第122話 要塞陥落

 フェルディナント連隊が伏撃を受け、退却していく様は、アルンスベルク要塞の城壁上からもよく見えていた。

 撤退戦で相当の損害を出し、殿として玉砕した一群の中には騎兵大隊長オイゲン・シュターミッツ男爵らしき姿も見えた。そして本陣の混乱ぶりを見るに、どうやら英雄マティアス・ホーゼンフェルト伯爵までもが負傷あるいは戦死した。

 この上で、彼らが再び援軍として戻ることはできないだろう。


「連隊長閣下! このままでは……」


 副官に呼びかけられ、彼の言いたいことを理解もしながら、ヨーゼフは険しい表情で防衛戦の様を見回す。

 追撃を終えた敵部隊は再び要塞攻めに戻り、相変わらず総勢三千近い軍勢が城門と城壁に迫りくる。死傷者が重なったことで今や五百に満たない西側の防衛部隊は、疲労はもちろん、士気の低下が著しい。

 ようやく駆けつけてくれた援軍が、逆に敵の伏撃を受けて大損害を負いながら退却していき、次に援軍が来るのはいつになるか分からない。このような状況で、ただでさえ落ちている士気を維持するのは無理がある。

 空堀を失った要塞。相変わらず敵の軍勢は容易に城壁に迫り、張りついてくる。跳ね橋もまったく意味を成さないまま既に破壊され、今は城門が敵の破城槌で直接揺さぶられている。

 下すべき決断は二つに一つ。アルンスベルク要塞を失うか。あるいは、要塞とヒルデガルト連隊の両方を失うか。


「……総員、退却用意! 要塞を捨て、東に一時下がるぞ!」


 血がにじむほどの力を手に込めながら、ヨーゼフは命じた。

 ヨーゼフを囲む直衛の騎士たちは一度驚愕に目を見開き、しかしすぐに連隊長の命令を復唱し、周囲に伝える。要塞東側を守る部隊にも命令を伝えるため、伝令が駆ける。


・・・・・・


 攻勢開始から数時間後、アルンスベルク要塞は陥落した。

 要塞を守るエーデルシュタイン王国軍ヒルデガルト連隊は、要塞西側を放棄。城壁や城門の防衛を止めて東側に逃げ、その際に木造の建物や積まれた物資など、燃やせるもの全てに火を放った。

 西門を破壊して要塞に突入したこちらの部隊が火の対処で混乱している隙に、敵はこちらの攻勢兵力が手薄な東門側から不意に打って出た。騎兵部隊を先頭に東への強行突破を図り、要塞を守っていた兵力の過半が逃げ切った。敵ながら見事な逃走だった。

 要塞に放たれた火が全て消し止められ、ある程度の事後処理が為され、奪取が完了したのは日暮れ前のことだった。


「ヴィルヌーヴ卿、無事で何より。そちらも大変だったでしょう」

「まったくだ。攻勢の途中で戦力の半数を卿に取られた上に、敵軍の決死の突撃まで食らったからな。ようやく再編が済んだ『王の鎧』も、また頭数が足りなくなってきた」


 未だ血の臭いが充満し、緊張した空気が解けきらない要塞内。主館に置かれた司令室で、ツェツィーリアは場違いなほど穏やかな笑みを浮かべながら言った。それに対してパトリックは相変わらずの苦言で返すが、歴史的な勝利の直後とあって、その表情にはやや上機嫌が乗る。


「これでようやく、アルンスベルク要塞がアレリア王国の手に返ったな」

「ええ。我らアレリアの将それぞれの尽力によって掴んだ勝利です。モンテスキュー閣下にも多大なご苦労をおかけしましたね。ありがとうございました」

「……礼には及ばぬ。これも国王陛下のための働きだ。それに、配下たちの奮戦あってこその戦功だろう」


 隻眼にどこか冷ややかな色を帯びながら、ロベールは答えた。ツェツィーリアは彼の態度を気にする素振りも見せず、穏やかな微笑のまま首肯する。


「まったくもって仰る通りです。将、士官、そして兵士。皆が命懸けで役割を果たしたことで、大陸西部の歴史に刻まれる大戦果が得られました。さすがはモンテスキュー閣下、最前で武器を振るった者たちの働きを忘れぬその姿勢、見習わせていただきます」


 ツェツィーリアの言葉に、ロベールは少しばかり煩わしそうに頷き、窓から要塞内を、正確には要塞内で立ち働く騎士と兵士たちを見回す。


「勇敢に戦った者たちには褒美が必要だ。名誉だけではなく、その身で享受できる褒美が」

「もちろん承知しています。アルンスベルク要塞を奪取したことで、私の考案した一連の作戦は完了となりました。彼らには給金とは別で追加報酬と、十分な休暇が与えられます」


 アレリア王国軍の最精鋭と言えど、さすがにノヴァキア王国の征服を成した後で、強行軍の末にアルンスベルク要塞を包囲し陥落させ、この上でさらにエーデルシュタイン王国領土への侵攻を進めることはできない。

 そもそも彼らは、観閲式のつもりで集まったところを侵攻に引っ張り出され、その任務が終わってようやく帰還できると思ったところで今度はアルンスベルク要塞の包囲に投入された。家族にも会えないまま軍務に臨み、もう半年近く。要塞への奇襲に際してはかなりの無茶もさせた。キルデベルトの威光があるからこそ忠実さを保っているが、彼らも人間である以上、心身ともに疲労はそろそろ限界に達している。その貢献に対して十分な対価を与えなければならない。

 また、王都と王領の防衛を考えても、その要たる精鋭があまり留守にする様を国内外に見せるのはよくない。かつて異国だった辺境地域から、不穏な動きが起こらないとも限らない。

 そのため、彼らは一度王領に帰される。彼らが抜ける穴は、まだ戦場に来てさほど経っていないロベールの部隊を基幹に、征服を終えてノヴァキア地方からロワール地方へ戻ってくる東部軍部隊と、かき集めた貴族領軍や徴集兵が埋める。

 それらの戦力では、要塞と後方補給線の維持はできても、エーデルシュタイン王国内部に攻め込むには心許ない。敵側は近衛隊とアルブレヒト連隊が健在で、追い払った二つの連隊も過半の戦力が保たれており、貴族領軍や徴集兵も集まるのは必至。ロベールの部隊と寄せ集めの兵力では勝つのは厳しい。事前にじっくりと戦力集結を成し、国境地帯の戦いの時点で敵主力の半数を壊滅させたノヴァキア王国攻勢の時とは状況があまりにも違う。


 隣国をひとつ落とし、もうひとつの隣国の国境地帯を押さえる。一度の作戦ではさすがにここまでが限界だった。なのでアレリア王国側は、ひとまずはこの巨大な橋頭堡を維持しつつ、エーデルシュタイン王国に止めを刺す決戦の準備を進めることとなる。

 決戦まで猶予がある以上は、エーデルシュタイン王国側もできる限りの備えをするだろう。となればこちらは、その備えを上回る大攻勢をもって、かの国に止めを刺さなければならない。それだけの大攻勢を行うならば相応に準備期間が必要となり、それはすなわち敵側にもより十分の猶予を与えることとなる。

 つまり最後の決戦は、両国ができるだけの準備をした上で、全力をぶつけ合う大戦争となるのがほぼ必然。この決戦で勝利を成せるか否かで、今回のツェツィーリアの戦果が報われるか否かも決する。


「今が七月の下旬。準備期間を考えれば今年中の決戦は難しく、冬明けになるでしょう。我々もしばしの休息です。ここは少し余裕をもって構え――」


 そのとき。猟兵部隊を指揮し、周辺偵察や退却した敵の追跡を行っていたイーヴァル・ヴェレク男爵が、遅れて司令室に参上した。


「遅くなり申し訳ない」

「いや、構わないさ、ご苦労だった」


 爵位としては最も格下、王国貴族としては新参者ということもあり、イーヴァルは丁寧に一礼して詫びる。それに、居並ぶ将を代表してツェツィーリアが鷹揚に答える。


「敵側の様子はどうかな?」

「退却した二個連隊は、そのまま東へ移動を続けています。こちらの奇襲を受けない距離まで退くつもりでしょう。その他、周辺に敵軍の姿はありません。私の部下たちに哨戒をさせているので、何か動きがあればすぐに分かります」


 ツェツィーリアが問いかけると、イーヴァルは淡々と報告する。


「……それと、もう一点重要な報告が」


 イーヴァルのその言葉に、ツェツィーリアは小さく片眉を上げる。


「マティアス・ホーゼンフェルト伯爵に、少なくとも重傷を負わせることに成功しました。私の部下の放ったクロスボウの矢がホーゼンフェルト伯爵を直撃する様を、私自身も確認しました。伯爵は自力での退却もかなわず担架によって運ばれていき、少なくとも当面は戦闘不能、負傷の程度によっては戦死したものと思われます」

「……そうか」


 一瞬呆然とした後、ツェツィーリアは言った。

 パトリックとロベールから視線が向けられる。二人とも、ツェツィーリアがホーゼンフェルト伯爵を討つことに並々ならぬ執念を抱えていることを知っている。


「ホーゼンフェルト伯爵の負傷の具合を聞くに、彼は生きながらえても決戦に出てこないかもしれないな。エーデルシュタインの生ける英雄が戦いに臨めない状況というのは、こちらにとっては幸いだ……よくやってくれた。卿らの戦果は国王陛下にもお伝えする。卿の部隊には引き続き、哨戒と偵察を頼む」


 おそらくは二人の予想に反して、ツェツィーリアは冷静さを保ったままそう続けた。

 まだだ。

 まだ、喜んではならない。まだ、ホーゼンフェルト伯爵が死んだと決まったわけではない。

 歓喜を解き放つのは、ホーゼンフェルト伯爵戦死の報が届き、確かに家族の仇が討たれたと決まるその時まで待つべきだ。


「そう言えば、フェルディナント連隊の殿の見事な決死隊、あれを指揮したシュターミッツ男爵の首は?」

「我が部隊が確保している。他に、大隊長格と思わしき騎士の首もひとつ」


 自分自身の気を逸らすようなツェツィーリアの問いに、答えたのはロベールだった。


「それは何よりです。では、敵側への返還の用意を……アランブール卿への礼に応えなければ」


 かつて山道の戦いで死んだツェツィーリアの部下、ヴァンサン・アランブール男爵は、敵側に首を返されたおかげで貴族として代々の墓に眠ることができた。

 敵であろうと礼には礼を返す。その程度の矜持は、ツェツィーリアも騎士として持っている。

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