第83話 アルンスベルク要塞の戦い①
アレリア王国側の使者を送り返した後。さすがにこのまま城壁上にいては流れ矢などで死にかねないため、クリストファーは自身の官僚たちと共に堅牢な石造りの主館に引っ込んだ。
「結局、最後まで大使殿は逃げなかったな。どうだディートヘルム?」
「……確かにあの帝国貴族様は、それなりに根性をお持ちでいらっしゃるようで。この段になれば認めないわけにもいきません」
部下たちの手前もあって言葉遣いには気をつけながら、それはそれは不愉快そうな顔でクリストファーの勇気を認めたディートヘルムを見て、ヨーゼフはげらげらと笑う。それを受けて、ディートヘルムの表情がいっそう渋くなる。
「おお、笑っている間に敵が動き出したようだな……いいか貴様ら! 気張って戦え! アレリアの連中が二度と生意気を言えなくなるまで叩きのめしてやれ!」
要塞西側に轟く声でヨーゼフが発破をかけると、皆が威勢よく応える。
小競り合いの延長のような戦いとはいえ、アルンスベルク要塞そのものが戦場となるのは随分と久しぶりのこと。最後にこの要塞が防衛戦を経験したのは、まだロワール王国が隣国であった頃、かの国が一か八かの要塞奪還を試みた際だった。
当時を知る古参の騎士や兵士にとっては、本拠地たる要塞での久々の大規模戦闘。それ以降に入隊した者にとっては、何度もくり返してきた要塞防衛訓練の成果をようやく発揮するとき。皆、いやが上にも気合が入る。
正規軍人だけでなく、徴集兵の士気も高い。西部王家直轄領の民である彼らは定期的に訓練を受け、なかには小競り合いで実戦を経験した者もいる。要塞の背後にあるのが自分たちの故郷であることも合わさって、正規軍人にも負けない度胸と覚悟を備えている。
城壁上には重装備の騎士と、盾と剣を構えた兵士。クロスボウ兵や投石兵もいる。その後ろ、要塞の内側には、交代要員や後方支援要員、そして弓兵。防衛の体制は万全。
対するアレリア王国側は、前衛に隊列の間隔を広くとった弓兵を置き、すぐ後ろに突撃要員であろう歩兵が続く。さらにその後ろには、移動式のバリスタや小型のカタパルトなどの攻城兵器もいくつか見える。
敵もまさか本気でアルンスベルク要塞を落とす気でいるわけではなかろうが、一応は真面目に攻城戦に臨むつもりらしかった。
「徴集されたアレリアの民も気の毒にな。元は異国の王家がただ面子を保つための戦いで、成功する見込みもない突撃をさせられるとは」
敵陣を眺め、ヨーゼフは嘆息しながら呟く。
敵の歩兵およそ千五百のうち、三分の二にあたる千は、ロワール地方の一般平民からの徴集兵。並んでいる兵士の装備の質から推測するに、その徴集兵こそが最前に立たされ、正規軍人は後ろにいるようだった。貴重な正規軍人の損耗をできるだけ抑えるための隊列だろうが、肉の盾にされる徴集兵にとって不運な扱いであることは間違いない。
モンテスキュー侯爵が兵を無駄に使い潰す残酷な将であるという話は聞かないが、敵がどれほど巧みな指揮の下で戦おうと、徴集兵の損害が最も大きくなるのは必至と思われた。
間もなく、敵が前進を止める。敵陣はこちらの弓の射程圏内に、そしてこちらの要塞は敵の弓の射程圏内に入る。
「弓兵、構え!」
城壁上から敵との距離を確認し、声を張ったのはヒルデガルト連隊の弓兵大隊長だった。その指示で、王国軍人と狩人出身の徴集兵から成る弓兵部隊が矢を番え、曲射の姿勢を取る。
「放てぇっ!」
一斉に放たれた矢が放物線を描いて飛び、敵陣に降り注ぐ。前衛の弓兵はもちろん、その後ろの歩兵にも矢の雨が届く。
敵側もやられっぱなしではいない。ほぼ同時に、敵の弓兵およそ五百が矢を斉射してくる。
「敵の矢が来るぞ! 備えろ!」
ヨーゼフの命令で、城壁上の騎士と兵士たちは盾で頭と胴体を覆う。城壁のすぐ下にいる交代要員は、城壁側に身体を張りつけるようにして矢の死角に隠れる。
後方支援要員のうち、大盾を持っている者は構え、周囲にいる者はその後ろに隠れる。それも間に合わない者はその場に身を伏せる。
弓兵は防御や退避の行動をとらない。そんな暇があれば次の矢を放つ。敵の矢から隠れたり逃れたりするのではなく、矢を放つ敵そのものを仕留め、怯ませようとできる限り連射する。
激しい矢の応酬が続く。不運にも敵の矢を受けた者が倒れ、痛みに叫び、より不運な者は絶命する。徴集兵を中心に編成されている後方支援要員が、負傷者をより安全な屋内や後方に退避させようと走る。二人がかりで担架に乗せて担ぎ、大盾を持った者がそれを懸命に守る。
負傷して城壁上で倒れた者を、近くの者が担いで降りる。それをやはり後方支援要員が後送し、空いた防衛の穴を交代要員が埋める。
後方支援に動いているのはこちらの兵ばかりではない。帝国軍人たちも、事前のクリストファー大使の宣言通り助力してくれている。他の後方支援要員が徴集兵ばかりの中で、彼らは全身鎧を着た帝国騎士。流れ矢が来ようとそうそう死ぬ心配はない。
・・・・・・
矢の雨が降り注ぐアレリア王国側の陣で、徴集兵たちは早くも及び腰になり、士気を失いかけていた。
数だけは総勢で千も揃っている徴集兵たちは、しかしその装備は粗末なもの。兜や鎖帷子や革鎧のどれかひとつでも身につけていれば上等で、なかには服をただ重ね着したり、服の中に折り重ねた布を詰めたりしているだけの者もいる。矢を弾き返す頑強な金属鎧など、誰も持っていない。
支給されている武器は古びていても一応まともな剣や槍だが、盾の支給はない。なかには木板に持ち手をつけた自作の盾を持つ者もいるが、その数は多くない。敵の弓の射程圏内で、しかしまだ突撃命令も出ない状況で、大半の者はただ棒立ちで矢に当たらないことを神に祈るしかない。
曲射で放たれる矢の命中率は低く、死傷者の数はさして多くない。それでも、近くにいる者が倒れ、血を流し、泣き叫ぶ様は、素人の徴集兵を大いに怖がらせる。強制的に動員された、ろくな訓練も受けていない彼らは、前後を正規軍人に挟まれていなければこの時点で壊走していてもおかしくなかった。
「この程度で怯えるな! 褒美を思い出せ! 突撃を果たせば全員に銀貨一枚! 要塞に乗り込んだ者は大銀貨一枚! 騎士を殺した者にも大銀貨一枚だ! 敵将を殺せば貴族にしてやる! 我が家名にかけて約束を守ってやる!」
そのとき。徴集兵たちのいる位置まで前進して呼びかけたのは、他ならぬロベール・モンテスキュー侯爵その人だった。全身鎧を身につけているので死ぬことはそうそうないとはいえ、直衛の数騎と共に矢の雨の中で平然と馬を歩かせながら、ロベールは語った。
それを聞いた徴集兵たちの士気が、多少持ち直す。目を泳がせることなく正面の要塞を見据え、なかには戦意のこもった表情を作る者もいる。
兵の徴集は都市や村落単位で行われ、その際には働きに応じて褒美が与えられる旨も説明されていた。結果、金に困っている貧民や、継ぐ財産のない次男以下を中心に、自ら進んで徴集の定数を埋めた。
上手くやればまとまった金が手に入り、それで人生を好転させられるかもしれない。そんな希望が徴集兵たちの野心を煽り、今一度この戦いに臨む勇気を与える。
総指揮官たるロベールが自ら前に出てきた効果も大きい。数多の戦いに打ち勝ってきた名将の存在は、ただそこにいるだけで配下の士気を数段高める。
「これから我が軍の攻城兵器が敵の要塞を撃つ! お前たちの突撃を援護するために、強力無比な一撃を敵に見舞うのだ!」
ロベールが叫んだ直後。地面に固定されて発射準備を終えたバリスタと、小型のカタパルト、各四台が最初の攻撃を放つ。槍ほどもある矢が、あるいは人の胴体ほどもある投擲物が、それぞれ炎を纏いながら歩兵と弓兵の頭上を越えてアルンスベルク要塞に飛び込む。
その頼もしい様に、徴集兵たちは感嘆の声を零す。
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