第135話 決戦への軍議②

 自身の表情が苦いものになるのをフリードリヒは自覚し、隣からはディートヘルムが小さく鼻を鳴らす音が聞こえた。さらにその隣を見ると、レベッカでさえも微かに眉間に皺を寄せている。反応を示さないのは、既に話を聞いているのであろう近衛隊長グスタフのみだった。

 反応したのは王国軍の将だけではない。領主貴族の中には、もっと明らかな動揺を見せる者も少なくない。説明したアルフォンス自身も、緊張を顔に浮かべている。

 無理もないことだった。最低でも五千以上、場合によっては一万以上もの兵力差を覆して勝利を掴むのが容易でないことは、熟考するまでもなく誰でも分かる。


「幸いと言うべき状況だな」


 クラウディアの言葉が、重い沈黙を破る。一同は驚いた表情で女王を見る。


「本来、アレリア王国の人口を考えれば、現在の予想をさらに上回る兵力を動員してきてもおかしくなかった。しかし実際は、敵側の国内の不安定が影響し、こちらとの兵力差は絶望的というわけではない。そしてこちらの兵力には、帝国からの援軍も含まれる。最新装備を身につけた、実数以上の力を持った援軍だ。加えて、我が国の軍勢は正規軍人から徴集兵に至るまで、かつてないほどに士気高い。アルンスベルク要塞と多くの優秀な将兵を失い、同時に偉大な王を失ったとき、誰がこれほどの好条件での決戦を予想しただろうか」


 彼女が語る内容はもちろん、自信と余裕を感じさせる落ち着いた声によっても、天幕内の重い空気が払拭されていく。


「我が国の国力と政情を考えれば、これだけの戦力を揃え、勝機を手にして戦えるのはこの一度きり。それは諸卿も理解するところだろう」


 その言葉に反応を示す者はいなかったが、誰もが同意しているのが空気で分かった。

 王太女時代よりクラウディアが国政の実務を担っていたおかげもあり、国王崩御の直後ながら内政の混乱はない。そして、あの伝説的な戴冠式によって、現在のクラウディアは父王ジギスムントにも劣らない存在感と威容をもって王国民の支持を集めている。

 しかし、全力を投入した決戦で敗北すれば、いかなクラウディアの実務能力をもってしても態勢を立て直す余裕はない。そして、あくまでも演出と演説によって民から支持と士気を引き出している以上、約束した勝利を下賜できなければクラウディアの求心力は失われる。

 彼女は君主としてジギスムントに比類する高みに立っているが、その足場は未だ細く脆い。足場が崩れ去ったときが、エーデルシュタイン王家、延いては王国そのものが滅びるときとなる。


「この機を逃す手はない。ここで必ず勝利を掴み、野蛮な侵略者の軍勢を完膚なきまでに打ち破るのだ」


 クラウディアの力強い呼びかけに、一同は威勢よく応えた。彼我の戦力差を聞いた際の後ろ向きな空気は薄れ、今はただ皆が勝利を見据えていた。


「では、勝利を掴むまでの具体的な策を練るとしよう……諸卿、好きなように発言してくれ。有用と考えるのであれば、どのような大胆な策を提示してくれても構わない。総大将たる私も駒のひとつとして自由に使え」


 女王の宣言によって、王国軍の将と領主貴族たちが一斉に議論を始める。


「やはり、帝国からの援軍三千と、こちらの騎兵戦力の使い方が勝敗を分けるか」

「加えて、徴集兵の使いどころも重要だろう。数だけは多く士気も高いが、そう複雑な動かし方はできまい」


 領主貴族の二人、その一方は父であるブライトクロイツ伯爵の言葉を聞き、ディートヘルムがアルフォンスの方を向く。


「バルテン閣下。こちらの騎兵戦力の総数について、目安のほどは?」

「九百を超え、千には届かない程度かと思われます。王国軍と貴族領軍に加え、傭兵や旧バッハシュタイン公爵領軍の軍人、引退した騎士、さらには正式に騎士の叙任を受けていない者からも、ひとまずまともに馬を扱える者をかき集めた際の総数になりますが」

「……その数では、打撃力として活用できる場面は一度きりになるかもしれないな。貴重な戦力、慎重に使わなければ」


 ディートヘルムに答えるアルフォンスの言葉を聞いて、呟いたのはレベッカだった。

 両軍ともに徴集兵によって軍勢の規模が膨らむため、相対的に騎兵戦力の割合は下がる。分散させれば打撃力が下がるため、基本的にひとまとめの部隊として運用し、勝敗を分ける決定的な場面で投入するのが得策。上手く使えば一撃のもとに敵の中核を打ち破る力を持つ以上、数で劣るエーデルシュタイン王国側にとっては切り札となる。


「では、騎兵部隊は敵の陣形の懐、可能であれば敵本陣を叩くことに使うのが得策でしょうか」

「とはいえ、敵もそう簡単に懐を見せてはくれないだろう。敵本陣を手薄にするとなれば、アレリア王が後方に控えさせるであろう予備兵力を前衛まで引きずり出す必要がある」


 東部貴族の代表の一人、オリヴァーの父にあたるファルケ子爵が言うと、それに北部貴族の代表の一人、レベッカの叔父にあたるアイゼンフート侯爵領軍の指揮官が答える。


「つまり、こちらの前衛で敵の前衛を受け止めた上で、さらにアレリア王に後衛投入を決断させるほどの善戦を見せなければならないわけか……」

「容易ではないでしょうな。正面で拮抗するとなれば正規軍人や傭兵だけでは足りず、徴集兵まで使わざるを得ません。民も士気高いですが、果たしてそれがどこまで持つことか」


 南部貴族の女伯が難しい表情で言い、それに西部貴族の一人が返す。

 そうして議論が交わされる中で、フリードリヒは無言を保ち、一人思案に耽っていた。天幕内を飛び交う会話。今日までに自身が考えた策。事前に聞いていた情報――帝国より送られる援軍と最新兵器の支援。今日新たに知った彼我の兵力の詳細。全ての要素を脳内で組み立てながら、ひとつの作戦を構築しようとしていた。

 さらにしばらく思案に時間を使った後、フリードリヒは会議机に広げられている地図に落としていた視線を上げた。居並ぶ者たちを見回すと、目が合ったのは女王クラウディアだった。フリードリヒが顔を上げたことに、彼女が最初に気づいた。


「ホーゼンフェルト卿。卿の作戦を聞かせてくれ」


 クラウディアの言葉に、自然と一同の注目がフリードリヒに向けられる。

 エーデルシュタインの生ける英雄の後継者。新たな英雄になり得る者。これまでいくつかの戦いで聡明さを発揮し、智将として名を知られつつある新たなフェルディナント連隊長。

 皆がフリードリヒの言葉を待っていた。ある者は信頼を込めた目で。ある者は未知数の将に対する期待と懐疑の目で。

 それらの視線を受け止めながら、フリードリヒは口を開く。


「まず、この冬のうちから実行に移したい策がひとつ。併せて、今のうちに始めたい準備がいくつかございます。アレリア王国との国境たるユディト山脈において――」


 複数の策を組み合わせた作戦の構想、その全容を、フリードリヒは順序立てて語る。

 戦の王道と言える策から、常識外れの奇策まで、様々な策をもって完成する作戦に、一同は静かに聞き入る。時おり、驚きを表情に見せたり、考え込むように息を吐いたりする者もいる。


「――以上が、私の考えた策の概要です。いかがでしょう」


 説明を終えたフリードリヒが問いかけると、しばしの沈黙の後、領主貴族の一人が発言する。


「さすがは英雄に認められし後継者、斬新な作戦だと思うが……そう狙い通りにいくものかと疑問を覚える点もあった。特に、敵徴集兵の士気を打ち砕く策などは」


 その意見に、幾人かが同意を示す。


「フリードリヒ。正直に言うと、俺も同感だ」


 隣からはディートヘルムが、小声で声をかけてくる。それに頷きつつ、フリードリヒはまた口を開く。


「戦に絶対はない以上、成功の保証はありません。ですが私個人としては、成功する可能性が十分にあるものと考えます――徴集兵たる平民、その心理については、この場のどなたよりも実経験をもって知るつもりです。私は田舎の平民上がりの身ですので」

「……なるほど。そう言われると確かに、この件については卿を信用するべきだろうな」


 そう返したのはクラウディアだった。女王が納得を見せた以上、他の者からもさらなる疑問や反論の声はひとまず上がらなかった。


「私からも疑問が。敵前衛をできるだけ長く押し止め、後衛の戦力までをも前におびき出す、と卿は言ったが、実行は言葉にするよりも遥かに難しいだろう。我らアルブレヒト連隊は戦列の堅さに自信を持っているが、万単位の兵力がぶつかり合う大戦となれば、我らだけでは前衛の全てを到底支えられない。数で大きく上回る敵の攻勢、果たして前衛全体の士気喪失や壊走を防ぎながら押さえ続けられるものか?」


 問いかけはレベッカからのものだった。それに対し、フリードリヒは厳しい表情で頷く。


「その点が、この作戦において最も大きな賭けだと考えています。女王陛下の御力によって高められた騎士と兵士たちの士気、それが勝利のときまで持ちこたえることに賭けるしかないと。とり得る策を強いて言えば、決戦前に女王陛下より前衛に立つ者たちへ御言葉をいただき、あらためて念入りに士気を高めた上で、部隊長たちにも戦闘時の部下の鼓舞に努めてもらうなど――」

「もっと良い策がある」


 唐突なクラウディアの発言に、フリードリヒは言葉を止めて彼女を向く。全員の視線が女王に向けられる。

 それからクラウディアが語った案は、誰にとっても、作戦の立案者であるフリードリヒにとっても驚愕すべきものだった。


「しかし女王陛下、それではあまりにも、御身が危険では……」

「構わぬ」


 女王の身を守ることを絶対の職務とするグスタフの言葉に、クラウディアは即答する。


「私の身の安全を優先して勝機を失っては意味がない。そもそも、私はエーデルシュタイン王国と一蓮托生の身。決戦に敗北し、国がなくなるのであれば、もはやこの命にも価値はない……最初に言ったはずだ、総大将たる私も駒のひとつだと」


 その言葉に、そこから伝わる覚悟に、フリードリヒは畏敬の念を覚えた。軍議の場を見回すと、誰もが同じ心持ちのようだった。

 他に、フリードリヒの作戦に疑問や異議を唱える者は出ない。それを受けてクラウディアは、あらためて表情を引き締める。


「戦い方は決まったな。では諸卿、委細について話し合おう」


 女王の言葉に一同も従い、エーデルシュタイン王国を勝利に導くための軍議が続く。

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