第97話 この国が私たちの家

 予想外の騒動を乗り越えた帝国大使クリストファー・ラングフォード侯爵とその家族が、フェルディナント連隊に護衛されながら王都ザンクト・ヴァルトルーデへと帰還を果たした数日後。クラウディア・エーデルシュタインは、クリストファーを王城へ呼び出した。


「ラングフォード卿。卿と妻子が無事に王都へ帰ってきたことを喜ばしく思う」

「ありがとうございます、王太女殿下」


 応接室で円卓を挟んでこちらを向くクリストファーは、いつもと比べると表情も声も大人しく感じられた。おそらく、視察や帰路の旅疲れのせいだけではない。西部王家直轄領で起こったことについては、クラウディアもこの数日のうちに、マティアス・ホーゼンフェルト伯爵から詳細な報告を受けている。

 今回の騒動において、責任の所在を決めるのは難しい。

 エーデルシュタイン王国が敵部隊の侵入を許したのは事実だが、そもそも国境地帯の完璧な監視など、どの国も不可能なこと。絶対の安全が保証されない地に視察に赴いたのはクリストファーの決断であり、視察の効果を高めるために妻子を伴ったのも彼の意思であり、その妻子に別行動をとらせたのも彼が自ら決めたこと。

 そもそも、大陸北部出身の猟兵部隊などというものを投入し、帝国大使の家族を害しようとしたキルデベルト・アレリア国王こそが今回の騒動の元凶。真に憎むべきは、他ならぬアレリア王であると言える。

 いくつもの要因が重なったこの微妙な事件をきっかけに、リガルド帝国側と責任を押し付け合って関係を険悪にするような事態は避けたい。両国の友好関係の強さを内外に示すために視察を敢行したはずなのに、逆の結果になっては意味がない。

 だからこそ、この会談で上手く話をまとめ、両国の関係にひびが入らないよう事後処理を終えなければならない。今回の騒動についてこちらの責任を強く問わないよう、クリストファーを説き伏せて納得させなければならない。

 クラウディアがそう考えていると――しかしクリストファーは、予想の斜め上の発言を見せた。


「殿下。此度の件の事後処理で、エーデルシュタイン王国に決してご迷惑はかけません」


 クラウディアが思わず怪訝な表情を浮かべるのをよそに、クリストファーは神妙な面持ちで話を続ける。


「此度の件の責任は、偏にこの私にございます。私は己の理想の体現にこだわるあまり、妻と娘を視察に同行させるという浅はかな選択をしました。あのような兵力を投入し、帝国大使やその家族をも害そうとするキルデベルト・アレリア国王の野蛮さを見誤りました。庇護すべき者たちを危機の只中に放り込み、自分はその場に居もしませんでした……私は救いようのない愚か者です」

「……」


 そんなことはない、とはクラウディアも言えなかった。

 さすがにアレリア王がここまで攻撃的な手段をとるとは誰も思っていなかったが、一応は戦地である国境地帯を巡ることを考えれば、クリストファーが妻子を視察に同行させない方がよかったのは事実。彼が一人で視察に臨み、アルンスベルク要塞に残る判断をしていたのならば、敵の猟兵部隊の襲撃は不発に終わっていた。

 捕虜への尋問によると、敵部隊は最初、五十人で大使の一行を襲撃するつもりだったという。敵側が多勢であったことは変わらないが、一台の馬車を守る護衛が十人ではなく三十人であれば、襲撃の結果は違っていたかもしれない。護衛に犠牲を出しながらも、敵中を強引に突破することができていたかもしれない。すなわち、クリストファーが要塞に残らず自分も避難していれば、彼の妻子がこれほどの危機の只中に置かれることはなかったかもしれない。

 クリストファーの考えは甘く、その判断は尽く裏目に出た。結果論だが、彼は愚かだった。


「己の愚かさによって悲劇を起こした代償は、私自身が払わなければなりません」

「……具体的には、どうやって?」

「此度の件が私の失態であることを隠すことなく、帝国の貴族社会に語ります。私は判断を誤り、油断を重ねて悲劇を招いた愚か者であると。アレリア王は卑劣な手をもって、帝国大使の家族をためらいなく害そうとした野蛮な敵であると。そしてエーデルシュタイン王国軍は、私の妻子を助けるために全力を尽くし、二人を守ってくれたと。彼らのおかげで私の妻子はアレリア王国による卑劣な襲撃から守られ、以て帝国の外交的尊厳は守られたのだと。そのように語ります。我が命をかけてそうすると誓います」


 クラウディアの問いに、クリストファーは諦観交じりの微笑を浮かべて答えた。


「しかし、あまりそうして卿の落ち度を強調すれば、卿に不利益が及ぶだろう」


 クラウディアとしては、クリストファーの申し出は願ってもないことだった。

 彼がそのように立ち回り、一人で責任を被ってくれるのであれば、今回の騒動はエーデルシュタイン王国にとって大きな不利益にはならない。むしろ利益をもたらす可能性さえある。

 度を越してはいたが、ある意味ではこちらの狙い通り、アレリア王は帝国に対して攻撃的な態度をとった。大使を害そうとしたアレリア王を決定的な敵として帝国貴族たちに印象づければ、彼らのアレリア王国に対する悪感情を高めることができる。

 そして、王国軍騎士――フリードリヒ・ホーゼンフェルトたちと帝国軍騎士たちとの共闘は、うまく飾れば帝国との友好関係を強化する美談として使える。

 しかし、クリストファー自身には不利益しかない。失態を演じた愚か者としての印象を帝国貴族たちから刻まれれば、彼の評価や影響力は今より確実に落ちる。

 その懸念についてクラウディアが尋ねると、クリストファーは微笑のまま頷く。


「元より私のせいである以上、覚悟の上です。むしろ、私一人の評判を引き換えに貴国との関係を維持できるのであれば本望と言えます……私が守るべきは私自身ではなく、リガルド帝国とエーデルシュタイン王国の友好関係です。我が祖国であるリガルド帝国と、私が親愛を捧げる貴国の友好の先にこそ、私の求める美しい理想の未来があります。これが理想主義者としての私の戦い方、仁義の尽くし方です」

「……そうか。クリストファー・ラングフォード侯爵。理想に身を捧げる卿の信念、あらためて心から敬意を表す」


 皮肉ではなく真剣に、クラウディアは言った。

 理想を思い描く者は多くとも、それを真剣に追い求める者は少ない。ましてや、彼ほどに身を捧げようとする者はごく稀。その信念は素直に称賛すべきものだった。


「身に余る御言葉、心より感謝いたします……何分、掲げている理想しか誇れるものもありません故に」


 照れたように笑い、ようやく普段通りの雰囲気を見せてくれた彼に、クラウディアも微苦笑を返す。そして、また口を開く。


「そうと決まれば、我がエーデルシュタイン王家も全力で協力させてもらう。卿の覚悟を無駄にはしない。此度の件が両国にとって最大限良い方向に働くよう、印象操作に全力を尽くそう……幸いにも、そうした操作の手際については、最近手本を見たばかりだからな」


 身内による謀反の悪印象を、己の立ち回りによって見事に打ち消した国王ジギスムント。自分も父のように上手くやらなければと、クラウディアは考える。


・・・・・・


 騒動の事後処理の計画については、養父マティアスを通してフリードリヒも詳細を知った。

 クリストファー・ラングフォード侯爵は自らの貴族としての立場や評判よりも、エーデルシュタイン王国とリガルド帝国の関係維持を優先し、立ち回ることを決意した。

 両国の鷹を使った伝令でクリストファーの意向が帝都に届けられると、エドウィン・リガルド皇太子の名義で、それを了承する返答が送られてきた。皇帝家もさすがに、ラングフォード侯爵家のためだけにエーデルシュタイン王国との関係にひびを入れるつもりはないようだった。

 結果として、今回の視察の狙いは達成される見込みとなった。

 アレリア王国はおそろしく大胆な手段をもって、帝国大使の家族を害そうとした。誰がどう見てもリガルド皇帝家と帝国そのものに対する挑発であり、侮辱であることは明らか。帝国貴族たちはそのように考える。そうなるようクリストファーも、おそらくは皇帝家も誘導する。


 そしてもうひとつ、噂が流される。フリードリヒをはじめとした王国軍騎士と、チェスター・カーライル子爵をはじめとした帝国軍騎士の共闘が、美談として大々的に語られる。

 エーデルシュタインの生ける英雄の継嗣が、帝国貴族である軍人と力を合わせ、両国の騎士を率いて襲撃者に立ち向かった。王国軍騎士と帝国軍騎士はそれぞれの誇りを胸に抱き、数で勝る敵に立ちはだかり、果敢に戦い抜いた。

 そして、両国の騎士たちはラングフォード侯爵夫人と令嬢を見事守り抜いた。アレリア王の差し向けた恐ろしい襲撃者の手から、王国軍騎士たちは友邦の要人と外交的尊厳を、帝国軍騎士たちは仕える祖国と皇帝家の威信を、見事に守りきった。

 この共闘は、両国の友好関係を象徴するこれ以上ないほど美しい物語となり、帝国の貴族社会から市井まで広められる。さらにはエーデルシュタイン王国でも同じ物語が広められ、その効果はより高められる。

 ちなみに、多少の誇張も織り交ぜながらこの美談を作り上げたのは、他ならぬクラウディアだという。フリードリヒ当人としては何とも言えない気持ちになったが、戦功が美談となって積み重なり、将来の英雄を形作っていくのだとすれば、これもまた己の使命として受け入れるしかない。


 こうした対応が決定した後、クリストファーは己の覚悟を形とするため、大陸が本格的な冬に包まれる前に帝国へと一度帰ることになった。

 その見送りの場に、マティアスとフリードリヒ、そしてユーリカも招かれた。


「騎士フリードリヒ殿。あらためて、妻と娘を救ってくれたことに心からの感謝を……本当に、何度礼を言っても足りないほどです」

「恐縮に存じます、大使閣下。ですが、私はエーデルシュタイン王国軍人としての使命を果たしたに過ぎません」


 両手で力強く握手をしてくるクリストファーに、フリードリヒは微笑を作って答える。

 確かに彼としてはどれだけ言っても足りた気がしないのだろうが、補給拠点の砦で合流したときから王都への帰路まで、既に散々に礼は伝えてもらった。それこそ飽きるほどに。この世にある全ての感謝の言い回しが、彼の口から出たのではないかと思うほどに。

 正直に言って、フリードリヒとしては少し辟易としている。


「ああ、何と謙虚で気高い言葉でしょうか。さすがはエーデルシュタインの生ける英雄たるホーゼンフェルト卿のご子息です……ホーゼンフェルト卿にも、あらためて感謝を。卿が迅速に騎士たちを率いて救援に駆けつけてくれたからこそ、妻と娘は助かりました」

「いえ、私も当然のことをしたまでです。ラングフォード侯爵家の皆様がご無事に揃って帰国なさることとなり、幸いに思います」


 クリストファーが求める握手に応えながら、マティアスも無難に返す。

 見送りの場には他にも、エーデルシュタイン王国側の代表として外務大臣アルフォンス・バルテン伯爵や、救出において多大な貢献をした騎士の代表としてオリヴァーなども並んでいる。クリストファーは彼らとも言葉を交わし、その間にフリードリヒは、チェスター・カーライル子爵とも挨拶を済ませた。


「ねえねえ、フリードリヒ、ユーリカ」


 と、そのフリードリヒと、さらにユーリカを、クレア・ラングフォード侯爵令嬢が呼んだ。

 敵部隊を撃退して補給拠点の砦に辿り着いた後は、フリードリヒもユーリカも自分たちの無事を伝えるのみに留め、以降はクレアとあまり話さないようにしていた。彼女を警護し、彼女と交流したのは、あくまで不測の事態の結果だったからこそ。

 しかし、クレアは最後にもう一度フリードリヒたちに会いたいと両親に訴えたらしく、それもフリードリヒたちがこの見送りの場に呼ばれた理由のひとつだった。

 手招きする彼女にフリードリヒたちは歩み寄り、膝をついて視線の高さを合わせる。


「クレア様。リガルド帝国に帰られても、どうかお元気でお過ごしください」

「またいつか会いましょうね」


 そして、二人とも別れの言葉をかけた。

 クリストファーはいずれ大使として戻ってくる予定だが、メリンダとクレアはこのような騒動に巻き込まれて疲弊したこともあり、帰国したらそのまま帝国に留まるという。

 場合によっては二度と会うことはないかもしれないが、ユーリカの言葉は、少し寂しそうな表情を見せるクレアの心情を慮ってのものだった。

 母メリンダの服の袖をぎゅっと握ってフリードリヒたちと向き合うクレアは、少し迷うような仕草を見せた後、口を開く。


「ふたりとも……わたしといっしょに帝国にいこう?」


 予想外の提案に、フリードリヒは小さく目を見開き、ユーリカは片眉を上げて驚きを表す。


「アレリア王国がとなりにいたらあぶないよ。また怖い目にあっちゃうよ。だから、いっしょに帝国にかえろう? 帝国はおおきいし、つよいから、この国にいるよりあんしんだよ?」


 そんなことを言う娘をたしなめようとしたメリンダに、無言で小さく首を振って気にしないよう伝えたフリードリヒは、あらためてクレアの方を向く。そして笑みを零す。


「……この国が私たちの家なのです。なので私たちは、これからもこの国を、エーデルシュタイン王国を守ります。お誘いにお応えできず申し訳ございません」


 その返答にクレアは不満そうだったが、こればかりは応えてやれない。ユーリカと微苦笑を交わし、フリードリヒは立ち上がる。

 今の言葉の意味をクレアが真に理解するのは、もっと先のこと。一方で彼女に寄り添うメリンダには、フリードリヒが言葉に込めた覚悟が正確に伝わったようだった。

 メリンダは罪悪感を含んだ表情で、それでも羞恥や気まずさに顔を隠すことはせず、フリードリヒを見ていた。


「……ごめんなさい。そして、ありがとう。あなたたちのことも、あなたの言葉も忘れないわ」


 フリードリヒは言葉では彼女に答えず、ただ笑顔で頷く。

 伝わり、理解してもらえたのであればそれでいい。

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