第132話 帝国訪問②
エドウィンはクラウディアの殊勝な態度に満足げな笑みを見せ、そしてまた口を開く。
「三千だ」
端的な一言が、説明の始まりだった。
「無論、脆弱な徴集兵などを送って済ませようというのではない。正規の帝国軍から成る三千の援軍を送ろう。援軍を食わせる物資と輸送手段も自前で用意する。南洋を通して海路で送ることになるので、貴家の港は優先的に使わせてもらいたい」
ルドナ大陸の南には海が広がり、紺碧海という正式名称があるが、大陸諸国からはそのまま南洋と呼ばれることが多い。
エーデルシュタイン王国とアレリア王国に面した沿岸部、ユディト山脈の延長線上には岩礁地帯があり、両国を海路で行き来するにはこの岩礁地帯を迂回しなければならない。大部隊が上陸できる地点は限られることもあり、海路による侵攻は事前に察知され待ち構えられるのが必至のため、両国の戦いは専ら陸で行われる。
しかし、帝国をはじめとした東方との交流においては、沿岸航海による海運もよく利用されている。エーデルシュタイン王家は王領南端の沿岸部に、貿易のための港町を有している。、
「この援軍には、我が帝国が開発し、量産を開始した漆黒弓を持たせる。漆黒弓については?」
「……噂程度ならば知っている。従来の弓よりも、三割増しの有効射程を持つという、帝国の最新兵器だな」
エドウィンの問いかけに、クラウディアは頷く。
漆黒弓は、複数の素材を組み合わせて作る複合弓の中でも、現在のルドナ大陸において最新鋭かつ最高性能のもの。帝国が数年前に開発し、シーヴァル王国との紛争において少数を試験的に実戦投入してきたと言われている。
素材についてはエーデルシュタイン王家も多少の情報を入手しているが、具体的な加工方法は帝国の国家機密となっており、友邦といえどそうそう盗み聞きはできない。そのため、漆黒弓は当面の間、帝国のみに有利をもたらす兵器となる。
それを装備した部隊を借りられるとなれば、エーデルシュタイン王国もその有利を一時的に共有できる。
「加えて、これは兵ごとではなく装備のみの提供となるが、漆黒弩という新型クロスボウ、その試作段階のものを百挺作り、貴軍に貸し与えよう。漆黒弓と同じ素材を使うことで、従来のクロスボウの威力を維持しつつ小型化したものだ。片手で構えられるので、事前に弦を引いての一射に限るが、騎乗して走りながらでも矢を放つことができる。軍部によると試作型は耐久性に難があるそうだが、それでも実戦で一射する程度ならば何ら問題ないと。使いどころ次第では強力な効果を発揮するだろう」
大盤振る舞いとも言えるエドウィンの申し出に、クラウディアは思案を巡らせる。
現状、帝国はシーヴァル王国と衝突をくり返しているが、その規模はいずれも小競り合い程度と聞いている。おそらくは自軍での運用に先立って、友邦の戦争で試すつもりなのだろう。漆黒弓が大規模な会戦でどの程度の戦果を上げられるのかを。作られたばかりであろう漆黒弩とやらが、実戦において有効な打撃力を発揮するのか否かを。
漆黒弩の耐久性の話は、やや白々しい。漆黒弓と違って戦闘中での鹵獲や紛失の可能性が高いことを踏まえ、耐久性を犠牲にして加工工程の一部を意図的に省くことで、弓部分の製造方法を簡単に解析されないようにするつもりか。
「漆黒弓を装備した弓兵部隊が三千。部隊長には帝国側の士官を置き、比較的安全な後衛での運用を希望するが、最終的な指揮権は貴国に預ける。そして馬上で扱える漆黒弩が百。こちらも運用方法については一任しよう。貴国にとっては十分な助力になると思うが、どうだ?」
「貴殿の言う通りだ。誠に心強い戦力となるだろう」
敵側よりも遥かに長い有効射程を持つ弓を装備した、よく鍛えられた職業軍人による弓兵部隊。それが三千。エーデルシュタイン王国軍の全残存兵力に等しい規模。そして騎馬の機動力を活かしながら、一撃のもとに敵を屠ることのかなうクロスボウ。どちらも使い方によっては現在の不利を覆し、勝利のきっかけを掴み得る力となる。
正直に言って、予想を上回る頼もしい助力だった。
もちろん、他国の戦力だからといってわざと損耗を強いるような運用はしない。こうして事前に釘を刺されながらそんなことをすれば皇帝家の恨みが恐ろしい上に、こちらとしても漆黒弓の部隊には後衛から援護を長く続けてもらった方が勝利の助けとなる。
「しかし、皇帝家の保有する最新兵器についてはともかく、よく三千もの兵力とそれを運用するための物資を用立てられるものだな。自国の戦いではなく、劣勢著しい状況となった友邦のために。帝国貴族たちの反発などは?」
クラウディアが尋ねると、エドウィンの笑みが皮肉めいたものに変わる。
「心配無用。反発どころか、むしろその逆だ。貴族どもの反応を見るため、貴国への助力を仄めかす噂を流したところ、過半の者が乗り気の様子だった……これも、ラングフォード卿の働きの成果だろうな」
エドウィンの口から出たのは、筋金入りの親エーデルシュタイン派であり、今は帝国本国にいる大使、クリストファー・ラングフォード侯爵の名だった。
「帰国してからのあ奴の働き、誠にいじらしいものだぞ。あ奴だけではなく、侯爵夫人も揃っての活躍だ。帝国の社交界で己らの恥を語ることを厭わず、同時に貴国の軍人たちの尊き覚悟と奮闘を語り広めている。帝国大使を守るためにエーデルシュタイン王国の騎士たちがいかに頼もしく勇敢に戦ったか、帝国軍騎士たちとの共闘とそこに芽生えた友情がいかに美しかったかをな」
「……侯爵夫妻の言葉に感化され、帝国貴族たちがエーデルシュタイン王国への助力に賛成してくれたと?」
「私としても予想以上の状況だが、そういうことだ。やはりあの男、今となっては夫人の方もか、言葉を語る才は人並み以上に持っているようだな……帝国は借りを返す。ラングフォード卿が持ち出した古臭い名言を、今や決まり文句のように語る貴族も多いぞ」
エーデルシュタイン王家としても、帝国の貴族社会の動向はある程度掴んでいた。昨年のフリードリヒたちの戦いを脚色して美談とし、エーデルシュタイン王国側からも広めることで、クリストファーを援護することさえしてきた。それが一定の成果を上げているらしいとは分かっていた。
が、まさか帝国貴族の過半が助力に賛成してくれるほどに盛り上がっているとは。
帝国は借りを返す。それは覇権国家の一員たる彼らの、尊大さと表裏一体の誇り高さを象徴する言葉。今となっては古風な言い回しだが、クリストファーの巧みな演説と共に語られたならば、さぞかし帝国貴族たちの矜持をくすぐったことだろう。
良くも悪くも、貴族とは誇り高い。覇権国家の一員を自負する帝国貴族ならば尚更に。
「なので、貴国への助力に際して、帝国内に政治的な障壁はない。皇帝家が決断すれば、貴族たちは抵抗もなく従うだろう……後は、貴国がこちらの望む利益をくれるか否かだ。そろそろこの点について話そうか」
喜びを覚えていたクラウディアの内心が、エドウィンのその言葉で再び冷えた。
今一度表情を引き締め、クラウディアは無言で頷き、皇太子の言葉の続きを待つ。
「まずは物的な利益について頼もう。エーデルシュタイン王家の富の源泉と言えば鉄だ。貴国は現在この鉄の輸出量を制限しているが、その制限について、我が国に関してはしばらくの間、大幅に緩和してほしい。合わせて、価格に関しても誠意を見せてもらいたい」
「……具体的には、どの程度の制限緩和と誠意とを所望する?」
警戒しながらクラウディアが問うと、それに対するエドウィンの返答は、エーデルシュタイン王国がなんとか現実的に許容し得るものだった。帝国に対してはほとんど利益の出ない輸出を向こう十年ほど続けることとなるが、大きな助力への対価としてはぎりぎり受け入れられる痛みだった。
なので、頷く他に選択肢はない。端からこちらに選択肢などない。
「分かった。受け入れよう」
「さすがは賢明なる女王。協力的な態度に、帝国を代表して感謝する……もうひとつ、こちらは政治的な利益についての話となる」
言いながら、エドウィンは応接室の隅に控える側近に手振りで何か合図した。
側近はすぐにエドウィンの背後の扉から出ていき、間もなく一人の青年を伴って戻る。
その青年はひどく緊張した様子だった。まだどこかあどけなさを残している彼の顔と服装を見たクラウディアは、立ち上がって迎える。その様を横目に、エドウィンは青年に促す。
「さあ、友邦の女王陛下に挨拶をするがいい」
「……お、お久しぶりにございます。帝国第四皇子ダスティン・リガルドにございます」
促された青年は、ひどく緊張したままの声で言い、ややぎこちなく一礼した。
ダスティン・リガルド第四皇子。昨年成人した、皇帝の末子。
「これはこれは、久しいな。以前に会ったとき、第四皇子殿は確かまだ十歳、いや九歳だったか。立派になられたものだ」
クラウディアは事務的な微笑で言う。かつて帝国の社交の場で一度だけ挨拶した少年の面影がまだ残っているからこそ、彼が第四皇子だと分かった。
エドウィンがこの場に彼を呼んだ理由は――
「女王陛下。リガルド皇帝家はこのダスティンを、陛下のもとへ婿入りさせたく存じます」
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