第96話 一安心

 マティアス率いる総勢五十騎の援軍と合流を果たしたフリードリヒたちは、ひとまず街道上の王国軍の補給拠点に移った。

 後方に下がったとはいえベイラル平原には未だアレリア王国の軍勢がとどまっており、アルンスベルク要塞はまだ安全とは言い難い状況であるため、要塞から東に一日の距離にある補給拠点の砦がメリンダとクレアの避難場所に選ばれた。

 敵の猟兵部隊への追撃は行われなかった。退却に追い込んだとはいえ敵部隊の過半は無事であり、追撃を行うにはこちらも相応の戦力を揃えなければ心許ないため、ひとまず捨て置かれた。情報を得るための捕虜は、敵側が運びきれず残していった負傷者で事足りる。

 戦場の事後処理は最低限に済ませ、一行は日暮れまでには砦に到着。小規模な補給拠点の兵舎に全員はとても入りきらないため、客人であるメリンダとクレア、そして帝国軍の騎士たちに寝室が提供され、フリードリヒたち王国軍騎士は屋外で天幕を広げる。

 戦闘に臨んだ王国軍騎士十四人のうち、死者は三人。重傷者も三人。ケルラ村で死んだ騎士ウーヴェも合わせて、四人が戦死したことになる。激戦を経たにしては少ないとも言えるが、フリードリヒは見知った連隊本部付きの仲間を失い、オリヴァーも直轄の小隊の部下を失くした。


「医者の話では、軍務に就くのは問題ないものの、剣を握るのはしばらく控えなければならないとのことです。多少不自由はするでしょうが、戦闘以外では引き続き務めを果たします」


 重傷者の一人であるグレゴールは、ユーリカを伴って負傷者用の天幕に見舞いに訪れたフリードリヒにそう語った。仮設のベッドに座るグレゴールは今は上半身裸で、その右腕に巻かれた包帯には血が滲んでいる。痛々しい見た目とは裏腹に、当人は平然とした様子だった。


「時間がかかるとはいえ、腕も治るようならよかったよ……それにしても、あの猟兵部隊の指揮官は恐ろしい強さだったね。君とユーリカが二人がかりで戦っても互角だなんて」

「単純な強さでは、私が今まで見てきた中でも随一でしょうな。あれはホーゼンフェルト閣下に匹敵するか、それ以上の強さかもしれません」


 フリードリヒの言葉に、グレゴールは表情を険しくして答えた。

 マティアス以上の強者。そう言われて、フリードリヒも否定はできないと考える。それほどにあの敵指揮官は手強いと、戦いの様子を見ているだけでも分かった。敵の猟兵たちは体力はともかく剣の腕はまちまちだったが、あれはその中でも別格だった。


「……でも、人間なんだから斬れば死ぬはずです。いつか絶対に殺してやりましょう。従士長の右腕の仇をとるんです」


 敵わなかった悔しさからか、あるいは強敵と邂逅して闘争心が滾っているのか。ユーリカがいつになく獰猛な笑みを浮かべながら言った。


「その言い方だと、まるで俺の腕が持っていかれたようだぞ。まだ繋がっているし動いている……だが、そうだな。あんな奴がアレリア王国にいるのでは厄介だ。再戦の機会があれば、今度こそ仕留めるか」


 グレゴールは苦笑を零した後で、ユーリカと同じように獰猛な笑みを浮かべて言った。


・・・・・・


「フリードリヒ殿」


 負傷者用の天幕を出て自分たちの寝床に戻ろうとしたフリードリヒに、話しかけてきたのは帝国軍騎士チェスター・カーライル子爵だった。


「……カーライル卿。そちらも落ち着きましたか?」

「ああ。夫人と令嬢は、この砦に着いて早々にお休みになられた。さすがにお疲れも限界だったようで、明日の朝か、下手をすれば昼までお目覚めにならないだろう。こちらも不寝番を一応立てるが、もはや襲撃の心配もないからな。一安心だ」


 チェスターはそう答え、小さく息を吐く。異国の地で護衛任務に就き続けた上に、激しい戦闘まで行ったことで、彼もまた疲れが出ているようだった。


「王国軍にはあらためて感謝を。本来は我々がお守りするべきところ、夫人と令嬢を救ってもらったからな。特に卿には礼を言わなければ。時間も武器も限られたあの場であれだけの策を編み出してもらわなければ、我々は全滅した上にお二人を守りきれなかっただろう」

「そんな、とんでもない。むしろ私たち王国軍は謝罪すべき立場です。私たちがあれだけの規模の敵部隊の領土侵入を許したことで、夫人と令嬢を危険な目に遭わせ、帝国軍に多くの犠牲を出してしまったのですから」


 今回、敵の猟兵部隊との戦いで、帝国軍には合計十四人もの死者が出た。最初の襲撃で全滅した十人に加え、王国軍と共闘した際に四人が死に、さらに数人の重傷者が出た。

 大使の護衛部隊のうち、実に半数以上が死傷したことになる。根本の原因としては、エーデルシュタイン王国が敵部隊の侵入を許したために起こった悲劇。王国軍騎士としての立場もあり、フリードリヒが神妙な表情で言うと、チェスターは微苦笑する。


「いや、これはあくまで個人的な意見になるが、私としては貴軍の落ち度とは思わない。アレリア王国があのような兵力を抱えているとなれば、まったく侵入を許さないというのも無理があろうからな。そうでなくとも、何か不測の事態が起こる可能性はあったわけで、その上で……まあ、な」


 最後は言葉を濁したチェスターの本音を察し、フリードリヒも微苦笑を返す。

 さすがにこれほどの事態が想定されていたわけではないが、国境地帯の視察が多少のリスクを伴うものであることは、両国とも承知の上だった。その上で、クリストファー大使は理想の体現を優先し、あえて妻子を同行させた。

 大使の油断が結果としてこのような混乱を招いたことに、チェスターは警護を任された立場として思うところがあるらしかった。


「ともかく、今回は助かった。共闘するのは初めてのことだったが、エーデルシュタイン王国軍騎士の強さを見せてもらった。卿らのような勇敢な騎士と共に戦えたことを光栄に思う」

「……恐縮です。私も、リガルド帝国軍騎士の精強さと覚悟を確かに見せてもらいました。あなた方との共闘を誇りに思います」


 先ほどチェスターが濁した言葉は聞かなかったことにして、フリードリヒは彼と握手を交わす。

 彼に伝えた言葉は決して世辞ではなかった。数倍の敵を前に、怯まず戦い抜いた彼ら帝国軍騎士は、同じ軍人として敬意を表すべき存在だった。


「願わくば、戦友となった我々の関係が、そのまま両国の関係として続いてほしいものだな」

「ええ、本当に」


 ため息交じりに言ったチェスターに、フリードリヒも同意する。今回の一件を踏まえてエーデルシュタイン王国と帝国がどのように立ち回るか、それは政治を司る者たちが決めること。一軍人に過ぎないフリードリヒたちは、両国の友好が維持されることを願うしかない。


・・・・・・


 泥のように眠り、過酷な追走劇と戦闘の疲労も多少は癒えた翌日の午後。フリードリヒは司令部として置かれた天幕に赴いた。


「ヒルデガルト連隊からの報告では、アレリア王国の軍勢は完全に撤退していったそうだ。合わせて、例の猟兵部隊の生き残りが国境を越えていく様も目撃された。連中もどうやら、この期に及んで完全に身を隠しながら逃げる余裕はなかったらしい……ひとまず脅威は去った。それは確かだ」

「……そうですか。何よりです」


 マティアスから現状を聞き、フリードリヒは心から安堵する。


「捕虜にした猟兵どもの話では、連中はやはり大陸北部出身の傭兵で間違いないらしい。お前の推測通りだったな」

「あまり嬉しくない当たりですね」

「ああ、まったくだ」


 フリードリヒが苦い表情で言うと、マティアスも頷く。

 化け物じみた持久力と踏破力を持つ北部傭兵。今回侵入してきた部隊は未だ過半が健在。アレリア本国にはそれ以上の数がいるかもしれない。推測が当たったと喜べる状況ではない。

 おそらくは多くてもせいぜい数百人の軽装歩兵。できることには限りがある上に、アレリア王も貴重な猟兵を安易に使い潰しはしないだろうが、あのような戦力が国境を越えてくる可能性が常にあるというだけでも厄介だった。


「今後のことだが、我々フェルディナント連隊はこの砦に集結した後、大使一家を護衛しながら王都へ帰還する。この上でさらに襲撃を受ける可能性は皆無に近いが、王国軍が確実に大使一家を守る意思があることを、帝国側に見せるためにそうする。他の部隊がここへ集結したら出発だ。お前たちはそれまで休んでいるといい……フリードリヒ。そしてユーリカも。あらためてよくやった。お前たちが無事で何よりだ」


 上官ではなく庇護者の顔になったマティアスに言われ、フリードリヒとユーリカは笑みを零して頷いた。

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