第98話 蠢く侵略者①
アレリア王国とノヴァキア王国の国境では、緊張が高まっていた。
元よりノヴァキア王国を向いていた軍勢と、対エーデルシュタイン王国の戦線より加わった増援、総勢六千以上。その全てが一度の攻勢に投入できる戦力というわけではないが、迎え撃つノヴァキア王国側の警戒はいやが上にも高まる。国境の山岳地帯の途切れ目に築かれた頑強な要塞に、常備兵力のみならず傭兵や徴集兵も集結し、一時たりとも守備を緩めない。
そんな緊張状態も、季節が本格的な冬に入ると大きく動くことはない。真冬に戦争を行うのはあまりにも無謀。補給や野営も容易ではなく、攻勢に出ても後が続かないため、たとえ勝利しても以降の継戦や占領地の維持が難しい。
そのため、ノヴァキア王国側は要塞と後方の都市や村で、アレリア王国側も国境を睨む複数の砦や前線近くの辺境都市で、冬が過ぎるのを待つ態勢に入る。
この機を利用して、ツェツィーリア・ファルギエール伯爵は国境地帯を離れ、王都サンヴィクトワールへ向かった。翌年の春に計画されている大攻勢について、主君であるキルデベルト・アレリア国王と詳細を確認し合うために。
少人数で都市や村落を伝うように移動するのであれば、冬の旅も難しくはない。副官の騎士セレスタンや護衛の騎士たちを連れ、日差しが出て気温の上がる日中のみ移動して王都に帰りついたツェツィーリアは、王城の一室でキルデベルトに迎えられる。
「よく帰ってきたな、ファルギエール卿。そちらの準備はどうだ?」
「全て滞りなく進んでいます。戦線の部隊と増援部隊の連係訓練も完了し、国境を突破して以降の動きについても、事前の計画通りに用意できています」
ツェツィーリアの言葉を聞き、円卓を挟んで向かい合うキルデベルトは、満足げに笑った。
「そうか。心配はしていなかったが、順調ならばよい」
「……して、こちらの準備についてはいかがでしょう?」
その問いに、キルデベルトの笑みが不敵なものに変わる。
「できている。全てはお前の要求通りにな……精鋭の騎士と兵士が総勢で二千五百と、その兵站を支える輸送部隊。国境地帯へ行軍するための物資。完璧に揃っている」
初夏に王都へと参上し、ノヴァキア王国への侵攻の指揮を命じられた際、ツェツィーリアはある計画を考案し、キルデベルトに提示した。
それは、十分な規模と質の戦闘部隊を、事前にノヴァキア王国側に察知されることなく、一週間以内に国境地帯に差し向けるための策だった。
戦闘部隊の基幹となるのは、「王の鎧」と呼ばれている精鋭の近衛部隊が千。この部隊は先のミュレー王国との戦いにおいてキルデベルトと共に最前で戦い、少なからぬ損害を負った。そこから回復するための再編成を、つい秋に終えたばかりだった。
さらにそこへ、王領防衛のために置かれているこちらも精鋭の兵力二千のうち、過半にあたる千五百が投入される。
もちろん、ただこれだけの兵力を引き抜けば、王領の守りがあまりにも手薄になる。これまでの征服地で直ちに反乱などが起こり、王領が攻められる可能性は低いが、治安維持をはじめ様々な面で支障が出る。
それを防ぐために、王領防衛の代替兵力として用いるのが、各征服地に派遣されている兵力の一部。ロワール地方とミュレー地方以外の派遣部隊から数百ずつを引き抜き、王領に置く。頭数が不足する各征服地には、一時的に傭兵を充てる。既に、新規の鉱山開発の警備や害獣狩りなど嘘の名目で、各地で傭兵集めの準備を始めさせている。
質がまちまちの傭兵を用いれば、軍資金や税の着服、民への暴行や過剰な賄賂の要求、農村部での略奪などもおそらく起こるだろうが、それは新たに隣国を征服するために必要な損害として割り切る。このような損害に備え、アレリア王家は各征服地から富を吸収し、国庫に貯えてきた。
戦闘部隊の兵力の確保はこれで叶う。次に考えるべきは、この兵力を迅速に国境地帯まで送り込む術。この点について、ツェツィーリアは大規模な補給部隊を随伴させる計画を考えた。
言葉で言うのは簡単だが、実行するのは難しい。少なくとも、机上の計画のみを元に実行に移すのは無謀。なのでこの数か月にわたって、実務を兼ねた試験が行われた。
エーデルシュタイン王国やノヴァキア王国の情報収集の死角となる、アレリア王国西部。その方面と王都を繋ぐ輸送部隊が、平時の軍務を兼ねて侵攻のための輸送を再現した。計算と、実際よりも規模を縮小した輸送試験を何度かくり返した結果、微細な問題点を潰して洗練された輸送計画は完成した。
補給部隊の荷馬車に積み込む食料に関しては、既に集めてある。
冬に備えて食料を備蓄する際、例年よりも多くの量が集められ、王城の倉庫に保管されている。他の季節に数千人分の食料を集め始めれば軍勢を動かす準備であることを隠しようがないが、冬支度の際に軍の数か月分の食料を備蓄するところ、余分に一、二週間分の食料を集めたところで、城の外から見ていて気づける間諜などいない。
このように揃えられた精鋭の戦闘部隊と、それを支える補給部隊。そして進軍のための物資。これらは冬明けと同時にまとまってひとつの強襲部隊となり、進軍する。できればノヴァキア王国に情報が届く前に、それが難しくとも敵が反応して兵力を増強する前に、国境に到達する。
これだけ大がかりな計画となれば、相応のリスクも伴う。王都の精鋭たちを動員しながら大敗してその兵力を失えば、取り返しがつかない。頭数だけは揃うとしても、各征服地から寄せ集めた兵士たちでは王領の守りに不安も残る。補給に関して、実際の規模で軍勢を動かして初めて気づく問題点もあるかもしれない。
しかし、事ここに至っては賭けに出るしかない。そうしなければ大陸西部の統一をいつまでも達成できず、君主であるキルデベルトの野望は叶わない。
王が早急な勝利を求め、ツェツィーリアはそれに応えるための策を考え、その策は賭けの部分があることも承知の上で受け入れられた。だからこそ、ここまで準備が進められた。
「お前は頭で考えた策を語るだけであったからよいが、その策を実現するために奔走するこちらの身にもなってほしかったな。なかなか苦労を強いられたぞ。尤も、現段階で忙しく働いたのは、私よりもエマニュエルの方だがな」
「それはそれは……王弟殿下に多大なご負担をおかけしてしまい、かたじけなく存じます」
同席している宰相エマニュエル・アレリアにツェツィーリアが頭を下げると、王の弟である彼は微苦笑を浮かべて首を横に振る。
「いえ、陛下の仰りようは少しばかり大袈裟ですよ。私も大したことはしていません。優秀な官僚たちが、卒なく仕事を進めてくれました」
「謙遜しなくともよいだろう。己のみが知る計画の全貌を明かさず、それでいて官僚たちに疑いを抱かせず、全ての準備を進めるのは骨が折れたはずだ。それでも成し遂げたのは、まぎれもなくお前の聡明さ故の功績。素直に誇れ。我が弟よ」
あくまで控えめな態度のエマニュエルに、キルデベルトは兄としての優しさの垣間見える声で言った。
大規模な進軍計画が動いていることが、端から見て分からないように工夫することはできる。しかし、人の口から情報が漏洩しては台無し。
そのため冬明けの実行のときまで、進軍計画を知る者はごく限られる。「王の鎧」でさえ将と幹部級の士官以外はまだ何も知らない。補給部隊などは指揮官に至るまで、先の輸送試験は将来の補給体制の確立に向けた、長期的な計画の初期段階の試験に過ぎないと思っている。
「これだけの手間をかけた、確かな効果を見込める計画だ。一度使えば手口を知られる以上、失敗は許されない。お前ならば全てを成功に導くと信じているぞ、ツェツィーリアよ」
「お任せください。必ずや、最後まで計画を完遂してご覧に入れます」
主君の期待に応えるため。そして最終的には、ホーゼンフェルト伯爵を討つという悲願を達成するため。そのためにこそ、全身全霊をもってこの計画に臨む。いつもと変わらない穏やかな表情を浮かべ、しかしその赤い双眸に固い決意を抱きながら、ツェツィーリアは答える。
「ふむ、良い顔だ……初めて直接会ったときも、お前はそんな顔をしていた。もう何年前だ?」
「あれから八年が経ちました、陛下」
「それほどになるか。懐かしいものだな」
笑みを零すキルデベルトに、ツェツィーリアは穏やかな微笑のまま頷く。
ロワール王国がアレリア王国に敗北したとき、ツェツィーリアはその戦場にいなかった。エーデルシュタイン王国との国境地帯で防衛指揮を務めていたツェツィーリアは、西の国境でロワール王が戦死し、祖国がアレリア王国に降伏して併合を受け入れたと、伝令の報告を受けて知った。
敗戦後、ツェツィーリアはキルデベルトのもとへ召喚された。そこで、自分が軍人となって戦っている理由を――マティアス・ホーゼンフェルト伯爵への復讐心を明かした。
ホーゼンフェルト伯爵を討つ機会を与えてくれるのであれば、家族の仇を討たせてくれるのであれば、自分は生涯にわたって絶対の服従を誓う。キルデベルトから目を逸らすことなくツェツィーリアが語りきると、彼は不敵に笑い、その言葉を信じると言ってくれた。必ずその機会を与えると約束してくれた。
まずはミュレー王国併合のための戦いで、言葉だけでなく多くの戦功をもって忠誠心を示したツェツィーリアは、キルデベルトの側近の一人となった。彼は実際に機会を与えてくれた。機を逃したツェツィーリアに、しかし彼はまた機会を与えてくれるという。
だからこそ、ツェツィーリアは彼に従い続ける。
「では、勝利への鍵を握る者とも顔を合わせてくるがよい。お前の要望通り、城に呼び出して別室に待たせてある。案内させよう」
「感謝いたします。それでは国王陛下、王弟殿下、この場は失礼いたします」
立ち上がって優雅に一礼し、ツェツィーリアは退室する。
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