第117話 アルンスベルク要塞包囲戦①

 アルンスベルク要塞に立て籠もるエーデルシュタイン王国の軍勢千二百と、要塞を包囲したアレリア王国の軍勢二千は、その後も睨み合いを続けた。

 要塞防衛を担うヨーゼフとしては、下手に攻めに転じることはできなかった。

 敵軍のうち、西門の側にはファルギエール伯爵が率いる部隊がこちらと同数の千二百ほど。そして東門の側には、アレリア王国の最精鋭たる「王の鎧」が八百弱。いずれも精鋭であることを考えると、徴集兵も含むこちらの戦力では、全力を尽くしても片方と互角に戦えるかどうか。城壁や城門を守ることはできても、一部の兵力が要塞から打って出て勝利するのは非常に難しい。

 要塞外の兵力のうち、西部王家直轄領の民兵たちに関しては、今はあてにできない。彼らの大半は無学な平民。徴集されれば故郷を守るために果敢に戦うが、正規軍人の指示なしに集結し、部隊行動をとるような能力は持たない。なかには引退した元騎士などもいるが、彼らとてこの混乱した状況では効率的に動けないだろう。点在する兵力をまとめて千単位の部隊を編成し、補給体制も整えながら動かすまでにどれほどの時間がかかることか。

 そして王国西部の貴族領軍に関しては、非常時は北方平原の守りを固めるのが務め。アルンスベルク要塞包囲の報が伝わった後も、アレリア王国のさらなる奇襲を防ぐために各領軍は北方平原に向かっているはず。その兵力を南のこちらへ回すのはリスクがあまりに大きく、そもそも即応性の低い彼らは、呼んでも集結してここへ辿り着くまでにしばらく時間がかかる。

 そのため、現状の要塞防衛部隊は、守りを固めた上でフェルディナント連隊などの援軍が駆けつけるのを待つしかなかった。

 そして、事前に攻勢の準備をしていたからか、戦場に到着したのは敵の増援の方が早かった。敵軍が奇襲を成した翌日にはモンテスキュー侯爵家の旗を掲げた大隊規模の軍勢が補給物資を抱えて到来し、その後も数日をかけて、数百単位の増援が続々とやってきた。兵力はロワール地方のアレリア王国軍のみならず、貴族領軍や徴集兵もいるようだった。

 敵側の総兵力は瞬く間に三千に迫り、それでもまだ攻勢は仕掛けてこない。睨み合いが始まって四日後には、さらに予想外の展開が訪れた。


「あれは……徴集兵ではないな。女や老人、子供までいる。我が国の民か?」


 西側の敵陣に動きありとの報告を受け、城壁上に立って西を向いたヨーゼフは、新たに戦場に現れた一団を見て眉を顰める。

 数は数百人。そのうち一部は軽装歩兵――昨年に王国領土へ侵入した北部傭兵と思わしき連中。その他は敵側がこれまでに連れてきた徴集兵とは明らかに異なる。武装はなく、そもそも成人男子ですらない。

 まるでその辺りの村から、民を攫って連れてきたような集団だった。要塞周辺の村から攫ってきたのならば、それはすなわちエーデルシュタイン王国民ということになる。


「な、なんで俺の妻と息子があんなところにいる!」


 そのとき。城壁上にいた徴集兵の一人が悲鳴じみた声で言った。


「俺の母親と娘もいるぞ!」

「ちくしょう! 人質のつもりか!?」


 兵士たちは敵陣に目を凝らし、自分の家族を見つけた者が次々に叫ぶ。それ以外の者も、悔しげに悪態をつく。


「……自分の妻と妹の姿も見えます。自分の故郷は、ここから半日の距離にある村です」


 ヨーゼフの傍らにいる若い騎士が、押し殺すような声で言った。


「おのれ、なんと卑劣な」


 戦場に並べられた王国民たちと、彼らへ歩み寄るファルギエール伯爵の姿を見据え、ヨーゼフはいつになく険しい表情で呟く。


・・・・・・


 アルンスベルク要塞包囲後の流れについても、概ねツェツィーリアの想定通りに進んでいる。

 王都の精鋭部隊と同じ手口で、冬の備蓄に紛れさせてあらかじめ物資を集めていたロワール地方の駐留部隊は、ツェツィーリアたちが要塞の包囲を開始するのに合わせ、これらの物資を前線に運んできた。さすがは老将ロベール・モンテスキュー侯爵の率いる部隊と言うべきか、その行動は非常に迅速だった。

 その後も補給物資と共に到来した百人単位の各部隊は、援軍としてそのまま包囲に加わる。

 今後は要塞を落とすまでの間、当面の補給は要塞周辺の人里から行えばいい。本来であれば国境地帯の敵側で物資を現地調達するのは難しいが、敵軍を要塞に閉じ込めてしまった以上、略奪をする上でまともな抵抗を受ける心配もないのだから楽な話だった。

 そして、包囲開始から四日目。ツェツィーリアは遅れて合流した猟兵部隊を出迎える。


「ヴェレク卿。ご苦労だったね。嫌な役目を押しつけてすまなかった」

「……いえ、任務ですから。ご命令通り、敵軍人や徴集兵の家族親族に狙いを絞り、できるだけ多く連行しました」


 要塞周辺の村落からエーデルシュタイン王国民を連行してきた猟兵部隊。その指揮官であるイーヴァル・ヴェレク男爵は、爵位の上でも指揮官としてもより上位の立場にいるツェツィーリアの労いの言葉に、簡潔な報告で返してくる。

 ツェツィーリアとパトリックの率いる戦闘部隊とは別で、山脈沿いに身を隠して南進した猟兵部隊は、本隊がアルンスベルク要塞を包囲するのと前後してこの任務を実行に移した。

 要塞に立て籠もるヒルデガルト連隊の騎士や兵士は、多くがこの西部エーデルシュタイン王家直轄領の出身。要塞周辺の村落を捜せば、彼らの伴侶や子供、親兄弟やその他の親類がいる。

 ツェツィーリアはイーヴァルたちに、村落を襲撃し、そうした王国軍人の縁者を連行するよう命令を与えた。彼らは数日の任務で、十分な頭数を集めることができたようだった。


「これだけ集めてくれれば次の策にも足りる。見事務め果たしたのだから、君たちは今日はゆっくり休んでくれ」


 イーヴァルたち猟兵部隊を下がらせ、ツェツィーリアはエーデルシュタイン王国民を向く。女性や子供、老人ばかりの彼らは、一様に怯えた様子だった。


「さて、エーデルシュタイン王国民の諸君。まずは、このような戦場に連行したことを詫びよう。どうか安心してほしい。少なくとも我々アレリア王国の軍勢は、諸君に危害を加えることはない……諸君は人質ではない。あくまでも、我々は協力を求めるだけだ。それを理解してほしい」


 ツェツィーリアが語っても、エーデルシュタイン王国民たちの顔から怯えの色は消えず、新たに困惑の色が加わっただけだった。

 語った言葉は嘘ではない。ツェツィーリアもさすがに、敵軍の騎士や兵士たちの身内を盾にしながら攻勢を仕掛けるつもりはない。彼らを直接の戦闘には利用しない。また、家族の命が惜しければ開城しろと要求したり、部隊を裏切れと唆したりするわけでもない。いくらなんでも、そこまでの恥知らずではない。


「諸君には、ある単純な仕事を頼みたいだけだ。その仕事が終わればすぐに解放し、家まで送り届けよう。仕事は数日もあれば終わるだろう。その間の寝床と食事、身の安全も保証する……では、早速だが取り掛かってもらおう」


 いつものように穏やかな微笑を浮かべ、まるで日雇い労働者に呼びかける商人のような気楽な声色で、ツェツィーリアは宣言した。


・・・・・・


 連行されたエーデルシュタイン王国民にツェツィーリアが語りかけ、作業に臨ませる様を、ロベール・モンテスキュー侯爵は後ろで見ていた。


「……本当に敵国の民を連行するとはな。栄えあるアレリア王国軍人が、矜持も何もあったものではない。まったく、若もどうしてこのような策の実行を許したのだか」

「閣下のお若い頃と比べれば、アレリア王国の騎士たちも矜持より勝利の事実を重視する時代に移り変わっています。ファルギエール伯爵はもちろんのこと、国王陛下も閣下から見れば次世代の御方でしょうから――」

「黙れ。年寄り扱いしおって」

「畏れながら、閣下がお年を召していることは事実です」


 口の減らない副官は、柔和な微苦笑を浮かべながらも、ロベールの隻眼に睨まれても怯える素振りも見せない。

 まだ若い騎士とはいえ、やはりあいつの跡継ぎか。かつて共に戦場を駆けた側近の娘である現在の副官から視線を外し、ロベールは鼻を鳴らす。自分は老将となり、そして時代は移り変わった。副官の言葉はどちらも正しいので、それ以上は何も言わない。

 ロベールがまだ若い頃、戦場にはもっと軍人たちの矜持があった。古き良き戦の空気が残っていた。できるだけ正々堂々の勝負を挑むことが美徳とされ、将たちは戦いの前に名乗りを上げることさえしていた。

 良くも悪くも安定していた大陸西部は、この数十年で変わった。戦いの規模に合わせ、巡る利益も肥大した。家の面子や小さな領土ではなく、国そのものを奪い合うようになった。

 誰がこのような時代を到来させたのかと言われれば、他でもないロベールのかつての主君、先代アレリア王だろう。

 それに伴って、次第に矜持よりも無慈悲な勝利が優先されるようになっていった。騎士たちは誇りや礼儀を失ってはいないが、その示し方は変わり、勝ち方にまではこだわらなくなった。

 時代に置き去りにされた年寄りの戯言と分かってはいるが、それでもロベールとしては嘆きたくなってしまう。


「とはいえ、この策は今の時代で考えても相当に見栄えの悪い例だろう」

「正直に申し上げて、私もそう思いますが……この策による戦功と共に、悪評を被るのもまたファルギエール伯爵閣下です。あまりお気になさらないで良いのでは?」


 副官の言葉に首肯しつつも、ロベールの眉間には皺が寄る。

 ツェツィーリア・ファルギエール伯爵。賢しさとこれまでの活躍は認めるが、ロベールは今ひとつ好きにはなれない。

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