第113話 勝ち戦②
それから間もなく、両軍は布陣を終え、戦闘が始まる。
先に動いたのはノヴァキア王国の軍勢だった。長期戦は不利、一度の激突で勝負をつけようと言わんばかりの勢いで、歩兵と弓兵の合計二千強が前進を開始した。
迎え撃つエーデルシュタイン王国側は、布陣した場から動かない。前衛に歩兵、後衛に弓兵と、敵側と変わらない典型的な陣形で激突に備える。
ノヴァキア王国の軍勢が近づくと、エーデルシュタイン王国側の弓兵が曲射を始める。その牽制が十分な戦果を挙げるより早く白兵戦になだれ込もうと、ノヴァキアの歩兵と弓兵はとにかく前進を急ぐ。
「突き進め! 敵を討ち破れば、何を奪い食らっても許される!」
「飯が俺たちを待っているぞ! 走れ! 走れぇ!」
士官たちが鼓舞する声に、兵士たちは血走った目をしながら応え、走り続ける。
敵に打ち勝ち、敵の野営地を占領して砦を奪還すれば、逃げ去った敵が捨て置いていく食料を好きなだけ食べていい。国王オスカルよりそう伝えられているからこそ、兵士たちも空腹や体調不良をこらえて威勢よく走る。
瞬く間に両軍の距離は縮まり、ノヴァキアの歩兵たちはエーデルシュタイン王国側の歩兵と激突する。敵の陣形を打ち破らんと、一気呵成に突入する。
そして、後衛の弓兵は突撃の足を止め、矢の曲射を開始する。エーデルシュタイン王国側の弓兵による攻撃に対抗し、前衛の味方を後方から援護する。数としては少ないが、アレリア王国との戦いを生き残った精鋭を含む弓兵たちの練度は高く、凄まじい速さで矢を放ち、正確な曲射が味方の頭上を飛び越えて敵の歩兵や弓兵を襲う。
「……これだけ果敢に突撃させても崩れぬか」
飢えた獣と化した軍勢がこれ以上ないほど勢いづいて突撃したにもかかわらず、敵の陣形は揺るがない。その様を本陣から見ながら、オスカルは険しい顔で呟く。
エーデルシュタイン王国軍アルブレヒト連隊。厳しい訓練を積み重ねた練度と部隊の連帯感、それらが生む防御力に定評があると聞いていたが、まさかこれほど硬いとは。
腹を空かせた兵士たちの生存本能を煽り、突撃させて敵陣を食い破ることが、こちらにとって唯一の勝ち筋だとオスカルは考えていた。実際、歩兵たちは並の軍勢であれば容易く打破できるほどの攻撃力で突撃を果たした。その結果がこの様とは。
「左翼側の騎兵部隊を出せ。右側面から敵の陣形を打ち崩せ」
この手で駄目ならば本当に駄目だろう。そう思いながら、オスカルは次の命令を下す。
・・・・・・
「決して引くな! 一歩も下がるな! 全ては国王陛下のために!」
「「「国王陛下のために!」」」
両軍の歩兵が激突する戦場の最前面。エーデルシュタイン王国側の歩兵、その最前の何列かを占めるのは、アルブレヒト連隊とアイゼンフート侯爵領軍の正規軍人たちだった。全体の統括を担う連隊の歩兵大隊長が叫ぶと、騎士と兵士たちは揃えて声を張る。
将であるレベッカからの信頼が最も厚いこの軍人たちは、放った言葉通り、微塵も怯むことなく敵の突撃を受け止め、陣形を維持する。盾を並べて壁を作り、その隙間から剣を突き出し、逆に敵を押し返さんばかりの勢いで戦う。
その防御の硬さを実現する士気の源は、レベッカ・アイゼンフート侯爵その人。彼女に流れるアイゼンフート家の血そのもの。
アルブレヒト連隊の中核を成す士官と古参兵は、多くがアイゼンフート侯爵領の出身。そしてアイゼンフート侯爵領軍の騎士と兵士たちにとって、将であるレベッカは単なる上位指揮官に留まらず、忠誠を誓う主家の当主。
彼らは皆が、レベッカと同じく異民族の血を引いている。エーデルシュタインの地において元は余所者。現在は王国の一員となり、同胞意識も抱いているが、同時に自分たちが他の王国民とは異なるルーツや文化を持つことも自覚している。
異民族でありながらエーデルシュタイン王国貴族となったアイゼンフート侯爵家。その現当主であるレベッカは、この王国において異民族の血を引く者たちを庇護してきた一族の末裔。歴史が違えば北の辺境を統べる女王となっていたかもしれない存在。
自分たちの絶対の庇護者が、その一族の当代当主が、エーデルシュタイン王家に固い忠誠を誓っている。異民族の末裔でありながら、王国で最も格式高い貴族の一人として遇されている。王国軍の連隊長の一人として、王家からも敬意をもって扱われている。
だからこそ、自分たちも王家に忠誠を誓う。国王ジギスムントに戦いを捧げる。
レベッカを中心に血で結ばれた同胞たちの、絆と呼ぶべき一体感が、決して崩れようとしない歩兵最前面の硬さを作り上げている。士官や古参兵が引かないからこそアルブレヒト連隊の歩兵部隊は統率を保ってその場に踏みとどまり、それをアイゼンフート侯爵領軍も支える。
こうして戦場に壁を築くエーデルシュタイン王国の軍勢、その側面に、ノヴァキア王国の騎兵部隊およそ二百が迫る。
エーデルシュタイン王国よりも起伏の多い国土を持つノヴァキア王国では、部隊全体に対して騎兵の比率が高く、その練度も高い。精強なノヴァキアの戦士たちが、一糸乱れぬ突撃を見せる。
圧倒的な突破力と破壊力を秘めた騎乗突撃、しかしそれさえも、レベッカの率いる軍勢を崩すことはできなかった。
陣形の側面を守るのは、こちらもアルブレヒト連隊とアイゼンフート侯爵領軍の精鋭。長槍を装備した彼らは持ち前の練度の高さで壁を作り、槍衾を形成する。
無駄なく並ぶ隊列。適切な間隔と角度で正面を向く槍の穂先。そして、迫りくる騎馬の群れを前にしても身じろぎもしない騎士と兵士たちの、尋常ならざる度胸。全てが組み合わさったからこそ最高の純度で築かれた槍衾が、騎乗突撃を受け止める。
まるで壁と壁が激突したかのような、地を揺らすほどの重い衝撃。槍衾を掲げた盾の壁は持ちこたえ、突撃を敢行した先頭の騎士たちは大きく態勢を崩す。槍の穂先に自ら突っ込むようにして串刺しになり、あるいはバランスを崩して落馬し、自身や仲間の馬に踏み潰される。
勢いが止まった騎馬は必ずしも精強とは言えない。軍馬たちは訓練された通りに前脚を使って暴れ、目の前の人間を踏み殺そうとするが、それは盾の連係に阻まれる。そして横から突き出された槍が馬の腹を突き、あるいは騎士を馬上から叩き落とし、無力化する。
そのように混沌とする隊列側面の戦場に、しかし後続の騎士たちは次々に到達する。いかな精鋭の壁も、二百の騎馬の質量を受け止め続けることは容易ではない。エーデルシュタイン王国側の軍勢、その陣形右翼側が次第に押し込まれていく。
それを好機と見たのか、ノヴァキア王国側は残る騎兵部隊も投入する。さらに二百の騎士が、今度はエーデルシュタイン王国側の陣形左翼側に迫る。
すかさず、レベッカは自軍の本陣側に控えていた騎兵部隊に突撃命令を下す。動き出した二百以上の騎士たちが狙うのは、敵陣の前衛、歩兵部隊の側面。
膠着する戦場を、両軍の騎兵部隊が駆ける。
・・・・・・
「……まだ持ちこたえるとは。想像以上の硬さですね」
継嗣ユリウスの呟きに、オスカルは無言を保ちながら、苦い表情で頷く。
こちらの左翼側騎兵部隊に続いて、右翼側の騎兵部隊も敵陣側面に突入した。しかし、そちら側にもやはり敵の精鋭が配置されていたようで、騎乗突撃は受け止められてしまう。
そして、間もなく崩れるかに見えた敵陣右翼側も、予想に反して未だ耐えている。その場で耐え続けるよりもあえていくらか下がることで隊列の防御を維持し、陣形の中に入り込まれるのを防ぐことで陣形の崩壊を避けている。
敵陣左翼側も、おそらくは同じ手段で今しばらく耐え抜くだろう。敵側面が予想以上に頑強だったために、こちらの両翼の騎兵部隊を突入させる判断は裏目に出たこととなる。
そして、正面の歩兵同士の戦いに関しては、もはや敵陣突破は叶いそうもない。
元よりこちらの歩兵は弱っていた。それを、勝利の後に敵側から奪えるであろう食料を餌にして煽ることで、無理やり士気を高めさせて突撃を敢行させた。
一度は威勢よく突撃した歩兵たちも、その勢いはすぐに失われる。一撃での敵陣突破に失敗し、戦いが長引けば、空腹や体調不良の悪影響で瞬く間に体力が尽きる。敵歩兵部隊を食い破るどころか、逆に押され、隊列が崩れ始めている。
そこへ、敵側の騎兵部隊が突入する。こちらは速攻を優先して両翼の騎兵部隊を既に動かしており、迎撃の手段はない。歩兵部隊の側面も、騎乗突撃に耐えられるほどの頑強さはない。
敵騎兵部隊があっさりと突入を果たし、それと同時に敵歩兵部隊はより一層苛烈に攻める。持ちこたえるはずもなく、こちらの歩兵部隊は総崩れになる。前衛が崩れては後衛もまともに戦えず、弓兵部隊も態勢を崩し、その援護射撃の勢いが鈍る。
「終わりだな。我々の敗けだ」
淡々とした口調で、オスカルは言った。
最初の一撃にのみこちらの勝機はあった。それが失敗した以上、もはや戦い続ける意味はない。
「この上は退却に移り、一兵でも多く生きて帰すことを考えるのが為政者の務めだ。この軍勢が全滅するまで足掻いたところで、ノヴァキアの未来が好転することはない」
「……仰る通りです」
傍らで悔しげに答えた王太子ユリウスに頷き、オスカルは正面に向き直る。
「全軍退却だ。まずは歩兵と弓兵を下がらせ、騎兵部隊を援護に充てろ」
総大将である王の命令が、伝令を通じて各部隊に届けられる。
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