第130話 空虚
アルンスベルク要塞攻略の総指揮を担ったツェツィーリア・ファルギエール伯爵は、要塞奪取を成し遂げた後、パトリック・ヴィルヌーヴ伯爵や「王の鎧」をはじめとしたアレリア王国軍の精鋭たちと共に王都サンヴィクトワールへと一時帰還した。
奪取した要塞を守りつつ物資の集積を進める前線の指揮は熟練の老将ロベール・モンテスキュー侯爵に任せ、自身は王都に留まりながら、後方での準備を手伝っていた。
とはいえ、この段ではツェツィーリアの役割はあまり多くない。王国各地から兵力を集結させる準備については政治的な仕事の側面が大きいので、主に宰相たる王弟エマニュエル・アレリアの役割。ツェツィーリアは将として軍事の知識面でエマニュエルを補佐しつつ、彼が考えた作戦概要をもとに細かな実務を手がける役に回る。
仕事はあるが量としてはさしたるものではなく、比較的に穏やかな日々。これはノヴァキア王国攻略からアルンスベルク要塞奪取まで、自ら最前線に立って王国史上最大級の作戦を指揮し成功せしめたツェツィーリアの休息も兼ねていた。
「――では、いただいた助言をもとに計画を修正し、準備を進めましょう。物資が王都に集まり次第、それを前線へと送る手配はファルギエール卿にお任せすることになるかと思います」
「お任せください。確実に己の務めを果たしてまいります」
十月のある日。例のごとく登城し、エマニュエルとの会議を何ら問題なく終えた後、ツェツィーリアは彼と微笑を交わしながら言う。お互い、穏やかな笑顔を作ることには慣れている。
「国王陛下は、本日も?」
「ええ。今日の午前中は、『王の鎧』の兵士三人の自宅を訪問。午後は戦死した精鋭たちの墓参りを時間の許す限り行うそうです……自分が王城を留守にすることが多いために、頻繁に登城するファルギエール卿にもろくに会えず済まない、と伝えるよう言われています」
「いえ、そんな畏れ多い。陛下が現在行われていることの意義は理解しているつもりです。この慈悲深さこそが陛下の偉大さの証なのだと、敬服するばかりです」
エマニュエルより伝えられた王の言葉に、ツェツィーリアは首を横に振りながら答えた。
国王キルデベルト・アレリアは、王国中央から動員された精鋭たちが王都に帰還してからというもの、彼らの精神面への対応を続けている。
元は春先の観兵式に臨んだだけの彼らは、そのままノヴァキア王国攻略に投入され、ようやく帰還できると思ったところでさらにアルンスベルク要塞攻略に臨まされた。
王都出発に際して家族に事情説明や別れを伝えることもできず、手紙を送ることを許されたのもノヴァキア王国の王都ツェーシスを陥落させた後の一度だけ。その際も多くの者が「もうすぐ家に帰れる」と家族に送ったにもかかわらず、その手紙さえも精鋭たちが王都へ帰還するという噂を市井に広める囮の一つとされ、その後彼らはベイラル平原に向かわされた。結果的に、彼らは家族に嘘を吐いたこととなった。
事前に何も知らされずにそれだけの扱いをされながら、しかし彼ら精鋭は国王キルデベルトへの忠誠心を維持し、遂には一連の大作戦を成功させた。ようやく王国中央に帰還した彼らは民衆から英雄として迎えられ、国王キルデベルトからも惜しみない称賛と褒賞を賜ったが、それでも彼らが理不尽とも言うべき負担を強いられたことは変わらない。
戦死し、二度と家族と会えなくなった者もいる。重傷を負って除隊し、変わり果てた姿で家族のもとに帰った者もいる。
五体満足で帰った者も、精神的な負担は大きかった。個々の事情を見れば、この出征の間に家族が死んでいた……という者も少なくない。親の死に目に会えなかったならばまだいい方、兄弟や伴侶、中には子供が病気や事故で死んでいた、という者もいる。さらには、伴侶とお腹の赤ん坊が出産の際に揃って死んでしまっていた、という悲劇に見舞われた者もいたという。
他にも、出産の近い伴侶に一人で不安な思いをさせてしまった上に我が子の誕生に立ち会えなかった者、一年以上も前から楽しみにしていた愛娘の結婚式に立ち会えなった者など、この半年ほどで愛する者に多大な負担をかけ、その上で重要な予定を逃してしまった者は多い。
そんな者たちを労い、称えるために、キルデベルトは割ける時間の全てを割くようにして、一人ひとりのもとを回っているという。
戦死者の墓を巡り、その献身を誇りに思うと遺族に言葉をかける。
身体の一部を欠損した除隊者のもとを訪れ、彼らがそのような姿になるまで戦ったことが如何に偉大かを家族に語る。
家族を失った者たちのもとを訪れ、彼らが大切な相手の死に目に立ち会えなったのは自分のせいだと詫び、共に墓に花を手向ける。
重要な予定を逃してしまった者たちのもとを訪れ、彼らとその家族に、酷い迷惑をかけて済まなかったと伝える。
何かしらの対応をする相手は、合計で五百人近くにも及ぶ。彼らを呼びつけるのではなく、彼らのもとをわざわざ訪れての細やかな対応は、大国の王が一介の騎士や兵士に与えるものとしては異例に過ぎる。加えて、直接訪れる条件には当てはまらなかったが何かしらの迷惑を被った者たちに対しても直筆の文を送るというのだから、臣下への振る舞いとしては過保護とさえ言える。
もちろん、これらの慈悲深い行動が、単にキルデベルトの慈悲深さによるものではないとツェツィーリアも理解している。
「王の鎧」をはじめとした王国中央の精鋭たちは、アレリア王家にとって替えの利かない虎の子の戦力。王家の権勢と、富の基盤たる王都王領を維持するために欠かせない存在。極端な言い方をすれば、彼ら精鋭の忠誠を失った瞬間に、権力を守るための実力を持たないアレリア王家は終わる。万が一彼らが王家を見限って反乱でも起こそうものなら、王家は肉体を内側から食い破られるようにして消え去ることになる。
何としても、彼ら精鋭が心の内に抱えたであろう不満を、その心の底に根付く前に取り払い、誇りや忠誠心で上書きしなければならない。王がここまでの振る舞いをしてくれるほどに自分たちが特別な存在なのだと納得させ喜ばせなければならない。
そう考えたからこそのキルデベルトの行動。理屈はそう理解できるが、それを実践してしまうあたり、やはり大した人物ではあるとツェツィーリアも思わざるを得ない。必要とあらば平然とこれだけの振る舞いを為すほどに、尋常ならざる覇道を突き進むその意気が本物なのだと認めざるを得ない。
実際、キルデベルトの振る舞いは劇的な効果を見せており、精鋭たちは感涙しながら覇王への忠誠をますます深めているという。
「ファルギエール卿の言葉、確かに陛下に伝えましょう……それでは、本日は時間をありがとうございました」
「滅相もございません。私は明日以降も定期的に登城し、そうでない場合も大抵は王都別邸におります。必要とあらばいつでもお呼びください」
主君の弟に優雅な敬礼を示し、ツェツィーリアは退室した。
そのままこの日は王城を辞し、ファルギエール伯爵家の王都別邸への帰路につく馬車内、信頼する副官セレスタンのみが聞く場で口を開く。
「……万事順調だな。もはや憂いはない」
全ての運がこちらに向いている。そんな心地さえ覚えながら、ツェツィーリアは呟く。
決戦に向けて、アレリア王国は切れた息を整えている。エーデルシュタイン王国は、この猶予を利用してやはり動いている。両国が着々と準備を進める今は、まさに嵐の前の静けさ。歴史に刻まれるであろう大戦の前に、しかしツェツィーリアはこの数年で最も穏やかな日々を送っている。
呟いた言葉の通り、憂いはない。運は誰がどう見てもこちらに味方している。
エーデルシュタイン王国は英雄マティアスのみならず、偉大な王として知られたジギスムントまでをも失った。一体どのような運命の悪戯か、長きにわたって国を守ってきた賢王がよりにもよってこの時期に崩御した。
英雄の守護を失い、名君の庇護を失い、その他にも優秀な軍人を多く失い、エーデルシュタイン王国はもはや以前のような強敵ではない、というのがこちら側の見立て。
新たに女王となったクラウディア・エーデルシュタインは、貴族と騎士、兵士、さらには民を集めて前線の戦場で戴冠式を行ったという。それを機に、相次ぐ凶報で沈みに沈んでいたかの国の士気は回復し、誰もが決戦に臨む気力を取り戻しているという。
戦場に参じる度胸や、皆の心に戦意の火を灯す演出演説の手腕は確かに見事なもの。しかし彼女が成したのは、負の状態を零に戻した、ただそれだけ。エーデルシュタイン王国は決戦に必要なだけの士気を得たのだろうが、かの国が何か有利になったわけではない。
万単位の軍勢による大戦では、双方ともにそう複雑な動きは為せない。すなわち兵力が、それを支える国力がものを言う。アレリア王国は今、これまでに蓄えた国力を発揮せんと動いている。兵力でエーデルシュタイン王国を大幅に上回るのは確実。後は、決戦の場で総大将となるキルデベルトが軍全体をまとめ上げ、自分たち将が各々の力を発揮すれば、勝利の栄光はこちらのものになるだろう。
全てが上手くいっている。それこそ拍子抜けするほどに。幼い頃からの悲願を成し遂げた自分は今、主君たるキルデベルトの傍ら、大陸西部統一というひとつの偉大な勝利に向けて残り僅かな行程を進んでいる。
そこに喜びを覚えるとともに、どこか空虚さもあった。常に意識の多くを占めていた目標が達成され、心の内からいなくなってしまったために。
「決戦で勝利した後は……社交界を巡って婿探しでもしようか? 陛下が大陸西部を治められた後は、しばらく私も暇になるだろうから」
いつもと同じ、すっかり顔に張りついてしまっている微笑で、ツェツィーリアは言った。本気で社交や婿探しなどに興味があるわけではないが、家族の復讐を成し遂げたその先も人生は続くのだから、何かしなければならない。
「御心が自由になられた分、如何様にもお好きなことをなさってくださいませ」
ツェツィーリアがまだ幼かった頃から傍で支えてきた壮年の騎士は、虚しさ交じりの微笑をたたえる主に向けて優しげに、そしてどこか寂しげに答えた。
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