第124話 新たな英雄②

 その言葉で、フリードリヒ以外の全員が天幕を出る。

 入り口が閉められ、親子二人だけの空間が作られる。


「フリードリヒ」


 呼ばれて、フリードリヒはマティアスの顔の傍に歩み寄り、片膝をついた。


「……お前を軍人の道に引き込み、養子に迎えたことが、果たしてお前にとってよいことだったのか、未だに答えは出ない。お前に呪いを与えてしまったのではないかと考えることもあった」


 そう言われ、フリードリヒは僅かな思案の後、笑みを見せる。


「あなたに才覚を見出していただいたことは、私の人生にとって最良の出来事であり、最大の幸運であったと常に思っております。どれほど感謝をしても足りないほどです」


 その返答に、マティアスの表情が柔らかくなる。


「お前がホーゼンフェルトの家名を継ぐに値する逸材だと考えたのは、確かな真実だ……それと同時に、もう一度家族が欲しいと願ったからこそ、お前を養子に迎えたことも、偽るべからざる事実だ。私自身も、お前を迎えてからこの事実に気づき、確信を深めていった」


 そして、英雄は今はただの人間の顔をして、穏やかに言った。


「私は……アンネマリーを失い、ルドルフを失い、エーデルシュタインの生ける英雄と呼ばれ続けながら、ただ皆が求める英雄の像を纏って生きてきた。そうして生き、死んでいくものだと思っていた。だが、お前を新たな息子としたことで気づいた」


 語りながら、マティアスはその手をフリードリヒの頬に当てた。その振る舞いは、ただ我が子を慈しむ父親のものだった。


「私は、最期は家族に見送られたかった。軍人として、貴族として、英雄として評されながら逝くだけではなく、ただ一人の男として家族に後を託しながら死んでいきたかった。お前のおかげでそれが叶う。お前は、私のアンネマリーやルドルフとの思い出を知っている。私が二人をどれほど思いながら、二人の亡き後を生きてきたかを知っている。他の誰にも明かさなかった心の内を、息子であるお前だけが知っている……」


 浮かべる微笑が悲しげなものにならないよう努めながら、フリードリヒ頷く。

 マティアスの語る家族との思い出を、家族への思いを、フリードリヒは確かにこれまで聞いてきた。今ではただ一人の、彼の家族として。


「フリードリヒ。継嗣であるお前に見送られることを幸福に思う。私の新たな息子となってくれたお前に、お前がくれた日々に、心から感謝している」

「……あなたの息子になることができて幸福です。私こそ、心から感謝しています……ありがとうございました、父上」


 その言葉を聞いたマティアスは、かつてフリードリヒを養子に迎えた時と同じ、優しい笑みを浮かべた。

 そして静かに目を閉じ――命の灯が消えた。最期は満ち足りた顔をしていた。


 父上。


 もっと早く、もっとたくさん、そう呼べばよかった。

 自身の頬から離れ落ちたマティアスの手を握り、フリードリヒは声もなく泣いた。


・・・・・・


 天幕の入り口を開くと、空は明るくなり始めていた。最初にフリードリヒを迎えたのはユーリカだった。

 彼女に寄り添われながら、フリードリヒは皆の方を向いた。

 グレゴール、オリヴァー、ロミルダとリュディガー、他の隊長格の者たちも集っていた。皆がフリードリヒを向いていた。


「……父は旅立った。穏やかな最期だった」


 誰よりも古くからマティアスを支えたグレゴールに視線を定め、フリードリヒは言った。

 集った者たちが表情を硬くし、あるいは小さく息を吐き、あるいは沈痛な面持ちで目を伏せる中で、グレゴールはただ静かに頷き――そして、片膝をついて首を垂れる。

 それに、集った皆が倣う。傍らを向くと、ユーリカまでもがフリードリヒにひれ伏していた。

 そして、グレゴールが口を開く。


「フリードリヒ・ホーゼンフェルト伯爵閣下。我らフェルディナント連隊は、あなた様の忠実な部下であります。閣下のご命令のもと、命を懸けて戦う所存であります。マティアス・ホーゼンフェルト伯爵閣下は生前、次期連隊長としてあなた様を指名され、王家より承認を得ておられました。今よりあなた様は、フェルディナント連隊の第二代連隊長にございます」


 グレゴールの言葉を当然のものとして、首を垂れる皆は身じろぎもしない。

 伯爵閣下。連隊長。自身に向けられるそれらの呼称に、フリードリヒは半ば呆然とした表情でしばし固まった。前者は当然として、後者の呼称もまったく予想していなかったわけではない。それでもいざ呼ばれると、虚を突かれたような気持ちになった。


「……本当に、僕でいいのか」

「畏れながら、ホーゼンフェルトの家名を継がれたあなた様以外に、この連隊を率いることはできません。今、王国軍は、王国の民は、王国そのものが、エーデルシュタインの生ける英雄の後継者を――いえ、新たな英雄を必要としています。父君の亡き後、このような状況が訪れることを予想されたからこそ、国王陛下も父君のご判断を承認なされたのでしょう……そして、これよりあなた様に従う我々は、あなた様が父君のお立場を継ぐに値するお方であると確信しております」


 片膝をついたまま顔だけを上げ、フリードリヒを見据え、グレゴールは答えた。


「あなた様を見出し、傍に置き続けた父君のご判断が。そして何より、あなた様がこれまでに示された戦功と、王国軍人としてのお覚悟が。それを証明しているものと考えます。フリードリヒ・ホーゼンフェルト伯爵閣下。我らが将よ。どうか我々を率い、お導きください」


 今は皆が顔を上げ、フリードリヒを見ていた。

 視線を集めながら、乞われながら、フリードリヒは深呼吸して空を仰ぐ。

 嗚呼。

 あの日。故郷ボルガで衝動的に声を上げたあの日から。本当に遠いところまで来た。

 新たな英雄。まだ、そう呼ばれるほどのことを成し遂げたとは思えない。それでもこの称号がこの身から離れることは、もはやないのだろう。英雄は皆が求めることで生まれる。英雄は皆に求められるままの姿で生きる。

 マティアスも――父も、ひとつの大戦果をきっかけに英雄となることを求められ、生涯にわたってその役目を果たした。

 そして今、彼に見出され、彼の後継者となった自分が、英雄になる順番が来た。

 何者かになりたい。背負う使命の重さも知らないまま追い始めたその夢を、自分は叶えてしまった。二度と後戻りはできない。解放されることは生涯ない。父のように。

 ずっと分かっていたはずだ。


「……皆、立ってくれ」


 視線を下ろしてフリードリヒが呼びかける。声に、これまでとは違う覚悟を宿して。

 グレゴールが。ユーリカが。そして皆が立ち上がる。


「……私はマティアス・ホーゼンフェルトの後継者。エーデルシュタインの生ける英雄より、全てを受け継ぎし者。父が果たした全ての役目を――フェルディナント連隊の長としての役目を、この国を守る英雄としての役目を果たす。必ず成し遂げる。皆、どうかついてきてほしい」

「御意のままに、閣下」


 フリードリヒの言葉に、全員が敬礼で応える。


 英雄が去り、新たな英雄が生まれた。

 朝焼けが深紅の髪を照らし、赤い双眸に新たな火を灯した。




★★★★★★★


お知らせです。


2024年7月25日、オーバーラップノベルス様より書籍1巻

『フリードリヒの戦場1 若き天才軍師の初陣、嘘から始まる英雄譚の幕開け』

が発売されます。


WEB版をブラッシュアップし、書籍版だけの外伝エピソードも加えた渾身の一作です。何卒よろしくお願いいたします。

書影などの詳細情報については、今しばらくお待ちいただけますと幸いです。

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