雄の遺志を継いだ軍勢の一人として、諸君と共に勝利を掴もう……エーデルシュタイン王国に栄光あれ!」


 高らかに宣言し、言葉を終える。

 エーデルシュタイン王国に栄光あれ。

 これまで共に戦ってきた連隊の騎士と兵士たちが、同じ言葉をもって応えた。彼らの揃えた声の力強さが、フェルディナント連隊の精強さの象徴だった。

 エーデルシュタイン王国に栄光あれ。

 自然と、補充兵力の面々も応えていた。当初フリードリヒを頼りなく見ているのが明らかだった彼らは、今やフリードリヒを英雄の後継者として認めているのが明らかだった。

 フリードリヒが手を掲げて場を締めるまで、彼らは三度、連呼した。元より連隊にいる者たちと新たに加わった者たちが声を揃えて同じ言葉を叫んだ後には、ここにいる全員がひとつの連隊として、少なくとも志においては既に確かな一体感を帯びていた。

 自分を将とする新たなフェルディナント連隊が、ここに完成した。その手応えを感じながら、フリードリヒは微笑を浮かべる。

 我ながらよく口が回る。この口に何度救われてきたことか。


・・・・・・


 エーデルシュタイン王家の居城より、軍勢が発とうとしていた。

 女王クラウディア・エーデルシュタインと、道中の護衛を務める近衛隊。今までは王城を拠点に決戦準備を進めていたクラウディアは、これより最前線の防御陣地で決戦までの指揮をとる。

 場合によっては、生きて帰還することが叶わないかもしれない出陣。その見送りには、先王の王妃であり、クラウディアの母であるアレクシア・エーデルシュタインも来ていた。


「……母上」


 夫と息子を失った母を一人残し、戦場に発つ。仕方のないこととはいえ、母の心中を思うと罪悪感は拭えない。

 クラウディアがどう言葉をかけるべきか迷っていると、アレクシアは気丈な笑顔を見せる。


「あなたが留守の間、王城と王都のことは心配しないで頂戴。これでも長年王妃を務めた身です。日々の政務なら問題なくこなせるわ……だから、あなたはあなたの信じる女王の姿で、自分が為すべきだと思うことを為してらっしゃい」


 普段は温厚で控えめな母が秘める強さを、クラウディアはその言葉と表情に見た気がした。


「はい。必ずや王国を勝利に導き、決戦の後も女王としてこの国を守っていく覚悟です。帰還までの間、王国の中枢をお任せいたします」


 あえて言葉にすることで覚悟を明確に示し、それが事実となることを願いながら、クラウディアはアレクシアと抱擁を交わす。

 そして、自身専用の軍馬に乗り、近衛隊と共に王城を発つ。総大将として戦場に向かう。

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