第90話 夜半の襲撃

 夜半。ケルラ村にいる王国軍騎士十五人のうち、ユーリカを除く十四人が、半数ずつ仮眠をとる態勢がとられていた。

 フリードリヒの率いる半数は、四時間ほど仮眠をとって多少は疲れを癒した上で、オリヴァーの率いるもう半数と交代する。村長ヨハンと夫人が用意してくれた、眠気覚ましの熱いお茶が入ったカップを手に、フリードリヒは居間を出る。

 客室の前で見張りに立っていたヤーグと交代してから間もなく、静かに扉が開いた。客室の中から顔を見せたのはユーリカだった。

 女性であり、クレアに気に入られたこともあり、ユーリカは直衛を兼ねて客室内で休んでいた。眠っている最中に何か異変があっても、彼女ならすぐに目を覚ますと見込まれて。


「どうしたの?」

「フリードリヒの気配がしたから」


 メリンダたちを起こさないよう、ごく小さい声で尋ねると、ユーリカはそう答える。気配だけで自分だと気づかれたことに苦笑を零しながら、フリードリヒは彼女にカップを差し出す。


「眠ってなくて大丈夫?」

「一晩くらい何てことないよ」


 お茶を一口飲みながらユーリカは言う。彼女の言葉に、フリードリヒも納得する。

 王国軍騎士たちは常日頃から身体を鍛えており、フリードリヒも昔と比べたら見違えるほど体力がついた。自分でさえ四時間の仮眠で最低限は休まるのだから、ユーリカは仮に一睡もしなくとも平気に違いない。

 カップを返してもらい、フリードリヒもお茶に口をつける。濃く淹れられたお茶の香りと、身体の芯に沁みる温かさが目を冴えさせてくれる。

 そのとき。

 ユーリカの表情が変わった。何かに気づいたように、周囲をきょろきょろと見回す。


「今、外で何か倒れるような音が聞こえた」

「……っ、敵襲! 警戒態勢を!」


 彼女が何か聞いたのであれば間違いない。即座にそう判断し、フリードリヒは声を張る。

 ユーリカが剣を抜き、客室に戻る。

 メリンダはフリードリヒの今の声で既に目を覚ましたようだった。客室の窓にはヨハンの許可を受けて木板を打ちつけているので、外から直接侵入するのは困難。そちらはユーリカ一人に任せて問題ないと考え、フリードリヒは自身も抜剣して廊下を振り返る。


「フリードリヒ! 何があったんだ!」


 敵襲を呼びかける声が聞こえたからか、居間の方から騎士の一人が顔を見せる。


「ユーリカが妙な物音を聞いた。そっちに異状は――」


 フリードリヒの返答を遮るように、客室のすぐ隣にある部屋の扉が開く。

 そこから姿を現したのは、襲撃現場で死体となっていた猟兵と同じような装備を身に着けた、見知らぬ男だった。

 廊下の壁には燭台がかけられており、その弱い灯りに、顔料で模様が描かれた顔と光る山刀が照らし出された。

 侵入者の視線が、フリードリヒに向けられる。


「……ユーリカ!」


 叫びながらフリードリヒが防御の姿勢をとった瞬間、目の前の敵兵は山刀を振りかざして襲いかかってくる。最初の一撃は、間近に構えた剣が受け止めてくれた。

 しかし、その重い衝撃でフリードリヒは後ろに倒れる。かろうじて剣は手放さなかったが、床に転がってすぐには態勢を立て直せない。

 目の前の敵兵の後ろを見ると、同じ扉からさらにもう一人、敵兵が姿を現して廊下の反対側を向く。居間の方にいる騎士はさして広くもない廊下で侵入者と対峙することになり、こちらへの援護は期待できない。


「ちっ!」


 止めを刺そうと歩み寄ってきた目の前の敵兵に向けて、フリードリヒは片手で剣を突き出す。これまでの訓練の賜物、なかなか鋭い突きに、敵兵は半歩身を引く。

 そうして稼いだ時間は一秒か、それ未満か。その僅かな隙を無駄にせず、客室の開きっぱなしの扉から飛び出してきたユーリカが、その勢いのまま敵兵に躍りかかった。


「っ!?」


 おそらく外から偵察してメリンダたちのいる部屋に目星をつけていたらしい敵兵は、さして強くもなさそうなフリードリヒを倒せばその部屋に辿り着けると思っていたのだろう。しかし、突如として現れた強敵であるユーリカを前に、驚愕しながら山刀を振るう。

 その敵兵もなかなかの手練れだった。しかし、一年半の軍歴の中でさらに腕を磨き、今や連隊でも屈指の強さを誇るユーリカの方がなお強かった。

 数合の打ち合いの末、膝に剣の一閃を受けた敵兵は片足から崩れ落ち、その大きすぎる隙が命取りとなる。胸のど真ん中を剣で貫かれ、それで二度と動かなくなる。

 ユーリカはそのまま、次の敵兵――三人目の侵入者の前に立ちふさがる。反対側では、二人目の侵入者とこちらの騎士の戦いが未だ続いているようだった。

 一対一であれば、ユーリカを突破できる者はそういない。ここは彼女に任せて問題ない。そう判断したフリードリヒは、ユーリカと代わって客室に飛び込み、メリンダとクレアの直衛に回る。


「怖ぁい! 怖いよぉ!」

「一体どうしたの! 今どうなっているの!?」

「大丈夫です。どうかご安心を……」


 廊下から怒号と戦闘の音が響く状況。怯えて泣き出すクレアと混乱するメリンダを落ち着かせようと、フリードリヒが言葉を発した瞬間。

 内側から窓を塞いでいた木板が、激しい破壊音と共に真っ二つに割れる。外から蹴り破られたのか、あるいは武器で叩き割られたのか。

 窓の外から濃緑の袖に包まれた太い腕が侵入し、未だ窓枠に釘で張りついている邪魔な木板を取り除こうと動く。


「くそっ!」


 フリードリヒはその腕に向けて剣を振り下ろす。養父より与えられた切れ味鋭い剣は、敵の腕を骨ごと両断した。

 窓の外から濁った絶叫が聞こえ、傷口から噴き出した血が客室内に飛び散る。


「いやあああああっ!」

「駄目です! そっちは!」


 その光景を見たメリンダが、クレアを抱えたまま、悲鳴を上げて客室から逃げ出す。が、廊下は客室よりもなお危険。フリードリヒは窓からさらに侵入を試みる腕が入ってこないのを確認した上で、メリンダを追う。

 廊下に飛び出すと、ちょうどユーリカが目の前の敵兵を斬り伏せたところだった。腹を切り裂かれた敵兵は傷口から臓腑を溢れさせ、むせかえるような血の臭いが廊下を満たす。床に散らばった臓腑を踏み越えるようにして、また新たな敵兵がユーリカとの戦闘に入る。


「嫌っ! 誰か! 助けてえええっ!」

「夫人! こちらへ!」


 状況が状況だけに無礼を承知で、フリードリヒはメリンダの肩を掴み、力づくで廊下の最奥に引っ張り、壁に押しつけ、自身はその前に立ちふさがる。位置的には行き止まりだが、ここなら少なくとも正面以外から襲われる心配はない。


「撤退だ!」


 廊下にいる残り二人の敵兵のうち、ユーリカと戦っている方が攻撃の手を止めて言った。


「ですが!」

「今は無理だ! 一度退くぞ!」


 敵兵はそう言って、素早い動きで侵入経路である部屋に消える。一度は撤退をためらったもう一人の敵兵も、諦めたのかすぐに続く。

 そうして侵入者たちが逃げていったことで、夜半の戦闘は唐突に終わった。


・・・・・・


 メリンダとクレアに怪我がないことを確認したフリードリヒは、二人を連れて居間に移動する。

 居間の隅に椅子を置き、メリンダとクレアをそこに座らせる。二人の警護としてフリードリヒをはじめ数人が居間に留まり、その他の者は詳しい状況の確認と戦闘の事後処理に移る。

 侵入口となった窓の外でも、敵の猟兵と屋外にいた見張りとの戦闘が起こったようで、そちらでも一人、敵兵を仕留めたという。


「廊下に現れた敵兵や客室からの侵入を試みた敵兵も合わせると、襲撃者は十人程度か。街道で一行を襲撃した連中が、そのまま追ってきたと見るべきだろうな」

「猟兵だけに追跡の能力は確かなんだろうが、戦闘の実力はまあ、そこそこだったな。脚が強くても剣の腕まで強いわけじゃあないらしい」


 オリヴァーに続いて、屋外で敵兵と戦ったヤーグが感想を語る。その言葉は今は必須のものではなかったが、襲撃を受けた直後の重苦しい空気を多少なりとも和らげるには効果があったので、誰も咎めない。


「若様」


 そこへ、屋外の様子を確認していたグレゴールが村長ヨハンと共に戻ってくる。


「どうだった?」

「村の周辺を見て回りましたが、敵兵の姿は見えません。撤退したのは確かなようです……また、屋外で見張りについていた騎士ウーヴェと村民が一人、殺されていました。クロスボウの一撃を受けたようです。敵兵が侵入する際にやられたのでしょう」

「……そうか」


 グレゴールの報告で、居並ぶ者たちの間に衝撃が走る。フリードリヒは硬い表情で答える。

 屋外で見張りにつく者については、決して単独行動はせず、騎士や男の村民が必ず二人以上でいるように定めていた。

 全員がそれを守り、騎士と村民を合わせて十数人が常に周囲にしっかりと目を光らせていたにもかかわらず、敵の猟兵たちは奇襲を成功させて見張りの一班を殲滅し、屋内にまで侵入してきた。タイミングから考えて、おそらく見張りを交代する際の僅かな隙を突かれた。

 普段は本陣直衛と伝令を担っていた騎士ウーヴェのことは、フリードリヒもよく知っていた。日常的に言葉を交わしていた。そんな仲間が死んだ。

 数秒、目を閉じて仲間の死を悼んだフリードリヒは、村長ヨハンの方を向く。


「ヨハン、すまない。村民からも犠牲者が出てしまった」

「いえ。村民たちも皆、危険を承知で自主的に警備についていましたので」


 戦闘に巻き込んだことについてフリードリヒが詫びると、ヨハンは首を横に振った。彼ら西部直轄領の男性領民は多くが徴集や訓練の経験を持つためか、一般平民と比べると戦いや死への覚悟を持っている。


「フリードリヒ。明日以降だが、引き続きここで援軍を待つか?」

「……いや、移動した方がいいと思う」


 オリヴァーの問いかけに、フリードリヒは短い思考の末に答える。


「敵の隊長格は撤退の際に、今は無理だ、一度退くぞ、と言っていた。その言葉からして、まだ襲撃を諦めていないと考えられる。残り五、六人の生き残りだけで襲撃してくるつもりじゃないだろうから、おそらくだけど、他にも敵部隊がいる」


 その言葉に、騎士たちの表情が険しくなる。


「敵が大陸北部出身の猟兵だとして、その能力をもってすれば、国境を越えてエーデルシュタイン王国の領土に侵入するだけならそう難しくはないはずだ。これまで襲撃してきた兵力の数倍がいてもおかしくない」


 一度退いて出直せば襲撃を成功させる自信があるような敵兵の口ぶりからして、おそらくその可能性は高いと、フリードリヒは考えている。


「我々がこのケルラ村にいることを、逃げ去った敵兵が仲間に報告し、より大規模な敵部隊が襲撃してくれば……こちらの兵力では少々心許ないですな」


 グレゴールの言い方は、この場にいるメリンダとクレアに配慮したものだった。実際は、心許ないなどという生易しいものではない。

 こちらの騎士は残り十四人。ケルラ村の住民のうち、戦える成人男性は二十人もいない。彼らには悪いが、ただの農民では実力的にあまりあてにできない。村には柵もなく、家屋は頑強ではない木造ばかり。敵が三、四十人も来れば、メリンダたちを守りきれない可能性が高い。


「大陸北部人というこちらの推測が正しければ、敵の能力は計り知れない。味方が広範囲に散っている部隊をある程度集結させて援軍を送り込んでくるよりも、柔軟に動ける敵の猟兵部隊の方が早くここへ来る可能性は、相当程度あると見た方がいい。明朝に村を発って、北から来る援軍に僕たちの方からも近づこう」


 場合によっては敵部隊と鉢合わせする可能性もあるが、そこはもはや運次第。ここで敵部隊に囲まれれば助かる見込みが薄い以上、待ち伏せによる奇襲を受けそうな場所は避けながら、援軍と合流するまで逃げるしかない。

 そのような思考までは、メリンダたちを不安にさせないために口には出さない。

 他の者たちも概ね同じように考えたのか、フリードリヒの提言に反対の声は上がらなかった。


「それでは、侯爵夫人」


 皆の賛成を確認した上で、フリードリヒは黙り込んでいるメリンダの方を向く。


「なかなか気が休まらない状況かとは思いますが、ひとまず明朝までお休みください。お疲れの上でさらにご苦労をおかけするのは心苦しいですが、日の出と共に再び移動を――」

「――もう嫌よ!」


 メリンダはフリードリヒの言葉を遮り、叫んだ。

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