第131話 帝国訪問①

 リガルド帝国、帝都セントアルジャーノン。その人口は三十万に届くとも言われるルドナ大陸最大の都市を、クラウディア・エーデルシュタインは訪れていた。

 本来、君主の隣国来訪ともなれば多くの供を連れ、片道数週間をかけて行うもの。しかし今の自分にそのような時間はないと考えているクラウディアは、戦時を理由に限られた供のみを連れ、自ら馬を駆り、日数を大幅に短縮した強行軍でセントアルジャーノンにたどり着いた。

 目的は、アレリア王国との決戦に際し、あらためて帝国の助力を乞うこと。

 一度は助力を確約したリガルド皇帝家だが、決戦の条件が大きく変わったために、約束は意味をなさなくなり、交渉は振り出しに戻った。その旨を帝国より通達されたクラウディアは、己の意思を、そして覚悟を明確に伝えて迅速な交渉を為すため、自らがこの帝都にやって来た。

 国内ではもちろん、帝国領土に入ってからも友邦の君主として、疲労した馬の交換や帝国軍騎士による案内など手厚い待遇を受けた。そのおかげもあって無事に強行軍を成し遂げ、皇帝家の居所たる広大な宮殿に入り、まずは帝国の主たる皇帝ウィリアム・リガルド二世と面会する。


「皇帝ウィリアム殿。此度は急な来訪を受け入れていただいたこと、心より感謝を。道中での手厚い待遇も、誠に助かりました」


 ひれ伏すことはしない。今や女王であるクラウディアは、形式上は隣国の君主と対等の立場。玉座につくウィリアムを前に直立したまま、あくまでも君主としての先達に対する礼儀として、左胸に手を当てて慇懃に一礼する。

 その挨拶を、ウィリアムは穏やかに受け止める。


「よくぞ参られた、エーデルシュタインの若き女王よ。我が友であったジギスムント殿の跡を継ぎし貴殿の来訪とあらば、歓迎は当然のこと。礼には及ばぬ……まずは、貴殿の父君に哀悼の意を表したい」


 ウィリアムの言葉に合わせ、居並ぶ王族や宮廷貴族たちが哀悼の証として、揃って黙礼を示す。


「ジギスムント・エーデルシュタイン国王は偉大な君主であった。その生き様からは私も多くを学んだ。そして、彼は友であった。同じ時代を生きた友を失うのは誠に悲しく、そしてひどく寂しいものだ……彼も無念だったことだろう。己の国の行方を見届けることができぬとは」

「温かき哀悼の御言葉、亡き父に代わり御礼申し上げます。父が神の御許より決戦の行方を見守っているものと思いながら、我が国は必ずや苦難を乗り越える所存です」


 返答の後半にクラウディアは力を込めた。それに対し、ウィリアムは特別に反応を示すことはせず、ただ静かに頷いたのみだった。

 この宮殿へ好意的に迎えられたのは、あくまでも両国の長年にわたる友好関係と、皇帝ウィリアムと父王ジギスムントの友情があるからこそ。自分への礼節もただ礼節に過ぎず、これからクラウディアが為す要求への色よい返事を約束するものでは何らない。

 クラウディアも当然それは分かっているので、一線を引いたウィリアムの反応に対して思うところはない。


「長旅で疲れていることだろう。今夜はささやかな歓迎の席を設けたい。まずは休息をとってもらい、宴を楽しみ、政治の話をするのは明日としてはいかがかと思うが?」

「誠に恐縮ながら、政治的な会談については本日中にも行いたく思います。こちらの事情で申し訳ありませんが、我が国では今この時も臣下臣民たちが奮闘している状況。女王である私が、何らの成果を得る前に宴を楽しむことは許されません」


 クラウディアの言葉は予想の範囲内だったのか、ウィリアムは驚くこともなく、思案の素振りもなく、また頷いて傍らに立つ皇太子に目配せをする。視線を受けて、皇太子エドウィン・リガルドが一歩前に進み出る。

 エドウィンを手で示しながら、ウィリアムはまた口を開く。


「貴殿の事情は、同じ一国の主として私も理解するところだ。その望み通り、今日のうちに交渉の場を用意しよう……貴殿も知っているだろうが、大陸西部諸国との外交については、我が長子であるエドウィンに全権を与えて任せている。具体的なことは息子と話し合うとよろしい」

「ご配慮に心より感謝します」


 深々と一礼した後に顔を上げたクラウディアに、今度はエドウィンが促すように手を示す。


「クラウディア・エーデルシュタイン女王陛下。交渉の場にご案内いたしましょう。どうぞ、私と共にお越しを」


 今や儀礼上の立場が上となったクラウディアに慇懃な態度で語りながら、微かに不敵な笑みを零したエドウィンに、クラウディアも微かに笑ってみせる。


「皇太子殿が自ら案内してくれるとは。誠に光栄だ」

「これも我が敬意とお受け取りください……それでは、参りましょう」


 今まで散々に、お互い明け透けな物言いをしてきた相手。皇帝も見ている場なので口調は丁寧なものだが、両者の間にはどこか皮肉めいた空気も流れる。そして、小さな火花も。

 最後にウィリアムへと一礼したクラウディアは、エドウィンに続いて謁見の間を出る。これから始まる交渉が、エーデルシュタイン王国の運命を左右する。


・・・・・・


「今後も、公の場以外ではいつもの調子で話してくれ。その方がこちらとしても楽だ」


 豪奢な応接室に案内され、席についてまず、クラウディアは言った。


「そうか、ではそうさせてもらおう」


 答えるエドウィンの顔に驚きはなく、クラウディアの提案を予想していたようだった。


「私としてもその方がありがたい。立場が変わったとはいえ、友に対してあまり堅苦しい態度で対話に臨みたくはないからな」

「……友か。我々が」


 半ば独り言ちるようなクラウディアの言葉に、エドウィンは笑みを見せる。


「友であろう。長きにわたり、友邦の次期君主として気安く言葉を交わして来た仲であろう。私は友のつもりであるし、貴殿がそう思っていないのであれば、そう思われるよう努力しなければ。そうして、いずれは我が父と貴殿の父君のような関係を築きたいものだ」


 優しい言葉とは裏腹に、エドウィンの笑みには今までと何も変わらない、悪気ない尊大さが見てとれた。

 クラウディアも笑みを返しながら、今一度気を引き締める。彼の言葉を言葉通り受け取りはしない。たとえ儀礼上はこちらの立場が上となっても、背負う国に力の上下があり、それがそのまま両者の力関係となる現実は変わらない。


「貴国の状況を思えば、悠長に雑談で場を温める気にもなれないだろう。早速本題といこうか」

「助かる。では単刀直入に言おう。エーデルシュタイン王国としてはあらためて、決戦に向けて帝国からの直接的な助力を乞いたい。貸してもらえるだけの戦力を借りたい」


 表現を飾っても仕方がない。どうせこちらの要求は相手も分かっている。そう考えているからこそ、クラウディアはずばり言った。


「明瞭な要望だな。受けるこちらとしても清々しいほどだ……友としては即座に頷きたいところだが、私も今はリガルド皇帝家を代表する身。軽々しく首肯はできない」


 エドウィンの返答は、クラウディアとしても当然に想像していたものだった。


「貴国の世相については皇帝家も情報を入手している。偉大な王を失った衝撃を乗り越え、今は随分と士気高く、王家も貴族も騎士も民も、皆が一丸となって決戦に燃えているそうではないか。そのきっかけとなった戦場での戴冠式についても聞いた……さすがは賢王の後継者。見事な手腕だ。世辞ではなく見事だと思う」


 素直な称賛に、クラウディアも素直に頷く。


「だが、いかに士気高くとも、それだけで勝てるわけではあるまい。両国とも準備に時間をかけて激突する以上、それが国家の総力を尽くす決戦となることは必然。貴国に勝機がないとは思わないが、問題はその大きさだ……貴国はジギスムント先王陛下のみならず、マティアス・ホーゼンフェルト伯爵をも決戦前に失った。老将オブシディアン侯爵も一線を退き、王国軍は兵力的にも手痛い損害を被ったそうだな。英雄の死には哀悼の意を抱き、彼をはじめ重要な戦力を多く失った貴国に同情もしているが、それと助力の件は別だ。当初の予定より数段悪い戦況となり、その分だけ勝機も小さくなったエーデルシュタイン王国に、帝国の戦力を貸してよいものか。それを考えなければならない」


 淡々と語るエドウィンの顔からは、その感情はうかがえない。尊大で気さくな皇太子も、今は冷徹な政治家だった。


「貴国から見ればいかにも無尽蔵の国力があるように思えるかもしれないが、帝国にとっても戦力は貴重だ。東のシーヴァル王国と睨み合い、長大な国境を守るために少なからぬ努力を強いられている現状、西に向けられる兵力は限られている……貴重な兵力を国外に出し、友邦の不利な決戦に参加させるというのは大きな賭けだ。無駄骨に終わり、損害を被る可能性の方が高い。そんな危険を冒すよりも、その兵力を国内に温存して国境の守りを固め、新たな隣国となるアレリア王国との対峙に投入する方が、より確実に帝国の安定を長らえさせるだろう。皇帝家としては、貴国とのこれまでの交流や、一度は確約した助力の話を覆してでも、確実性をとることを有力な選択肢としなければならないのだ。どうか分かってもらいたい」

「皇帝家の立場は理解している。そちらの考えを否定も非難もしない。逆の立場ならば私も、当然にそのような選択肢を持つ。その選択肢は、危うい状況となった小さな友邦を存続させる賭けに出る選択肢よりも、魅力的に映ることだろう」


 クラウディアが自虐じみた言葉で返すと、エドウィンは微笑を零した。そこには憐れみの感情も含まれている。


「無論、こちらも無条件に助力を得られるとはもはや思っていない。我が国への助力か、あるいは兵力の温存と国境防衛の備えか。皇帝家の中で二つの選択肢の魅力が逆転するにはどのような条件が必要かを、是非とも教えてほしい」

「……話が早くて助かる」


 視線を逸らさずクラウディアが言いきると、それに対して呟くエドウィンの笑みから憐みの気配が消えた。


「何も、複雑な条件を課そうというわけではない。貴国に助力するのが我が国にとって大きな賭けである以上、その結果として大きな利益を得られるのであれば、それは臨む価値のある賭けとなろう。皇帝家は貴国の勝利の果てに、危険な賭けに臨んだことへの対価となる利益を求める」


 やはりこれも、クラウディアが当然に予想していた言葉だった。どのような対価を求められるのか聞く構えに入ったクラウディアに対して、しかしエドウィンは不自然な沈黙を挟む。


「……その話をする前に、こちらの希望が受け入れられた結果、我が国が為す助力の具体的な内容について、大まかなところを伝えておきたい。貴国としては助力の条件と並んでそれが最も気になるところであろうし、こちらの求める対価が貴国の得られる助力に見合うものか、女王である貴殿が判断するのだからな」


 エドウィンの言葉は尤もだったが、会談の流れを操る主導権を相手に握られているようで、クラウディアとしては気に入らなかった。


「……いいだろう。聞こう」


 こちらが乞う立場である以上、元より主導権は相手のものか。そう思い直し、答える。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る