第133話 帝国訪問③

「女王陛下。リガルド皇帝家はこのダスティンを、陛下のもとへ婿入りさせたく存じます。皇帝家とエーデルシュタイン王家が血縁で結ばれ、揺るぎない絆を共有することは、我が国のみならず貴国にとっても大きな利益となりましょう。両国の友好関係が、次代へと続いていく保証となるのですから」


 ダスティンの手前もあり、皇太子の立場として口調を正すエドウィンに対し、クラウディアは全力で微笑を堅持しながら思案する。

 帝国から伴侶を迎える事態は、できることならば避けたかった。

 あまりにも国力差のある友邦。そこから王家の直系に皇族を迎えれば、両国の姻戚関係は平等なものたり得ない。皇帝家は王配の実家なのだからと、今まで以上に有形無形の圧力をかけてくることとなるだろう。それを拒絶する力は、こちらにはない。

 粗雑な扱いはされるまい。皇族の婿入りする国なのだから。しかし、選択の余地を奪われ不自由な思いをする場面はいずれ必ず出てくると思うべきだろう。

 帝国は友邦である。しかしそれは、二正面作戦を避けたいかの国の事情もあってこそ。エーデルシュタイン王国はあくまでも大陸西部の一員。民族も、信仰する宗教も違う大陸中部の大国と、あまりに近づきすぎれば国家としての自立を失いかねない。

 だからこそ、帝国とは一線を引いてきた。王家の傍流の娘が、皇帝家と近しい帝国貴族家に嫁いだ例が過去一度だけあったが、それだけ。皇帝家の血をエーデルシュタイン王家の直系に迎えることは避け続けてきた。

 その一線をここで越えれば、後戻りはできない。今後、王家は諸刃の剣を抱えながら、これまでより数段複雑で困難な外交を強いられることになる。

 クラウディアはダスティンを観察する。こちらより一回りも年下の、家族から政略結婚に利用されようとしているあどけない青年は、不安に満ちた顔でクラウディアの返答を待っている。


「……ダスティン皇子」


 呼びかけると、ダスティンはぎくりと身体を竦ませた。その様に小さく苦笑し、クラウディアは彼に歩み寄る。


「ここに誓おう。貴殿が王配として、エーデルシュタイン王国で心地よく暮らしていけるよう力を尽くすと。良き夫婦として共に王国を支えていけるよう、私もできる限りの努力をすると」


 クラウディアの言葉に、ダスティンは一瞬呆けた顔を見せ、そして表情が安堵に包まれる。


「では、女王陛下は皇帝家の提案を受け入れてくださるものと?」

「ああ、そう理解してほしい」


 ダスティンに代わって尋ねたエドウィンに、クラウディアは首肯する。

 帝国とアレリア王国。悩むような二択ではない。尊大な隣人が気に入らないからといって、暴虐な侵入者に支配されるなど論外。皇帝家から婿を迎えても直ちに王国が亡ぶわけではない。


「貴家の望む利益は以上か?」

「はい、鉄の輸入と第四皇子の婿入り、この二点にございます……いえ、あと一つございました」


 そう言われて身構えるクラウディアに、エドウィンは挑発的な笑みを向ける。


「アレリア帝国が総力を注ぎ込む軍勢を、完膚なきまでに叩きのめしていただきたい。そして可能であれば、キルデベルト・アレリア国王を討っていただきたい。安寧を堅持するための猶予、あるいは安寧そのものを利益として示していただけたならば、我が国よりの助力は最良の形で報われましょう」


 それに、クラウディアも笑みで応える。かつてなく不敵な笑みで。


「無論、最初からそのつもりだ。大陸西部の歴史に刻まれる大勝利をもって、貴国の助力に応えよう……ここで交わされた約束通りの助力をしてくれるものと信じているぞ。エドウィン・リガルド皇太子」


 クラウディアの言葉に、エドウィンは笑みを深める。


「ご安心ください、陛下。リガルド皇帝家は約束を守ります。これより血縁で繋がる、大切な友と交わした約束ともなれば尚更に。唯一絶対の神に誓って」


 それに対し、クラウディアは皮肉な笑みで返す。

 友か。危機にある相手が、決して断れない申し出をすることを友情とするか。

 さすがは帝国。しかしこの力を借りなければ、王国は危機を脱しえない。


・・・・・・


「……そうか。では、結局は全てお前の望んだ通りとなったわけだ」


 皇帝の執務室。会談の内容をエドウィンが報告すると、ウィリアムは豪奢な椅子の背に身体を預けたまま呟く。


「兵力に加え、漆黒弓と漆黒弩をもってエーデルシュタイン王国に助力する件、お許しをくださりあらためて感謝申し上げます、父上」

「構わん。西についてはお前に一任すると宣言したのは、他ならぬこの儂自身だからな……とはいえ、微塵も呆れていないと言えば嘘になる。それほどまでにかの国が好きか?」

「……はい。かの国には好くだけの価値が未だあると、愚考いたします」


 父に対する敬愛と、皇帝に対する少しの不遜を込めた笑みで、エドウィンは答える。そんな継嗣に対し、ウィリアムは鼻で笑うような反応を見せる。


「どちらにせよ、お前が賭けに出ると決めたのだ。儂は口を挟まぬ。助けもせぬがな。大陸西部との外交も満足にこなせず、ここで賭けに大負けして宮中での求心力を失うならばお前もそれまでの人間。世継ぎの筆頭がその程度の実力しか持たぬなら、帝国もそれまでの国よ」

「寛大なる御言葉とともに見守っていただき、誠にありがたく」


 恭しく一礼しながら、エドウィンは不敵な笑みを隠す。

 偉大なる皇帝。畏れるべき父。未だ敬意は抱いているが、その姿にはやはり老いを見る。老いて衰えた父よりも、今や自分の方が良い判断を下せると密かに考えている。

 エーデルシュタイン王国は得難い友邦。こちらの助力の条件を呑んでくれたことで、戦後はより頼もしい友邦になるだろう。三千の兵力を賭けに差し出す価値があるほどの友邦に。

 帝国の中枢に立ち、帝国の将来を見据える次期皇帝として、エドウィンはそう判断した。あとは人生を完結させるばかりの老人である父と違い、自分はこの先数十年を皇帝として生きなければならない。だからこそ、自分はこの先数十年の未来を見据えた決断をしなければならない。

 望む未来を得るため、時には賭けに出ることも避けられない。それは国であろうと人であろうとこの世に在るもの全ての宿命。巨大な帝国とてその宿命からは逃られない。

 リガルド皇帝家にとって、この帝国にとって、今がその時だとエドウィンは考えている。守勢に回って安寧の時間稼ぎに甘んじるより、この先もエーデルシュタイン王国を西の隣人とすることに賭ける方が、帝国により良い未来をもたらす英断であると信じている。


「それでは父上。また後程、エーデルシュタイン女王を歓迎する宴の場にて」


 報告を終えたエドウィンは、ウィリアムのもとを辞去し、皇太子の執務室に戻る。椅子に腰を下ろしてひと息つくと、主を迎えた筆頭秘書官のユリシーズが手早くお茶を淹れてくれた。


「疲れるな。警戒心の強い友人と話し、その後に老いた父と話すのは」

「ご苦労さまでございました、殿下」


 ユリシーズのどこか艶のある笑みが、エドウィンを癒す。

 皇太子付の秘書官であり、軍部に影響力の大きい大家の跡取りである彼は、エドウィンが帝位を継いだ後も側近となる存在。数少ない、気を許せる相手だった。


「エーデルシュタイン王家と交わす誓約書はどうだ?」

「ただいま書記官たちが作り進めております。明日までには問題なく完成するかと」


 エドウィンの問いに、ユリシーズは答える。彼の涼やかな声もまた癒しとなる。

 一国の主が交わす誓約書ともなれば、それ自体がある種の芸術品となる。記す文字さえも装飾じみたものとなり、会談で両国が合意した結果を文書にするにもそれなりの時間を要する。


「ならばよい。後は今宵の宴で、エーデルシュタイン王国への助力の決定、そしてエーデルシュタイン女王とダスティンの婚約を公表すれば、両国とも後戻りはできない……貴族どもが喜ぶな」

「彼らにとってはめでたきことでしょう。そして、殿下ご自身にとっても」

「何だそれは。この俺までもがラングフォード卿の語る美談に感化されたとでも?」

「ええ。少なからずそうであると思っておりますが」


 どこか得意げな笑みでユリシーズは答え、エドウィンは苦笑を零す。

 皇太子たる自分には、この国のほぼ全ての者がへりくだる。身内でさえも大半の者が。

 そんな中で、気安く軽口を叩いてくれる者は貴重。ユリシーズはその貴重な一人であり、だからこそ愛しい。単なる臣下の一人ではない。


「口の減らない奴め。だが、お前に格好をつけても今さら仕方あるまい……確かに、俺はこのようなときを待っていたとも。手に汗握る勝負に出るときを」


 クリストファー・ラングフォード侯爵の語る美談には、宮中の多くの者が心を動かされた。エドウィンもその一人だった。

 もちろん、エーデルシュタイン王国への助力に関しては、皇太子として帝国の利益を考えた上で決断した。と同時に一個人としては、このような決断に至ったことを内心喜んでいる。

 自分の半生は平穏だった。平穏は退屈と表裏一体。このままただ血統を理由に帝位を与えられるのではつまらない。この自分が帝位に至るのは、それに相応しい成果を得た上でありたい。何かを乗り越えた皇帝として君臨したい。そう願ってきた。

 だからこそ今、エドウィンは情熱に燃えている。皇帝家の誇りにかけて借りを返し、友邦の危機を救った勇気ある皇太子として、いずれ帝位につく己を想像しながら心が滾っている。


「殿下は神に愛されておられます。殿下ならば、必ずや勝利を得られるでしょう」

「お前に言われると心強いな。たとえ気休めであろうとも……ほら、傍に来い」


 エドウィンが手招きすると、ユリシーズは少し困ったような笑顔を見せる。


「ですが、そろそろエーデルシュタイン女王との宴に向かわれる準備をなさるべきでは――」

「少しだけだ。可愛がってやるから、こっちに来い」


 結局、ユリシーズは困り顔のままエドウィンの傍に寄る。男性にしては線の細いユリシーズを、エドウィンは優しく抱きしめ、そしてどちらからともなく口づけを交わす。

 エドウィンの寵愛は、彼がただ愛でたいと思った対象に注がれる。年齢も、性別も、身分も、エドウィンがその大きな愛を下賜する上で障壁にはなり得ない。

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