第87話 北部傭兵
侯爵夫人と令嬢が行方不明になった。帝国の一行は街道上で何者かの襲撃を受けたものと推測され、護衛や使用人の遺体を多数発見。夫人と令嬢はその場からは逃れたと思われるが、現在の安否は不明。
フェルディナント連隊から伝令の鷹を用いて届けられたその報告は、アルンスベルク要塞に衝撃をもたらした。
中でも最も大きな衝撃を受けたのは、クリストファー・ラングフォード大使だった。報告を聞いた彼はまず呆然とし、そして狼狽し、足元をふらつかせ、ついには気を失って客室に運ばれた。
「大使殿。ご気分はいかがですかな」
夕刻。クリストファーが目覚めたと聞き、ヨーゼフは時間を作って彼のもとを訪れた。
「……良い、とはとても言えませんね」
椅子の上で項垂れていたクリストファーは、ヨーゼフを見て力なく笑う。
「捜索の状況はどうなっていますか?」
「森の中でさらに一人の帝国騎士の遺体が発見されました。夫人と令嬢のお姿は見つからなかったので、お二人は森を抜け、この西部王家直轄領の南部に逃げ延びたものと思われます。現在、フェルディナント連隊の騎兵部隊が南部の一帯を捜索しております。一度この要塞に到着したホーゼンフェルト卿も、現場の指揮をとるために再び発ちました。我が連隊の騎兵部隊からも、二個中隊を援軍に出しております」
「……そうですか。貴国には大変なお手数をおかけして、誠に申し訳ない」
「謝罪するべきはこちらの方です。王国領土内、それも最も安全なはずの主要街道上で、帝国のご一行が襲撃を受ける事態を許してしまった。お詫びのしようもない」
国境の完璧な監視など不可能。どの国も、少数の敵の侵入を許す可能性は常にある。戦争中の国境地帯ともなれば尚更に。そこを要人が訪れるのであれば、絶対の安全は保障されない。
とはいえヨーゼフとしては、帝国大使の傍にいる最高位のエーデルシュタイン王国軍人として、立場上謝罪しないわけにはいかない。
ヨーゼフの言葉に対し、クリストファーは首を横に振る。
「いえ、私が悪いのです。自分の理想を体現するためなどと言いながら、今まさに戦争が起こっている国境地帯に、妻と幼い娘を連れてきてしまった。愛する妻子を連れたまま、アレリア王国を挑発してしまった。そして、我が儘を言って護衛の過半と共にこの要塞に残り、妻と娘の傍についていなかった。私は……救いようのない愚か者です」
そこで言葉を切り、クリストファーは深く息を吐く。
しばし、沈黙が室内を満たす。こちらの混乱に乗じて敵が再攻撃を仕掛けてくる可能性もあるため、その備えに追われる騎士と兵士たちの、慌ただしい声が外から微かに聞こえる。
「せめて、私が貴殿の進言に素直に従い、全ての護衛を連れて妻子と共に下がっていれば、襲撃を受けてもこのような結果にはならなかったかもしれません。結果として何人もの護衛を死なせ、使用人たちまで死なせ、彼らが命を散らしたのに妻子は未だ行方知れず。全ては私のせいです。私は理想の体現に夢中になるあまり、現実を何も分かっていなかった」
「……そもそもの非難を受けるべきは、このような卑劣かつ野蛮な行いに及んだアレリア王でしょう。儂は個人的には、大使殿の語られる理想は正しいと思っております。今も全力の捜索が行われております故、なかなか難しいかもしれませんが、どうかあまり気落ちされませんよう」
そう言い残し、ヨーゼフは客室を出た。
異国の将である自分がいくら慰めの言葉をかけたところで、大した気休めにもならない。それよりも、対応の指揮に努めた方がよほどクリストファーのためにもなる。そう考えながら。
・・・・・・
ルドナ大陸北部は人が生きるには厳しい地であり、その広大さに比して人口は少ない。
地域ごとに複数の部族が集まり、かろうじて国と呼ばれる共同体を成しているが、大半の国で王の権力は弱く、国内でも部族同士の争いが絶えない。
今から一年前、大陸北部の西方にある小国で、王家の血統が途絶えたことをきっかけに争いが起こった。もはや内乱と呼ぶべき熾烈な争いの後、ひとつの部族が数多くの同胞を殺され、領地を奪われ。国を追われ、行き場を失くした。
その部族――ヴェレク族の長がイーヴァルだった。もはや大陸北部に居場所がないと考えたイーヴァルは、部族の生き残り六百人弱を連れ、大陸西部に逃れた。領地から持ち出した財産のほぼ全てを使い、沿岸を渡る輸送船を二隻借り上げて全員を乗せ、アレリア王国に渡った。
もはや持ち得るものは、厳しい地を生き抜いてきた自分たちの力のみ。イーヴァルは部族をそのまま傭兵団とし、アレリア王に自らを売り込んだ。
農耕よりも狩猟採集によって生きる糧を得る割合の多い大陸北部人。幸いにも、部族の生き残りのうち半数の三百人ほどが優秀な狩人であり、そのまま優秀な猟兵となる。アレリア王から可能性を見込まれ、当面は皆が衣食住に困らない待遇を得た。
そして今回、アレリア王によって能力を測られる意味もあり、ヴェレク傭兵団はこの攻撃に投入された。イーヴァルは百人を自ら率いてロベール・モンテスキュー侯爵の軍勢に随行し、そのうち五十人を帝国大使とその家族の捕縛、もしくは殺害のために敵地に送り込んだ。
要塞攻撃が行われた日の夜半。送り込んだうちの一人が、監視の薄くなった国境を越えて報告のために帰還した。
「逃がしただと? 五十人で襲撃しておいて、何故そのようなことになった?」
報告の一言目に、イーヴァルは眉根を寄せて問いかける。
「そ、それが……」
長距離を走破し、多少疲れている様子の兵士が語った事情はこうだった。
まず、敵地への侵入は上手くいった。
元は大陸北部で生きていたヴェレク傭兵団にとって、この地の山や森を横断することは散歩も同然。全員が夜目が利くので、月明かりを頼れば夜間の移動も可能。小勢であることも活かして敵の監視の目を潜り抜け、夜闇と自然の中に隠れながら国境を越えた。
そして、街道に面した森に潜み、帝国の一行が要塞から東へ避難してくるのを待った。一行が来る正確な時間を掴むため、西に斥候も走らせた。
翌日に戻ってきた斥候の報告によると、どうやら一行の様子がおかしい。護衛の数がやけに少ない上に、道中の休憩の様子を見張っていると、夫人や令嬢はいても大使の姿が見えない。
それを聞いた部隊長は、隊を二つに分けた。大使が何らかの理由で後から遅れて避難してくる可能性を考え、そちらの襲撃のために三十五人を充てた。そして、目標としての優先順位が下がる夫人と令嬢の襲撃に、十五人を割いた。
その判断は、結果的には誤りだった。三十五人はいつまでもやって来ない大使の一行を待ち伏せる羽目になり、一方で十五人の方は、頭数が少なかったが故に襲撃をしくじった。
初撃で数人の護衛を仕留めることには成功したものの、残っている護衛の抵抗が予想以上に強固であり、さらには使用人たちまで決死の抵抗に臨んできた。こちらは三人が死に、それと引き換えに護衛と使用人の大半を殺したが、夫人と令嬢、他数人を逃がした。
生き残った十二人のうち、十人は夫人たちをそのまま追跡し、一人は三十五人の方へ報告に向かい、そして残る一人である目の前の兵士が、イーヴァルに報告するために帰還したのだという。
「報告は以上です。すいません」
「……お前を責めても仕方あるまい。指揮を担ったアハトの失敗だ。それとて致し方ないことだろう。帝国大使だけ要塞に残るなどとは、誰も予想していなかったのだからな」
悔しげな顔の兵士に対し、イーヴァルはため息交じりに言った。
帝国大使が無謀にもアルンスベルク要塞に残っていると知ったのは、開戦直前、大使が城壁上に姿を見せてからのこと。使者を送り込み、敵側の事情を知った。その時点から侵入部隊に状況を伝える術はなかった。
もう五十歳近い自分に代わってそう遠くないうちに団長職を継ぐであろう、若き側近のアハトに経験と実績を積ませたかったこと。そして、本隊の方に残る五十人がロベール・モンテスキュー侯爵より別命を受けて動くことになった場合、団長の自分が上手く対応しなければ配下の兵士たちがロベールからどのような扱いを受けるか分からないこと。
二つの理由からイーヴァルは本隊の方に残り、アハトに兵士の半分を預けて敵国内に送り込んだが、結果的にこの判断は得策ではなかったらしいと考える。
自分なら、大使は諦めて五十人で妻子を襲撃し、確実な戦果を得る選択をした。アハトは予定通りの完全な成果を挙げることにこだわり、柔軟な判断をし損ねた。彼を襲撃部隊の指揮官に任命したのは団長である自分なのだから、これは自分の失態だ。
報告を終えた兵士には休むよう命じ、イーヴァルは司令部の天幕、ロベールのもとへ向かう。気乗りはしないが報告しないわけにはいかない。
「……ほう、しくじったか。軽装の五十人で敵地に侵入した手際は認めてやるが、戦いの腕については貴様らも大したことはないか?」
司令部の天幕で状況を説明したイーヴァルは、隻眼の老将に見据えられながら、しかし無表情は崩さない。
失敗を伝えられても、ロベールは落胆した様子も、怒りを覚えている様子もない。彼はこの攻勢の将として、既に必要十分な成功を収めているからこそ。
帝国大使とその家族の殺害あるいは捕縛は、ヴェレク傭兵団の能力を測るための副次的な目標に過ぎなかった。あくまでも、成功してリガルド帝国とエーデルシュタイン王国の双方に恥をかかせることができれば儲けもの、という類の話だった。
大使一家を殺してしまうことで、リガルド皇帝家の怒りを買ったとしても問題はない。
帝国は現在、東の隣国と係争状態にある。この上でアレリア王国とも戦端を開くのは愚策。友邦とその敵国の国境地帯を家族連れで視察するような、頭のおめでたい貴族の敵討ちのために、二正面作戦を決断するとは考え難い。
逆に、皇帝家が報復として中途半端な戦力を割いてくれたら、アレリア王国としてはむしろ都合が良い。エーデルシュタイン王国を征服しつつ帝国の援軍を殲滅し、かの国の戦力を減らしておけば、帝国と直接対峙する際の戦いがより楽になる。
北部傭兵の能力を試すついでに得られるかもしれない成果としては十分以上。失敗しても、失うのはたかが傭兵の命。
そうしたアレリア王家の意図は、イーヴァルには事前に明かされていた。キルデベルト・アレリア王から直々に。明け透けな言い方で己の意図を隠さないキルデベルトに、イーヴァルはむしろ好感を抱いている。口だけ達者な者よりよほど信用できると思っている。
「それで、蛮族の長よ。次はどうする? 一度の失敗で諦めて引き上げるか?」
「……無論、そのようなことはございません。私自らが残る兵力を率い、大使の妻子を殺すか、攫ってまいります。我々の真価を発揮し、戦果を得て国王陛下に献上いたしましょう」
挑発するようなロベールの言葉に、イーヴァルは厳かに答える。
「何か援護は要るか?」
「無用です。帰りも自力で国境を越えます故。今しばらくこのベイラル平原に軍勢を置いていただき、敵があまり捜索に兵力を割けないようにしていただければ、それで十分です」
「そうか。ならばせいぜい、その真価とやらを発揮してみせるがよい。蛮族の分際で、今後も国王陛下に飼われ続けたいのであればな」
「はっ」
侮蔑の感情を隠そうともしないが、将として必要な連係はとろうとしてくれる。冷酷に実務に徹するこの老将の姿勢も、国王と同じく好ましいと、イーヴァルは考える。
この日の夜。イーヴァルは残る五十人の配下を連れ、やはり夜闇と自然の中に隠れながらエーデルシュタイン王国の領土へと入った。
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