第86話 襲撃の跡

 ロベール・モンテスキュー侯爵率いるアレリア王国の軍勢が、東部首都トルーズを出発してベイラル平原へ向かっている。

 アルンスベルク要塞に届けられたその報告は、伝令用の鷹を使ってその日のうちに後方、王領の南西に位置するリオン要塞まで届けられた。

 対西方における王領防衛の要であり、西部国境の二つの平原と王都ザンクト・ヴァルトルーデを繋ぐ重要な補給拠点であり、そしてアルブレヒト連隊の駐留地でもあるリオン要塞。ここに、即応部隊であるフェルディナント連隊も、あらかじめ戦闘準備を整えて待機していた。

 敵の目的地がベイラル平原と確定したことで、フェルディナント連隊はリオン要塞を出発。南西へと続く街道上、アルンスベルク要塞を目指す道中にあった。

 アルンスベルク要塞にはヒルデガルド連隊に加え、招集された徴集兵もいる。たかだか二千程度の敵に落とされることは万が一にもあり得ない。そのため、フェルディナント連隊は戦闘に参加するためというよりも、援軍の到来を見せることで敵を早期に完全撤退させるために要塞へ向かっている。

 行軍の隊列におけるフリードリヒの位置は、ユーリカと並んで本陣の最後尾。すぐ後ろには、例のごとくオリヴァーの隊がいる。


「しかし、いい歳して国境地帯に置かれて、おまけに示威行為のための攻撃なんてつまらない仕事をさせられるとは、モンテスキュー侯爵も敵ながら大変だな」


 進軍中、馬上で言ったのはヤーグだった。


「何せ、俺が新米の頃から熟練の将と呼ばれてたような人だ。それから二十年以上も経ってるとなれば、とっくに爺さんだろう」

「アレリア王家にとって、能力の面でも信用の面でも頼れる将は少ないだろうからね。エーデルシュタイン王国軍が粒ぞろいの将を揃えた強敵である現状、かの国も国境地帯には信頼できる将を置かないわけにはいかないんだと思う。確かにモンテスキュー侯爵は気の毒だけど、仕方ないよ」


 ヤーグの言葉に、フリードリヒは苦笑交じりにそう答える。

 アレリア王国は、周辺の国々に侵攻することで拡大を成した。当然ながら侵攻は武力によって行われ、狙った国の王家を根絶やしにするか服従させて支配下に置いた後は、その国の兵力もアレリア王国軍に取り込んだ。

 しかし、兵力の頭数は揃えられても、将を集めることはそう上手くいかなかった。

 征服した国々にも当然ながら将がいたが、侵攻に立ち向かう過程で少なからぬ数が戦死した。生きて敗戦を迎えても、侵略者への服従を良しとせずに自死を選ぶ者もいた。アレリア王家の支配を嫌がった一部の貴族たちと共に、大陸を出て海の向こうに逃れた者もいると言われている。

 結果、戦利品としてアレリア王国が得た将の数は決して多くない。また、元は異国の軍人である彼らは、信用の点では譜代の将たちに劣る。そのためか、アレリア王家は彼らをそれぞれ旧故国から離れた地域に配置し、征服地の治安維持などの任に充てるに留まっている。

 例外なのが、ツェツィーリア・ファルギエール伯爵。自ら進んでアレリア王家に仕える道を選んだとされている彼女は、何らかの方法でアレリア王の信用を得てミュレー王国侵攻における将の一人となり、いくつもの戦勝を挙げ、アレリア王家への能力と忠誠を示した。

 何故、アレリア王が彼女を信用してミュレー王国侵攻の重要な局面を任せたのか。その理由については諸説ある。信用に足る服従の理由を彼女が語ったとする話もあれば、二人が愛人関係になったから、などという下世話な噂もある。フリードリヒは前者を信じている。

 そうして王の側近となったツェツィーリアが、今はノヴァキア王国方面を向いている。そして、自らも稀代の猛将としてこれまでの侵攻を指揮してきたキルデベルト・アレリア王は、しかし自らが城を離れて国境防衛の任に臨むわけにもいかない。

 となれば、強敵であるエーデルシュタイン王国と睨み合う重要な役割に、古くからの忠臣であるモンテスキュー侯爵が充てられるのは妥当なことだった。


「さすがは侵略で作り上げた見せかけの大国だよな。覇王様を別にすれば、隠居しそこなった老いぼれと敗戦国から下った若者くらいしか目ぼしい将がいないなんてよ」

「俺もそう思うが、アルンスベルク要塞に着いたら言い方に気をつけろよ。オブシディアン侯爵閣下は、齢ではモンテスキュー侯爵とそれほど離れていないんだからな」


 オリヴァーが呆れ交じりに注意すると、ヤーグは分かっていると言うように手をひらひらと振った。ヤーグの言い方では、ヒルデガルト連隊の連隊長ヨーゼフ・オブシディアン侯爵まで老いぼれ呼ばわりしていると捉えられかねない。


「それにしても、合流が遅いよねぇ」

「……そうだね。ここまで遅いとなると、何か不測の事態が起こったのは間違いない」


 ユーリカが呟き、フリードリヒも同意する。

 アルンスベルク要塞からは、クリストファー大使が要塞に残る判断を下した旨と、大使の家族や使用人のみ後方に避難する旨も報告されていた。

 こちらは報告を受けた翌朝にはリオン要塞を経ち、今日中にはアルンスベルク要塞に到着する予定。それなのに、同じ街道を東に移動してくるはずの帝国の一行と未だに合流できていない。本来の予想の上では、昨日のうちには街道上で出くわしているはずだった。

 あちらがアルンスベルク要塞を出発するのが何らかの事情で大幅に遅れたか。理由があって途中で寄り道でもしているのか。あるいは、馬車が故障でもしたのか。

 どちらにしても、遅れる旨を知らせる伝令の一人も寄越さないのは妙だった。


・・・・・・


 後方でそのような会話がなされている頃。隊列先頭では騎兵大隊長のオイゲン・シュターミッツ男爵が、同じような疑問を抱えて怪訝な表情を作っていた。


「どうだ、見えるか?」

「……いえ、見当たりません」


 緩やかな峠道の頂点に辿り着いたオイゲンは、傍らの部下――大隊長付きの副官である若い騎士に尋ねる。オイゲンより頭一つ背が高いその騎士が、馬上でやや背伸びをするようにして下り坂の街道を見下ろしても、帝国の一行の姿はまだ見えない。


「そうか。まったく、これじゃあ俺が先頭に立っている意味がないな」


 通常、連隊が行軍する際の隊列先頭には、士官として騎乗した歩兵中隊長を充てる。

 しかし今回は、騎兵大隊長であるオイゲンが直轄の小隊を率いて先頭を進んでいた。帝国の侯爵夫人や令嬢と鉢合わせするのであれば、最初に接触して言葉を交わすのはそれなりの立場の者がよかろうというマティアスの判断によって。


「大隊長。斥候を出しますか?」

「そうだな。王国領土内の、それも主要街道上で斥候を出すというのもなかなか馬鹿馬鹿しい話だが、この状況ではそうも言ってられん。二騎ほど先行させて――いや、待て」


 副官への指示を中断したオイゲンは、自ら馬を走らせ、隊列から突出する。副官も即座に手綱を振るい、後を追う。さらに数騎が、己の判断で二人に続く。


「……ここだ。馬車が街道を逸れた跡がある。それに、街道の地面が不自然に荒れている。ここで何かあったのだろう」


 現在、街道は南北を小規模な森に挟まれている。地面は雑草や石が取り除かれ、簡単に轍や泥濘が生まれないよう土がしっかりと踏み固められている。

 その街道上を西から東へと走る車輪の跡が、途中で南側、獣道すらない森の中に進入するように逸れていた。

 さらに、その一帯の地面が、まるで何かの痕跡を消すように荒らされている。

 馬を降りた副官が地面にしゃがみ込み、荒れた地面を払う。下から現れた赤黒い土を手に取り、顔に近づける。


「……血です」

「大隊長! こちらへ!」


 顔を上げた副官が険しい顔で言った直後、車輪の跡を追って森に踏み入った騎士が、大声でオイゲンを呼んだ。


「全隊停止だ。ホーゼンフェルト閣下にもご報告しろ。街道上に襲撃の跡と思われる異変を確認……おそらく、帝国の一行を発見したと」


 先頭を行く士官の権限として停止を命じたオイゲンは、副官を報告に走らせる。そして、自身は騎士の声を追って森に踏み入り、しばらく進む。


「……これは」


 そこでオイゲンが目にしたのは、木々の中に隠すように打ち捨てられた帝国の馬車と、いくつもの死体だった。


・・・・・・


 フェルディナント連隊は全隊が行軍の足を止め、報告を受けたマティアスと幹部たちが、打ち捨てられた馬車のもとに集まった。


「……帝国の一行は街道上で襲撃を受け、襲撃者たちが痕跡を森に隠したものと思われます。ここに遺体があるのは全部で十人。帝国騎士が七人と、使用人と思われる者が三人です。そして、見慣れぬ装束の軽装歩兵――襲撃者と思わしき死体が三。侯爵夫人と令嬢の遺体はありません。馬の死体も多数ありますが、騎士の遺体と数が合いません」


 周囲の状況を調べたオイゲンが、マティアスにそう報告する。


「となると、やはり夫人と令嬢は辛くも襲撃を生き延び、同じく生き残った騎士たちと徒歩で森に逃げたと考えるべきかしら?」

「そう願いたいな……連れ去られたか、殺されて遺体を持ち去られた可能性もあるが」


 ロミルダの推測に、バルトルトがそう答える。

 貴族夫人と令嬢が、帝国騎士を七人も殺した襲撃者からそう長く逃げられるとは思えない。誰もがそう考え、悪い結末を想像する。マティアスは表情を変えないが、他は全員が険しい顔になる。

 と、そのとき。偵察のために森の奥へ入っていた兵士が戻ってきて、マティアスたちの前で敬礼する。


「足跡を追う途中でこの靴を発見しました。多分、侯爵夫人のものかと。報告のために一度戻りました」


 猟師家出身ということで偵察に抜擢された兵士は、そう言って一足の靴を見せる。女性用、それも貴人のものと思われる、見るからに森歩きに向いていない靴だった。


「夫人たちは何人で逃げ、襲撃者は何人がそれを追っているかは分かるか?」


 マティアスに問われた兵士は、厳しい表情になる。


「季節柄もあって、簡単じゃありません。今は秋も後半で森の地面は落ち葉だらけな上に、今日は風もあります。風に流された大量の落ち葉が移動の痕跡をどんどん隠しちまいます。少し足跡をたどるだけでも一苦労でした。時間をかけてじっくり調べれば、もっと詳細も分かるかもしれませんが」

「……そうか。ご苦労だった。ひとまず隊に戻れ」


 兵士を下がらせたマティアスは、幹部たちを見回す。その中にはフリードリヒもいる。


「悠長に足跡を調べている暇はない。逃げ延びた一行とそれを追う襲撃者の数は不明だが、捜索を急ぐ。弓兵部隊はこの森の中を捜せ。騎兵部隊は森を西に抜けた後、南の一帯を捜索しろ」


 淡々と語られる指示を、幹部たちは無言で聞く。

 弓兵には猟師出身者も多い。そうした者たちを案内役にすれば、小規模な森の捜索はさほど難しくない。そして騎兵は言わずもがな、機動力に優れる。森を抜けた南の一帯で、広範囲の捜索を行うには最も適している。


「夫人と令嬢が護衛を連れて逃げおおせたのであれば、おそらく人里に避難しようとするだろう。周辺の村や都市を回り、目撃情報も求めろ。捜索中に襲撃者と遭遇する可能性もあるので、いずれも必ず小隊単位で行動するように。歩兵部隊は私と共に、ひとまずこのままアルンスベルク要塞へと向かう。以上だ。取りかかれ」


 与えられた命令を遂行するために、大隊長たちは急ぎそれぞれの隊に戻る。

 一方でマティアスは、フリードリヒとグレゴールの方を向く。


「今は迅速に捜索できる騎士が一騎でも多く欲しい。お前たちは連隊本部の直衛を連れ、騎兵部隊に同行しろ。私はヒルデガルト連隊の騎兵部隊に応援を求め、後から捜索に加わる」

「「はっ」」


 グレゴールと並び、フリードリヒは敬礼で応えた。

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