第118話 アルンスベルク要塞包囲戦②

 アレリア王国の軍勢が連行したエーデルシュタイン王国民たちは、そのまま攻勢の盾にされるようなことはなかった。

 敵将ファルギエール伯爵は彼らに何かを語り、そして彼らは――土砂の積まれた荷車を荷馬やロバに牽かせて要塞に接近し、城門周辺の空堀を埋め始めた。

 空堀の縁につけた荷車の荷台を開き、土砂を落とし、また土砂を積むために下がる。その繰り返し。民は女性や老人や子供ばかりだが、荷車に土砂を積む作業には軍人たちの手助けもある。百数十人による埋め立て作業で、要塞への容易な接近を防ぐための空堀は着実に埋まっていく。

 要塞防衛部隊の仲間の身内が、あるいは自分自身の家族親族が、敵に脅されながら要塞の防衛力を奪っていく。その様を、騎士と兵士たちは動揺しながら見つめる。


「……閣下。いかがいたしましょう。ご命令とあらば、すぐにでも敵側の労働力を排除しますが」


 城壁上、ヨーゼフの傍らで空堀の埋め立て作業を眺め、部下たちの手前もあって丁寧な口調で問いかけたディートヘルムに、ヨーゼフはしばしの思案の末に首を横に振る。


「いかん。今この王国民を我らが殺せば、正規軍人と徴集兵との間にも、このヒルデガルト連隊の中にも、大きな禍根が残るだろう。我ら指揮官と部下の信頼関係も壊れる。そうなれば士気は絶望的なまでに落ち、開戦前に我らが内部から崩壊する可能性や、今後の防衛体制の維持が不可能になる危険性さえある」


 目の前で空堀を埋める王国民は、この要塞にいる者たちの伴侶や子供、親兄弟をはじめとした親類。その殺戮など命じれば、部下たちが受ける心理的な衝撃は計り知れない。

 連行された民の縁者である騎士や兵士たちからすれば、身内を自分の目の前で殺した仲間と、引き続き戦友として付き合っていくのは難しいだろう。殺戮を命じたヨーゼフら隊長格に対しても、恨みを抱かないというのは無理がある。

 そうなれば、下手をすればこの要塞内で味方同士の争いや、最悪の場合は殺し合いが発生する。そこまではいかずとも、部隊内の空気は険悪になり、連係は損なわれ、士気は砕ける。

 国防のために仕方なかったのだ……と説明しても、正規軍人でさえそうそう割り切れるものではない。彼らも家族を守るためにこそ祖国に仕えて戦っているのだから。消えない禍根が残り、ヒルデガルト連隊を維持できなくなることさえあり得る。

 ましてや徴集兵たちは、王国軍への不信感を抱かざるを得ないだろう。この場にいる二百人だけではない。彼らから話が広まれば、西部王家直轄領の民全体が王国軍への反感を抱くようになる。そうなれば、ベイラル平原の動員体制は崩れ去る。

 短期的に考えても長期的に考えても、安易な攻撃命令はリスクが高すぎる。

 これが民を盾にした敵の直接的な攻勢であれば、彼らもまだ諦めがついたはず。身内への攻撃を命じるヨーゼフたちではなく、度を越して卑劣な敵への恨みを抱きながら戦っただろう。

 しかし、空堀の埋め立て作業に民を動員するというのがまた絶妙だった。アルンスベルク要塞の防衛力の要、そのひとつが確実に損われるが、それが直ちに要塞陥落に繋がるわけではない。だからこそヨーゼフも安易に王国民の排除を命じることができず、敵側は今後の攻勢に向けて一段有利になる。


「……敵も考えたものだ」


 敵陣後方、ファルギエール伯爵家の旗がはためく本陣を睨みながら、ヨーゼフは呟く。

 誠に腹立たしく、悔しくもあるが、この要塞を落とすという戦果のみを求めるのであれば優れた策であることは認めざるを得ない。


・・・・・・


 数日後。ヒルデガルト連隊をはじめとした敵側の防衛部隊に為す術はなく、アルンスベルク要塞の空堀は西と東それぞれの城門周辺が埋め尽くされた。


「エーデルシュタイン王国民の諸君。ご苦労だった。君たちのおかげで、我らアレリア王国の勝利は近づいた!」


 作業を終えて集められた民の前で、ツェツィーリアは上機嫌に語る。

 肉体的にも精神的にも疲労し、憔悴した様子の彼らの反応は鈍いが、ツェツィーリアは気にすることもない。彼らの成し遂げたことを思えば、いくらでも愛想を振りまける。

 騎士の誇りを考えれば、これが褒められた策ではないことはツェツィーリアも当然に承知している。それでも、ただ勝利を求めるからこそこの策を考え、主君キルデベルトの許可も得た。

 正々堂々からは程遠く、後の占領統治を考えると現地民の不信を招きかねない悪手であるが、戦術的に有効であることは確か。だからこそキルデベルトも許してくれた。強敵であるエーデルシュタイン王国を相手に、綺麗な勝ち方を求める余裕はないと彼も分かっているからこそ。


「約束通り、諸君を解放する。それぞれの故郷の村に送り届ける……諸君の貢献を王国は決して忘れない!」


 高らかに言い、後のことは部下たちに任せ、ツェツィーリアはアルンスベルク要塞を振り返る。空堀を失い、今や城壁のみが頼みとなった敵の国境防衛の要を見据える。

 また、ツェツィーリアはひとつ成功を重ねた。今回の件は悪名となろうが、この後に要塞奪取の戦果を得られれば、その悪名を補って余りある功名がアレリア王国に轟くだろう。

 そしてこの成功は、自身の目標達成にも繋がる。いずれか、間もなくか。


「閣下」


 そのとき。声をかけてきたのは副官である騎士セレスタンだった。


「東側に展開している『王の鎧』より報告が届きました。こちらに接近するエーデルシュタイン王国軍フェルディナント連隊を哨戒が確認。明日にもこちらへ到着するものと思われます」


 それを聞いたツェツィーリアの表情は変わらなかったが、赤い双眸には獰猛な光が宿る。


「……そうか。来てくれたか」


 フェルディナント連隊。マティアス・ホーゼンフェルト伯爵。

 追い求めた最大の敵。父と母と弟を奪った仇。

 彼が来る。彼との戦いのときが来る。復讐のときが来る。


・・・・・・


 アルンスベルク要塞への、アレリア王国軍精鋭の奇襲。要塞の完全包囲。

 その報を受け、フェルディナント連隊は出撃した。休暇に入ろうとしていた騎士と兵士たちを呼び戻し、急ぎ準備を済ませ、つい先日まで北の国境で任務についていたことによる疲労を押し殺して王都ザンクト・ヴァルトルーデを発った。

 できる限り先を急ぎながら、しかし要塞に到着して戦うだけの余力を確保することにも努め、精神的には焦れながらの行軍。その途中で、要塞の状況については鷹による伝令で把握した。敵将ツェツィーリア・ファルギエール伯爵による、王国民を動員して空堀を埋め立てる卑劣な策についても知った。

 要塞に到着する前日には、四千を超えるまでに膨れ上がった敵軍が、いよいよ要塞への攻勢を開始したという報せも届いた。未だ城門や城壁には近づかれていないが、カタパルトやバリスタ、火矢などを惜しみなく使った猛烈な攻撃が行われているという。

 そして翌朝。要塞までの残りの道程を急ぐ行軍の隊列中央に、フリードリヒはいた。


「要塞、持ちこたえるよね?」

「……そのはずだよ。少なくとも、僕たちがたどり着くまでは。ヒルデガルト連隊がそう簡単に敗けることはない」


 隣に並ぶユーリカの問いかけに答えながら、フリードリヒの表情は先ほどから苦いままだった。

 まさか、西部国境の防衛線がこれほどまでに追い詰められるとは。

 アルンスベルク要塞は、要塞自体はもちろん、それを取り巻く防衛体制と合わさることで堅い守りを成していた。

 補給体制の整っていない敵側が、物資集積など攻勢の前兆を見せれば、すぐに西部直轄領民の徴集兵を招集して守りを固める。敵が前進してくる前に要塞の戦闘態勢を万全に整える。その体制を築いているからこそ、難攻不落の国境防衛拠点として君臨してきた。

 奇襲によって不意の包囲を受け、それらの前提が崩れた。

 十分な兵力を集結させないまま包囲されたことで、要塞の防衛部隊は身動きがとれなくなり、それをいいことに敵側は好き勝手に振る舞っている。包囲を成した後の増援の到着も、敵ながら称賛すべき迅速さだった。

 現時点では劣勢な状況。フェルディナント連隊が要塞に到着することで、果たしてどこまで戦況を変えられるか。

 フリードリヒたちの前方には、副官グレゴールをはじめとした連隊本部の人員に囲まれ、馬を進める連隊長マティアスの背中がある。


「……」


 自分たちはエーデルシュタインの生ける英雄が率いる部隊。この苦境も乗り越えられるはず。

 そう自分自身に言い聞かせながら、フリードリヒは馬を進める。

 それから数時間後。フェルディナント連隊はいよいよ要塞に迫る。

 先行していた斥候が、街道の脇、隊列の横を逆走してマティアスのもとに辿り着く。


「報告します! アレリア王国の軍勢は二手に分かれ、要塞に肉薄して西門と東門を同時に攻撃中! 敵兵力は西に偏重しており、西門が危険な状況です!」


 その言葉が聞こえたマティアスの周囲、連隊本部や騎兵部隊の一部に緊張が走る。フリードリヒも思わず息を呑む。

 守りの要のひとつである空堀を埋められ、激しい遠距離攻撃を受け、疲労して士気も落ちている状況。とはいえ、あのアルンスベルク要塞が本当に危機に陥るほど追い詰められているとは。


「各大隊に伝令。我々はこれより、輸送部隊と非戦闘員を置いて前進。要塞に到着次第、即座に防衛部隊の掩護に移る。行軍速度を上げ、各自が戦闘に備えて覚悟を決めよ」

「「「はっ!」」」


 直衛と伝令を兼ねた騎士たちが答え、隊列を外れて大隊長たちのもとへ馬を走らせる。伝令の一人として、ユーリカも後方、弓兵大隊長ロミルダのもとへ駆ける。


「フリードリヒ。かつてなく厳しい戦いになるだろう。お前も心して戦いに臨め」

「……御意」


 こちらを振り返って言った養父に、フリードリヒは緊張を覚えながら頷いた。

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