第78話 友邦の要人③

 その後も他の出席者たちと歓談し、それもひと段落した頃。マティアスとフリードリヒに、宴の主催者たるクラウディアから声がかかる。


「珍しいな。社交嫌いのお前が自ら大広間の中心に出るとは。フリードリヒまで巻き込んで」

「……ダールマイアー卿よりお叱りを受けましたので。あまり隅にばかり立つなと」


 無言で一礼するフリードリヒの隣、マティアスが澄ました顔で答えると、クラウディアの顔に微苦笑が浮かぶ。


「ならば仕方がないな。彼の諫言ともなれば、私が叱るよりもよほど堪えるだろう」


 そう語る彼女の周囲には、直属の護衛である近衛隊長グスタフと、さらに数人がいた。

 それは、リガルド帝国の要人と、その従者たちだった。


「英雄。よもや子連れの卿を再び見ることになろうとはな」


 彼らの中でも一際豪奢な装いとただならぬ存在感を纏った男が、不敵な笑みで言い放つ。マティアスはそれに嫌な顔ひとつせず、会釈を返しながら口を開く。


「我が継嗣フリードリヒをこうしてお目通りさせることが叶い、嬉しく存じます。皇太子殿下」


 養父に倣いながら、フリードリヒは自分が頭を下げている相手が誰かを理解する。

 エドウィン・リガルド。リガルド帝国の現皇太子。ルドナ大陸中部の全域を支配し、現代の大陸において覇権を握る大国を、いずれ継承する人物。確か、現在は三十代前半。

 フリードリヒが相まみえるのは、これが初めてのことだった。


「お初にお目にかかります。フリードリヒ・ホーゼンフェルトと――」

「名は今聞いた。堅苦しい挨拶はよい……ホーゼンフェルト卿が孤児を拾って養子に据えたと聞いたときは、孤高の英雄と言えど老いればやはり跡継ぎが欲しくなるものなのかと驚いたぞ」


 フリードリヒの挨拶を遮り、エドウィンは言った。


「しかしまあ、やけに可愛らしい奴を選んだものだな。強いのか? この者は」


 顔を上げたフリードリヒに歩み寄ってきたエドウィンは、まるで珍しい動物でも観察するかのように、不躾な視線でねめつける。強大な隣国の皇太子に抗議などできるはずもなく、フリードリヒは顔を硬直させながら耐える。

 エドウィンの振る舞いに、しかしフリードリヒ以外の誰も表情を変えない。マティアスも彼の振る舞いを当然のものとして受け止め、口を開く。


「強くはありません。しかし、頭が切れます。戦術面での発想力は私より上でしょう。度胸も十二分に備えております。経験を積めば私以上の将になるかと」

「なんと、これがエーデルシュタインの生ける英雄を越えるのか。私が帝位を継いだ時代には、隣国でその様を見られるということか? 面白そうだ。フリードリヒ、期待しているぞ」

「……勿体なき御言葉にございます、殿下」

「ははは! 殊勝な態度だ。可愛い奴め。英雄の養子でなければ私が連れて帰りたかったぞ」


 良くも悪くも奔放なエドウィンを前に面食らいながらも、フリードリヒは笑みを作った。

 相手や周囲の反応を気にもしない。自分が会話の中心であり、自分が場の主役であることを当たり前と捉える。それでいてその態度を傲慢とも感じさせない、堂々として自由な振る舞い。

 これが帝国の皇太子か、とフリードリヒは考える。生真面目なクラウディアとはまた違ったかたちで、支配者として尋常ならざる存在感を発揮するエドウィンを理解する。


「フリードリヒ殿は今や、エーデルシュタイン王国の若手貴族の中でも最重要の一人。私も再び会うことができて嬉しく思いますよ」


 エドウィンの隣で言葉を発したのは、帝国の在エーデルシュタイン王国大使、クリストファー・ラングフォード侯爵だった。

 四十代半ばという年齢のわりに若々しい印象の彼は、国外交流を主な仕事とする人物らしく柔和な笑みを浮かべ、その傍らには侯爵夫人も連れている。結婚が遅かったという彼の一回り年下の夫人も、彼と同じように笑顔を見せていた。

 この大使夫妻には、フリードリヒも昨年の宴の場で挨拶をしたことがあった。


「恐縮です、侯爵閣下」

「先の謀反鎮圧での活躍を聞き及んだ時は、昨年にも増して驚いたものです。さすがは英雄ホーゼンフェルト卿が見出した才覚。あなたのような武人がエーデルシュタイン王国の未来を担っていくとなれば、この国も安泰でしょうな。いやあ、この国に魅入られた者としては誠に嬉しい限り」


 そう言ったクリストファーは、そのままエーデルシュタイン王国への誉め言葉をぺらぺらと語り出す。

 その威容をもってアレリア王国の軍勢を退けた精強なる軍人たち。困難を乗り越えてなお平穏を保ち、豊かな夏を迎えて活気に満ちる王国社会。その平穏と盛況を実現し、変わることなく国土と民衆を庇護する王家。

 大仰な手振りと、まるで詩でも詠うかのような語り口は、端から見れば単なる美辞麗句にも思えるようで、しかし実際は本気の誉め言葉だとこの場の皆が知っている。だからこそ、どこか呆れたような空気が漂い、エドウィンでさえも微苦笑でやれやれと首を振る。

 このクリストファーは、筋金入りの親エーデルシュタイン派で、おまけに理想主義者として有名だった。帝国でも、エーデルシュタイン王国でも。

 先代である父親もエーデルシュタイン王国の大使だったクリストファーは、多感な少年期を父に付き従ってこの国で過ごし、そしてこの国に魅入られた。衣食や建築、文学や芸術をはじめとしたこの国の文化に。そして広大な森と平原、いくつもの丘や河川や湖を抱える美しい風景に。

 帰国後もエーデルシュタイン王国について探究し、この国への親近感を高めた彼は、家督を継いだ十年ほど前に自身もこの国の大使に任命された。当時結婚したばかりの夫人も連れて赴任し、出産を機に一度帝国に戻った彼女を、数年前に今度は子供ごと呼び寄せたという。幼い娘にもエーデルシュタイン王国の素晴らしさを学ばせたいと言って。

 お互い色々と事情も抱える友好国との空気を、より良好にすることはあっても険悪にすることは考えづらい人物。帝国がひとまずの連絡役や交流役として置くのにうってつけの人材なのだろう……という評価は、フリードリヒが以前マティアスから聞かされたものだった。


「さすがは、学問や文化芸術にも造詣が深いラングフォード卿だな。今宵の称賛も、記録して書にしたためたいほどだ。その調子で、ひとつ軍事支援の確約でも語ってもらえるとありがたいが」

「殿下も既にご存じとは思いますが、私はこのような親エーデルシュタイン派の理想主義者でありますが故に、主家より伝言役以上の権限を賜っておりません。誠に残念なことです」


 クラウディアが言うと、クリストファーはそう答えて一礼する。まるで役者のように芝居がかった所作は、しかし不思議と嫌味を感じさせず、むしろ愛嬌を覚えさせるものだった。


「当たり前だ。自由な裁量など与えたら、このお人好しはそのうちリガルドの帝位までエーデルシュタイン王国にくれてしまうだろう」


 エドウィンが鼻で笑いながら、二人の会話に口を挟む。帝国の皇太子が言うにはなかなか際どい冗談に、周囲の者たち――マティアスまでもが苦い笑みを零した。

 そのままエドウィンとクリストファーは、英雄たるマティアスと語らう。養父が友邦の要人たちの相手をしている間、やや離れた位置で大人しくしていたフリードリヒの隣に近づいたのはクラウディアだった。


「養父が人気者だと、お前も大変だな……いや、今はお前自身への注目度も高いか。先の戦いではよく活躍してくれた。あらためて礼を言おう、フリードリヒ」

「……畏れ多く存じます」


 今では特に緊張を覚えることもなく向き合えるようになった主家の王太女に、フリードリヒは微笑で答える。


「元は王家の不手際から始まった騒動で、フェルディナント連隊には事後処理でも随分と手間をかけさせたな。すまなかった」

「いえ。此度の悲劇による殿下の御苦労、私のような卑賤の出の身では察するに余りあります。私は臣の一人として、少しでもお役に立てるよう奮闘するばかりです」


 このままいけば自身の治世下で重要な直臣となるからこそ、王太女はこうして言葉をかけてくれているのだろう。そう思いながらフリードリヒが言うと、クラウディアは小さく吹き出す。


「相変わらずお前は、言葉を綺麗に紡ぐのが上手いな……悲劇か。確かにあれは紛れもない悲劇だった。だが、その責は私にこそある。最も近しい家族としてあ奴の内心に気づいていれば、実の弟を逆賊として捕らえ、この手で処刑台に送ることもなかったというのに」


 後半はぼそりと呟くように、クラウディアは語った。


「だが、謀反が起こってしまった以上、弟の処刑は必要なことだったのだ。建国の母より受け継がれしこの国と、この国に生きる民を守るために…………と、せっかくの宴の場で辛気臭い話を聞かせてしまったな。忘れてくれ」


 伏せかけた顔を上げて表情を取り繕ったクラウディアに、フリードリヒは穏やかな顔で首を横に振る。


「どうかお気になさらず、殿下」


 まだ余計なしがらみを負っていない若い臣下の前だからか、彼女が何気なく吐露した心情に、彼女の王族としての信念を見た気がした。

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