第84話 アルンスベルク要塞の戦い②

「攻城兵器が来るぞ!」


 見張り塔の上から兵士が警告を発する。

 とはいえ、それを聞いた者たちに何ができるわけでもない。強力な一撃が迫ってくる、という事実を前に覚悟を決めることしかできない。

 警告の声から間もなく、バリスタの矢とカタパルトからの投擲物が要塞内に降り注ぐ。中央の広場、あるいは兵舎や倉庫を直撃する。

 その直後、矢と投擲物の落下地点で炎が巻き起こる。


「火だ!」

「早く消せ! 燃え移るぞ!」


 要塞の広場におかれた徴集兵用の天幕。倉庫からあらかじめ出されている物資の山。建物の木造部分。そうしたものの付近で起こった爆炎を消すために、後方支援要員が奔走する。


「……ちっ、油と蒸留酒か」


 要塞内を振り返り、見回したディートヘルムは、顔をしかめて呟く。

 バリスタの矢は先端に布を巻いて火をつけ、さらに蒸留酒の瓶を巻きつけておくことで、落下と同時に瓶が割れて酒に火が燃え移る。カタパルトの投擲物はおそらく油を詰めた壺か何かで、それにやはり布を巻いて火をつけ、放つことで、落下地点で壺が割れて油に火が引火する。

 そのような攻撃を受けた結果がこれだった。天幕や物資は火災に備えて配置の間隔を開けてある上に、建物の大半は石造りなので、要塞内が丸焼けになることはない。とはいえ、こちらの後方を混乱させ、対応に手間をとらせる厄介な攻撃であることに変わりはない。

 ディートヘルムは主館を振り返り、そちらに被害がないのを確認して安堵する。中にいるクリストファー・ラングフォード大使の無事そのものを心配したわけでは断じてない。大使に怪我でもされた場合に、それが王国軍の汚名となることを案じたに過ぎない。

 他の箇所でも、派手な攻撃を受けたわりには人的被害はほとんどない。一人、不運にもバリスタの矢の直撃を受けて立ったまま地面に串刺しになり、燃えている兵士がいるが、どうやら死者はそれだけ。他には飛び散った火で火傷を負った者が多少いる程度。

 とはいえ、火攻めの精神的な効果は無視できない。人間ならば誰しも、火に焼かれるのは恐ろしい。兵士たちの中には動揺している者も見られる。


「こけおどしだ! 見た目ほどの脅威じゃない! 無視しろ!」

「貴様ら前を向け! 目の前の敵に集中するのだ!」


 ディートヘルムに続いて、ヨーゼフも怒鳴る。力強い怒声をもって皆を鼓舞する。


・・・・・・


「弓兵部隊は火矢を放て! バリスタとカタパルトはもう一斉射だ!」


 ロベールが命じ、各部隊が動く。前衛の弓兵が、油を染みこませた布が先端に巻かれている矢を手に取り、あらかじめ用意されていた種火で着火し、それを構える。

 長さが均一で軸が真っすぐな、軍の要求に堪えられる質の矢は決して安くない。よく燃える上質な油を用いる火矢ともなれば尚更に。

 その火矢が、ここが勝負どころと言わんばかりに惜しみなく放たれる。鮮やかな炎の雨が、アルンスベルク要塞に降り注ぐ。

 さらに、最後方の攻城兵器部隊の放つ攻撃が、再び要塞へと飛び込む。可燃性の何かしらに運良く燃え移ったらしく、要塞内からは黒い煙がいくつも立ち上っている。混乱の影響か、敵側から降ってくる矢の勢いが明らかに鈍る。

 見た目ほどの損害を与えられたとはロベールも思っていない。おそらく、天幕をいくつか。あるいは、屋外に積まれている食料や飼い葉、予備の矢などの物資。もしくは、建物の木造部分。そうしたものを少し燃やしただけだろう。

 それでも、火攻めを行い、アルンスベルク要塞から煙が立ち上ったという事実そのものが一定の成果と言える。敵の要塞から煙が上がる様を騎士と兵士たちが記憶に刻み、語ることで、アレリア王国はエーデルシュタイン王国に制裁を食らわせたという結果が確立される。兵力が乏しく本格的な侵攻が叶わない現状で、アレリア王家は強気の姿勢を示したと国内に言い訳できる。

 また、戦のことなど分からない徴集兵たちに、こちらが優勢だと思わせることもできる。


「見よ! 難攻不落のアルンスベルク要塞が燃える様を! 敵は怯み、弱っている! 一気に突撃してあの中になだれ込み、勝利を掴むのだ! そうなればお前たちは褒美を手にし、英雄として誰からも尊敬されるだろう!」


 ロベールの言葉を疑った様子もなく、徴集兵たちの士気が一層高まる。金を手にしてちやほやされる未来の自分を思い浮かべる。彼らはぎらついた目で、敵の要塞の様を見据える。恐怖は薄れ、欲望が上書きされる。


「者共! 突撃せよ!」


 その宣言で、徴集兵たちは一気呵成に走り出す。間隔を開けて立つ前衛の弓兵の間を抜け、鬨の声を上げながら要塞目がけて丘を駆け上がる。王国軍のお下がりである古びた武器を手に、一部の者は攻城用の長い梯子を手に、本気で要塞を攻め落とさんと疾走する。

 その様を見送ったロベールは後衛から前進してきた正規軍人たち――自身の直属の部隊と、貴族領軍の部隊に視線を向ける。


「いいかお前たち……無理はするな。ほどほどにな」


 ロベールがにやりと笑って言うと、正規軍人たちも不敵な笑みで応えて走り出す。

 この戦力ではアルンスベルク要塞を落とせないことを、彼らは当然に理解している。なので徴集兵たちほどには力むことなく、軽快に丘を駆け上がっていく。

 先を行く徴集兵たちを待っていたのは、要塞の城壁上に待ち構える敵からの攻撃。クロスボウと投石による手痛い歓迎だった。


「ぎゃああああっ!」

「ぐえっ!」

「お、おい、大丈夫か――」

「放っておけ! 前に進むんだ!」


 クロスボウの矢の直撃を受け、もんどりうって倒れる者。兜も被っていない頭に投石の直撃を受け、血と脳漿を飛び散らせる者。数は少ないが、次々に死傷者が出る。

 同郷の者が倒れる様を見て足を止める徴集兵もいるが、それを他の者が引っ張り、彼らは懸命に前進を続ける。

 そして要塞の目の前、そびえ立つ城壁の眼前に辿り着いた彼らを――空堀が待ち構えていた。

 成人男性が直立しても頭が隠れるほど深く、助走をつけても飛び越えられないほどの幅で掘られた空堀の中には、ところどころに杭も据えられている。丘を駆け上がっているときはよく見えなかった空堀を前に、先頭の徴集兵たちは慌てて足を止め、後続の者たちがそれにぶつかる。


「ま、待て――うわあああっ!」

「止まれ! 止まるんだ!」

「馬鹿言え! お前が進むんだよ! 堀を降りて杭の間を抜けろ!」


 突き飛ばされて勢いよく空堀に落ちた徴集兵が、太い杭に胴体を串刺しにされる。後ろから押し寄せる仲間を制止しようとした者が、逆に急かされて空堀の急斜面に足を踏み入れる。

 杭の間を抜けて空堀を進むのに手間取り、その間にさらに犠牲者を増やしながらも、徴集兵たちはいよいよ城壁に取りつく。決して良いとは言えない手際で梯子を立て、城壁を上り始める。


・・・・・・


「叩き落とせ! 一人たりとも入れるな!」

「「「おおっ!」」」


 ヨーゼフの鼓舞に、城壁上の騎士と兵士が応える。

 いくつも立てかけられた梯子を上ってくる敵兵目がけて、人の頭ほどもある大きな石が投げ落とされる。極めて無防備な状態で前進を強いられる敵兵たちは、身を守る術もなく次々に梯子から落ちる。そのまま空堀の杭に貫かれる者もいれば、負傷して下がる者もいれば、勇敢にも再び梯子に向かう者もいる。

 こちらの猛攻を潜り抜けた敵兵、その最初の一人が、いよいよ城壁に手をかけるほどの距離まで迫ってくる。それを、ディートヘルムが剣で容易く斬り伏せる。

 ディートヘルムはそのまま敵の梯子を蹴り飛ばし、城壁から引きはがす。今まさに梯子を上っていた後続の敵兵たちが、悲鳴を上げながら梯子と共に倒れていく。


「徴集兵ばかりだな……いいかお前ら! こんな小勢の弱兵ども、一兵でも要塞に入られたら恥になると思え!」


 周囲の者たちがディートヘルムに応えながら、それぞれの持ち場に迫る敵を斬り、貫き、殴り飛ばし、突き落とす。

 城壁の他の場所でも、連隊の歩兵大隊長の指揮を受けながら、騎士と兵士たちが堅実に防衛を果たす。敵の徴集兵部隊は損害を増やすばかりで、誰も城壁上に到達できない。

 その間も、城壁の上を両軍の矢が飛び交う。時おり、敵側の攻城兵器による攻撃も。

 敵軍の弓兵部隊はこちらの要塞内だけでなく、城壁上も狙って矢を放つ。流れ矢が自軍の徴集兵に当たることを厭わず、こちらの防衛を邪魔してくる。

 戦い辛い。そう思いながら、ディートヘルムは舌打ちを零す。


「はあああああっ!」


 と、そのとき。金属製の兜と胴鎧で攻撃を跳ね除けながら、徴集兵とは一線を画す速さで梯子を上り、ついに城壁上へと降り立つ敵兵がいた。周囲を見ると、他にも数人が侵入していた。

 ディートヘルムは目の前の敵兵を見やる。エーデルシュタイン王国軍の正式装備を纏った正規軍歩兵。それも、放つ雰囲気からして精鋭。胴鎧には所属部隊を表すのか、蛇を模した紋章が描かれている。

 敵側の矢が止む。どうやらこの精鋭たちは、安易に消耗していい戦力ではないらしい。


「貴族とお見受けした! 首をいただく!」

「……取れるもんなら取ってみろ雑兵が!」


 要塞の城壁に到達された。精鋭とはいえたかが一兵士に眼前まで迫られ、勝負を挑まれた。

 そのことに苛立ちを覚えながら、ディートヘルムは敵兵の挑戦を受けて立つ。

 どうやら他の敵兵も、目立つ手柄になりそうな首だけを狙っているようだった。周囲を直衛で固めた連隊長ヨーゼフは狙われていないようだが、中隊長以上を中心に立派な鎧を身につけた者や、マントに家紋を記した貴族家出身の騎士が襲われている。

 ディートヘルムの眼前の敵兵も、隙のない構えで迫ってくる。

 敵兵は偉そうな態度に相応しい実力を持っているらしく、鋭い斬撃を放つ。それを、ディートヘルムは危なげなく防ぐ。そこから一歩引いて体勢を立て直す――と見せ、勢いよく刺突を放つ。

 さして広くない城壁上で敵兵は器用にそれを避け、そうしながら剣を振り上げ、ディートヘルムの頭上に振り下ろす。ディートヘルムは片手に持っている丸盾でそれを受け流し、肩で敵兵にぶつかる。敵兵はそれを避けずに胴で受け止め、反動を利用して下がり、防御の姿勢をとることでさらなる追撃を許さない。

 一進一退の攻防に、周囲の者は介入できない。下手に首を突っ込めば味方であるディートヘルムの邪魔になるか、自分が敵の攻撃に巻き込まれて死ぬ。


「お前らは持ち場を見てろ! これ以上敵を入れるな!」


 命じながら、ディートヘルムは一気に攻撃を畳みかける。

 目の前の敵兵は手練れだが、それでも自分の方が強い。おまけに敵兵はどうやら命を惜しんでいる。勝負に出ようとしない。こちらが攻めたら守ってばかり。

 こんな奴に渡してやる首はない。逆にその首を刎ね飛ばしてやる。

 そう考えながら、ディートヘルムは横薙ぎに剣を一閃。敵兵はそれを己の剣で受け止め――そのまま城壁から要塞の外側へと落ちる。


「あ?」


 こちらの攻撃を受け止めきれずに落とされたわけではない。こちらの攻撃の勢いを利用し、わざと落ちたと分かった。

 ディートヘルムが怪訝な顔で城壁の下を見やると、敵兵は狙いすましたように梯子の上に身を落とし、そのまま器用に梯子を駆け下り、空堀を抜けて逃げ去っていく。

 他に城壁上に到達した敵兵たちも次々に撤退していた。あるいは、戦いに敗れて物言わぬ死体と化していた。ざっと見た限りでは、こちらの騎士は誰も首を取られていない。


「……ちっ。ただの首狩りかよ」


 どうやら、本気でこちらの士官を討って形勢逆転を狙うための攻撃ではない。敵将の命を受けているのか、あるいは戦功欲しさに独断で突っ走ったのか、あわよくば手柄として誇れる首を手に入れるためだけの侵入と思われた。容易には首を取れないと分かると、あっさり退いていったことからもそれは明らかだった。

 襲われたディートヘルムたちが敵兵を退ける間も、他の騎士や兵士たちはよく戦い、堅実に要塞を守っている。一方で敵の攻め手は相変わらず徴集兵ばかり。城壁上に辿り着くどころか、梯子の半ばまで到達する者も少ない。

 戦況がこれ以上動く気配はなく、もはや勝敗は決まっている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る