第115話 幕間狂言

 ユリウス・ノヴァキアは、六騎の近衛騎士を連れて王都ツェーシスに生還した。

 到着した直後、極度の疲労で倒れた彼は、しばらくの休息と久々のまともな食事をとった後、キルデベルト・アレリア国王への報告に臨んだ。

 自家の居城、その謁見の間で、かつては父のものであった玉座に座る侵略者に首を垂れ、父の死を報せ、自分だけが逃げ帰ったことを語る。身体が千切れそうなほどの屈辱に耐えながら、ユリウスはそれでも詳細を正確に説明した。


「そうか。オスカル殿は死んだか。聞くに、戦士として見事な散り様だったようだな」


 呟くキルデベルトの声に、感嘆の色はなかったが、侮蔑の色もなかった。ただ淡々と事実を受け止める声だった。


「……そして、息子であるお前は生き長らえたと」


 頭上から言葉を浴び、ユリウスは微動だにしない。片膝をつき、首を垂れたまま、感情を心の奥底に押さえつける。


「面を上げよ。オスカル・ノヴァキアの息子よ」


 言われ、ユリウスは無言で顔を上げた。

 表情は努めて動かさなかったが、その顔を見たキルデベルトは笑う。


「悔いているな。恥じているな。無理もないことよ……父親の死に報いたければ、その感情を忘れるな。糧にして生きるがよい。生き続けることがお前の戦いだ」

「……はっ。父からも同じように言われました」


 ユリウスが答えると、キルデベルトは小さく鼻で笑い、立ち上がる。


「さて、このノヴァキアの地の沙汰だが……確かに、お前たちは奮戦したようだ。王が戦死を遂げるほどにな。だが、失敗は失敗だ。私に命じられた役割を果たせなかったことには変わりない」


 言いながら歩み寄ってくるキルデベルトを前に、ユリウスは強張る。

 ノヴァキアの未来はどうなる。父と戦士たちの命を引き換えにして、この地の平穏はどうなる。


「庇護下の者たちに対し、私は王として慈悲を与える。だが、それは必ずしも甘やかすことを意味しない……決めたぞ。ノヴァキア家の存続は許す。お前に公爵位を与え、この地の内政を任せることも変わらぬ。全てはかつての王、オスカル・ノヴァキアの奮戦への敬意が故に。だが税については諦めろ。向こう三年のみ、他の征服地よりも大幅に税を軽減してやる。以降は、お前たち被征服者の言うところの重税を課す。それまでに我々やエーデルシュタインの連中に荒らされた地を復興させ、課税や国境防衛の責務に耐えられるよう社会を再建してみせよ」

「……慈悲深き処遇、心より感謝申し上げます」


 三年。父と戦士たちの死と引き換えに、得た猶予は三年。

 十分だ。内心でそう言い聞かせながら、ユリウスは今一度、深々と頭を下げる。


「殊勝な態度だな。それでよい。では今このときをもって、ノヴァキア王国は終わりだ。この地はアレリア王国ノヴァキア地方となり、お前は我が名代としてこの地の統治を取り仕切るノヴァキア公爵となった。今よりそう名乗るがよい」


 言いながら、キルデベルトは玉座の傍らに並ぶ側近たちを向いた。


「沙汰は済んだ。ノヴァキアの結末も見届けた。統治に関しても、王である私が自らこの地でやるべきことは全て終えたな?」

「仰る通りにございます、陛下」


 親征に随行している文官の最上位である宮廷貴族が、慇懃に一礼しながら答える。


「では、ここにもはや用はない……アンジェロ!」

「はっ」


 先の戦功を経て側近に加わったアンジェロ・モゼッティ侯爵が、名を呼ばれて即座に答える。


「お前にはミュレー地方に加え、この地に駐留する部隊の指揮権も任せる。ノヴァキアの民を徴集する権限も与える。治安の維持、そして南と東の国境防衛を確実に成せ。ひとまずは現状維持をすればよい」

「御意。必ずや務めを果たします」


 敬礼するアンジェロに軽く手を挙げて応え、キルデベルトは謁見の間を去る。


「我が城に帰るぞ」


 側近たちを引き連れてキルデベルトは退室し、後に残ったのはユリウスと、ノヴァキア家の直臣たち。


「……殿下」

「殿下と呼ぶな。私はもはや王太子ではない。呼ぶなら公爵閣下と」


 歩み寄ってきた老臣に、ユリウスは硬い声で言う。


「現実は現実だ。受け入れよう……だが、このままでは終わらぬ」


 強く拳を握りながら、ユリウスは空の玉座を見つめる。

 誰もが思っていることだろう。ノヴァキアはもう終わった地だと。勇ましき王も、精強なる軍勢も失い、もはや歴史の表舞台で存在感を発揮することはないと。

 見るも無残な故郷で、自分は惨めな為政者に成り下がった。侵略者の傀儡として内政を担う、亡国の旧王族の当主に堕ちた。

 今、心の内にあるのは屈辱だけ。それでも、この命は繋がった。この地には未来が訪れる。

 大陸西部の戦いの結末はまだ分からない。結末を選ぶことも、成り行きに干渉することも自分にはできないだろう。だとしても、この地に少しでも良き未来をもたらす戦いを諦めてはならない。戦い方さえ分からないが、戦い続ける覚悟は決めなければならない。

 それが死んでいった戦士たちへの、せめてもの手向け、唯一の償いになる。


・・・・・・


 ノヴァキア王国の軍勢が排除されたことで、エーデルシュタイン王国の北の国境における脅威はなくなった。

 その後の情報収集で、ノヴァキア王国は正式にアレリア王国へと併合され、キルデベルト・アレリア国王率いる精鋭の軍勢は王都サンヴィクトワールへの帰路についたことが分かった。

 ノヴァキア地方に残ったのは、治安維持と、東と南の国境防衛に必要な最低限の部隊のみ。それを受けて、北の国境防衛はアルブレヒト連隊を基幹とした部隊が担い、フェルディナント連隊は王都ザンクト・ヴァルトルーデに帰還した。


「――そうか。策の概要と戦いの結果については伝令から聞いていたが、それほどまでに見事な勝利だったとはな」


 帰還して間もなく、連隊長であるマティアスは登城し、王太女クラウディアに北の国境での戦いの詳細を報告する。それを聞いたクラウディアは、感心した表情で言う。


「これも、アイゼンフート卿の巧みな指揮があってこその勝利でしょう。己の連隊のみならず貴族領軍や徴集兵も的確に操る、誠に鮮やかな戦いでした」

「いずれアイゼンフート卿が帰還した際は、王家から直々に称賛の言葉を送らなければな……そして、お前の働きも称賛するべきだな。フリードリヒ・ホーゼンフェルト」


 クラウディアはそう言って、言葉を交わしていたマティアスから、その後ろに立つフリードリヒへと視線を移す。


「ノヴァキア王国との将来的な関係回復も考慮した焦土作戦の策は、お前が考えたものと聞いている。今回の完全勝利と、今の北の国境にある平穏は、お前がもたらした成果でもある」

「……恐縮に存じます。ですが私は、養父の幕僚として、ただ一案を提言したに過ぎません」


 自分が策を考え、実働部隊の一士官としても動いたが、全体の統括を成したのは連隊長であるマティアスだった。養父の巧みな指揮がなければ、あれほどの短期間に、あれほどの効率で焦土作戦を実行することは叶わなかった。

 だからこそフリードリヒは謙虚な態度を示し、それに好感を覚えたのか、クラウディアは優しげに笑う。


「ますます戦功を重ね、智将として頼もしくなっていくな。お前のような若き才覚が英雄の後継者として育っていること、この国を受け継ぐ王太女としても嬉しいぞ」

「勿体なき御言葉です」


 丁寧に一礼するフリードリヒに頷き、クラウディアは視線をマティアスに戻す。


「ノヴァキア地方に残る敵兵力は多くない。アレリア王国軍の精鋭たちはアレリア王と共に王都へ退却し、ロワール地方から回っていた戦力も戻り始めているらしい。敵も南の我が国よりは東のリガルド帝国との対峙に注力したいであろうから、エーデルシュタイン王国としては、北の脅威はひとまず去ったと思っていいだろう……ノヴァキアの西の国境が思わぬ早さで陥落したために、かつての友邦を相手に予定外の戦いを強いられたな。お前たちには苦労をかけた」

「いえ。国を守るため、あらゆるかたちで戦うのが我らの務めであります故」

「心強い限りだ。卿ら王国軍人は、まさしく王家と王国の誇りだ」


 模範的な態度と言葉で返すマティアスに、クラウディアは満足げに言った。


「戦況は元に戻った。本来動かさざるべき戦力まで動員し、ノヴァキアを相手にあれだけ大規模な行動を起こした直後となれば、アレリア王国もすぐには次の戦いに移れまい。我が国はこの機を活かし、決戦に向けて戦力を大動員する準備を進めることとなる……王国軍はもちろん、貴族領軍も集結させる。西部の貴族たちには常に戦力を動かせるよう待機を命じ、東部の貴族たちにも加勢の準備を命じた。民兵の徴集に向け、さらなる物資の輸送や集積も進める。既に輸送部隊には行動を開始させている。また、ノヴァキア王国と同じ過ちを犯さぬよう、奇襲に備えて間諜も増員した。ロワール地方の主要都市のみならず、街道沿いで広く情報収集にあたらせている」


 クラウディアの語る準備の数々は、ひとつの戦いに備えるものとしては、エーデルシュタイン王国の歴史上例のないほど大規模なものだった。これ以上の備えは不可能と言えるほどだった。


「加えて、帝国からも支援の確約を得た。アレリア王が親征の兆しを見せ次第、可能な限りの援軍を送ると皇帝家から返答があった」

「……帝国からそれだけの確約を得ること、容易ではなかったものと存じます。さすがは王太女殿下、次期君主にふさわしき御成果です」


 マティアスが慇懃に言うと、クラウディアは苦笑する。


「最前線での戦いは、今のところ卿らに任せざるを得ないからな。私は私の立場で成すべきことを成しただけだ」


 実際、限られた時間の中、使者や鷹を介してのやり取りのみで、帝国から支援の確約を得るのは容易ではなかった。

 こちらがどのようにして決戦に備えるつもりであるかを詳細に説明し、エーデルシュタイン王国に十分以上の勝機があると説得し、西隣に友邦を生かしておく利を認めさせ、その結果としてリガルド皇帝家も重い腰を上げた。今は東の国境での紛争に注力している帝国が、今回に限っては西の戦いに実力をもって介入する決断を下した。

 北の隣国が滅び、その隣国との国境で戦いがくり広げられていたこの数か月。クラウディアがエドウィン皇太子や、その後ろにいる皇帝とくり広げた政治的交渉もまた戦いだった。


「守る側であり、国力でも大きく劣る以上、どうしても対応が後手に回る場面もあったが、その我慢も間もなく終わるだろう。我が国は最大限の備えをもって決戦に臨む。アレリア王による親征を食い止め、その軍勢を破壊する。あるいは野蛮な覇王そのものを討って蛮行を終わらせる。ノヴァキア王国のような結末を迎えるつもりは――」


 そのとき。応接室の扉が断りもなく開けられ、クラウディアの言葉を遮った。

 転がり込むように入室した騎士は、そのまま片膝をついて口を開く。


「王太女殿下! 鷹による緊急報告です!……ベイラル平原に、『王の鎧』を含むアレリア王国軍およそ二千が襲来! 事前の備えかなわず、アルンスベルク要塞が包囲されました!」


 この場の誰も予想していなかった報告を聞き、フリードリヒもクラウディアも、そしてマティアスでさえも驚愕した。


「……あり得ない」


 一体どうやって。フリードリヒの小さな呟きは、衝撃に静まり返る室内で、嫌に目立った。

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