第88話 捜索
行方不明となった侯爵夫人と令嬢の捜索は、口で言うほど容易ではなかった。
まず、フェルディナント連隊が馬車を発見したのが既に正午を過ぎた頃。騎兵部隊はそれから急ぎ街道を進んで森を抜け、そのまま森を南に回り込んで西部王家直轄領の南部一帯に広がったものの、その時点で既に夕刻が近づいていた。
夜になれば、ただ移動するだけでも難しい。この一帯は主要街道を外れているために道も細く、森や丘が多いため、捜索をするのであれば人も馬も体力は万全でありたい。
そのような判断の結果、オリヴァーの中隊にフリードリヒたち連隊本部付の騎士を合わせた三十数騎は、この日は近隣の小都市に入り、そこで一夜を明かすこととなった。
都市住民たちに代価を払って馬の世話を任せ、自分たちも休息をとる。
「……エーデルシュタイン王国側が帝国から責任を問われたら、反論しづらい事態だね」
貸し切った料理屋で手早く夕食をとりながら、フリードリヒは呟く。
帝国大使クリストファー・ラングフォード侯爵が、安全の保証されない国境地帯の視察に妻子を伴ったこと。予定にない行動をとったこと。エーデルシュタイン王国側として言いたいことは色々とあるが、それはそれとして、結果的にこちらの治安維持が万全でなかったことの責任を問われると面倒なことになる。
「その場合の解決は、政治に任せるとしましょう。我々は前線の軍人です」
苦い表情で答えたのはグレゴールだった。王家や文官たちに面倒を丸投げするその意見に、しかしフリードリヒも微苦笑して頷く。
「しかし、あの襲撃者はとてもじゃないが、アレリア王国軍人には見えなかったな」
パンをちぎってスープに浸しながら、オリヴァーが言う。
「装備を見るに、いわゆる猟兵ってやつなんだろうが……ミュレーあたりから引っ張ってきた戦力か?」
「いや、違うと思いますよ。ミュレー王国にいた頃に猟師崩れの傭兵をよく見ましたけど、あんな見た目や装備じゃなかった」
「……多分、大陸北部人かな」
ヤーグとギュンターの言葉に、フリードリヒはぼそりと答えた。フリードリヒの隣では、ユーリカが寄り添いながら黙々と夕食を頬張っている。
「僕も今までこの目で見たことがあるわけじゃないけど、書物で読んだ知識と、あの襲撃者たちの特徴は一致していると思う。山や森に溶け込むために塗られた顔料や、染められた装束。独特の形状の剣。敵地に深く侵入するとは思えない軽装も、あれはおそらく身軽になって持久力を維持するためのものだ。この大陸西部とは比べ物にならないほど過酷な、大陸北部を生き抜いてきたからこそできる芸当だよ」
「なるほどな。北部人であれば、容易に国境を越えてきたとしても納得できる。たとえ街道から外れようが、連中にとって大陸西部の地勢を進むことには何の困難もないだろう」
「しっかし、それだけのことを成せる手勢を投入して、わざわざやることが帝国大使の家族の襲撃か? もっと重要な局面まで温存した方がよくないか?」
オリヴァーがため息交じりに返す横で、ヤーグが首を傾げる。
「……試しているのかもしれない」
フリードリヒのさらなる呟きに、一同の視線が集まる。
「アレリア王家が大陸北部人の部隊を抱えているなんて、今までは聞こえていない。例えば北部人が大陸西端の海路でアレリア王国に入ったとしたら、その情報はなかなかこちらまで回ってこないとしても、大規模な北部人部隊が実戦投入されていたら目立つだろうし、間諜から情報が入らないはずがない。だとしたら、アレリア王家が北部人部隊を手に入れたのはせいぜいこの数か月の話。その実力がどの程度のものか、今回の襲撃で測っているんじゃないかな?」
「可能性としてはあり得ますな」
主家の継嗣が語る見解に、グレゴールが頷いたそのとき。
ひと足先に食事を終えて都市内への聞き込みに出ていた若い騎士が、血相を変えて料理屋に飛び込んできた。
「騎士と思わしき遺体と、帝国の貴人と思わしき女性の遺体が発見されたそうです! ここより南で遺体を見つけた羊飼いが、持ち帰ってきたと!」
それを聞いて、グレゴールとオリヴァーが即座に立ち上がる。フリードリヒも食事を中断しながら、ラングフォード侯爵夫人の遺体が見つかったのかと思わず顔を青くする。
覚悟していなかったわけではないが、いざ友邦の賓客が国内で殺されたとなれば、王国軍人としても王国貴族としても衝撃を受けずにはいられない。
「案内しろ!」
オリヴァーが命じ、皆で若い騎士についていく。
料理屋からほど近く、町医者の経営する医院に入って二つの遺体と対面したフリードリヒは――女性の遺体を見て怪訝な顔になった。
「……侯爵夫人じゃないね」
「髪の色は同じですが、さすがに同一人物ではありませんな」
夫人と社交の場で会っているフリードリヒは、同じく夫人の顔を知っているグレゴールとそう確認し合う。長い黒髪は乱れ、顔は血と土で汚れているので人相が分かりづらいが、それでも夫人と別人であることは明らかだった。
「外套はいかにも貴族用だが、旅装はせいぜい裕福な平民のものに見えるな」
女性の身なりを観察しながら、オリヴァーが語った。
「発見した羊飼いの話では、傍にこれが落ちていたと」
そう言って若い騎士が示したのは、こちらもいかにも貴族用らしき帽子と、子供用の外套をかぶせた大きな鞄だった。
「使用人が囮になったのか」
全てを察して、フリードリヒが言う。
街道沿いで発見された遺体の数から考えると、使用人がもう一人か二人いて、夫人たちと一緒に襲撃現場から逃げ延びていたとしてもおかしくはない。
その使用人が侯爵夫人の外套と帽子を身につけ、子供用の外套を着せた鞄を令嬢のように抱え、騎士一人を連れて追手を引きつけた。そう考えれば納得がいく。外套の下の服装も、上級使用人の旅装と考えれば妥当に見える。
「……大したもんだ」
胴を刺し貫かれ、虚ろな目で死んでいる女性を見下ろしながら、ヤーグがそう呟いた。
自らを犠牲にした二つの遺体に短く黙礼し、フリードリヒは皆を向く。
「彼女たちの決死の時間稼ぎが成功したのなら、侯爵夫人と令嬢が生きている可能性も高まったはずだ。明日の捜索も希望が見える。計画を練ろう」
一同はその言葉に頷き、部屋を出る。
・・・・・・
地元住民たちの協力も得ながら、夜のうちに周辺の地形と人里の位置、そこまでの道のりを把握したフリードリヒたちは、翌朝には捜索を再開した。
オリヴァーの中隊に連隊本部の騎士を合わせた三十数人は、小隊単位に分散。人数の少ないフリードリヒたちは、オリヴァー直轄の小隊から二人ほど人員を借りて動く。
「とりあえず、東側の農村から回ってみよう」
分かれ道の前でフリードリヒがそう決定を下し、一行は南東方向に進む。そちらの方が襲撃現場に面した森からは近く、順当に考えれば夫人と令嬢が逃げ込む可能性が高い。
しかし、その農村に夫人たちの姿はなかった。住民たちも、何ら異変を見てはいないという。
何かあったら近くの都市まで報せを出すよう村長に伝え、馬に休息をとらせた後、フリードリヒたちは来た道を戻る。今度は、襲撃現場から見ればより遠い、西にある村を目指す。
「空振りが続きますな。行軍の訓練も受けず装備も持たない女性が、幼い子供を連れているとなれば、そう遠くまで逃げられるとは思えませんが」
「そうだね。囮になった使用人と騎士の発見現場からも随分離れた。そろそろ、目撃情報くらいほしいところだけど……」
グレゴールの言葉に、フリードリヒは嘆息しながら答える。
先ほどの農村に行く前にも、一か所農村に立ち寄り、空振りに終わった。移動中に付近の住民や行商人、羊飼いなどとも何度か遭遇したが、彼らからも有力な情報は得られなかった。
既に捕まり、連れ去られてしまったのか。あるいは殺されて遺体を持ち去られたか、どこか見つけづらい場所に捨てられたのか。そんな推測がどうしても頭をよぎる。
そのとき。
「フリードリヒさん。前方から人が近づいてきます。見たところ農民です。こっちに何か知らせたがってるみたいです」
オリヴァーの小隊から借りているギュンターが、隊列先頭から言った。
狭い道を一列で進んでいたフリードリヒたちは停止し、数騎が道を外れて散開。念のために周囲を警戒する。目の前から近づいてくるのが囮で、周囲に襲撃者が潜んでいないとも限らない。
「そこで止まれ! 両手を上げ、ゆっくり歩いてこちらへ来い!」
状況が状況だけに、グレゴールがあえて高圧的に問いかけると、手を振りながら急ぎ近づいていた農民は足を止め、指示に従う。
三十代ほどに見える男で、身なりは田舎の平民らしいものだが、学のない者には見えなかった。その表情には、体系的な教育を受けた者に特有の知性の色があった。
「私はこの先の村の村長です。リガルド帝国のラングフォード侯爵夫人と令嬢、それに護衛の騎士様を一名、村で保護しています。王国軍にお知らせするために村を出ました」
それを聞いたフリードリヒは息を呑む。隣ではユーリカが小さく片眉を上げ、他の者もそれぞれ反応を示す。
「夫人と令嬢はご無事で?」
フリードリヒの問いに、村長は頷く。
「とてもお疲れの様子で、夫人は裸足で逃げていたために足に怪我も負われていますが、お二人ともご無事です。ただ、護衛の騎士様が危険な状態です。重傷を負いながら無理に移動を続けたのが災いしたようで……」
「……分かった。ひとまず村まで案内してほしい」
「かしこまりました」
安堵を覚えながらフリードリヒが言うと、村長はそう答え、来た道を戻る。
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