第119話 アルンスベルク要塞包囲戦③
「者共! 死んでも持ち場を守れ! もうすぐフェルディナント連隊が救援に来るぞ!」
激戦が続くアルンスベルク要塞の城壁上。血と臓腑の臭いが広がる戦場に、部下たちを鼓舞するヨーゼフの声が響く。騎士と兵士たちは果敢に戦いながら、力強い声で応える。
敵側の兵力は貴族領軍や徴集兵、傭兵も含めて総勢で四千強。要塞に立て籠もるこちらの兵力が千二百であることを考えると、三倍以上の数的有利を確保しているとはいえ、それでもまだ十分とは言えない。本来であれば。
しかし、そこはさすが智将ファルギエール伯爵と言うべきか、その攻め方は非常に嫌らしく、巧みだった。
敵軍は兵を突撃させる前に、執拗な遠距離攻撃を行ってきた。敵の正規軍人は精鋭揃いということもあり、その全員が弓を扱える。おまけにカタパルトやバリスタなどの攻城兵器もある。それらの戦力から投射される攻撃は厄介だった。
費用を惜しまず放ち続けられる火矢。建物の木造部分や、屋外に置かれている物資に落ちた場合は、急ぎ消火しなければならない。消火に回る兵士は流れ矢に怯え、どれほど注意していても不運な者は死傷する。
カタパルトやバリスタの攻撃は、場合によっては主館や兵舎をはじめとした建物の壁をも貫く。たとえ屋内にいても気は休まらず、ゆっくり眠ることも難しい。
そのような状態が夜通し続くことで、皆に疲労が溜まった。戦いへの集中力は損なわれ、士気もさらに脆くなった。
そして一夜明け。敵軍はいよいよ直接的な攻勢に移った。
西はファルギエール伯爵が率いる王国軍の精鋭を基幹に、およそ二千。そして東は、ヴィルヌーヴ伯爵が率いる「王の鎧」とモンテスキュー侯爵が率いる精鋭を中心に、残る二千。それぞれが城門に攻めかかってきた。
これに対し、防衛側も兵力を二分して対応した。遠距離攻撃による死傷者を除く残存兵力を同数ずつ東西に振り、西の部隊をヨーゼフが、そして東の部隊をディートヘルムが指揮した。
問題は、城門周辺の空堀が埋められ、跳ね橋も意味をなさなくなっていること。そのため、敵軍は一気呵成に要塞に迫り、突撃の勢いのままに城壁と城門の攻略に移った。
とはいえ、守る側は正規軍人を基幹とした部隊。指揮官は熟練の老将と、王国軍の次世代を担う騎士。士気を揺さぶられているとはいえ、そう簡単に要塞を奪われはしない。防衛側の有利を活かし、堅実な戦いで敵の突破を阻む。
フェルディナント連隊からは、鷹による伝令で間もなく到着すると連絡が入っている。要塞を向いて攻勢を続ける敵軍の後背を彼らが突き、大打撃を与えられれば、敵軍も一度下がって態勢を立て直さざるを得なくなるだろう。
そうすれば、包囲を解かれたこちらもあらためて防衛体制を整えられる。不意を突かれたこの状況さえ脱すれば、国境の守りを破られはしない。
あと少しの間、耐え抜けばいい。十分に耐えられる。
「閣下! 東側から敵の一部が回ってきます! モンテスキュー侯爵の部隊のようです!」
そのとき。ヨーゼフの指揮下で西を守っている歩兵大隊長が、城壁上の離れた位置から大声で伝えてきた。
ヨーゼフがそちらを向くと、確かにモンテスキュー侯爵家の旗を掲げた敵の一群が、西側に移動している。
「ちっ、ここで攻め方を変えてくるとは……」
ヨーゼフは思わず舌打ちを零し、そう呟く。
混戦の只中での大胆な部隊移動。長年率いてきた配下を手足のように動かせるモンテスキュー侯爵だからこそ成せる業。敵ながら見事としか言いようがない。
とはいえ、対応するこちらとしては厄介極まりない。モンテスキュー侯爵の部隊がファルギエール伯爵の部隊に合流したことで、この西門側が対峙する敵兵力は三千にまで増えた。東西で兵力を二分して守るというこちらの判断が、かえって効率の悪いものになってしまった。
こちらも兵力を西側に偏重させようにも、東は東で敵の最精鋭「王の鎧」を基幹とした部隊から猛攻を受けている最中。未だ倍近い敵と対峙して混戦の只中にあるとなれば、すぐに一部の部隊を西側に回すのは現実的ではないだろう。
結果、六百弱――死傷者の増えた今は五百強の兵力で、五倍以上の敵軍の攻勢に立ち向かう状況となった。
これはいよいよ厳しいか。そう思いながらも表情や言葉には出さず、ヨーゼフは自ら剣を振るって敵兵を退け、同時に味方を鼓舞し続ける。
より激しさを増す戦い。命を奪い合う緊張と興奮で時間の感覚も曖昧になっていく中で、ついに待ち望んでいた報告が届く。
「フェルディナント連隊が来ました! この西側の援護に回るようです!」
昨日の遠距離攻撃で半壊した物見台に立ち続ける勇敢な見張りの兵士が、要塞北側を指差して叫んだ。
ヨーゼフが視線を向けると、そこには騎兵部隊を先頭に、後続に歩兵部隊、最後尾に弓兵部隊と連隊本部が続く隊列で接近してくるフェルディナント連隊の姿が確かにあった。
「皆喜べ! 英雄の連隊が助けにきたぞ!」
ヨーゼフの呼びかけに、騎士と兵士たちも歓呼を上げた。
・・・・・・
アルンスベルク要塞に到着したフェルディナント連隊は、直ちに戦闘態勢に入る。
事前に送った斥候の報告通り、防衛部隊がより苦戦しているのは敵が多い西側。そちらを攻めるアレリア王国の軍勢を側面から急襲するため、要塞を囲む丘の斜面を横切るように、北回りで西へと移動する。一秒一瞬を惜しむように急ぐ。
「一刻を争う状況だ! 直ちに敵軍への攻撃を開始する! 騎兵部隊は突撃態勢をとれ! 歩兵部隊は続く用意を!」
連隊長マティアスの声が響く中で、騎士と兵士たちは陣形を整える。
戦場に到着する前に息を整える程度の小休憩をとったのみ。ここまでの大急ぎの行軍もあり、疲労も溜まっている。その疲れをこらえ、全員が迅速に動く。
間もなく、先頭に百騎の騎兵が並び、そのすぐ後ろに歩兵が集結する。さらに後ろには援護のための弓兵。騎兵部隊が開いた突破口から歩兵部隊が敵陣になだれ込み、後方から弓兵部隊が掩護する、単純かつ攻撃力の高い突撃戦法。そのための陣形が完成する。
「突撃!」
マティアスの命令で、フェルディナント連隊はその全力をもって敵軍の側面に迫る。丘の斜面に並行しての移動。突撃に最適な地勢とは言えないが、それでも練度の高さを十二分に発揮し、平地を走るときと変わらない勢いで突き進む。
「……」
陣形の最後方、本陣から戦場を見渡しながら、フリードリヒは無言で自軍の勝利を祈る。
敵軍はまさしく全力をもってアルンスベルク要塞に襲いかかっている。特にこの要塞西側の攻め方は苛烈。王国軍のみならず、貴族領軍や徴集兵も、さらには昨年フリードリヒたちが戦った例の猟兵らしき連中まで要塞攻めに臨んでいる様が遠目に見える。
本来は開けた地での戦闘に向いていない者たちまでを投入していることから、ファルギエール伯爵をはじめとした敵側の将たちがいかに要塞陥落を急いでいるかが分かる。おそらく本来は、フェルディナント連隊が到着する前に要塞を奪取したかったのだろう。
しかし、自分たちは要塞が落ちる前に戦場に辿り着いた。そして敵軍が対応する隙を与えず、既に攻撃に移っている。それも、無防備極まりない側面への。
兵力差はあるが、それを補って余りある有利な状況。どんな軍隊も、城攻めの混戦の最中に側面を突かれて平気なはずがない。側面への急襲で敵陣を一気に突き崩せば、要塞西側を守る防衛部隊とも連携し、敵軍を撃退できる。
事態急変が起こらない限り、自分の出番はないだろう。そう思いながらひとまず戦況を見守る姿勢に入ろうとした、そのとき。
「……フリードリヒ」
いつになく固い声で、ユーリカが呼んだ。
「どうしたの?」
「敵の猟兵たち……いや、あれは猟兵じゃない。動きがおかしい」
言われて、フリードリヒは血相を変える。
自分の目では、各部隊が交ざり合った敵陣の只中、猟兵たちの動きだけを見てそこに違和感を抱くことはできない。しかし、目が良く勘にも優れるユーリカが言うのであれば、異状があることは疑いようもない。
猟兵の格好をしながら猟兵ではない。ということは、要塞攻めの軍勢の中に猟兵部隊もいるとこちらに誤認させるため、ファルギエール伯爵が偽物を並べた可能性がある。装束によって部隊を誤認させる策は、自分もついこの前に用いた。
だとしたら、本物の猟兵たちはどこにいる。
この本陣の後方、丘の北側の麓に広がるのは森だ。
「閣下!」
「総員、後方を警戒! 騎乗している者は下馬せよ! 弓兵部隊をこちらへ呼び戻せ!」
フリードリヒが呼びかけたときには、既にマティアスもユーリカと同じ違和感を抱いていたようだった。
鋭い声で発せられた命令を受け、本陣にいる直衛の騎士たちと、予備兵力として各部隊から残されていた総勢三十人ほどが後ろを向く。馬上にいては狙撃の良い的なので、騎乗している者はマティアスも含めて素早く下馬する。
その直後、頭上を後方から前方に向けて何かが過ぎ去った。一瞬のことだったので目では追えなかったが、音で矢の飛翔だと分かった。馬が一頭、嘶いて倒れた。見るとクロスボウの矢が頭に突き立っている。
間一髪。あと少し下馬するのが遅ければ矢に倒れていたかもしれない。そう思いながら、フリードリヒは他の騎士たちと同じように馬の腹を叩いて走らせ、邪魔にならないよう離れさせる。
フェルディナント連隊は一刻を争う状況でこの戦場に辿り着いたので、布陣前に後方の森の中をじっくりと哨戒する暇などなかった。伏兵などに用いられるであろう敵猟兵部隊も要塞攻めに参加しているため、後方に敵が潜む可能性は低いとの判断がなされ、本陣に予備兵力と後ろを向く見張りが置かれたのみだった。
しかし、矢が飛来したことからも、森に伏兵が置かれているのは間違いない。そして今、本陣の全員で後方を向いていると、森の奥から敵部隊がいよいよ姿を見せた。
数はざっと見ただけでも百に届くほど。一切の防具を身につけず、手にしているのは剣と弓、一部の者はクロスボウ。得物が普段と違うが、特徴的な動き方と、西部人とは民族が違うと分かる服装や顔立ちで、彼らが例の猟兵部隊だと分かった。攻城戦に参加しているのは、やはり遠目に目立つ装備だけを借りた偽物か。
森の広範囲から、次々に本物の猟兵たちが姿を現し、こちらの本陣を半包囲しようと迫る。極めて軽装である分前回よりも脅威度は低いが、数が多い。おそらく二百近い。
直前に気づくことができたのは不幸中の幸いだった。もしマティアスの驚異的な観察力や勘の鋭さがなく、この猟兵部隊から完全な奇襲を受けていたら。想像しただけで、フリードリヒの額に汗が一筋流れる。
「二列横隊! 敵の攻撃を受け止めよ! 隊列を維持しながら後退する!」
敵部隊とぶつかる前に、マティアスは新たな指示を下した。弓兵部隊が反転して後方からの奇襲に対応するよりも、この本陣の小勢が敵に飲まれる方が早いと考えたのか、こちらも下がって弓兵部隊の方に近づくよう命じた。
重装の騎士と盾を装備した兵士たちが前列を固め、中央にはグレゴールが指揮役として立つ。後列には軽装の騎士や弓兵が並び、連隊長マティアスと共に援護の態勢に入る。即席の戦闘隊形が、敵の猟兵部隊と激突する。
拮抗したのは一瞬。多勢に無勢ですぐに押され始める。複数の敵から剣で斬られ、刺され、あるいは弓やクロスボウの矢を受け、瞬く間に数人が戦闘不能となる。
それでも陣形を維持し、完全に包囲される事態を防ぎながらじわじわと下がるのは、さすが精鋭の正規軍人たち。互いを援護して数の不利を少しでも補い、既に伝令を受けて反転を始めている弓兵部隊が駆けつけるまで耐え抜かんと奮戦する。
この小さな戦列の後列、マティアスの隣で、フリードリヒも懸命に戦う。前列の味方の間から剣を突き出し、牽制程度の役割は果たす。そんなフリードリヒのさらに隣では、ユーリカがさすがの戦闘力を発揮し、味方の間を縫って前に出ては敵兵を斬り伏せ、すぐに後列に戻って重装備の味方の防御に助けられるのをくり返す。
熾烈な戦いがくり広げられる前列の中央、怒声を張りながら敵兵の群れを退けるグレゴールのもとに、爆発的な勢いで迫る敵影がひとつ。昨年の戦いでグレゴールに傷を負わせた、猟兵部隊の指揮官と思しき凄腕の男だった。
得物が普段と違うためか前回よりも動きは鈍く、それでも相変わらず尋常ならざる強さを見せる指揮官に、グレゴールは今回は拮抗する。その強さの源は、敵と一度戦ったが故の経験か。あるいは連隊屈指の騎士としての意地か。
フリードリヒは戦況の有利不利を考える余裕もない。戦場の様子を俯瞰する隙もない。呼吸さえおろそかになる目まぐるしい戦いの中で、それでも頭の中、僅かに残る冷えた部分で、視界の端に映った敵の姿を認識した。
ちょうど敵指揮官の後方、若い猟兵がクロスボウを構えている。その射線上にいるのは――マティアスだった。
あまりにも忙しない戦場。マティアスはグレゴールの脇を抜けようとした敵兵を斬り伏せながら皆を鼓舞し、その視線は今はちょうど、正面でクロスボウを構える敵から外れている。
「っ! 閣下!」
今ここで連隊長を、エーデルシュタインの生ける英雄を失うわけにはいかない。
フリードリヒはほとんど反射的に、養父の前に飛び出してその身を盾にする。
敵兵のクロスボウがこちらを向いている。次の瞬間にもその引き金が引かれて、殺意を帯びた矢が自分目がけて飛ぶだろう。
いざというときの動きやすさを重視した自分の胴当ては、いくら最上級とはいえ革鎧。金属鎧さえ貫くクロスボウの矢を止めることはできないだろう。
つまり、ここで死ぬ。のか。終わるのか。
時間がいつもより遅く流れ、だからといっていつもより素早く動けるわけではない。
死ぬ覚悟ができていないわけではないが、いざ死ぬときは、ゆっくりと身構える暇もないものなのか。そんな認識を持つことだけに人生最後の数瞬を無駄遣いし、そして敵兵が引き金をまさに引くのが気配で分かった。
次の瞬間。
まるで殴りつけられたかのように、フリードリヒの身体が吹き飛んだ。矢を受けたのではない。後ろではなく横向きに飛んだ。
地面に倒れながら、先ほどまで自分が身を盾にして守ろうとしていた養父の方を向く。
マティアスは片手でフリードリヒを突き飛ばした姿勢のまま、その胸に矢が突き立っていた。
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