第85話 アルンスベルク要塞の戦い③

「ふむ。一つや二つなら首を取れるかと思ったが、無理だったか。敵側の騎士もなかなか粒揃いのようだな」


 何人か頭数を減らしながら下がる精鋭たちを眺め、ロベールは独り言ちる。

 敵側の目立つ騎士の首を、取れそうであれば狙え。ただし無理はするな。戦闘開始の前に、ロベールは直属部隊の兵士の中でも一部の精鋭にそう指示していた。

 今回の攻勢は政治的な理由からのもの。エーデルシュタイン王国に制裁を下すと宣言した以上、この戦いが今後語られる上で、映える戦果があるに越したことはない。

 敵の隊長格や、そうでなくとも貴族の縁者などを仕留めることができれば、それは都合の良い喧伝材料となる。敵軍の重要な騎士を討ち、敵国に衝撃を与えてこらしめたと言い張れる。

 そのような狙いからの命令であったが、上手くいくかは五分五分と考えていた。失敗したのであれば仕方がない。是が非でも欲しい戦果ではない。


「存分に派手な攻撃を仕掛けた。これ以上は無駄に死傷者を増やすだけだろう。全軍撤退だ」

「はっ」


 ロベールの下した命令が副官から伝達され、各部隊が動く。

 徴集兵部隊は慌ただしく後退を開始し、正規の歩兵部隊がそれを支援する。徴集兵たちを急かして後方に走らせ、まだ助かる見込みのありそうな負傷者に関しては、可能な範囲で庇いながら後送する。攻撃に際しては徴集兵をけしかけるばかりだった彼らは、撤退に際しては、高い練度や装備の防御力を活かしてできる限りの働きをしている。

 これもロベールの指示だった。敬虔なアリューシオン教徒であるロベールは、必要であれば兵力の損耗を厭わないが、徒に指揮下の兵士を死なせることはしない。たとえ徴集兵であろうとも。

 そして弓兵部隊は、歩兵の後退支援のために再び矢の曲射を開始する。歩兵が城壁から離れたのを確認すると、自分たちも素早く撤退を開始する。


「……銀貨の準備をしてやらねばな」


 それなりに数を減らしながら下がる徴集兵たちと、要塞の前に残された死体を見渡しながら、ロベールは呟いた。果敢に戦った素人兵士たちに対し、報酬の約束は当然守るつもりでいる。

 そのとき。要塞の跳ね橋が降ろされ、門が開かれる。そこから、敵の騎兵部隊、総勢数十騎が飛び出してくる。


・・・・・・


「いいか、深追いはするな! 派手に暴れて敵に恐怖を刻みつけろ! 今度は俺たちが制裁を下してやる番だ!」

「「「応!」」」


 あらかじめ要塞後方に待機させてあった馬を引っ張り出し、余力のある騎士を率いて要塞から打って出たディートヘルムは、戦意を滾らせながら敵軍の最後尾に襲いかかる。それに、部下たちが勇敢に続く。

 隊列を乱して後退する最中に騎乗突撃を受けて、まともに対抗できる歩兵はいない。ディートヘルムはまず目についた敵の徴集兵を愛馬で踏み潰すと、剣を構えて果敢に立ちふさがった正規軍人の首を、逆に自身の剣で刎ね飛ばす。

 数十騎の突撃でも、追撃をこなす上では十分な威力を持っていた。質量と速度の暴力が敵軍の尾を削り取り、慌てて逃げようとする敵歩兵は烏合の衆と化していく。

 徴集兵たちは先を争い、他者を押しのけるようにして逃げる。正規軍人たちもさすがに負傷者を助ける余裕を失い、中には担いでいた負傷者を迫りくる騎士の前に放り捨てて逃げる者もいる。

 要塞内への火攻めや少数精鋭による首狩りなど、嫌がらせのような攻撃への仕返しと言わんばかりに、ヒルデガルト連隊の騎士たちは敵兵を殺し回る。


「そこまでだ! 全員撤退!」


 ディートヘルムが声を張ると、騎士たちはそれまでの獰猛な戦いぶりが嘘のように、即座に動きを止める。踵を返し、急ぎ要塞へ戻る。

 敵軍も歩兵の撤退支援のため、本陣に控えていた騎兵部隊をくり出していた。しかしディートヘルムの撤退判断が迅速であったため、敵の騎士たちが追いつくよりも遥かに早く、全員が要塞に帰還を果たした。


・・・・・・


「閣下。こちらの死者は推定で百五十。うち八割以上が徴集兵と見られます。負傷者は二百で、割合は死者とほぼ同じです」

「そうか。許容範囲だな」


 野営地付近まで後退したアレリア王国側の陣で、ロベールは副官の報告に答える。眼前では比較的整然と撤退した弓兵と正規歩兵、命からがら逃げ帰ってきた徴集兵たちが、それぞれの部隊長から正確な数を数えられている。

 負傷者の手当ても始まっている。医薬品が優先されるのは正規軍人だが、徴集兵たちも傷口を水で洗われ、止血されるなど最低限の手当ては施されている。手当ての甲斐なく、二度と動かなくなる者も少なくない。親類や友人なのか。その様を前に泣き崩れる者も。

 それらの光景を前に、ロベールは目を伏せて祈る。


「唯一絶対の神よ。生より解き放たれし者たちを、等しくその御許に迎えたまえ。休息の果てに輪廻を与えたまえ……さて、最低限の制裁は行った。ここからどこまで戦果を大きくできるかは、貴様の手下どもの働き次第だな。蛮族よ」


 そう言ってロベールが振り返った方に立っているのは、本陣に控えるロベールの部下たちの中で明らかに異彩を放つ男。軍人としての所属はもちろん、民族や出自、有する文化まで根本から違うと一目で分かる人物だった。

 黒い顔料で顔に模様を描き、腰にはルドナ大陸西部の騎士や兵士が使うものとは形状が大きく異なる、片刃の山刀を帯びている。金属製の防具は身につけず、濃緑に染めた服の上から黒染めの革鎧を纏った軽装。

 名はイーヴァル・ヴェレク。巨大山脈に隔てられた大陸北部より、アレリア王国に渡った傭兵団の長だった。


「己から国王陛下に力を売り込んだのだ。口先だけではないことを示してくれるのだろうな?」

「……もちろんそのつもりです。ただ、帝国の大使が要塞に留まったのは我々としても予想外のこと。送り込んだ隊がどう判断して動くか、正直に申し上げて分かりません」

「それは昨日聞いた。何、元より成功すれば儲けものという程度の作戦だ。仮に失敗しても、失われるのはどうせ、貴様ら蛮族の命だけだからな」


 こちらを見返して言うイーヴァルに、ロベールは鼻で笑いながら返した。

 露骨に侮蔑する態度。それに対し、イーヴァルの無表情は揺らがない。まるで、冬の大陸北部の凍てつく大地のように固い。


・・・・・・


 アルンスベルク要塞内では戦闘の事後処理が始まる。遺体が運ばれ、負傷者への手当てが行われ、至るところに突き刺さっている、あるいは落ちている矢が回収される。敵の攻城兵器が巻き起こした火は、既に全て消火済みだった。

 死者は三十弱。負傷者はその倍程度で、重傷者はさして多くない。敵の直接の侵入をほぼ許さず、侵入してきた精鋭も無傷で撃退したため、損害は少なかった。


「しけた戦いだったな。張り合いがねえ」


 大隊長として連隊長ヨーゼフへの報告を終えたディートヘルムは、態度を崩し、顔をしかめながら言う。

 城壁で対峙したのは脆弱な徴集兵や、最初から逃げ腰の兵士だけ。追撃戦も、まるで羊でも狩っているかのような手応えのなさだった。

 これでは、自分より若輩のくせに最近大手柄ばかり上げている英雄の継嗣に対して、ろくな自慢にもならない。


「そうなることは戦う前から分かっていただろうが……とはいえ、火遊びに首狩りにと、敵の陰湿な攻め方には儂も腹が立ったがな。どうやらモンテスキュー侯爵は、思っていたより器用な質のようだ」


 アルンスベルク要塞を炎上せしめ、城壁上に到達して敵の指揮官たちの肝を冷やしてやった。そのように語れば、少なくともアレリア王家がエーデルシュタイン王国とリガルド帝国の行いに強気な姿勢を返したことの証左にはなる。

 茶番に付き合わされるこちらとしてはいい迷惑だが、敵将の戦い方の「上手さ」は認めざるを得なかった。


「オブシディアン卿。それにディートヘルム殿も。ご苦労さまでした」


 そのとき。戦闘終了を受けて主館から出てきたらしいクリストファーが、二人に歩み寄りる。


「危なげなく敵を撃退し、追撃まで果たしたと聞いています。さすがは精強なるエーデルシュタイン王国軍、お見事です」


 労いと称賛の言葉にディートヘルムが表情を引き締めて一礼する横で、ヨーゼフは鷹揚に頷く。


「この程度は軽いものです。貴殿もご無事で何より」

「おかげさまで、一切の危険を感じることもありませんでした。ところで、私がお預けした帝国軍騎士たちはお役に立ちましたか?」

「無論です。戦闘中はもちろん、事後処理でも活躍してくれておりますぞ」


 後方支援に徹した帝国軍騎士は、軽傷者が一人出たのみ。徴集兵が中心の後方支援要員の中で、練度の高い彼らは機敏に動いて多くの負傷者を救ってくれた。


「それは何よりです。皇帝陛下も、帝国軍の働きをお喜びになることでしょう……では、私は引き下がっています。あまりお邪魔をしても申し訳ないので」


 丁寧に一礼して離れていくクリストファーの背を眺め、ディートヘルムが小さく嘆息した。


「後は、何日か形ばかりの視察をさせれば、あの大使ともおさらばか」

「そうだな。何、アレリア王国の連中がこれ以上攻撃してくることもあるまい。心配は要らないだろう……この様子では、要塞に呼び出されるフェルディナント連隊はとんだ徒労だったな」


 敵軍接近の報は、伝令の鷹を使って後方で待機していたフェルディナント連隊にも届けられ、彼らは今まさに援軍としてこちらに向かっている。

 元より、援軍の姿を見せることで敵の軍勢を牽制し、撤退に追い込むための進軍。この様子ではそれ自体も不要だったかもしれない。

 数日をかけて到着しても、敵の完全撤退を確認したらすぐ帰り支度をすることになるであろうマティアスたちを気の毒に思いながら、ヨーゼフは呟いた。

 それから間もなく、そのフェルディナント連隊より急報が届いた。後方へ避難した大使の家族の一行が、何者かの襲撃を受けて行方不明になったという急報が。

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